第23話 授業・器と爵位と称号と


 静まりかえった室内で瞼が腫れたりメイクが滲まないよう目をこすらずにただ溢れる涙を落とし続けて、どの位経っただろうか?


 セリアが濡れたハンカチを差し出してくるまで、ただただ私はうつむいて涙をスカートの上に落としていた。


「後15分で授業が始まります。少しでも冷やしておいた方が良いと思います」

「…ありがとう」


 ひんやりと冷たいハンカチを軽く当てると、その冷たさに頭も冴えてくる。


「一体どんな話をされたのですか? ダンビュライト侯から『入るのは少し待ってあげてほしい』と言われたので待ってはいたものの、流石に授業に遅れる訳にはいかないので入ってみたら……こんな状況ならもっと早く入れば良かったです」


 セリアは一つため息をつく。私やクラウスに対してではなく、判断を誤った自分自身に対するため息のようだ。


「……あの人、どんな感じだった?」


 涙はおさまったけど、もうそれだけで済む状況じゃない。彼の私に対する印象は最悪だろう。

 ゲームオーバーこそ阻止できた安心感はあるものの、それ以上に襲い来る自己嫌悪が酷い。


「急いでる様子ではありましたが、対面した時の嫌な感じは無かったです」


 私と会話するのが嫌なあまりに急いでいたのだとばかり思ってたけど急いでいたのは別の事情があるのか。ちょっと罪悪感まで生じてきた。


「メイド達は?」

「あの方が去られた後、皆自分の職務に戻りました」

「そう……じゃあ後は歩きながら冷やそうかな」


 先程のアイドルを見るようなノリのメイド達にこの姿を見られたら厄介な事になりそうだと心配してたけど、もういないならこの部屋に閉じこもる理由はない。

 立ち上がって体を伸ばすと、セリアが心配そうな表情でこちらを見つめている。


「今は優しくされると泣きそうだから、何も声をかけないでいてくれたら助かる」

「……分かりました」


 ひとしきり泣いた後は優しい言葉をかけられるのが怖い。それはまた別の涙を持ってくるから。

 セリアは私の意図を汲んで、それから無言で授業がおこなわれる教室まで案内してくれた。




 教室は黒板と2~3人が並べそうな長机が前後に2つ置いてあるだけの、簡素な部屋だった。

 応接間よりも二周りほど狭いけど、少人数に講義するにはこの位の方が丁度いい。って言うより応接間が広すぎる。


 セリアは私が授業を受けている間に部屋の掃除や雑用をこなす、と言って私を教室まで案内してくれた後、そのまま外廊下を歩いていった。


 時間には間に合ったものの、またしても私が最後のようだ。前の席には既に優里とソフィアが座っていたので、後ろの席のアンナの隣に座る。


 机の上には置かれた薄茶色のノートらしき物が1冊と眼鏡が1つ、そして大きな羽が1枚置かれていた。

 よく見ると羽根先はペンの形になっている。ファンタジー映画やアニメで見る羽ペンにちょっぴりテンションが上がる。


 待望の紙とペンに感動して観察している間にメアリーが入って来た。


「皆様、昨日のパーティーはお疲れさまでした。大分品のない行動も見受けられましたが……既にお相手が確定されてる方なので不問としましょう」


 入るやいなや教壇に立ったメアリーはチラと私を見やり、軽くため息をつく。


「皆様にはこの1週間でこの世界の事や礼節、最低限の護身術とダンス等を学んで頂きます。本日は皆様が呼ばれた理由に深く関わる魔力と貴族について説明しますので、皆さんの眼の前にあるノートとペンでメモしていってください」


 この世界の事を何も知らない私達にこの世界の事を教えるのは分かるし、礼節もまあ分かるけど――護身術とかダンスって必要なんだろうか?


 疑問に思っている間にメアリーはチョークらしき物で黒板に文字を書いていく。

 何処の古代文字だろうと見紛みまごう程奇抜な字に『読めません』と声を上げるより先にメアリーが気づいたようで、


「今私が黒板に書いている文字は、ノートと一緒においてある眼鏡で見れば自分の知っている文字も一緒に浮かんで見えるはずです」


 そう言われて半信半疑で眼鏡をかけてみると、古代文字の上に淡く輝く日本語が浮かび上がった。

 私と優里が「わぁ……」と声をあげた後、ソフィアとアンナも眼鏡を掛けたのを見てメアリーは再び黒板に向き直った。


「ではまず、ル・ティベルにおける魔力について解説していきます」


 メアリーの授業は項目一つ一つ、事細かに説明された。

 大体の大筋はセリアやダグラスさんが言っていた事と被るけど、今後必要になる情報が出てくるかもしれないので一通り書き留めていく。


 この世界――<ル・ティベル>の人は皆、自身の中に魔力を貯められる器を持っていて、器の中に魔力を生み出す核が1つと、核から生み出された魔力が器いっぱいに溜まっている。


 魔力には色がついていて、色によって得意な分野、不得意な魔法があり中には特別な恩恵を受けている色もある。


 魔力は魔法や魔道具を使う事で消費する。器が空になれば魔法も魔道具も使えなくなる。だけど時間が経てば核によって少しずつ器に魔力が溜まっていく。


 魔力の回復量は器の大きさに比例する。器が大きい人と小さい人、どちらも空の状態から1日休めばほぼ満タンになるとのこと。


 器の大きさはクラブとかダイヤとかトランプみたいな名称で区切られてて、例外もあるけど大体一般市民、一般貴族、有力貴族の順で器が大きくなっていくらしい。


 そして同じように魔力を貯める器こそ持つものの、核を持たず魔力を作り出す事もない存在――それがツヴェルフ。

 この世界の人間と決定的に違い、有力貴族達に重要視される存在。


「つまり、皆さんは魔力を生み出す事が出来ないので魔法や魔道具を使いたい場合は誰かに自分の器に魔力を注いでもらう必要があります。その方法が身体接触……抱擁、口づけ、セックスです」


 メアリーが淡々と説明する中飛び出た言葉に、皆顔をこわばらせたり肩を竦めたりして明らかにゲッ、と言いたげな反応をしていた。


「相手から魔力が注がれた際は各自メイドから魔法や魔道具の扱い方を学んでください。皆さんが今身に着けている眼鏡、チョーカー、イヤリングは魔力が無くても使える加護が込められた魔道具…通称魔護具タリスマンと呼ばれる物で、魔力を持たぬツヴェルフにも反応しますが、この世界の魔道具の殆どが魔力に反応します」


 魔道具――つまり、馬車の時の温度を調節した石も、シャワーの温度調節する石も魔力に反応する…という事はこの世界では私一人だとまともに温かいシャワー一つ浴びられない訳だ。


「ツヴェルフは常に誰かに保護される存在ですので基本的に戦ったりする事はなく、魔法を使う機会も殆どないと思いますが……それでも誘拐などのトラブルにあう可能性を考えて、最低限己の身を守る程度の魔法や護身術を習得した方が良いでしょう」



 区切りの良い所でお昼の鐘が鳴り、メアリーの監視下のもと昼食を取る。

 あれこれ作法マナーを指摘されながらの食事はけして心地の良い物ではなく、食べ終わるや否や次は貴族についての授業が始まった。



 ル・ティベル最大の国であるレオンベルガー皇国は皇帝の下、6種の神器とそれぞれの色の神の加護を持つ赤、緑、青、黄、黒、白の6大公爵家が肩を並べる。


 神器は6大公爵家に近しい色を持つ者でも扱う事が出来るけど、神器本来の力を解放するにはやはり公爵家の色でなければならないらしい。


 6大公爵家の家名は赤のリアルガー、緑のアイドクレース、青のラリマー、黄のリビアングラス、黒のセレンディバイト、白のダンビュライト。

 この内、赤緑青黃の公爵家は皇国の北、南、西、東の地方の統括も任されている。


「……ダンビュライトは侯爵家じゃないんですか?」


 黒板に書き連ねられていく名前に違和感を覚え手を上げて質問すると、メアリーは言うべきかどうか迷ったのだろうか? 少し考えた後に答えが返ってきた。


「現当主になってから何度言っても重要な集まりにもパーティーにも来られませんから、侯爵に格下げされました。しかし他の侯爵家には無い神器と加護をお持ちなので6大公爵家としての扱いはそのままです」


 パーティーはおろか重要な集まりにも来ない、幻の貴公子――爵位を下げられてなお出ないのはよっぽどの事だろう。

 この様子だと昨日のパーティーに来なかったのも単にツヴェルフに興味が無いから、という理由だけじゃなさそう。


「続いて、侯爵家についてご説明します――」


 公爵家の次に8つの侯爵家が名を連ねる。皇国の辺境の管理を任されている侯爵家はその地方を統括する公爵家に仕えている。


 公爵家が持つ神器や加護程の絶対的な力こそ無いものの、侯爵家も各自が持つ色と関係が深い特殊な大魔道具を呼ばれる魔道具を受け継いでいて、それによって地方を円滑に統治している。


 色を特に重要視するのは6つの公爵家と8つの侯爵家の14貴族。以下、彼らに仕える数十の伯爵、子爵、男爵と続いていく。


 有力貴族というのは主にこの14の公侯爵家を指すらしい。その他神器や魔道具こそ持っていないものの武勲や功績を多々あげている家も『有力』として含まれ、実際は国全体で30~40程の家が有力貴族として扱われている、らしい。


「――そして、爵位が与えられている家の子息には<フォン>、家の当主を指す者には<ディル>、当主の伴侶には<シェラ>という立場称号が授けられます。それにプラスして個人の実力や実績、地位を示す個人称号があります」


 フォンは漫画やゲームでも貴族の称号でよく使われるけど、ディルやシェラは聞いた事がない。

 この世界特有の称号なのかな? と思っている間にメアリーは次の話題に移る。

 

「まず皇族の証<アインス>。類稀な魔力と多大な実績を兼ね備えた英雄に授けられる<ツヴァイ>。そして有力貴族として認められた家の証が2種類……多大な魔力と実績のどちらかを備えし者に<ドライ>、そのどちらにも当てはまらない<フィア>。一般貴族も同様に<フュンフ><ゼクス>、一般市民には<ズィーベン><アハト>という2通りの個人称号が入ります」


 滑らかに書き出されていく文字に焦りつつ、書き留めていく。語りながら黒板に書きだしていくメアリーはこうして誰かに教える事が楽しいのだろうか? とても活き活きしているように見える。



「つまり、フルネームを名乗れば自分が何処の家のどういう存在かまで相手に伝わるのです。私で例えればメアリー・シェラ・フィア・スピネルは有力貴族スピネル家の当主の妻であるメアリー、になりますし……」


 メアリーの手が止まり、勢いよくこちら側を振り返り言葉を続ける。


「ダグラス・ディル・ツヴァイ・セレンディバイト様であればセレンディバイトの当主であり英雄と唄われるダグラス様という意味になりますし、アシュレー・フォン・ドライ・リアルガー様であればリアルガー家の有能なご子息アシュレー様という意味になる訳です」


 言葉こそ淡々としているけど、ギロリ、という効果音が出てきそうな程睨みつけられるのが怖い。


「ですので、そこのお二人はくれぐれもお二方のご機嫌を損ねる事がないようくれぐれもお気を付けください! 6大公爵家の諍いなどくれぐれも招かぬように……!」


 ああ、私がアシュレーを殴った事でダグラスさんとアシュレーが険悪な状況になった事を懸念しているのか。


 ダグラスさんが私に、アシュレーがアンナにそれぞれ好意――ダグラスさんのは好意と言えるのかかなり微妙だけど――を示している以上、メアリーは私達に罰を与えたりできる立場じゃない。

 それでも昨日のパーティーの出来事はメアリーにとってはただ見過ごす事も出来ない状況なんだろう。

 アンナと顔を見合わせ、お互いに苦笑いする。


「私もアンナも、アシュレーと仲直りしたんで多分大丈夫ですよ」


 多分、とは言ったけどあのアシュレーなら100%大丈夫だろう。アンナの顔はまだちょっと顔が赤い。あの後、2人は上手くいったんだろうか?


「貴方達は良いのです。問題はセレンディバイト公とリアルガー家の子息との仲です」

「アシュレーのお父さんがダグラスさんに謝ってたみたいなので、そっちも多分大丈夫だと思いますよ?」


 この辺は本当に多分としか言いようが無いけど――メアリーは私の返答に納得いかない感じではあったけど、私達にそれ以上言葉をかける事無く黒板に向き直って授業を再開した。


 書き綴られる文字を眺めながら、ふと、クラウスの事が頭に浮かぶ。

 メアリーには悪いけど私は今、アシュレーやダグラスさんの事よりクラウスとの険悪な状況をどうすればいいかの方に頭を痛めている。

 協力関係を約束できたとは言え、流石にあの険悪な状況は気まずい。


(改めてちゃんと謝った方がいいかなとは思うんだけど……)




「それでは、明日はツヴェルフの子づくりに関しての注意事項について説明します。」


 どう謝るかを考えてながら授業を受けている間に鐘が鳴り、メアリーの授業が終わった。子づくり、という単語もすっかり聞き慣れてしまった。


 明日。まだ現実で言えば日曜。まだ無断欠勤にならずに済む。明後日は祝日。明々後日からの事を考えると凄く憂鬱だ。


(明日と言えば……冷蔵庫の中の卵の消費期限、明日までだったな……)


 ――卵の、消費期限?


「……そうだ、冷蔵庫……!!!」


 今更無断欠勤より先に襲い来る恐怖に気づき、ガタリと勢いよく立ち上がった私をメアリーも周りも皆、驚いたように見つめていた。


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