第75話 言いたくない理由


 アンナに立ち上がるように促され、土下座から頭を上げて再び椅子に座り直す。


「もしアンナから言いづらいなら、私からアシュレーに言っておこうか?」


 人の恋路をややこしくしてしまった手前、何が自分にできる事はないか聞いてみるとアンナは首を小さく横に振る。


「いいえ。私、ちゃんとアシュレーと話し合います。人を挟んだり一人で考えこんだらややこしくなるって勉強になりました」


 真っ直ぐ私を見るアンナの表情は明るく、眼に光が戻っていた。


「アシュレーには直接話がしたいから来るように伝えて頂けますか?」

「いいけど……それだけだと、変な方向に誤解しそうじゃない?」

「でも、彼はちゃんと来ます。そういう人です」


 YESかNOの返答じゃない事に不安を覚えつつ、アンナの自信と優しさに満ちた笑顔に食い下がる事もできず部屋を出ると、セリアとジャンヌが部屋の前で待っていた。


 ジャンヌは私と目が合うなり困ったような顔をしたけど、私に何を言うでもなく足早に部屋の中に入っていく。


「セリア、アシュレーにアンナの伝言伝えに行くけど……どうしたの?」


 セリアの顔が暗い。何か考え込んでいたようだ。私が声をかけた事でセリアは慌てて微笑みを浮かべるものの、どうもぎこちない。


「あ、アスカ様……後で少しお話したい事があります。お時間頂けますか?」

「少しなら今でも大丈夫だけど……?」

「アシュレー様が待っておられるでしょうし、ここで話せる事ではありませんから……」


 微笑みを崩さすに返された言葉が不安を煽る。なるべく声を出さないようにしてたんだけど何か聞かれてしまったんだろうか?




 不安を抱きつつアシュレーがいた場所に戻ると、彼は訓練場の隅でウロウロしながら待っていたようで私を発見するや否やこちらに勢いよく駆け寄ってきた。


「アンナ、アシュレーと直接話がしたいって。行ってきなさいよ」

「え……ど、どんな感じだった? 俺、フラれるのか?」


 予想通り、思ってた返答じゃなかったようで眉を八の字にして分かりやすく狼狽えられる。

 アシュレーみたいな人間でもこういう時そんな感じになるのか――と感心しつつ(毎日贈り物したり散々イチャついてるのに断られるはず無いでしょ!)と冷めた視線で見てしまう。


「さあ……? 私からは何も言えないわ」


 ちょっと意地悪く言ってみせると、アシュレーは激しく髪を搔き乱す。


「……あー、俺、ハッキリしないのが一番駄目だ! 分かった、直接聞く!! ありがとな、アスカ!!」


 そう言うとアシュレーは全身に赤い光を纏わせたかと思うと、まるで氷の上をスケート靴で滑るかのように凄い速さで去っていった。


「え、何、あの魔法……! 魔法教本に載ってたっけ!?」

「あれは高速移動ステップと呼ばれる上級魔法です。魔力の消費が激しい事やコントロールが難しい事から扱える者は限られますが驚異的なスピードで移動できるので魔物の大群に飛び込んだり、怪我人を運んだり急を要する際に使われます。なお、皇城および皇都内での使用は禁止されている為、アシュレー様は後で叱られます」

「え、何で使用禁――」


 スラスラと解説するセリアの最後の一言が気になって問いかけた瞬間、アシュレーが去っていった先でドン、と何かがぶつかった後何かが崩れる音が聞こえた。


 間もなく「アシュレー様!? どちらへ!?」という叫び声が聞こえてくる。なるほど、理解できた。


「ちなみにステップを使えるのは赤・黄系統の魔力を持つ者に限られます」

「ああ、じゃあダグラスさんはアレ使えないのね」


 アシュレーの心配をする事なく付け足された解説に安心しているとセリアは小さく首を横に振った。


「いえ。セレンディバイト家の黒は有彩色の影響を受けない完全な黒なので例外です。率先して敵陣に飛び込み、黒の槍を振り回し華麗に舞い獲物を狩るダグラス様の姿は死神と讃えられています」

「し、死神……」


 死霊王にあっさり勝つ位だからその位の異名がつけられてもおかしくないけど――英雄を死神と讃えるこの国の感性はおかしい。


(……しかし、素早さすら手詰まりとなると厳しいわね)


 遺跡ではあんな魔法を使わなかったから、ワンチャンあると思ってたのに――いや、そういう魔法を使われる可能性がある事が分かっただけでもありがたい。

 それに見た感じ、狭い空間や至近距離で使うような魔法じゃない。状況によってはまだ十分望みはある。


「じゃあクラウスは?」

「うーん……聞いた事はありませんが、ステップは攻撃魔法ではありませんし有彩色の影響を受けない、という点ではダグラス様と同じですし……使おうと思えば使えるのではないでしょうか?」


 仮にダグラスさんにあれを使える状況だったとしても、クラウスも使えたら対抗できるかもしれない――そう思って聞いた質問に悩みながら答えたセリアの向こうから、ネーヴェ達がやってくるのが見えた。


「……アシュレーは何処に?」


 ネーヴェが辺りを見回して問いかける。


「今さっきアンナの所に突進していったわ。そっちはどうだったの?」

「皇家とリアルガー公から許可が下りました。後は彼女の意思を確認するだけです。返答次第ですぐにでもリアルガー家で暮らしてもらう事になります」


 さっきの厳しい表情が消えたネーヴェはやはり淡々と答える。


「今日から……?随分急なのね」

「マナアレルギーの発症を考えると1秒でも早く同じ魔力を持つ者と過ごした方が良いですから。それでは僕もアンナに意思を確認してきます」


 ネーヴェはぺこりと頭を下げてアンナの部屋の方へと歩き出した。今日移動しちゃうんならアンナに最後に一言――と思って自分のそちらの方へ足を向けようとすると、


「ユンさん、私飛鳥さんと話したい事があるので少しだけ席を外してもらえませんか?」

「何故です?」

「ユン……地球の女性は好きな人の事を話す時、人払いするルールなんですって」


 まだ瞳が少し赤い優里から私の名前が出て足を止めた所でユンが率直な疑問を返す。

 セリアが微笑みながら先ほど私が言った出まかせを伝えるけど、ユンは一切引かない。


「好きな人を語るのにメイドを人払いする必要はないだろう……? 私達に聞かれては都合が悪い話をするから人払いするとしか思えないのだが?」


 図星――アンナのメイドがジャンヌで良かったと、心から思う。


「丁度いい機会です。アスカ様にもお聞きしましょうか……ここに来てから何度も夜な夜な部屋に集まりあって、一体何を話されているのです?」

「だから、それは……」

「ユーリ様は何も言わないでください。ユーリ様の言っている事が正しければアスカ様も同じ返答をされるはずです」


 ユンは厳しい視線を向けて優里の言葉を遮る。

 昨日ユンはメイドが退室した後に集まる事を注意していたように聞こえたけど――


(……どうする? ここで優里と話が食い違うと確実に怪しまれる)


 同じ返答――優里は追求された時、適当に誤魔化したんだろうとは思うけど、その適当に合わせるにはどう返せば良い?


「……その日に起きた事を報告し合ってたのよ」


 短い時間で脳を必死に働かせて最も『無難』な答えを出す。この答えなら嘘を言っている訳でもないし範囲も広い。多少ズレていたとしてもある程度合わせにいける。


「……それだけ、ですか?」


 ユンの口元が僅かに上がる。優里はこれ以外の言い方で誤魔化したのか。それなら――


「……だけ、というには抜け落ちてる部分もあるかもしれないけど……すぐには思い出せないわ」

「そうですか……ユーリ様は頑なに言いたくない、と仰っていたのですが、アスカ様の言い方ですと言いたくない理由になりませんね?」


 しまった。


 横目で優里を見やると、優里が目を瞑って手を組んでごめんなさいと言わんばかりの顔をしている。


「それに、その理由だとアンナ様が会話に加わらない理由にならない。彼女は魔力の影響か昨日今日の調子は悪かったですがそれまで皆様と特に仲が悪かったようには見えない」


(それも把握済みか……どうする?)


 今、ユンは疑惑を確信に変えた。だけど私達が何を話し合っているのかを知ってるか分かった上でカマをかけているのか……何処まで疑っているのか見えない。


(いや、私達が何を話してるのか知ってるなら、すぐに皇家に報告するはず……)


 今こうして私を追求するのは『優里の言いたくない理由』が分からないからだ。とすれば、まだ、逃げ道はある。


「……私、嘘は言ってないわ。でも確かに、優里の言う『言いたくない』部分を隠していたわ」

「ほう……? 何故、言えなかったのですか?」


 考えろ。作り出せ。『地球に帰る計画を話し合う以外で』夜な夜な密談する理由を、それを言いたくない理由を。


 言いたくない事は知られたくない事――女3人集まって夜な夜な話す事で、その日あった出来事に関わるような話で、周囲に頑なに知られたくないような話――


(……ボーイズラブ?)


 何処の本屋の一角でも見かける耽美な世界に光を見出す。


(……いや、駄目だ、私、そういうジャンルがあるって事位しか知らない。もし追及されたらすぐにボロが出る。もし追及されなかったとしても言い出しっぺの私はともかく、優里とソフィアまでそういうのが好きと周囲に思われてしまう事へのリスクがデカ過ぎる……!)


 でも近い。それ系の話だ。表立って話すのが憚られる系の奴。そっち系統でもう少しこちらへのダメージが少ない話を――


 そして耽美な世界から少し離れた位置に光を見出す。これなら――というかもう、これしか切り抜ける道がない。


「……それは、表立って人に話すのが恥ずかしい話だからよ」

「……具体的には?」


 ここで察して引く人もいるだろうに、追及していけるこの人――手強い。


「この状況だし、言わないと納得しないんでしょうけど貴方……秘密は守れる? 私、セリアの事は信じてるけど貴方の事は信じてないから、もしこの話が広まったら貴方が私達の密談の内容を暴露したと皇家にチクるわよ……? それでも聞きたいかしら?」


 正直、セリアの事を信じてる訳じゃないけど――ユンがここで怖気づいてくれればいいなと思いつつ、聞き返す。


「……セリア、防音障壁を張れ」

「その程度の術、自分で張りなさいな」


 セリアが素知らぬ顔で突き放すけど、ユンは一切動じない。


「私はお前に気を使ったつもりだぞ? 私がその術を苦手としているのは分かるだろう? ここは人の往来がある。私の障壁はいつ消えるか分からないぞ? 私は、誰かがこの話を盗み聞いて噂を流す事にまで責任は持てない。それでもいいのか?」


 ユンの言葉にセリアは一つため息をつき、私達を包む範囲の青白い障壁を張る。


「それでは、聞かせて頂きましょうか?」


 ユンの口元が上がる。果たして私が手にした光は、どこまで道を照らしてくれるのか――すう、と息を小さく吸い、言い放つ。


「1日何があったかの報告の後……この世界の男との心ときめくシチュエーションや抱かれる妄想を語って盛り上がってたのよ」


 私の放った言葉は、3人の表情を見事に凍り付かせた。


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