第94話 舞台は再び皇国へ


 閃光がおさまって私を包んでいた緑の半球体が消えても、視界は緑一色だった。私の腰に手を回している人の衣服のせいだ。


 この、魔道士が着るような緩めの衣服の上に翠緑すいりょくのコートを羽織るように着こなす人間を、私は一人だけ知っている。

 ゆっくり顔を上げると向こうもこちらに視線を落としていた。


「また会ったね、勝ち気なお嬢さん」


 少しウエーブがかった長い緑の髪の向こう、淡麗な顔の口元を片側だけ上げて微笑むシーザー卿の表情にアランの姿が重なって身がすくむ。


(怖い、怖い、怖い……!!)


 シーザー卿自身から酷い事をされた訳ではないのに、体が本能的に海老のように丸まろうとする。そうして自分が今宙に浮かんでいる事に気づいた。


 足元には街――まず、列車のような黒い金属の塊が煙を上げて動いているのが目を引いた。

 そして、その列車をそれを囲むように並ぶ町並みは金属とレンガが上手く組み合わさった不思議な世界――地球の言葉で説明するなら『スチームパンク』という言葉がピッタリくる。


 ついその異質で芸術性すら感じる街並みに見惚れていると、シーザー卿が私の耳元で小さく囁く。


「ヒュアランが酷い事をしてしまったみたいですまないね」


 ヒュアラン……? アランの本名だろうか?

 この人には色々聞きたい事があるけど――アランが言っていた事が事実なら、この人は強い人間を作る為に兄弟を殺し合わせようとした人だ。


 ある意味、アランより恐ろしい存在なのでは――と思うと、震えはより一層酷くなる。


「す、すみません、わた、私、」

「ああ、すっかり怯えて……よっぽどあの子に痛い目にあわされたんだねぇ……そんな風に怖がってる君にこんなお願いするのはとても心苦しいんだが、あの子と会った事は誰にも言わないでくれないかな……?」


 優しい口調ながらも冷たさを帯びた言葉が怖くて、小さく頷くのがやっとだった。この人に初めて会った時から得体のしれない怖さや悪意は感じていたけど、得体が微かに知れた分、より一層の恐怖を感じる。


 逆らえば何されるか分かったもんじゃない――その恐怖が私を頷かせた。今はこの世界の実力者に身一つで逆らえばどうなるか、痛い位に分かっている。


「君が聞き分け良い子で助かるよ。しかし……息子に陵辱された子に対してこんな口止めしなきゃいけないのは流石に心が痛むねぇ……」


 指の関節を顎に当てて遠い目をするシーザー卿の発言が引っかかった。


「え、あ、あの! わわ、私……りょ、陵辱なんてされてませんけど……!?」

「え?」


 意外そうな声をあげられてしまったけど、流石にそんな誤解は解いておいた方が良い。


「あ、危ない所から、に、逃げるのに、その、魔力が必要、で……! アランの、魔力なら空、飛べると思って、挑発してキスしたってだけで、陵辱とかそういうのとは、違うというか……!! いや、あの、胸触られたんで、りょ、陵辱未遂と言えば、未遂なんですけど、未遂なんで、陵辱はされてません……!!!」


 慌ててシーザー卿の問題発言を否定しようと頭に浮かんだ言葉を手当り次第口の方へと送り込んだのが駄目だったのか、途中から自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきて、強引に締めくくる。


 それまでにされた事がされた事だから罪悪感は一切無いけど、私がアランを騙したのは間違いない。

 ついでに言えば魔法弾で痺れさせた上に激辛の実を2個、口の中に放り込むという追撃もしている訳で。後、難なくかわされたけど足も撃とうとした。


 体が今更あの男の幻に震える割に、心のど真ん中で(ざまぁみろ!)と思ってる。だけど流石に陵辱されたなんて誤解、そのままにしておけない。そう思ったんだけど――


 シーザー卿が口を開けて目を見開いて呆気にとられた顔で私を見つめている。


 私も、もし自分に息子がいて『お宅の息子さんを訳合って挑発したら陵辱されかけましたけど、未遂なんで安心してください!!』なんて言われたらどういう顔をすればいいのか分からない。


 むしろ『挑発したんなら強引にいかれるのは仕方ないんじゃないの?』と冷めた目線を向けられかねない位呆れた状況に、ちょっと恥ずかしくなってくる。

 あれしか方法がなかったから後悔はしてないし、反省するつもりも一切ないけれど。


 ただそもそもの発端がこちらからの挑発で、酷い目に合わせてる事も考えると、それを陵辱として扱われるのもかなり抵抗がある訳で――


 って――ちょっと待って、そもそも何で、陵辱されたって話に――


「……ヒッ……!」


 シーザー卿から突如引きつった声が飛びてて、体がビクつく。


「ヒヒッ……そ、それ、黙ってた方が絶対良いのに、君は、本当に……ヒヒッ……!けど、彼、完全に、君が陵辱されたと思ってるから、それ、知ったら、彼、どんな顔するかな、ヒィッ、ヒッ……!!」


 引き笑い、というんだろうか? そういう笑い方をする有名人をテレビで見た事はあるけれど、生で見た事がなくてちょっとビックリしてしまう。

 そしてその独特な笑い方でも妖しい色気漂ってて様になってるのが凄い。よく見ると目に少し涙まで滲んでいる。


 そんなおかしい事を言ったつもりは一切ないんだけど。今の話の何がシーザー卿の琴線に触れたのか分からない。


 そのままシーザー卿は笑いを堪え――時折堪えきれずにしゃっくりのような声を上げながらゆっくり移動する。

 私の腰に回された手も震えている。さっきとは別の意味で恐い。


 拒みたかったけど拒んだら落下してしまいそうな気がして、全く身動きが取れないまま大きな時計台のような建物の塔に近づいていく。

 そして時計台の中腹――手摺りのないバルコニーのような場所に見慣れた青い服の紳士がこちらを見上げているのが見えた。


 その姿に少し心が落ち着きつつ、シーザー卿と共にその場所に降り立つ。地に足がついたのですぐシーザー卿から一定の距離をとった。


「シーザー卿、アスカさんをおどかさないで頂きたい」


 笑ってるシーザー卿と引いてる私の姿を見守っていたんだろうか?

 ダグラスさんもクラウスもいないこの状況で私を気遣ってくれる人間がいる事が素直にありがたい。


「心外だなぁ、ボクは何もしてないよ、ヒヒッ……!」


 脅かされてはいないけど驚かされた――なんて考えてる私の態度に気を悪くした様子もなく、シーザー卿はお腹を抱えて笑っている。

 

「あの、ここは一体何処、ですか……? 皇国じゃない、ですよね?」


 恐る恐るヴィクトール卿に尋ねると、彼は以前と全く変わらない微笑みを向けてくれた。

 この人も明確には味方じゃないのかもしれないけれど、敵意も嫌味もない表情を見るだけで心が不思議と落ち着く。


「ええ、ここはロットワイラーの王都、アルカディア……私達が今居る場所は王都の中央に位置するアルカディア城です。先日、ダグラス卿が単独行動を起こしてこの王都を制圧しましてね。その報を聞いたリビアングラスのロベルト卿が鬼のような形相で皇城を飛び出して、私達は彼を追いかける形で昨晩ここに来たんですよ」


 部屋を見ると、何やらいかつい大砲のような形をしている兵器と部屋の入り口にこちらの様子を伺うように経っている兵が2人、その手前にちょっと偉そうな服をまとった恰幅の良いおじさんとワカメみたいなウエーブがかった栗色の髪の、身なりの良い青年が立っている。


 「この国の大臣と第一王子です」とヴィクトール卿に教えられて無意識に会釈すると、向こうから深い礼が帰ってくる。


 そして昨夜、ダグラスさんとロベルト卿が言い争ったり隅で怯えるこの国の王子や大臣達に『今後一切の研究は皇国に申告するように、許可が降りなかった研究は速やかに諦めるように』と色々申し伝えたり――ある程度ダグラスさんが下地を作っていたからやりやすかったらしいけど、それを正式に締結させたり今後この国を誰が責任を持って管理するかを話し合ったり、色々大変だった事をヴィクトール卿は教えてくれた。


 私がカーティスやアランに痛めつけられた事をダグラスさんなりに気にしてくれていたんだ――と思うと心に温かいものを感じる、と同時に心苦しさも感じる。


「後は条約をまとめた物を皇家に提出し、正式に認められればここはダグラス卿及びセレンディバイト家の管理下の元、ロットワイラーの王族が引き続き治める事になります」

「え……ダグラスさんに任せて大丈夫なんですか?」


 率直な思った疑問にヴィクトール卿は苦笑いする。同じ事思ったみたいだ。


「セレンディバイト家は統治に関しては千年以上縁がないはずですからね……不安はありますが基本の統治はロットワイラー王家ですし、私達や皇家も目を光らせていれば大事には至らないでしょう。それに……この都の民がダグラス卿の統治を望んでるんですよ」

「えっ、王殺したのに……!?」


 驚きの声に再びヒヒッ、とお腹を抑えて俯くシーザー卿の笑いが漏れ聞こえる。


「この国の悪行をこれ以上看過できずに堪忍袋の緒が切れた神の使者と、重罪を犯しながら自ら命を差し出し、王族と民の命を守った悪王……というどちらの名誉もギリギリ守られてるストーリーだったんですが、ダグラス卿が余計な事を言ってしまったようで……元々ここに降り立った時に下の方で民達が何か言っているな、とは思っていたんですが……その声をそこで笑ってる男がここに流しまして、大きな雷が落ちましてねぇ……」

「えっ……?」


 最後の方の言っている意味がよく分からず、つい声をあげて首を傾げるとまたシーザー卿が笑い出した。


「ヒッ……罪を償う為に悪王が命を差し出すのは当たり前! 我々は皇国及び黒の死神に従う! そして貴方方の怒りから我らを守ろうとするアスカという聖女の名を王都に冠してこの国の王都の名前をアスカディアに改名したい! 黒の死神よ、どうかお慈悲を!! ヒヒッ……!!」


 やや縁起がかったシーザー卿の再現に私はおろか、入口近くに居る王子や大臣達は俯いてしまっている。きっと見られたら困るような表情をしているのだろう。


 私は私で別の意味でうわぁ……と声にならない声しかあげられないでいるうちにヴィクトール卿が言葉を重ねた。


「ダグラス卿は多分、貴方の悪評を緩和させようとしたんでしょう。ですがロベルト卿がアスカさんがこの世界に残ってる事を知るきっかけになってしまった……彼、怒りが頂点に達すると、本人は耐えてるつもりでもその怒りに呼応したゲルプゴルトが大きな雷落とすから迷惑なんですよねぇ……」


 はぁ、とため息をつくオジサマには悪いけど、それに関しては私もはぁ、としか返せない。そして黄の公爵に会うなり雷落とされなくて良かったと思う。


「ああ、話を戻しますね……それで、その時ダグラス卿の体調が酷く悪そうだったので『もう夜も遅いですから話の続きは明日にしては?』とロベルト卿を何とか諌めて今日に至ったんですが……ダグラス卿は全然起きてこないし、ロベルト卿は自分の魔力探知の範囲内にはいないから私に魔力探知しろとうるさいし……お昼近くになるとシーザー卿も『いい加減魔力探知してあげたら?』とうるさくて……仕方なく魔力探知してダンビュライト侯の居場所を把握したんです。すみませんねぇ、私の魔力探知、冷たくて嫌だったでしょう?」

「ああ、いえ、そういう事情なら仕方ないです!」


 気遣いが嬉しいのとヴィクトール卿の心労を察して首と両手を横にふる。


「それで後はロベルト卿をシーザー卿が転移術で貴方達の元に飛ばして、その直後にようやく起きてきたダグラス卿が自分の力で飛んで……その後、貴方がここに召喚された訳ですが……」


 チラ、とヴィクトール卿がシーザー卿を見やると、何とか笑いのピークは過ぎたみたいだ。スッと立ってこちらにニヒルな笑顔を向けている。


「ヴィクトール卿、この子に分かりやすく説明してくれてありがとう。お礼に君に一つ忠告してあげるよ。この子の裁判に備えて裁判官や裁判員の調整と買収なんて金と時間の無駄だからもう止めた方がいい。君はともかく、火がある場所にはどうしても煙が立つ。拙い風に煽られて煙があの堅物に届いたら君等まで魅了されたと騒がれかねない……そうなればここでいくら聖女と唄われようとこの子はルイーズやベイリディア以上の『最悪のツヴェルフ』として処刑されてしまうよ、ひひっ……!」


 まだ笑いが収まりきっていないシーザー卿をヴィクトール卿は何かおかしなものを見るような冷めた眼差しで見据えている。 


「仰りたい事は分かりますが……私やカルロス卿が表立ってこの子を守っても騒がれてしまいますしねぇ……」

「皇国に戻ったらボクが流れを作ろう。君達はその流れに乗るだけでいい……流れに乗るのは得意だろう?」


(……シーザー卿も私を助けてくれるって事?)


 今の二人のやり取りでヴィクトール卿とカルロス卿が私の裁判で悪い判決が出ないように動いているのが理解できた。

 その上シーザー卿の今の言い方は私を助ける為に力を貸す――と言ってるように聞こえる。


 『息子に陵辱された子に対して口止めするのは心苦しい』って言っていたし、性格こそ悪いけれど、実はちょっぴり良い人なのでは――と思った時、隣から乗り気じゃない声が聞こえてきた。


「……水の流れと違って風の流れは何処に行き着くのか分からず、いつ流れを変えるかも分からない……クルクル回る風見鶏が作り出す流れに乗るのは勇気がいりますねぇ」


 ヴィクトール卿がシーザー卿に対して嘲るような笑顔を浮かべて肩をすくめた。確かに、この人が作り出す流れに乗るのは私も抵抗がある。


「ふふふ……ボクもボクの誘いには絶対乗りたくないからね。気持ちは分かるよ。でも先に手の内を明かしてしまうのは面白くない。流れに乗るかどうかはその時決めてくれればいい。まあ、あの固いのに囚われる前にこの子を保護しようと切り札を使ったんだ。少し位は信頼してほしいものだねぇ」

「確かに貴方が古代に消えた魔法ロストミスティックとされている遠くにある物を召喚する魔法インヴィテイションを使うとは思いませんでした。同じ召喚系の一時的に異界の者を召喚する術アンヴァカシオンは私も使いますが、それとは陣の構成が形からして違いましたね……何処からああいう魔法を?」


「アイドクレース家は代々物持ちがよくてねぇ。門外不出の古代の魔術書が何冊かあるんだ。ボクは魔力量こそ君やダグラス卿に及ばないけれど魔法の知識に関しては絶対に負けない自信がある」


 慣れた口ぶりで語るシーザー卿からヴィクトール卿は視線をそらした後、小さくため息を付いた。


「……なるほど。それが代々アイドクレースの当主が魔人あるいは魔神と呼ばれる由縁ですか……そしてその秘伝の魔法の1つを使う程度にはアスカさんを気にかけていると」

「そうだね、そう思ってくれていい。丁度千番目なんてキリのいい数字も持ってるし、ツインのツヴェルフという唯一無二の存在……面白い運命で飾ってやればきっと素晴らしい聖女か恐ろしい魔女として歴史に名を残し、数々の偉人伝も出る事になるだろう。こんな面白い子をつまらない裁判で、つまらない人間達の手で死なせるのはとても惜しい」


 そう言って私を見るその笑顔は、けして優しさから作り出されたものじゃない。好奇心だ。言い方にもやはり悪意と好奇心が混ざっている。


 この人が私を気にかけてる理由はけして善意じゃない。味方ではないのだ。この人が作り出す流れにヴィクトール卿やカルロス卿が乗らない事を切実に願う。


(でも、裁判にかけられて死刑や終身刑になるのも嫌だし……)


 どうして私が望むような道は開いてくれないんだろう――なんて思っているうちに体がフワリと浮かびあがり、また緑の球体に包まれる。


「ああ、このタイミングで皇帝が死んでくれて良かった! 後2日もすれば侯爵達も皇城に集まるし、流れを変える頃合いも丁度いい……また面白い事が起きそうだねぇ……ヒヒヒッ……!」


 これから起きる事を本当に楽しみにしてそうなロマンスグリーンの笑顔にさっき(実はちょっと良い人なのかも知れない)なんて思ってしまった事を心底反省した。


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