第62話 今更気づいても


「お、黒猫が何処か行ったな」


 重力が途絶えてアランの声が聞こえたけれど、指一本動かせない。


「やっぱり色神の欠片だったね。色神の中には危機に陥った際に自らの分身を作り出す者がいる、って話は以前聞いた事がある。それよりアラン、黒猫がいなくなったならもう唇噛まれないでしょ?」


 ウキウキが込められたカーティスの声に絶望が過る。アランに抱きかかえられて今にも唇の危機だというのにそれでもやっぱり体が動かない。


「仕方ねぇな……おい、まだ生きていたかったら噛むなよ?」


 そう言うなりアランが口づけてくる。唇が触れると今までにない、2つの色が流れ込む感覚を覚える。


 まるで切り裂かれるような痛みを伴う荒々しい感覚は以前ジェダイト侯に攻撃されたあの風の魔法を思い起こさせられる。風の檻の中にいるみたいだ。

 そして――まるでフローラル系の香水の原液を至近距離で嗅いだような、不快な程に甘い感覚が酷く気持ち悪い。


 とにかく痛く、むせ返るような嫌な甘さに防衛反応からか頭が口づけから逃れようとするも頭をガッと固定されて逃げられない。


 疲れ切った体だからだろうか? 洗浄された感覚が残っているからだろうか? どこかフラついた思考は自分が今何をされているのか、その触感は朧げでよく感じ取れなかった。


「アラン、もういい」


 ただひたすら、解放されたい――そう思う中でカーティスの声が響いてゆっくりと唇が離れるのを感じた。

 咄嗟に口元を抑える。解放されてこみ上げてくるのは、嫌悪感。


 ダグラスさんにされた時もここまでの嫌悪感は感じなかった。クラウスにされていると知った時も実感がない分、何も思わなかったけれど。


 魔力をキスで注ぐという事がどれ程異常な行為か、ここに来て初めて思い知らされた気がする。

 そんな私の事など一切気にしてないかのように半透明の画面に向かうカーティスのやや楽しげな声が響く。


「なるほどー、やっぱり綺麗に分離するんだね! 色が混ざった中途半端な部分は注がれない……うん、興味深い!! 二色持ちの色をきっちり分けて注ぐ、その仕様がどんな風になってるのか気になるなぁ……!!」


 口元が少し緩ませたカーティスがそう言って引き出しの中から透明な液が入った小瓶を取り出し、それを私の目の前に置いた。


「はい、洗浄機で器が傷んだ可能性あるからこれ飲んどいて。幽体修復薬ユリルリペア

「ユリルリペア……?」


 怪しい響きの液体の名を反芻すると、カーティスの口元がU字状に緩む。


「この洗浄機は洗浄する際、どうしても器を傷つけてしまうんだよ。君の器には今とても細かい傷が無数に付いている。二週間も放っておけば自己修復する程度の傷だけど、この幽体を修復する特製の液体を飲めば2日で傷が癒える。2、3本も飲めばヒビまで塞いでくれる優れ物なんだよ!」


 丁寧な解説――どうやら危ない物ではないみたいだ。危ない物だったとしてもこの状況じゃ飲まざるを得ないのだけど。


「飲めるか? 飲めないなら口移ししてやってもいいぞ?」


 ニヤつくアランの表情に悪寒が走る。絶対嫌だわ。震える手で瓶を掴み蓋をとって一気に煽る。


「んんっ……!」


 ああ、何だろうこれ、強いて言えば凄く生ぬるい塩水のような、ちょっと嚥下するのに抵抗がある、微妙な味。一言で言うなら、不味い――


 ただひたすら味を意識しないように飲み込むと、少しだけ体が楽になったような気がした。頭が少しクラクラするのは洗浄のせいか口づけのせいか薬のせいかよく分からない。そんな中で1つ、まともな思考が過る。


(これがあれば……ダグラスさんの器も癒せるかも……)


 ツヴェルフにこれを使ったという事は、きっと魔力の影響を受けないような物で出来てるはず。

 幽体修復薬ユリルリペアは今まさにアーサーが手に入れようとしている物じゃないだろうか?


 でも――ペイシュヴァルツは消えてしまった。大丈夫なんだろうか? ぼんやりする頭で考えても、それ以上の答えが出ない。


「じゃ、アラン、その女また部屋に片付けといて。あ、間違ってもその女とはセックスしないでよね!? 万一妊娠して器ロックされたら子ども生まれるか流すかするまで研究出来なくなるから!!」

「へいへい……」


 呆れた声のアランに担ぎ上げられる。何だかもう、感情が全く動かない。


「……大丈夫か?」


 その問いかけに答える気力もなく、アランもそれ以上何か言ってくる事もなくそのまま部屋のベッドの上に運ばれる。

 私が布団をかけずにいるとわざわざ担ぎ直して布団をかけてきた。


「お疲れさん。ま、ゆっくり休めよ……今すぐ殺してくれって言うなら殺してやってもいいけどな」


 それは――慈悲のつもりだろうか?


 彼の方を見る気力もなくその言葉にも何も返せずにいるとプシュンとドアが開いて、また閉じる音がして、静かになった。



 一人になった事を知覚した途端、涙がこみ上げてくる。



「うう、う……」


 あの猫は、ペイシュヴァルツじゃなくて――ダグラスさんだった。


 それは理解できるのに、まともに脳が動かない。これまでダグラスさん(猫)――猫ダグラスさんとどんな生活をしていたのか思い返せない。


 彼はどうなってしまったんだろう? 消えてしまったんだろうか? そんな疑問とどうしようもない不安が押し寄せる。

 何処か無事に逃げてくれていれば良いけれど、こんな世界だしそんな上手く行かないのかも知れない。そんな思考が脳の表面を行き交うように滑っていく。


 そして黒の魔力も、猫ダグラスさんもいない、その感覚はこれ迄にない位の寂しさが襲ってくる。


 一人――完全に一人ぼっちになってしまった。こんな状況下で。魔力だって無くなってしまった。もうテレパシーも銃も使えない。

 あの時行動していたらまだ何か変わっていたんだろうか?


 怪我をした身で、何もしないで誰かの助けを待っている内にいつの間にか追い詰められてしまった。

 一人で生きられるように――と頑張ってきたのだから誰にも頼らずに貫き通せばよかったんだろうか?


 だけどその先が全く想像できない。どこから間違ったのか、ここから先に未来はあるのか? 上滑りの思考だけが激しく交錯する。



(……私、一体どうすればよかったんだろう……?)



 その答えが出ないまま、現実を受け入れる事を拒否するように寝入ってしまった。


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