第61話 最後に聞こえた声は


 殺意に歪んだアランの口元から、怒りと歓喜に包まれたような低い声がこぼれ落ちてくる。


「餞別に教えてやるよ……ヒューイは俺の片割れだ。双子ってのは厄介な縁で繋がっていてな、俺はどうもあいつが好意を抱く人間を殺したくなるみたいだ。俺がお前を見た時から殺したいと思ってたのはつまり、そういう事だ……!!」


 そう言い切られた後、首を絞める力が一層強まる。掠れいく意識の中でも低いアランの声を私の耳はきっちり拾い取る。


(さ、最悪……何で、このタイミングで、私が、好みに……!?)


 元々好みにハマりたくないなとは思ってたけど、流石にこのタイミングは酷すぎる――今何処にいるとも知れない伊達男の困った性癖を心の底から呪いながら、強い圧迫感の中、視界が霞かかった所で急にアランの手が離れた。


「つっ……!!」


 振り上げたアランの手には何か黒いものがしがみついている。それがペイシュヴァルるだと認識した時にはペイシュヴァルツは振り落とされて壁に叩きつけられていた。

 そのまま床に落ちたペイシュヴァルツはすぐに体制を立て直してアランに対して威嚇する。


「カァアァァァッ!!」


 ペイシュヴァルツが目を吊り上げ小さな牙をむき出しにして超激怒している。その尻尾の膨らみ具合が凄い――と思いつつ、ようやく出来た呼吸で息を吸いすぎたみたいで咽る。


「クソッ! こいつ……!!」


 ペイシュヴァルツを掴もうと私から背を向けたアランだけど、それをかわしたペイシュヴァルツが再び私の中に飛び込んでくる。

 身を翻すのが早いアランがそのまま手をこっちに持ってきて――


「痛っ!!」


 胸を思いっきり掴まれて先に痛みが走る。服や下着越しとは言え女の胸を掴んでるというのにアランは全く動じない。


 手慣れた男はおっぱい掴み慣れてるから動じないのかと一瞬どうでもいい思考が頭を過ると、再びペイシュヴァルツが胸から出てきてアランの手にガブリと噛み付いた。


 アランはまたそれを乱暴に振り落とすと大きく舌打ちした後、両腰に携えていた剣を片方だけ鞘から抜き出した


「絞め殺せねぇってんなら仕方ねぇなぁ!?」


 まるで刀のように細長い刀身が天井の照明を反射してギラりと光る。


 やばい、銃を出すべきか、テレパシーをぶつけるべきか――判断に迷った所でプシュンとドアが開いた。


「ああああああ!!? 何やってる!? 駄目だ、駄目だ!! 殺すな!! 僕はその子を使って人工ツヴェルフを作るんだ!!」


 カーティスはこの状況を一瞬で判断したようで開けるなり即座に大音量の怒声を上げながら私とアランの間に割って入った。


「うるせぇな!! お前も殺すぞ!!」


 アランの殺気立った威圧にビクリとカーティスが怯む。


 どうしよう、カーティスはけして味方じゃない。今この状況では銃もテレパシーも悪手だ。どうすればこの状況を逃れられる!?


「いっ……今僕を殺したら核を移植してやらないぞ!? 核の移植に成功したのは僕だけだ!! お前だって家から逃げたいんだろう!? それなら僕もこいつも殺すな!!」


 カーティスの怒声が部屋に響いてしばらく沈黙が続いた後、アランの剣がしまわれる。

 ようやく落ち着いて息ができる――と思い切り息を吸い込んで、また激しくむせた。


 まさかカーティスに助けられるとは思わなかった。


「……おい、狂人。そいつの中に何かいやがるぞ。真っ黒な猫だ。そいつ殺そうとしたらそいつの中から飛び出てきた。今またそいつの中に入ったみたいだけどな」


 ギクりと体が強張る。まあ、言うよね。言わない理由がない。


「真っ黒な猫……漆黒の大猫ペイシュヴァルツか?」

「いや、それにしては小さすぎるし弱かった」


 思いっきり狂人と蔑まれたにもかかわらずカーティスは動じずに私の方に向き直り、じっと見下ろしている。うっすら見える前髪の下の眼差しは酷く冷たい。


「……まあいい。仮にペイシュヴァルツが住み着いてるとしても洗浄機でこの女の黒の魔力を洗い流せばいなくなる。今さっき洗浄機が完成して人体実験も済んだ。早速その女の器を洗う」


 さして興味もなさ気な言い方をした後、カーティスはスタスタと部屋を出ようとドアの前に立つ。そしてドアがスライドした瞬間、顔だけこちらを振り向いた。


「いいかアラン、お前への核移植はこのツヴェルフの実験が全部終わってからだ!! 僕はもう決めたからな! 分かったらとっととその女を連れてこい!! お前用の女を買えるのも、まともに生きられるようになる術を持ってるのも僕しかいないんだからな!? 二度と僕に逆らうな!!」


 そう言って足音荒くカーティスが去っていく。


「チッ……!」

「蹴るな!! 壁が壊れる!!」


 アランが壁を思い切り蹴りつけると再びカーティスがドアをスライドさせて叫ぶ。アランはカーティスと違って痛がる態度を一切見せないけど、蹴られた壁は見事に歪んでいる。


(めっちゃ殺気立ってる……)


 アランを動揺させる為に一か八かの策で踏んだ地雷は予想を遥かに超える大地雷だった。

 それでも何とか生き延びられたのは本当運が良かったとしか言いようがない。


 ヒューイの片割れ、双子――双子とくればルドルフさんとランドルフさんが思い浮かぶ。愛想のないルドルフさんと、笑顔しか見せないランドルフさん。


 日本でも双子に関する不思議な話は聞く。片方が辛い思いをしてるともう片方も何か感じるとか。

 でも、相手が好意を抱いた相手に殺意を抱く……なんて話は聞いた事がない。


 ただ、今何より(ヒューイの女性の好み、早く変わって……!!)という事以外にない。


「……あいつはアンタを助けに来る。俺のこの殺意が失せてないって事はあいつはまだアンタに関心を持ってる」


 本当に今のタイミングでヒューイの好みが私である事を呪う。咄嗟に言ったでまかせでこんな方向に行くとは予想もしなかった。

 思い切り締められた首は痛いし、また頭はクラクラするし――動揺させる手段は完全に裏目に出てしまったのかも知れないと思っているとアランがブツブツとぼやき出した。


「あいつが来るとしたら空からだな……風を使ってくるかも知れねぇ……見張り台の警備には気をつけるように言っておかねぇとな……」


 苛立っているアランに悟られないように少し顔を俯かせながらアーサーはどんな方法で来るのか考える。確か、浮遊魔法ヴォレを使えるのは青・緑系統の人間だけだ。だからアーサーは空からは来れないはず。

 見張り台の警備が固められたとしても、空に備えてなら――そこまで悪手ではなかったのかも知れない。


(アーサーがこの研究所に来れば、その混乱に乗じて抜け出せれば……)


 ここで暴れた所で簡単に捕まってしまう。今はまだ助けを待っていた方が可能性がある。そんな淡い希望を抱いてフラフラと足を引きつらせながら着いていく。




 再びカーティスの部屋に入ると、以前はいなかった白衣を着た男が2人部屋の奥で待機していた。そして以前にはなかった赤黒いシミが所々に付着している。

 そのシミが何であるか想像するとまた貧血を起こしてしまいそうな気がして、それ以上考えるのを止める。


「あそこに立って」


 カーティスに示されたのは部屋の奥。リアクターの方ではなく銀色の厚いプレートだ。プレートの側面にはコードがそこかしこに繋がったり埋もれたりしている。

 今更逃げられる気もせず、ヨタヨタと足場なき道を歩いた末に畳を2枚並べた位の大きさのプレートの上に上がる。


 ここからだと大きな机の上も見える。書類らしき物や、本、紙のすみに穴を開けてリングで閉じた物や羽根ペン――床に違わずとっ散らかっている。


 中でも目を引いたのが半透明の画面と、机の上にある文字が刻印されたキーボード――まるでノートパソコンみたいだ。

 半透明の画面が宙にいくつも浮かぶ辺りはファンタジーだけれど。


 頭を掻きながらカーティスはキーボードを打っていく。半透明の画面に浮かぶズラズラとした文字列らしきものがスクロールしていく。


「よし、後は充填作業か……ああ、洗浄前にアラン、この女に口づけして魔力注いでくれ。ツインの魔力の受け止め方はちょっと特殊なんだ。だから今の君の状態でツインのツヴェルフに魔力注いだらどう受け止められるのか確認しておきたい。通常のツインは本人の魔力と混ざるから正確に観測できなかったんだ」


「「……はぁ!?」」


 カーティスの言葉の意味を解釈したのが同時だったのか、アランと同時に声が出る。そしてお互い心底嫌そうな顔を見合わせる。


「抱擁だと観測しづらい! セックスはうるさい!! キスは見なければいい!!」


 カーティスの怒鳴り散らすような叫びに私もアランもその顔を更に歪めてカーティスに向けるけど、当人は全く動じていない。


「何だその顔!! アランは好きでもない女にキスするの慣れてるだろ!! ツヴェルフも性行為が仕事だろ!! どっちも嫌そうな顔するな!!」


 性行為が仕事と言われて2日ぶりに心に怒りが宿る。これがツヴェルフ嫌いの思考なのかと思うと反吐が出る。


 アランだって殺意を持ってる相手にキスなんて出来るのだろうか?

 ああ、でもこの人強姦殺人予告してきたしな――と改めてアランの方を見やるとスゥ、と息を吸った上で非常に嫌な笑みを浮かべた。


「まあ、あいつが気に入ってる女に俺が無理やり魔力を注ぐ……ってのも悪くねぇな」


 発想が野蛮すぎる。もうここに来て5日になるんだからそろそろ好み変わってほしい。このままだともしヒューイと再会する日が来た時、彼に恨み言を言い連ねずにいられる自信がない。

 正直、今の時点でビンタの1つも入れてやりたい。


「だがこいつの中にいる黒猫が邪魔するだろ。唇まで噛まれるのは勘弁だ」

「しょうがないな……じゃあ洗浄が先か……」


 ブツブツ言っているアランとカーティスの会話を聞きながら、氷竜の卵がリアクターの中でコポコポ音を立てる液体の中で浮かんでいるのをぼんやりと見据える。


(貴方も生まれたら実験動物として扱われるのね……)


――巨竜種は本来自分のテリトリーから出てこないはずなんだ――


 エドワード卿の言葉が頭をよぎる。あんなおぞましい氷竜がテリトリーから出てきたのは家族の為。

 その家族を助ける為にテリトリーから出てきて、死んで――家族が弄ばれたら救われないだろう。


(何とかしてあげたいと思っても、私には……)


 己の力の無さを蔑んだその瞬間、全身をピリピリと大量の砂か細かなガラスの破片が巡るような痺れと痛みに加えて、時折体の何かが切れるような痛みが襲う。

 耐えきれずに蹲くまった後目に見えない重みが全身を襲い、プレートの上にへばりつかされる。


 そして身動き1つ取れなくなったプレートの上で――自分の中にある黒の魔力が抜けていくのを感じる。


(ああ、黒の魔力が無くなったら、私……本当に手の打ちようが……)


『ヴニャアアアアアアア!!!』


 体の内側からペイシュヴァルツの悲鳴が聞こえてくる。


(ペイシュヴァルツ……逃げて……! 私の事はもういいから、逃げて……!!)


 テレパシーを構成できる状態じゃない。全身を巡る痛みの中で悲痛な鳴き声に耐えきれずに目を閉じて必死に念じる。


 こんな狂人達に囲まれて、こんな訳の分からない機械にかけられた私はもう助かる気がしない。

 だけど――それにペイシュヴァルツまで巻き込みたくない。


 全身の力を振り絞って、手をずらす。この魔力を吸い取るプレートから、少しでもはみ出れば――


(出てって……ペイシュヴァルツ、私から、出てって!!)


『あす……飛鳥……!!』


 何故かダグラスさんの声が聞こえた後――ペイシュヴァルツの気配が消えた。


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