第60話 地雷原を歩けば


 ゆっくり目を開くと、ぼんやりと見慣れた天井が見えてきた。どうやら気を失ってベッドまで運ばれていたようだ。


「お、目を覚ましたか」


 その声のした方に寝返りを打つと、目の前にナイフが刺さっている。


「あっぶな……」


 内心肝が冷えたけれど、これまで色々ありすぎて大きな声が出ない。


「つまんねぇ反応だな」


 壁に寄りかかっているアランは本気でつまらなそうな表情をしている。その近くには見慣れないテーブルがあり、そこに食事が乗ったトレーがおいてある。


「奴隷の数が減ったからな。余ってるテーブルを1つこっちに持ってきた。膝の上に乗せて食うのも面倒だろ。感謝しろよ?」


 そういう思いやりがあるのに何故人が寝ているベッドの枕にナイフを刺すという真似をするのだろう? と思ったけど――この研究所にいる奴らは皆狂っているのだ。聞いても仕方がない。


(もう、勘弁してほしいわ……)


 今の私は心身疲れ切っているのを感じる。起き上がる事も億劫だ。


「悪いけど昼食はいらないわ……何だったら、貴方が食べて」

「そうか? ならお言葉に甘えて頂くとするか」


 アランは立ち上がって枕に刺さったナイフを引き抜いた後、ベッドに腰掛けて一切の遠慮なく食事に手を付ける。

 意外と綺麗な食べ方をするなと思いながら見ている間に綺麗に平らげた。


「……食事あげたかわりに、質問しても良い? あの人何であんなにツヴェルフ嫌いなの?」

「しつけぇなアンタも。しかも食った後に言うのはズルいだろ」


 疲れ切った脳と体は、それ以上何も言葉を紡がせない。部屋に沈黙が漂う中、アランはそのまま部屋を出ていった。


 情報が得られなかったのは残念だけど、ようやく一人になれた安堵感の方が強い。ベッドに横になったままどう脱出すればいいか考える。

 単純に脱出するだけなら黒の魔力で銃を出せば弾丸3発に麻痺と眠りの弾薬があるから隙をつける確率は高い。


 だけど問題はその後だ。この足で逃げてもすぐにあの警報音を聞きつけた誰かに駆けつけられる。魔力量だって恐らく銃を出す事だけで精一杯だ。


(銃を出さないとしたら黒の魔力の攻撃テレパシーで攻撃しまくるって手も使えるけど……)


 それもダグラスさんやヒューイのように強固な防御壁を張れる人間に効果はない。ここぞという切り札に使えても、それをメインに使って脱出するには今一心許ない。


 これまで建物内で傭兵らしき人はアラン以外に見かけなかったけど、恐らく外にもアランのように雇われている人間が何人かいるはずだ。少なくとも研究所に入る前の門に1人いた。


 全身の痛みは大分収まってきたけれどまだ左足は引き攣るし痛みもある。この部屋から抜け出す事は出来ても、そこから先の道筋が立たない限り動けない。


(せめて、白の魔力に満たされていたら……)


 今の怪我を治せていたなら、後は知ってる魔法を駆使して何とかなったかも知れないのに。

 ルージュ達を治療した事は後悔していない。その後、クラウスに魔力を注がれていたなら――


(クラウス、今何してるのかな……?)


 あの時、ラインヴァイスが、捕まえようとして私が先に落ちちゃったけど――


(ここはもうしばらく大人しくしてた方が良いのかしら……)


 何より今行動を起こした所で何も上手くいく気がしない。そして目の前で死んでいく人を見た衝撃は一度寝て覚めた程度じゃ消えてくれないようだ。


 すぐにでも逃げ出したい恐怖と、逃げ出した先で捕まってしまう恐怖がせめぎ合う中、現実から逃げるように眠りについた。



 そして夕食もアランに譲ると「何も答えねぇからな」と前置きした上でアランは夕食も食べて出ていった。


 しばらくした後でまた喘ぎ声――というか叫び声混じりの声が聞こえたので耐えきれず、引き攣る足を堪えて時間をかけてベッドを反対側に移した。

 少しだけ聞こえてくる音量がマシになって寝直した。

 寝すぎて寝付けないかと思ったけど、余程疲れているのかすんなり眠りにつけた。


 直視した訳じゃないけれど、人が死ぬ姿、死んでいく姿、そして心から怯える人達の姿は私に今までにない衝撃を与えた。

 それは酷く鬱屈とした暗く重い衝撃で、それらから逃げられる先が夢の中にしかなかった。


 ――翌朝のアランには「何か悪ぃな」と言われたきり。再びカーティスに呼ばれる事も無いままただただ鬱々とした2日間が過ごした。

 ペイシュヴァルツがいなかったら私は黒の魔力に飲まれて心を病んでいたと思う。


 何も答えてくれない、姿も見せてくれないけど、私の黒の魔力が荒ぶらないようにじっと私の中にいてくれてるペイシュヴァルツが何より心の支えだった。




「いい顔になったな」


 この研究所に来て5日目の朝、朝食を運んできたアランがどれだけ眠っても精神的に疲れが抜けきらない私を嘲笑いながらテーブルに朝食を置いた。


「こないだの奴らを使った実験も終わってそろそろ洗浄機も完成するそうだ。今日からちゃんと食えよ。でないとアンタの体調管理も任されてる俺が叱られる。悪い事は言わねぇから最後に美味い物食っておけよ」


 言っている言葉は理解できるけど、頭に何も響いてこない。ただただ食事を見据える。一切食欲が沸かない。


「チッ……仕方ねぇな。じゃあ取引だ。それを完食すりゃああいつのツヴェルフ嫌いの理由を教えてやるよ」


 アランが舌打ちした後に紡いだその言葉をハッキリ認識して顔を上げる。この状況であいつ、というのは一人しかいない。カーティスだ。


 食べれば、教えてもらえる――そう思うと食事が少し美味しそうに見える。元々酷い食事ではない。

 しっかり綺麗に食べ終えてアランを見据えるとアランはため息をついて語りだした。


「……あいつの母親は地球出身のツヴェルフだ」

「え……この国でもツヴェルフ召喚してるの?」


 皇国ではあの塔でしか召喚できないような言い方をしていたけれど。


「いいや。あいつは元々は皇国のいい所のお坊ちゃんさ。だがツヴェルフから生まれた事でそれはそれは聞くも涙、語るも涙の可哀相な目にあったみたいでな。人工ツヴェルフを作る研究をする為に1人のツヴェルフさらってこの国に亡命してきたそうだ」

「え、じゃあ十数年前にここで処分されたツヴェルフって……」

「そん時のツヴェルフだろうな。ああ、そのツヴェルフがいつの、何処の出身かまでは俺は知らねぇ。俺があいつと関わり始めたのは2年位前からだからな」


 かなり気になる情報は脱出には何の役にも立たないけど、謎が解明されていく快感が少し気分を向上させてくれる。それを見たアランがベッドに腰掛けた。


「……『恋愛』と『子作り』が別っていうあの国の有力貴族の常識で歪まされたんだよ、あいつは」


 どうやらもう少し話してくれる気らしい。何も言わずにアランの言葉を待つ。


「なぁ……アンタは惚れた男が自分に愛を囁きながら別の女と子を作る事をどう思う?」


 それは日本の価値観で言えば『最低』の一言だろう。だけどあの国の――皇国の公侯爵家の事情を思えば一概にそうとは言い切れない。


「個人的には引っ叩きたくなる位酷い行為だと思うけど……あの国にはあの国の事情があるから、何とも言えないわ」


 色神の宿主を作らなければ世界は色神が暴走して災厄に見舞われるし、侯爵家だって領地を平和に治める為の大魔道具が使えなくなる。


「まあ、そうやって事情があるからと皆が冷静でいられたならあいつもあそこまで歪まずに済んだんだろうな」


 アランの言い方に、誰かから似たような言葉を聞いたなと思い出す。

 あれは確か――神官長だったかな? 由美さんと皇帝、皇后の三角関係を嘆いていた時。


 ――誰か一人でも、自分を優先せずに恋愛と子づくりは別であると割り切れていたら――


「……親が何かやらかした結果、カーティスが歪んだって事? あそこまで歪むなんて何やらかしたの?」

「そこまでは言えねぇな。言ったろ? 聞くも涙語るも涙のあまり気分のいい話でもねぇ。まああいつの涙も俺の涙も笑い涙だったけどな」


 アランが苦笑いして肩を竦めた。笑い涙って事は笑い話なんだろうか? よく分からない。けど言えないと言ってる事を無理に聞き出す事は難しそうだ。


 話が一段落した所で改めて隣に座るアランを見つめる。凍傷と思われる顔の黒い傷は大分和らいでいる。多分治癒師に治してもらっているのだろう。そして――


(やっぱり……この人もカーティスも、カラコン付けてる)


 最初見た時は普通のレンズかと思ったけれど、アーサーがそれを付けていた時と同じ感じがする。

 目の色を変える為のレンズと考えるとアランも相当訳ありの人間みたいだ。そしてその訳は何となく察する事が出来る。


「……何だ?」


 しまった、見つめすぎてしまったせいか怪訝な顔で詰め寄られる。


「と、凍傷が治ってきたんだなって思って。でもその顔の傷は治らないのね?」

「傷跡まで綺麗に治せる治癒師は限られてるし、こんな旅人がそんな治癒師とお目にかかれる機会はまずねぇからな」


 咄嗟に言った言葉でアランは少し引き下がる。


「貴方……旅人なの?」

「ああ、色んな国を旅しては見聞って奴を深めるしがない旅人だ。ここには路銀を稼ぐ為に用心棒として雇われてるだけだ」

「氷竜の卵を取ってきたのもカーティスの命令?」

「……何でそれを知ってる?」


 低い声でギロリと睨まれる。地雷を踏んでしまったかも知れない。


「か、カーティスが活き活きしながら貴方が取ってきたって叫んでたから。あ、自分から言ったのよ? 私からは何も聞き出そうとしてないわ」

「そうかい……まあ、カーティスが言ったんなら隠す必要もねぇな」


 正直に話すとアランはつまらなそうな返事と共に視線をそらす。良かった。地雷は不発に終わったみたいだ。


「……よくあんな大きい竜から逃げ出せたわね?」


 それは本当に何気ない疑問だった。アズーブラウが締め付けていた氷竜は巨大で、あの無数の氷が刺さったような尻尾を振るわれたらかなり遠い所まで飛んでいく。

 そんな恐ろしい存在をアランはどうかわしたんだろう? まして、どうやって氷竜の卵を盗んだのか、純粋に気になってしまった。だけど――


「……氷竜を見たのか? ああ、そういやアンタ雪崩で流れてきたんだったな。目撃しててもおかしくないか……だが、何だって灰色の魔女があんな所にいたんだ?」


 やばい。今度こそ地雷踏んだかも知れない。血の気が引いていく。


「……そうだ、俺はアンタの知りたい事に色々答えてやったんだ。アンタも自分に仲間がいたか、そいつが助けに来る可能性があるかどうか位教えてくれてもいいんじゃねぇか?」


 アランの言葉に緊張が走る。この状況で来てくれるとしたらクラウスだけどこの魔力隠しのマントで魔力が隠されているし魔力探知も感じない今、すぐに助けに来るとは思えない。

 今の時点で既に4日も経過しているしクラウスの身にも何かあったのかも知れない。


 そしてもう一人――私を助けてくれる可能性があるとすれば、ダグラスさんの器のヒビを治す為にこの研究所に向かっているだろうアーサーだ。

 氷竜から上手く逃れたらしいから、彼は今きっとこの研究所に向かっている。


 でも彼は色神のようなチート能力を持っている訳じゃない。今ここで彼が来る事を悟られちゃ、いけない。


(この状況……どう言い逃れる?)


 どうも私は表情で悟られやすい。アランには演技も通用しない。

 そして今私は確実に顔を強張らせた――ここは何とかしてアランの意識を無理やり別の方向に逸らせないだろうか?


(一か八か……)


 地雷を踏む事は避けたいけれど、痛い目にあうのも嫌だけど――だからといってアーサーの邪魔をしたくもない。


「……仲間なんていないし、来ないわ」

「それなら何故あんな所にいた?」


 やはりアランは追求してくる。ここで全てを正直に話すのは確実に悪手だ。


「私……貴方によく似ている協力者に捨てられたのよ。好みじゃなくなったからってあっけなくね……最初は貴方が変装していて助けに来てくれたのかと思った。だけど違った」


 言葉に信憑性を持たせる為に多少本音も入り混ぜる。

 あの時の――血まみれになった時に彼に見捨てられた時の気持ちを思い起こすと、不思議と顔の力が抜ける。


「……そいつの名は?」

「……ヒューイよ。ヒューイ・フォン・ドライ・アイドクレース」


 女の子の好みが数日で変わる、髪色も髪型も目の色も違うけどこの男によく似た伊達男の名を口にすると、予想通りアランの目が見開いた。


「……そうか、アンタ、あいつの情婦か」


 やっぱりヒューイと何かしら関係があるみたいだ。情婦だと思われたのは癪だけどここから上手く話題を反らせれば――と思った瞬間、ベッドの上に押し倒されて両手で首を締められる。


(ちょっ……!?)


 この状況が理解できないまま必死に藻掻いて首を締め付けてくる手を引き離そうとするけど、手袋越しでも分かるほど逞しい手はビクともしない。


「俺がお前に殺意を抱く理由がよく分かった……お前は今ここで俺が殺してやる」


 息もできず顔が圧迫されていく苦しさの中でアランを睨む。彼の目はこれまでと全く違う、今にも締め殺さんと言わんばかりの殺意を宿していた。



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