第222話 とあるメイドの勝負事・4(※セリア視点)


「ユーリ様……この世界の何が気に入らないのか教えてください。改善するように力を尽くします。どうか今しばらくこの世界に残っていただけないでしょうか? 私は貴方の心に近づけなかったとしてもこの世界にはきっと、貴方が良しと思う男がいるはずです」


 少し開いた馬車の窓からレオナルド卿の声が聞こえてくる。この期に及んでまだ説得だなんて甘いにも程があります。

 まして自分ではなく他の男の為にツヴェルフを匿うだなんて――軍神と唄われる公爵の息子とは思えない位甘ちゃんです。


 ユンとスファレライト家は貴方の魔力の器の小ささを懸念してツヴェルフの誘拐というリスクを犯してまで器の大きいユーリ様を捕らえているというのに。

 容姿が甘いのはともかく性格まで甘いのは流石に頂けませんわね。


(対立する者としてはその甘さ、ありがたく頂きますけど)

 

 間もなくユーリ様が馬車に入ってきました。流石に私のような乱雑な扱いではなく穏やかな扱い。


 あの時――妄想話でアスカ様に助けられた時はオドオドしていたユーリ様も、今はこの状況でも諦めてないようで真っ直ぐに目に光を宿しています。

 ユーリ様もアスカ様と同じく、なかなか頑固な気質をお持ちのようで。


 ユーリ様は私の隣に座りました。その後レオナルド卿と騎士2人が入って座った所でガタン、と馬車が動き出します。


 どうやらユンは乗らないようです。まあさして広くもない普通の馬車ですから乗員オーバーなのでしょう。本当に、ツイてます。


 ユーリ様が隣りに座った事も、ユンが乗らない事も。婚約者が基本的に皇城に居られる上に性交の可能性がしばらく無いと思われるネーヴェ様だった事も。

 全て、ユーリ様の天性の運としか思えません。


 出来る事ならその運を少し、アスカ様にも分けて頂きたかった。


(後は……もう少し。もう少しだけこの場から離れておかないと……)


 ここで逃げると怒りのあまり自宅に殴り込まれる可能性がありますから。



「……どんな手を使った?」


 閑静な住宅街から少し道を抜けて林に入った辺りで、レオナルド卿が私に向けて問いかけてきました。


「何の事です?」

「分かっているだろう? 主に泣きついたか?」


 ああ、レオナルド卿は昨夜の件をご存知なのですね。その真っ直ぐに私を射抜く黄金の眼の奥には怒りの感情が宿っている。


 これは何も知らないツヴェルフを騙して公爵を誑かそうとした悪女を睨む目です。はっきり下着の件だと言わないのはユーリ様に配慮してでしょうか?


(それなら……少しだけ<反撃>しちゃいましょうか)


「いいえ……泣きついてはいません。ただ、アスカ様は心優しい方なので私に何かあれば庇うから、と自ら仰ってくださっただけです……アスカ様が私を助ける為に犠牲にした物に比べれば、私の命など大したものではなかったのに」

「……犠牲?」


 目を伏せて殊更ゆっくり喋る事を心がけて呟くと、レオナルド卿が食いつきます。


「私を助ける為にアスカ様は昨夜、ダグラス様に……専属メイドとして乙女の悲鳴を聞かされたこの気持ち、貴方達に分かりますか?」


 眉を寄せて潤んだ眼差しをレオナルド卿達に向けて言い放てば、ただでさえ馬車内に漂う張り詰めた空気が、一気に重苦しくなる。


(まあ、あれでダグラス様の気持ちは完全に固まったようですけれど……)


 瞳を潤ませて見せた後、また窓の向こうの空に視線を逸らす。


 ダグラス様のあの表情、あの様子――あれはもう完全にアスカ様に堕ちてました。下着など使わずともあんな厄介な気質のダグラス様を堕とすアスカ様の手腕、お見事です。


 そんな訳で私が原因で2人の絆が深まったのであればそれは大変よろしいのですが、もしそれでアスカ様が傷付いていたとあっては……大変よろしくないのです。

 まあ、昨夜のアスカ様の様子を見る限りそこはそんなに心配してないのですけど。


(その辺りは確認しておきたかったし、できる事なら最後に謝りたかったのですが……)


「貴方が私の未遂の罪を暴こうとしなければ、アスカ様がダグラス様にあんな強引に抱かれる事はなかったのに……」

「それは……」


 暗く重苦しい雰囲気が漂う中、レオナルド卿が言葉を詰まらせる。そうですよね。まともな神経を持っている男ならば、ツヴェルフとは言え女性が強引に抱かれる事を良しとしませんよね?

 まして情より法や秩序を重んじる黄の家系にすれば男が女を強引に抱くなんて以ての外ですよね。

 愛する人がいる貴方なら、情の意味でもそれがいかに酷な事か分かるでしょう?


 さて、レオナルド卿は俯いて考え込まれてしまいました。後の2人も若干暗い面持ちです。もっと塩を塗り込んでやりたい所ですけど、そこはグッと堪えて……



「あら、あの空に見えるのは黄の色神ゲルプゴルト!?」



 バッと反射的に窓の向こうを見たレオナルド卿と2人の騎士の隙をついて左手でユーリ様の手を握り、願いを込めて右手のペンダントのチャームを開くと、強い緑の光に包まれる。


 貴族の家に行く時に専属メイドに手渡される、ツヴェルフに何かあった時の為に使用が許可される皇城への転移石ワープストーン――


 まさか、アスカ様以外のツヴェルフにそれを使ってしまうなんて――私、本当にどうかしちゃったみたいです。



 全部アスカ様が悪いのです。アスカ様が、私を変えたから――



 緑の光が消えた後に広がるのは、薄暗く狭い部屋。転移石を渡された時に一度だけ入った事のある皇城の地下牢獄の一室。


 ツヴェルフが全裸で飛ばされても恥をかかぬようにと配慮された、石造りの部屋に質素なクローゼットとベッドが1つだけ置かれたシンプルな小部屋はあまり手入れがされていないらしく、少し埃臭いなと思った事を覚えています。


 その時と全く同じ埃臭さに転送に成功した事を確信した所で部屋の隅で涙を堪えているネーヴェ様の姿を捉えまいた。


「ユーリ!!」


 ユーリ様の名を叫んで抱きついたネーヴェ様はユーリ様が口をパクパクさせてる事に気付き発声阻止ボイスレスを解除すると途端ユーリ様の口の動きに声が付随します。


「ネーヴェ君! ごめんね、待たせちゃって!」


 ユーリ様はネーヴェ様の頭をそっと撫でた後、こちらに向けても深く頭を下げてきます。


「セリアさんも……本当に、本当にありがとうございました!!」


 感謝の気持ちが痛い位に伝わるユーリ様の後ろにアスカ様の笑顔の幻が見えます。  


 アウイナイト家にとしてはリビアングラス家及びスファレライト家と明確に敵対してしまった事になるので相当な痛手なんですけど――私個人としては不思議と悪い気はしませんね。


「いいえ。私は大した事はしていません。ネーヴェ様、ユーリ様をさらったのはスファレライト家のユンです。その流れでリビアングラスに喧嘩売っちゃいましたから私と両親をしばらく皇城に匿って頂けると助かるのですが」

「わ、分かりました……すぐ祖父に伝えます。着いて来てください」


 途中、『忘れ物がある』と言ったユーリ様の部屋に立ち寄り、得体のしれない模様が書かれた古びた箱を回収して皇帝の間へ向かいます。


「ネーヴェ様……クラウス卿にさらわれたアスカ様の行き先に本当に心当たりはありませんか?」


 道すがら改めて尋ねると、ユーリ様とネーヴェ様はお互いに顔を見合わせます。

 言うか言うまいか悩んでいる――そんな表情です。


「……私はアスカ様の服と私物を届けたいだけなんです。もしアスカ様もユーリ様と同じく今日の深夜に地球に帰られたいと思っていたら絶対にお渡ししなければならない物です。でも私はこれからここに保護される身ですので、もしこれからユーリ様がアスカ様に偶然会うような事があれば、あの黒い紙袋を渡して頂けますか? もし会えなかったら神官長に皇城に返送するように伝えてくださればいいので」


 今ネーヴェ様が浮かばせている黒い紙袋を指して笑顔で伝えると、ユーリ様が耐えかねたように言葉を吐き出します。


「あの、良かったらセリアさんも一緒に……もしかしたら、会えるかも……」

「いえ。私の顔を見たらきっとアスカ様は気を使ってしまいます。私は主君を悲しませるメイドになんてなりたくないのです」


 いいえ。本当は嫌なのです。私が悪かったのだと思い知らされるのが。


 アスカ様が戻ってきてくれるのならそれに向き合おうかという気にもなりますけど戻ってきてくれないのなら、向き合う必要もないでしょう?


 そう。これが私――元々の、私。アスカ様がいなければ私はそのうち以前の私に戻るでしょう。


「ではセリアはここで待っていてください」


 皇帝の間の扉の前で、ネーヴェ様とユーリ様が改めて私に頭を下げてきたので私も頭を下げ返します。


「もしアスカ様にお会いする事があれば伝えてください。私は貴方が残っても帰ってもどちらでも構いません。どうか私の事は気にせずに貴方の望む道を歩いてくださいと」

「分かりました……!」


 ユーリ様の言葉を最後に2人は皇帝の間に入り、重い扉が閉ざされます。



 アスカ様。以前私は貴方を焼け石のようだと表現しました。


 言葉の通り、人の心に飛び込んできた焼け石あなたの熱はずっと冷める事無くついには沸騰させてしまう。

 これ以上貴方の傍にいたらこの私さえも沸騰してしまいそうで。少しだけホッとしているんです。


 でも、それ以上に――寂しい。貴方がいなくなって段々冷えていく自分の心が寂しい。

 突拍子もない発想や行動、分け隔てない優しさ、諦めない強さ――けして褒められない点もありますけど。

 それでも、貴方と一緒に過ごしていた時間は楽しかった。


 しばらくはこの胸にぽっかり空いてしまった虚無感と共存しなければならないと思うと、重いため息が溢れてしまいます。


(まあ私はいくらでも元の私に戻れますけど……あの方はどうなんでしょうね?)


 昨夜の段階でダグラス様はアスカ様に完全に堕ちていた。溺れている――いやもはや、沈められてると言っても過言ではない位にあの方の眼は酔いしれていた。


 自分の星に帰ろうとする史上最低のツヴェルフと、そんな彼女を愛し求めてやまない史上最高の公爵の恋物語――魅了下着の力がなくてもアスカ様はそれを作り上げたのですから本当に凄い人です。


 そのラストは是非ともハッピーエンドであって欲しいけれど――果たしてどちらにハッピーエンドが待っているのでしょう?


 私はアスカ様のメイドですから、勿論アスカ様にとってのハッピーエンドを願っています。

 でも……でも、少しだけ。2人にとってのハッピーエンドも願わせてください。



 だってそれこそが、私にとってのハッピーエンドなんですから。



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