第19話 黒の希望・3(※ダグラス視点)
状況的に飛鳥がそういう発想に至ってもおかしくはない。あの研究所から一人で逃げる為に魔力を必要としたのは分かる。
味方が誰もいない場所でそれでも脱出したいと思えば、自分で動かざるをえないだろう。
だが自分の体を顧みずにぞんざいに扱うのは本当にやめてほしい。
あの男は飛鳥に『一発ヤッた後、俺の手で殺して滅却路に投げ込んでやる』などと下品極まりない言葉を吐いていた。
失敗すれば本当に凌辱されて殺される所だったのだ。
だがアーサーが死霊蔓延る森で死霊退治に勤しんでいた事を考えれば、飛鳥が大人しく誰かの助けを待っていても凌辱されて殺されていたかもしれない。
だから飛鳥の行為を責められない。むしろ飛鳥が『あんな男に身を穢されてしまった……』と落ち込んで自分を追い詰めている可能性が消えた事に安堵すら覚える。
良かった。いや、良くはないが。最悪の事態を免れていて良かった。だが
手紙が灰となって散った後、いつの間にか入ってきていたルドルフから茶を差し出されて我に返る。
そうだ――今はまだ飛鳥に浸っている場合ではない。椅子に座って受け取った茶を一口含んで喉に流した後、机の上に置かれた書類に目を向ける。
ここまで長く館を空けていた事はないが、地方の魔物討伐の為に数日から1週間程館を離れる事はよくある。
その度にヨーゼフは机に向かって右から急を要する物順に区分けして並べていく。
「ダグラス様、アランというのは……?」
「飛鳥を犯した後に殺そうとしているクズだ。厄介な事にアイドクレースの縁者でな。後で人相を伝えるから黒騎士達にそいつを見かけたら報告するように指示を出しておけ」
その後ヨーゼフに私がこれまで体験した事を伝えながら右側に置かれた手紙から順に目を通していく。
まずは各国にいる黒騎士達からの報告――ロベルト卿が懸念していた通り、私がロットワイラーを制圧した事は各国で好意的には受け止められていないようだ。
報告を読む限りでは各国に不穏な兆候が見られる。
しかし私は大量の犠牲を出した訳ではない。小さな波紋程度にとどまってくれればいいが――西の大海の向こうにある帝国や南の大陸の国にいる騎士からの連絡はない。
まああの辺りにもなると情報が伝わるのも手紙が届くのにもかなりの時間を要する。今気にかけていても仕方がない。
次に皇国内にいる騎士団の報告――やはり白の騎士団長の動きが気にかかる。
まさかアレに黒の魔力が混ざっている事を飛鳥のせいにするとは。この様子だと新聞に載るのは時間の問題のようだ。
父と母とアレの父親の確執をバラされるよりはいいが――
見ている中に1つ、その中に橙色の手紙を見つける。差出人を確認するとアーサーの名が記載されている。
<君の願い通り、奴隷は全て解放して近くの村まで避難させた。ケリも付けた。その際持ち帰った物が2つある。1つは君には一切必要ない機械仕掛けの楽器だが、もう1つは君に必要な物かもしれないからこの手紙と共に送る。君がそれを本当に良い未来への
所々血痕らしき物がついている薄緑の厚い手帳が収まっている。パラパラと広げれば細かい字や図面がビッシリと書いてある。
あの研究所の辺りは立入禁止にするように伝えてあるが、野盗やあるいは黄の騎士団の監査が入る可能性がある。
だから事が落ち着き次第研究所に行かなければ、と思っていたがこれがあればひとまずは大丈夫か――
「ダグラス様……それも一通り目を通しましたが私はあまり魔導工学や魔科学を嗜んでおりませんので殆ど理解できないものでした。何をされようとしているのかお聞きしても?」
考えている事を伝えるとヨーゼフは珍しく目を見開き、唖然とした表情を浮かべる。
「それらが全て上手くいけば素晴らしき事ですが……しかしそれではアスカ様が」
「飛鳥は私が望んで召喚したツヴェルフだ。私が彼女と子を成す事に何の問題もないし、何より私は飛鳥以外の女と契る気は一切ない。この研究を完成させる為には多少人の倫理から外れる必要があるが……見逃してくれるか?」
自分の言い方に違和感を覚える。見逃してくれるか、などと――人の機嫌を伺うような言い方を、まして家臣相手にした事があっただろうか?
ヨーゼフはそれにも少し驚いた様子を見せながらもすぐに表情を緩めた。
「ギベオンは常にセレンディバイトと共にあります。どうか、ダグラス様が思う道をお進みください」
深く一礼するヨーゼフに感謝の念を感じつつ、一番左端の手紙に目を通す。しばらく意識不明だった事が知られているからか、魔物討伐の依頼は予想以上に少ない。
だがロットワイラーの王都を制圧した頃からいくつか届き出している。この辺りは明日の14会合で議題にあがる物と被る可能性があるから目を通すだけにとどめておく。
一通りの書類に目を通し、ヨーゼフの協力の元最低限の指示を出し終えた後にはすっかり日が暮れていた。
半節前には変人侯の力を借りて途中途中騎士団には指示を出していたし、ヨーゼフが色々上手くやってくれていたとは言え、それでも半節溜めた書類は流石に1日では処理しきれない。
昨日の午後も冊子を読み通し、青の愚痴を聞き――正直、一刻も早く魔物討伐で肩慣らしと憂さ晴らしがしたい。
だが明日の事とこれからの事を考えると今日のうちにできる限りの事を済ませておきたい。夕食も作業しながら摘める物でいいと伝え仕事に没頭する中、1つ気になった事を思い出し、引き出しから一枚の誓約書を取り出す。
ヒューイが飛鳥に触れない、とサインした誓約書の隅の方に「1」と表示されている
ロットワイラーにいた時に微かに感じた違和感の正体を突き止めて舌打ちする。今すぐにでも追求しに行きたいが、もう夜も遅い。
触れたのなら黒の炎が手を焼いたはずだ。「2」とか「3」なら今すぐにでもアスカを連れ戻しに行く所だが――1度の接触位は事故として見逃してやろう。
「ヨーゼフ、これから毎朝これをチェックして数が増えたり異変が起きたらすぐに報告しろ」
「かしこまりました」
ヨーゼフに誓約書を託した後寝室に入りベッドに横たわる。時間はもう22時を過ぎていて、大分体が重い。
流石にヒューイはアランの存在を知っているだろう。近いうちに問いたださなくてはならない。ついでにどういう流れで飛鳥に接触したのかも確認しなければ。
明日飛鳥の処遇が決まるかもしれない。すぐに処刑にはならないだろうが、どうにかしなければ。
狂化学者の手帳もじっくり見たい。死霊王の本もまだ半分位しか読めていない。緊急でないとは言えいくつか雑務もあるし、給金や雑費の支出で家の金も大分減っているから各地の魔物討伐もしなければ――ああ、やる事が、考えなければならない事が多すぎる。
こういう時、午前中に動けないというのは本当に不便だ。
(午前中……ああそうだ、まだ眠ってはいけない)
考えなければならない事が多すぎて大事な事を忘れる所だった。
「ペイシュヴァルツ」
呼びかけるとベッドの下に漆黒の大猫が現れる。
「ペイシュヴァルツ……明日の会合に出る為にまたお前の分身を貸して欲しい」
その言葉にどのくらいの沈黙が流れただろうか? もう一度言おうかと思った時ペイシュヴァルツの念話が頭に響く。
『……あれは緊急事態だから咄嗟に分離したのだ。そう簡単に貸せるものではない。あの後すぐ時が止まったから辛くなかったが、時が流れている間の分離はしんどいのじゃ』
「タダでとは言わん……お前の大好きな『ネコホイホイ』を取り寄せよう」
ジェダイト領の一部地域で取れる、まるで猫の尻尾のような植物、ネコホイホイ。その形状と放たれる花粉は何故か猫を著しく惹きつける。
それの群生地での魔物討伐の際、ペイシュヴァルツは我を失う程にそれに酔いしれて全く役に立たない程だ。喜ぶに違いな――
『余はアレが好きな訳では無い。アレに惑わされるのだ。そち達が酒に酔うのと一緒だ。酔いに好きも嫌いも関係ないのじゃ』
そうだったのか――ネコホイホイというあからさまな名前の植物な上に、父がそれを持ってペイシュヴァルツを翻弄する姿を何度か見かけたからてっきり好きなのだと思って、自分もたまにじゃらしていたが――
「いや、待て……ネコホイホイが嫌なら嫌だと言えば良かっただろう?」
『前も言ったと思うが、余が喋るとそち達は引くからな……それに……普段陰湿で重苦しい顔をしているお前達が我がアレに惑わされている時は良い顔するから……敢えて惑わされてやってたのじゃ……』
ペイシュヴァルツはそう言うとバツが悪そうに私から顔を背ける。
私自身、自分が色々拗らせている人間だと自覚しているがこの猫の拗らせ具合も相当だと思う。
自分の行いを恥じ、先祖達に同情すると同時に父の良い顔とやらを見られたこの猫を少し羨ましく思う自分がいた。
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