第241話 女の運命を決めるのは
ダグラスさんは叩きつけられるように落ちてきた後、すぐに肘と膝を床につけて起き上がろうとする。
「はぁっ、はぁっ……!!」
激しく肩を揺らして息を切らすダグラスさんの声が酷く痛々しく聞こえる。地面を見るその目は酷く虚ろで弱々しい。
特に致命的なダメージを受けたという感じじゃなくてただ酷く疲れているような、そんな印象を受ける。その理由はすぐに分かった。
(0時が、近づいてるから……)
きっとダグラスさんはクラウスみたいに自分の中の異なる魔力を流しきってない――だから今、辛いんだ。
(どうして……こんなギリギリな時間になるまで……)
傷付けないとか殺さないとか意識しないでここに来れば、ずっと有利な状態で戦えただろうに。
ダグラスさんは息を乱しながら震える手で懐から何かを取り出し、再び床につけた拳には数枚のお
あれは魔物狩りで一度だけ見た覚えがある――悪魔召喚の際に使っていた札と同じ物だ。
「やめて!!」
あんな悪魔がここで召喚されたらまた血の海が出来てしまうかも知れない――ここに集まってる人達があの魔物達よりずっと強いのは分かっているけど反射的に叫んでしまう。
「飛鳥、さん……」
私の声に反応したダグラスさんと目が合った途端、ビクりと身体が強ばる。
震えて声が上手く出せないでいるとダグラスさんは札を再びしまい込んで黒の槍を支えに立ち上がり、必死な形相でこちらに向けて声を紡ぐ。
「ソフィア嬢、ユーリ嬢……私は飛鳥さんさえ戻ってきてくれればそれでいい……!飛鳥さんを返してください……!!」
ダグラスさんの言葉に優里が私の腕をギュッと掴んで自分の方に引き寄せる。
「絶対嫌です……! 飛鳥さんは帰りたいんです……私達と一緒に帰るんです!!」
揺れる私の心をしっかり繋ぎ止める力強さに、ありがたさと罪悪感が生じる。
(私は……)
「……残念です……本当に……貴方を傷付けたく、ないのですが……もう二度と会えなくなる位なら、何をしてでも……貴方に傷付けてでも嫌われてでも、貴方を私の傍に繋ぎ止めたい……!!」
ダグラスさんがこちらに向けて黒い魔法陣に出現させる。それに対抗する為にリチャードへの能力向上を解いて防御壁を張ろうとすると、黒い魔法陣が白い光に吹き飛ばされた。
上空からラインヴァイスに乗ったクラウスが弓を構えている。何故かこちらに近づいてくる気配がない。
遠距離攻撃ができる弓だからある程度離れていた方が都合が良いのだろうか?
(都合……ダグラスさんが今さっき、札をしまったのはどうして……?)
それを使えば――ダグラスさんにとっては都合が良いはずなのに。私がやめてって言ったから?
改めてダグラスさんを見ると両手で槍を掴み、支えにして立っている。
表情こそ違えど、その姿がメアリーの魂を解放した時の――意識を失う直前のダグラスさんの姿と被る。
そう言えば魔物狩りの時も最初に符術を使っていた。それで私が気絶した後目を覚ましてからはそれを使わずに戦っていた。
単に私が凄惨な状況を怖がるのが面倒だから使わなくなったんだと思っていたけれど――きっとそれ以外にも理由がある。
ダグラスさんは起きた直後は体調が物凄く悪い。だからあの時、自分が動かなくて済む符術を使ったのだとしたら。そして今、もう体を動かす事すら辛いのだとしたら――
(ねえ、ダグラスさん……どうして符術を使わないの?)
どうして――こんな状況でまで私が嫌だと言った事を聞いてくれるの?
貴方は私を強引に押さえつけようとしたじゃない。恐怖で屈させようとしたじゃない。
私に『符術を使ってほしくないなら』って、いやらしい交渉を持ち掛ける事だって出来るじゃない。
本当に私を傷付けてでも、嫌われてでも引き止めたいなら――方法はいくらでもあるじゃない。どうしてそれをしないの?
(私は……このままで、いいの?)
自分の中に疑問が芽生えた瞬間、転送陣が様々な色がまだらに混ざり合うように輝き、私達を乗せてふわりと浮き上がった。
「皆さん! そろそろ陣が浮上します!
「「浮上!?」」
ネーヴェが張り上げた言葉に対して私とソフィアが同時に声を重ねる。疑問が吹っ飛び慌ててイヤリングとチョーカーを外して音石と一緒に陣の外に放り投げる。
『――アスカ――!! ――――!!』
ルクレツィアから届いたテレパシーが読み取れない言語になる。名前だけはかろうじて聞き取れる。
首を横に振ってジェスチャーで
上昇する私達に追いすがるようにダグラスさんが近くに降り立ったペイシュヴァルツに飛び乗って追いかけてくる。
「飛鳥……行くな……行くな!!」
必死な形相のダグラスさんの口から、悲痛な叫びの<日本語>が飛び出す。
ああ、そう言えばこの人は地球の事を勉強していた。詩やら交換日記やら何でそこを学んだと言わんばかりに変な事を覚えていたけれど、日本語まで勉強していたんだろうか?
「――――!! ―――――!!」
「――!! ―――!!」
ヒューイとネーヴェが何か叫んでいる。これがこの世界で彼らが使っている――ダグラスさんが普段使っている言語。
魔護具や翻訳魔法もあるから日本語なんて覚える必要は一切ないのに。覚えても私以外に使う相手なんていないだろうに。
「――――――!!」
私達より高い位置にいるクラウスも何かを叫びながらダグラスさんに向けて光の矢を放つ。
何本にも別れて降り注ぐ光の矢を避けるペイシュヴァルツにしがみつくダグラスさんはまだ手を差し出している。
「飛鳥……飛鳥!!」
彼の私を呼ぶ声が耳に届く度、心に強く響く。
分かってる。あの人の手を取っちゃいけない。後はここでじっとしているだけで帰れる!
(ここで判断を間違えちゃいけない……!)
あの人がやる事は過激で、加減を知らなくて、容赦もなくて。
私の知らない間に私が嫌がる事をするし、嘘だってつくし。機嫌が悪くなったら怖いし、本気で怒らせたら酷い事をしてくる。
魔物どころか人を殺す事に何の躊躇もない。傷付ける事に快感を感じてる節すらある。多分その性癖自体は私がどうこう言っても変えられない。
(でも……でも! 本当にこんな別れ方でいいの……!?)
それでもこの一ヶ月の間に私がダグラスさんを嫌いになりきれなかったのは――彼の私に向ける好意を拒否しきれなかったからだ。
私に歩み寄ろうとする意思が嬉しかったからだ。
あの時から――正式な婚約をした時からずっとダグラスさんは私に愛を向けてきた。だから私も惹かれ始めた。
恐い記憶がいっぱいあるけど良い想い出だってけして少なくない。
黒の魔力の安定が解かれた時、私は苦しかった。この人を裏切ってしまったからと仕方ない気持ちと、どれだけ好きって言っても冷められたらこういう目に合うんだなって追い詰められた。
それでも従えなかったのは私の好意を恐怖で穢したくなかったからだ。出来る事なら彼には私の純粋な好意を受け取って欲しかった。
昨夜の私がどんな心変わりをしたのか分からない。だけど素直な心を吐露できた昨夜の私が羨ましい。
昨夜の記憶が無くならなければきっと私はダグラスさんに純粋な好意を向けて、ダグラスさんと幸せになれたんだろう。
優しく初々しい言葉のやり取りは自分の事だと思わなければいいカップルだと思えた。時間があればもっと音石をしっかり聞きたかった。
でも――ここに来るまでに積もってきた恐怖も消えない。胸に手を当てて、ギュッと手を握りしめる。
この世界に残っても上手くいくはずがないと冷たい記憶が告げる。
それでも彼がこちらに必死に差し出すその手に温かい記憶が震える。
(ねえ、私は今、どうしたい? どうしたらいい?)
自分自身に問いかける。そう――私の未来を決めるのは他でもない自分自身。
理性に縋って耳を閉ざそうと、感情のままに身を投げ出そうと私の選択に誰も責任をとってくれない。
だけど今私は誰の命も魂も背負ってない。私が背負っているのは、私の人生だけ。
青白い星を見上げる。とても大きく見えるその星はもうすぐ見上げなくても見られる位置に並びそうだ。
考えていられる時間はもう殆ど無い。
それなら、今、私が選ぶ道は――
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※次話から小説家になろう版とカクヨム版でストーリーが分岐します(詳細は近況ノート『「異世界に召喚されたけど~」今後の展開について(ネタバレ注意)』に記載)。
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