第129話 好意と理性の狭間で


 次の日――ここ数日微妙に寝覚めが悪いのが続き、天気が良い時はバルコニーに出て温かい日差しを受けながら肩を回して背を伸ばすのが日課になりつつある。


 朝食を運びに来たヨーゼフさんに交換日記を託した時に『反公爵派の討伐のお礼に今日の夕食を作りたい』と申し出ると何を作るのか聞かれたから素直に『オムライスとハンバーグを』と伝えると『では材料を用意しておきます』と一礼して部屋を出ていった。


 その後、セリアに書いた手紙を見てもらう。文章自体はとても無難な近況報告と、今度そっちに行きたいという内容なんだけど――


「アスカ様……何故、冒頭にユンの名前も入れたのですか? 元気か聞くのはユーリ様だけで良いのでは……?」

「どうせユンも見るんでしょ? それなら書いちゃうわよ。アンナに送る時だってアンナ、ジャンヌ、お元気ですか? って書くわよ。」


 セリアはちょっと頭を傾げつつも封をして宛先を書きだす。

 よし、特に文章自体に違和感はなかったみたいだ――この方法が通用すれば今後のやり取りが随分と楽になる。

 優里は英語も堪能みたいだから同じやり方でソフィアとやりとりできるかもしれない。


 その後は夕方まで普段通りに過ごし、夕食を作ろうと厨房に入った時には材料がきっちり用意されていた。


 使い慣れた地球の食材と似通っている物が多いとはいえ、流石にこの世界の食材を何の知識も持たずに使うのも怖く、ルドルフさんとセリアに確認しながら作っていく。

 割と広い厨房は3人いても窮屈には感じなかった。


 材料が結構あったから皆の分も作ろうとしたんだけど、「それだとお礼になりませんから」とセリアにやんわり断られ、結局私とダグラスさんの分しか作らなかった。


 「残った材料で同じ物を作るので大丈夫です」というルドルフさんの発言に(ルドルフさんの方が上手く作れるんだろうな……)とテンションが下がると、次の瞬間「ビーフシチューとオムレツにするので」と訂正していた。


 その時のルドルフさんが何か禍々しい物を見てしまったかのように少し怯えていたのは何故か――その視線の先を追うと「本当にこの家の男達は女心が分からない方ばかりで困りますね。」とセリアがクスクスと笑っていた。


 そんなこんなで料理が出来上がった頃にはいつの間にかダグラスさんが食堂の椅子に座って手帳を広げて待っていた。

 料理が運ばれてくるのを見るや否や手帳とペンをそっと服にしまい込む。


「とても……美味しいです」


 そう言って出来上がった料理を嬉しそうに食べるダグラスさんの仕草は丁寧で、こんな男所帯でもテーブルマナーが完璧なあたり流石貴族だなと思う。


「そう……良かった。作った甲斐がありました」


 やや大きめの長卓の隅っこでダグラスさんと向かい合う様に座りながら自分も一口、ハンバーグを口に含む。

 多少触感に差はあれど、味はほぼ地球の物と同じ――良い出来栄えに小さく頷く。


 ダグラスさんの横にはヨーゼフさんが、私の横にはセリアが並び、ルドルフさんは厨房で使い終わった物を洗っている。


(ルドルフさんの作るビーフシチューとオムレツも食べたかったけど……まあ、ダグラスさん嬉しそうに食べてるし、美味しくできたし、これはこれでいいわよね)


 そう思いながら次にオムライスを味わう。うん、この世界の卵もケチャップとの相性最高。セリアが皇城の冷蔵庫に入れておいたケチャップもしっかり持ってきてくれてて良かった。

 ただちょっとお米に違和感があるのが残念だった。パサついてぼそぼそとした触感が気になるというか――


「……これからは、飛鳥さんと一緒に夕食が食べられるんですね」

「え? あ、それは……」


 つい流れで食事を共にしてしまってるだけなんだけど、嬉しそうに言われると断りづらい。

 そんな私の表情を読み取ったのか少し目が陰った時点で「そうですね」と肯定すると、また嬉しそうに見つめられる。


「こうして何でもない会話をしながら一緒に食事を取ってくれる人がいる……というのは本当に温かい」

「ヨーゼフさんやルドルフさんは?」

「彼らは家臣ですから、一緒に食事をした事はありません。友人と食事をする時も楽しいですがこの温かみとはまた違う。今、私はすごく満たされています……これが幸せ、なのでしょうね」


 心の中で混ざる甘みと苦みの比率は、時折り苦みの方が増してきた気がする。


「……朝食と昼食はいいんですか?」

「私は朝が酷く弱い物で……昼食もその関係で遅めに取っているので飛鳥さんと時間が合いそうにないんです。一緒に食事したい気持ちはあるのですが……すみません」

「そうですか……」


 まだ隠していたいようだ。何だか事実を知ってるのに相手から打ち明けられるのを待つ、というのも不思議な気分だ。


 別に、話してくれてもいいのに。いや、むしろ早く話してくれないかな、とこの中途半端な状況にソワソワしながら、ハンバーグを一口サイズに切ってまた口に入れる。


「もし寂しいのであれば夕食の後、2人の時間を持つようにしましょうか?」

「結構です。まだそういうのはちょっと……」


 口に中にある物を飲み込んだ後に突発的な提案を拒絶すると、苦笑いされる。


「飛鳥さんは鳥というより蝶みたいですね……私に近づいてきては私が手を伸ばすと離れていく……気になって仕方がない」

「すみません……」

「いいえ。飛鳥さんの気持ちは分かっていますから……私の傍にいたいのに私に傷つけられるのが怖くて遠ざかってしまう……そういう風にさせてしまったのは私です」


 突っ込みたい気持ちはあるけれどそうやって見つめられると、胸がいっぱいになって言葉も食も進まない。


『好きな人が出来た――アスカなんていらない――』


 心が揺れる度に頭の中で一体化してしまったその言葉が自動的に思い返される。

 目の前の人もいつそういう事を言い出すか分からない。地球で生活を立て直せるうちに帰らないと。


(ああ、でも……地球に帰ったら結局この人にも嫌われてしまうんだろうな)


「……飛鳥さん?」

「え?」


 いつの間にか俯いてしまった顔を上げると、食べ終えたダグラスさんがこちらに少し身を乗り出し、心配そうにこちらを見つめている。


「何か、ありましたか?」

「いいえ、何も……何も、ないです」


 そう言って首を横に振ると、ダグラスさんは立ち上がり私の隣に立って膝をつく。


「飛鳥さん……左手を見せて頂けますか?」


 手袋をつけた右手を差し出される。


(手って……手袋外せって事?)


 一瞬ひやりとしたけれど、ダグラスさんが手袋をしているのならこちらの手袋は外しても問題ないだろう。

 そう判断して手袋を外して差し出すと彼の左手が私の手の甲を包むように握られた。


「やはり……黒の魔力の使い方を間違えてますね。気づくのが遅れてすみません」

「え?」


 使い方を――間違えてる?


「黒の魔力を使う時はそのイメージを頭で想像するのではなく、対象にぶつけるようにイメージして使います。魔法だとまた少し勝手が変わりますが魔道具であればこの方法で問題なく作用するはずです」


 握られた左手に、更に右手を重ねられる。


「魔道具に関しては白の魔力を使って良いと言ったのに……貴方は本当に無茶をする」


 ダグラスさんの眉が潜まり苦痛の表情に歪んだかと思うと、私の左手が淡白い光に包まれる。


 クラウスに指先を治してもらった時よりずっと、淡く、弱い光――それでも、その手が離れた時には指先の小さな傷は全て消えていた。


「ダグラスさん、回復魔法使えるんですね……」

「……強い効果がある物ではありませんが」


 黒の要素しか無いダグラスさんなのに――白の塊があるから、使えるんだろうか? 魔物狩りの時も、私が気を失っている間にこうやって回復魔法を使ってくれたんだろうか?


「……ありがとうございます」


 甘く温かい感情が一気に押し寄せてくる。ああ、私、この感覚を知ってる――好きな人との、ふとしたやりとりで感じる、温かさ。


(でも……駄目。私はこれに飲まれたらいけない)


 きっと一歩足を踏み入れたらもう抜け出せない。溺れた先で息が出来なくなって、この人が私に興味をなくした時点でいらないと捨てられる。


 下着を見た訳ではない、赤の家系でもない彼の愛は、不変の物ではないのだから。


 彼が最近不機嫌にならないのは恋が作り出す熱に浮かされているからだろう。

 この熱が冷めたらまた不機嫌になる度に恐怖と圧倒的な力で見下してくるようになる。


 自分自身、これまで仲の良かった人にあそこまで強く拒絶された事が無いからその反動で誰かに甘えたくなってる、そんな自覚もある。

 この甘く温かな感情を求めてしまうのは――私が今、孤独だからだ。


 それでも。恋じゃなくても、愛じゃなくても。孤独を埋める為でも――この訳の分からない優しい人の愛が続く限り、寄りかかる事が出来たら、なんて――そう思う程度には自分の中に、この人の対する好意が、ある。


 そしてそれを自覚する度にまたあの言葉が繰り返される。

 いらない――いつかは、この人にもいらないと言われる。


(だから信じたら駄目、頼ったら駄目、甘えたら駄目、揺れたら、駄目。もう、傷つきたくないでしょう……?)


 俯く私を彼がどんな目で見つめているのかなんて、確認する余裕は無かった。


 ただ、私の心情に呼応するかのように何処かで何かが泣いているような――そんな空耳のような錯覚が、殊更私の不安を煽った。


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