第55話 チャンスはいつでも唐突に
視界が白に染まった後、緑に染まって――緑が消えたら突如冷たい風が吹き付けてきた。
ダグラスさんの姿形はおろか、背景にあったリビアングラス邸も無い。
辺りを見渡せばレオナルドとマリーの姿もなく、ただ、緑生い茂る山々や少し雪を被った山々が白い雲漂う青空の下に広がっている。
(えっ、ここ、何処……!?)
困惑しつつ今度は自分の足元まわりを確認する。
土がむき出しになっている所と色んな葉っぱの雑草が生えている所が半々位の、教室一つ分の広さ位の歪な円状の土地――円の先は全て崖状になっていて、恐る恐る下を見ると目が眩みそうな位の高さの下に小さな川が流れているのが見えた。
多分以前は吊り橋がかかっていたのだろう、古びた橋が落ちた痕跡もある。
(
だけどそれ以外がさっぱり分からない。
何処かの山の中、頂上付近、完全に孤立してて何かしらの飛行手段を持っていないと降り立てない場所――という事しか分からない。
(おかしいわね……さっきクラウスにハグされたような気がしたんだけど……)
不安と恐怖に苦しんでいた時に優しく包んでくれたものと同じ、温かい白の魔力と感触――でも今は全く感じない。私の他に人がいる気配も全くない。
(気のせい、だったのかな……? まあ今はそれどころじゃないわ、とにかくなんでこんな所に飛ばされたのかを考えないと)
冷たく吹き付ける風から身を守るように体を丸めてしゃがみ込み、考え込んで数分――もしかしたら、という仮説を立てた所でバサバサと独特の羽音が聞こえてきた。
恐る恐る羽音の方を振り返ると、1体の飛竜がこちらの方に飛んでくる。
誰も乗っていない、野良飛竜――もしかして襲われる……!? と思ったけれど飛竜は私がいる場所から少し離れた所に降り立った。
そこで初めてその飛竜に鞍が着いている事に気づく。
(……乗れって事かしら……?)
誰もいない孤立した場所に降り立った、鞍が着けられた飛竜――と考えれば私を乗せる為に降り立ったとしか思えない。
直ぐ様立ち上がって、飛竜に向かって駆け寄ると――
どんっ
何もないのに「何か」にぶつかってそのまま転んで地面に手を付ける。
「なっ……何なの、いったい……何がどうなってるの……!?」
倒れ込んだ痛みについ堪えていた言葉を零して後ろを振り返ると、先程まで何も無かった場所に尻もちついて驚いた顔をしているネーヴェがいた。
いつものローブ姿じゃない、何処かの国の皇子様のような(本当に皇子なんだけど)灰色をベースにしたいかにも高貴な礼服を身に纏っている。
「ネーヴェ……!? どうしたの!?」
「あ……アスカが透明化の魔法をかけてる僕にぶつかってきたんです……!」
「透明化の魔法……!? 何だってそんな……」
「その様子だと何も聞いてないんですね……分かりました、ちょっと待っててください……」
ネーヴェはそう言うと一つため息を付き、パタパタと服についた土をはたいて私から背を向けた。そして飛竜に何か小さく言付ける。
すると飛竜がまた空に羽ばたいてここから離れていった。
(何が何だかさっぱり分からないけど……ネーヴェが来たって事は……)
「ねぇ、もしかして私……地球に帰れるの?」
「そうです……後10分で光の船が来ます」
ネーヴェは礼服のポケットから取り出した、アクリルのような透明な材質で覆われた懐中時計らしき物を見て呟く。
光の船――優里のおばあちゃんの昔話にも出てきたル・ターシュの、星を駆ける船の名前に心臓が高鳴る。
後10分でそれが見られると思うと好奇心が湧き出て周囲を改めて見渡してみるけど、やっぱり青空にいくつかの雲が浮かぶばかりで、大きな乗り物が来る片鱗は一切ない。
10分後に来るならその時驚こう、と一旦好奇心を抑え、小さくため息を付いてるネーヴェに改めて問いかけてみる。
「……どうやって私を助け出したの?」
転移したのは間違いない。例えばあの場所に転移石があったり、ここにシーザー卿やオジサマがいたら私を引き寄せたんだなって思えるんだけど、そのどちらでもないからどうにも気持ち悪い。
そんな私の問いかけにネーヴェは小さく首を横に振った。
「……分かりません、僕も今回の件についてはここに来る為の転移石と今日ここに光の船が来るという事を記した手紙をダンビュライト侯に届くようにしただけですから……」
「じゃあ、私を助け出したのは……クラウス?」
クラウスが助けに来て転移石を使ったのなら、さっきの感覚も納得がいく。
「そうですね、それは間違いないかと。ただ……この場にはいないようですね」
キョロキョロと辺りを見渡すネーヴェがそう言うからには、本当にクラウスはこの場にいないんだろう。
(助けてくれたんなら、最後に少し話したかったのに……)
いや、でも、私に会いたくないから助けただけに留めたんじゃ――そう思うと胸がチクリと痛む。
心変わりじゃないにしても別れが辛くなるから別れの場に立たない、なんてよく聞く話だし。
どちらにせよこの場にいない事がクラウスの答えなら、それを受け入れないといけない。
「ネーヴェ……何で皇家はまた私に協力してくれたの?」
「アスカに協力した訳じゃありません……ル・ターシュから通信があったんです。ユーリが貴方を助けてほしい、と訴えていると」
意外な名前に頭が真っ白になっている間に、更に驚きの言葉が紡がれていく。
「……あの時、貴方はこの世界に残るか地球に帰るか、その判断を躊躇した。その結果、セレンディバイト公の攻撃を恐れたソフィアに突き落とされた……ユーリはそれがどうしても納得できず、またソフィアもまず自分達が安全圏に避難する事を優先しただけで、後で貴方をどうにかできればと思っていたそうで……ル・ターシュにつくやいなや、女王ルイーズに貴方の救助を願い出たそうです」
ソフィアまで――ソフィアまで私をまだ見捨てないでいてくれた事に返す言葉を失う。
突き落とされたのはショックだったし、正直恨んだ部分もある。
でも状況を鑑みれば残るのか帰るのかまごついていた私を突き落とすしか無い状況だった、と自業自得として諦めていた。
そんな私を二人は助けようとしてくれている。
心にあふれる温かいものでちょっと涙がこみ上げてくるのを感じる中、ネーヴェの言葉が続いた。
「ユーリの言葉は女王ルイーズやル・ターシュの民、皇家の心を動かしました。その結果、貴方を助ける為に光の船が使われる事になったのです」
へぇー……と思わず感嘆の声があげる。
以前優里を物語の主人公みたいだと思ったけれど、多くの人の心を大きく動かすなんてまさにそれだと思う。
知らない間に卑猥な行動を取って周囲にドン引かれた私とは大違いだ。
「あ、でも……確か光の船を使ったら空間歪むんじゃなかったっけ?」
「その頃からもう大分年月が過ぎていますから……向こうは今の光の船でもこの世界の貴族達に勘付かれるのか、確認したい気持ちもあるのだと思います」
「勘付かれたらル・ターシュも協力した貴方達も危険じゃないの?」
ツヴェルフの転送計画だって、皇家が協力している事は知れ渡ってるのに。もしこの事がバレたら、皇帝もネーヴェもどうなっちゃうんだろう――?
「……それに、こんな所に貴方が来たら駄目じゃない? そんな、いかにも皇子です、みたいな格好して……」
それはネーヴェも思っていた事だったのか、少しムッとした表情を浮かべて視線をそらされる。
「……駄目な事ばかりしてるアスカに言われたくありません」
「うっ……耳が痛いわ……」
12歳の少年に最もな言葉を言われてはそれ以上何も言えない。
「すみません」と小さく謝った後、改めて空を仰いで光の船が来るのを待つ。
「……アスカは本当にダンビュライト侯から何も聞いていないのですか?」
ネーヴェの言葉にまた視線を戻すと少し眉をひそめている。
「……ええ、ダグラスさんがマリーをツヴェルフにしてリビアングラス邸にやってきて、レオナルド煽って……で、ダグラスさんと、その……和解しようとしてる時に突然転送されたのよ」
言わなくてもいいだろう話は伏せて説明すると、ネーヴェはもう一度懐中時計を確認した。
「後3分……詳しく聞いている時間はもうないですね。ではアスカ……貴方の今の意志を確認させてください。貴方は今地球に……帰りたいですか?」
さっきまではこの世界に残るしかないならダグラスさんと、クラウスとちゃんと向き合って話し合って、皆が納得できる方法で生きたいと思っていた。
でも今、こうして地球に帰るという選択肢がハッキリ目の前にあるなら。
今しか帰るチャンスがないなら――
「……帰るわ。今の私には地球に帰らなきゃいけない理由があるから」
レオナルドが愛より大事な物を優先したように。私も今、愛より優先しなければならない事がある。
これを無視したまま、見てみぬフリをしたまま生きたくない。ただ――
「ネーヴェ……今、音石持ってない?」
この状態で帰るとダグラスさんがまた暴走するのが目に見えている。
万が一また皇家とル・ターシュが関わったと知られた時、どちらにも迷惑がかからないようにする為の責任も、私にはある。
多くの人の力を借りて地球に帰った後、この世界で何が起きてようと関係ないなんて態度はもう、取れない。
ネーヴェがパチン、と指を鳴らすと小さな音石が現れた。(あ、皇家も亜空間収納使えるんだ――)と思いながらそれを手渡され、思いの丈を吹き込む。
「これ、ダグラスさんに聞かせて。今のダグラスさんならちゃんと聞いてくれると思うから」
言葉を吹き込み終えた後、唖然とした顔のネーヴェにそう伝えて音石を返す。
クラウスは私が地球に戻る事を願っていたし、今こうしてここに降り立たせてくれたんだから心配はいらないだろう。心配といえば、ものすごく心配なんだけど。
でも、クラウスがこの場にいないという選択をしたのなら――もう私が彼に何かを言う資格はないような気がして。
(それでも、せめてありがとう位はネーヴェに言付け……)
再び口を開こうとした瞬間、不自然に視界の一部が歪んだかと思うと、七色に光る大きな、船のような、潜水艦のような何かが出現した。
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