第54話 逃げる女と追いかける男・2


 たとえ同じ理由でフラれかけているとは言え、元彼にフラれた時と今の状況は全く違う。


 ダグラスさんは今、マリーをレオナルドから引き剥がそうとしている。

 マリーがレオナルドを愛してるのは間違いないし、いくらダグラスさんが系統は違えどレオナルドに負けないくらい外見が良いからって、マリーが心変わりするとは思えない。


(そうよ……ダグラスさんが心変わりしたのと、レオナルドとマリーが引き裂かれるのは別だわ……私がダグラスさんの所に行けば、ダグラスさんはマリーを手に入れる動機を失って、マリーはレオナルドの元に戻れるのに……)


 なのに――また嫌な理由でフラレたくないから、ってパニック起こして人の家で自分勝手に逃げ回ってしまった。物凄い羞恥と自己嫌悪が襲ってくる。


 どうやら私はまた黒歴史を作ってしまったみたい――しかも相当デカい黒歴史を。


(もう黄金の部屋に引きこもって布団に潜って叫び倒したいところだけど、それは更に恥を上乗せするだけだわ……まずはレオナルドと話そう。まだ中庭にいるのかしら……?)


 物凄い気まずさを感じつつ、丁度ロイが中庭沿いの通路を走っていたので少し身を起こしてチラと中庭を見るとレオナルドと――マリーの後ろ姿が見えた。


(えっ? 何で……? ダグラスさん……マリー抱えてたよね……!?)


 全力で見開いた視界の先に映る、何やら話している優しい顔のレオナルドに更に違和感を覚える。

 もしかして私が逃げ回ってる間にレオナルドが頑張ってマリーを取り戻したんだろうか?


 幸いダグラスさんは近くにはいないみたいだし、マリーも意識が戻ってるみたいだし――今のうちに合流して状況を把握しないと!


「ロイ、中庭に出てマリー達の所に行ってくれる……!?」


 気まずさが吹き飛んだ私の言葉に「ヴォン!」と指示を待っていたかのような良い返事が返ってくる。

 そしてすぐに中庭に出てマリー達の所に近付くとマリーがこちらを振り返った。


「ああ、アスカさん……!」


 嬉しそうな笑顔で駆け寄って来たのでこちらもロイから降りて駆け寄る。


「マリー、大丈夫……!? 怪我はしてない……!?」

「はい! セレンディバイト公もダンビュライト侯もとても良くしてくださって……!」


 マリーの発言に胸がズキンと痛み、全身が固まる。


(えっ……何でクラウスの名前まで出てくるの……!?)


 って事はクラウスもマリーに会ったってこと? 分からない、分からないけどクラウスはどうなんだろう?


 嗜虐思考のある残酷なダグラスさんよりはまだ、暴走気味なだけのクラウスの方がマシ――じゃあないわ。


 クラウスは記憶を操作できる。勝手に人の記憶消したりしないでって注意はしたけど、ある意味ダグラスさん以上に危ない。

 それに、マリーは、どう思っているんだろう?


「ま、まさか、マリーも心変わり、したの? 待って、いや、あの、私が言う事じゃないかもしれないけど、ダグラスさんやクラウスよりレオナルド卿の方が絶対……絶対良い男だと思うわよ……!?」


 あの二人に散々振り回された挙げ句にあっさり目移りされる私も相当不憫だと思うけど、私を匿ったばかりに妻に心変わりされるレオナルドが気の毒すぎて――それ以上言葉にならず、とにかく全力で『心変わりしない方がいい』という想いを込めてマリーを見つめる。


「あっ、ごめんなさい、そういう意味じゃないです! 違うんです! 私があ……愛してるのはレオだけです……!」


 マリーが驚いたように声を上げて、胸の中にどっと安堵の気持ちが溢れ出る。


「良かった……!! この状況でレオナルド卿にまで不憫になられたら私、死んでお詫びした方がいいんじゃないかと真剣に思い詰める所だったわ……!!」


 私一人が惨めで恥ずかしい目に合うならともかく、私に良くしてくれたレオナルドまで巻き添えを食らってしまっては流石に疫病神すぎる。

 散々この国を騒がせて迷惑かけてる事も相まって冗談じゃなく死がよぎった。


 でもよく考えたらマリーが心変わりしてたら、レオナルドとこんな良い感じに寄り添ったりしないわよね。今の私、本当どうかしてるわ。


 またちょっと冷静になって顔を赤く染めるマリーから少し視線をそらすと、顔を赤くしているレオナルドと目があう。


「アスカ様……落ち着いて聞いてください。セレンディバイト公は取引に応じない私を煽っただけです。あの方の心は何も変わっておられません……先程まであの方が何度も叫ばれていたのが聞こえませんでしたか?」

「え……?」


 言われてみれば最初邪魔だとか何とか叫んでたのは聞こえたけど――頭が一杯でそこから先は聞こえていない。


「『アスカさん、嘘です、誤解です、すみません! どうか私の話を聞いてください! 私が愛しているのは貴方だけです!!』と私が把握した限り3回は叫んでおられました」

「えっ」


 聞こえていなかったのだと解釈したらしいレオナルドから淡々とこっ恥ずかしいダグラスさんの台詞が紡がれる。

 淀みなくスラッと言いのけたあたり本当に何度も言っているようだ。


「な、な……!?」


 その分かりやすい弁明に頭が混乱して、戸惑いの声が漏れる。ひょっとしてレオナルドだけじゃなく私まで――ダグラスさんに煽られた?


「で、でも……!! そもそも私が聞いてるかもしれない状況であんな事、嘘で言うとは思えないんだけど……!?」

「恐らく、アスカ様が聞いていると思っていなかったのでしょう。これはあくまで推測ですが、もしあの方が黄金の部屋の場所を知っていて、そこにアスカ様がいると思い込んでいたとしたら……」


 確かに――黄金の部屋はここから結構離れてるし、この家相当大きいから大声出しても聞こえないだろうと判断したのかもしれないけど。


「で、でも、そんな恥ずかしい台詞、大声で叫ばないで、テレパシーで呼びかけるなりすればよかったじゃない……!」

「テレパシーは対象が激しく動いていたり送信を邪魔をされたら上手く送れないのです。それにあの拡声魔法を使った大声がアスカ様に聞こえてないとは欠片も思わないかと。その上……」

「その上……?」

「あの方はどうもアスカ様の事となると見境……いえ、羞恥心を無くす傾向があるようで……それはアスカ様もご存知ですよね? その……塔の屋上の時とか……」


 塔の屋上――ツヴェルフ転送時のダグラスさんの非常に残念で破廉恥な説得を思い出す。

 ああ、うん……という納得と共に勝手に誤解して逃げた恥ずかしさ、勝手に人の家で愛を叫ばれる恥ずかしさ、そして塔の屋上のやりとりの事レオナルドしっかり覚えてるんだな、という恥ずかしさでどんどん顔が熱くなる。


「か……勝手に早とちりして話聞かずに逃げた私も悪いけど……あ、あ、あっちの方が絶対悪いわよね……!?」


「ええ、悪いのはどう考えても私達を不用意に煽ったあの方です……! しかし、私はあの方に大きな借りが出来てしまいました。先程騎士達にセレンディバイト公の行動を止めないよう指示を出しましたので、間もなくこちらに来ると思います。アスカ様……納得いかない部分も大いにあるかと思いますが、どうかあの方の話を聞いてあげて頂けませんか?」


 レオナルドがダグラスさんに対して怒ってるのは語調から感じ取れる。だけど予想外にもその状態で私に頭を下げてきた。


「え……侵入してきたのに、レオナルドはそれでいいの?」

「結果的にあの方は相対した私以外の誰も傷つけてはいませんから……私も無礼を受けているとは言え、もっと冷静に話を聞けていれば良かったのです。私にも落ち度はあります」

「わ、私も……普通にリビアングラス邸に連れて来られて、そのまま入るのかなって思ったら突然眠らされて……良くしてもらったとは言え、良い人と思い込まずにもう少しあの方を警戒すれば良かったわ……ごめんなさい、アスカさん……」


 さして悪くない2人が反省している姿を見て殊更自己嫌悪に襲われる。

 私も黒歴史がどうとかトラウマがどうとか言う以前に勝手に逃げ出して状況をややこしくしてしまった事は素直に反省しないといけない。



『飛鳥さん!!』


 耳に大きく響く声の方を振り向くと、そこにはこちらを見て息を切らした様子の元凶が立っていた。

 その姿を認識した瞬間、金縛りにあったように動けなくなる。原因は間違いなくダグラスさんがかけたストップ系の魔法だ。


『ああ、良かった……飛鳥さん……!! さっきのはそこの男を分からせる為の嘘です……!! 私が愛しているのは、これまでもこれからも、ずっと貴方だけです……!!』


 自分の魔法がかかった事に安堵したのか、ダグラスさんはゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


 ようやく私を捕まえて安心して微笑むその表情が――私に向かって優しく縋るように呼びかけるその声が――ちょっぴり嬉しくて――物凄く恥ずかしい。


(やだ、もう、この人、人の家で何叫んでんの……!?)


 こんな大きな館で、こんないっぱい人がいる場所で、そんな恥ずかしい事叫びまわって――って言うか、何でまだ拡声魔法で声を響かせているのか分からない。


(ヒューイだって言ってたじゃない。そういう事は、テレパシーで言えって……!!)


 さっきまでこの人に見限られたと思っていた時の不安は何処へやら。代わりに込み上がるのは、羞恥心。


 まるで、私が、ダグラスさんの事大好きで、フラレそうになって、元カレの時みたいに強がる事も出来なくて拗ねてるみたいな、そんな自分まで自覚させられて――本当に、恥ずかしい。


『これまでロクに守る事も出来ずすみません……! ですがもう大丈夫です、これからは私が貴方を守ります。何があっても、もう貴方を酷い目に合わせたりしない……!!』


 自信に満ちた笑みを浮かべて言うダグラスさんに『馬鹿!! 嘘つき!! 現在進行系で酷い目に合わされてるわよ!!』って怒鳴りたい。

 流石に人の家でそれは自制するけど――その位恥ずかしい、でも――でも。


(私が言った事ちゃんと受け止めてる……それでも、私が良いって……)


 恥ずかしいのは向こうだって同じはずなのに――私が逃げたから、恥をかなぐり捨てて、呼び止めようとして――今こうして私を捕まえたらそんな、物凄く嬉しそうな顔して――


 恥ずかしさの中に、ホッとしている自分がいる。

 まだダグラスさんが私の方を向いてくれてる事に安心している自分がいる。


 怒ると物凄く怖くて、見境なく襲って来ようとして、気に入らない相手には煽り散らかして、情けなく人の家で謝り倒して愛を叫んで――友達がこういう人を想ってたら『絶対やめといた方がいい』って、全力で言いたくなる人――だけど。


『安心してください、この館の人間は誰一人傷つけていません……! そこの男が自業自得で壁に衝突した程度です……! そこの女もツヴェルフにはしましたが、事を終えればちゃんと元の状態に戻せるようにしてあります……!!』


 この人は私の言葉を聞いてくれる。そしてちゃんと謝ってくれる人だって私、知ってる。

 そして話を聞くだけじゃなくて、ちゃんと変わろうとしてくれる事も知ってる。



 私は私を一番に想ってくれて、誰より大切にしてくれて、他の女に一切目を向けない人じゃないと嫌で、その上社会的にも精神的にも経済的にも自立してて、家事も率先して行って、清潔感があって、疲れた時や寂しい時に思う存分甘えさせてくれる人がいい。


 それでちゃんと、私の話を聞いて、受け止めて、変わってくれる人がいい。

 横に立って一緒に歩いていけるような、そんな人がいい。



 ダグラスさんはそんな人に――なろうとしてるのが分かる。私の事が好きだから、一緒にいたいからって理由で、変わろうとしてるのが痛い位に伝わってくるから。


 ドン引きする所もいっぱいあるけど、カッコイイ所だって可愛い所だっていっぱいあるから。



 だから私は、この人が好きで――愛しいと思う気持ちが消えないんだと思う。



 今私の体が物凄く熱いのは羞恥心だけじゃない。

 さっきから心臓が爆発してしまいそうな位激しく鼓動してるのも、「素直になれ」って感情が全力で叫んでいるから。


 言いたい事はいっぱいあるし、正直この状態で素直に想いに応えるのも嫌だけど、それでまた拗れたら嫌だ、なんて――ああ、もしかしたら、私、自分が思ってた以上にチョロい女なのかもしれない。


「だ、ダグラスさん、私……」


 体が動かなくても口は動く。緊張で震える私の声が聞こえたのか、ダグラスさんの足が止まった。

 そう、ダグラスさんはちゃんと私の言葉を待っててくれる。

 真っ直ぐこっちを見て、威圧する事もなく――ただ心配そうな目で私の言葉を待ってくれる。


 だから大丈夫、きっと私は間違ってないって――そう思える。


 ダグラスさんみたいに人の家で大声で愛の言葉を吐いたりはできないけど、私なりにちゃんと、ちゃんと気持ちを伝えないと――


「私……あ、あ、貴方がマリーに心移りしてなくて、ホッとし……」


「飛鳥さん!!」


 まだ言い切ってないのに、中庭に響かんばかりの大声で叫んだダグラスさんがこっちに駆け出してくる。


 怖い、とは思わなかった。明らかに動揺した表情でこちらに手を伸ばしてきたから。


 どうしたんだろう――と疑問に思った瞬間、誰かに抱きしめられたような感覚と共に視界が白に覆われた。



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