第53話 逃げる女と追いかける男・1


 ダグラスさんがマリーをお姫様抱っこしてるのを見た瞬間、心が冷えるような感覚を覚えた。


 意識を失ったお姫様を抱えて宙に浮くヒーローというか、魔王というか――どちらにせよ様になっている美女と美男の組み合わせに、より一層心が嫌な感じにうずいた。


 その直後、レオナルドの声が聞こえて。

 ロザリンドが私に術をかけつつ空と中庭を交互に見始めて、私もそっちに行って状況を詳しく確認したいと思いつつ一歩も動けずにいる中、ダグラスさんの声が響いた。


『……この女を返してほしければ飛鳥と交換だ』


 ああ、そうだ、やっぱり、私を助けに――来てくれたのよね?

 何でこんな強引な方法を取ったのかは分からないけど、マリーに心変わりしたとかじゃ、ないよね?


 ――なんて、ダグラスさんが私以外の女性に優しくする姿を見たのが初めてなせいか、やきもちとしか言いようがない感情を自覚しつつ安堵してたら、更にマリーをツヴェルフにしたとか言い出した。


 研究所でカーティスが『人の器の中から核を抜き取って器を綺麗に洗浄すれば人工ツヴェルフの出来上がりだ!』って言ってた事を思い出す。


 それを猫ダグラスさんは聞いてる。あの研究所には人工ツヴェルフに関する資料もたくさんあるだろうし、ダグラスさん、自分の体に戻った後あの場所に行って色々調べたのかもしれない。


 体が動かせない分、頭がいつも以上に回る。


 アーサーも改良された洗浄機を持ってきたし、ダグラスさんも全自動掃除機作る位頭が良い訳だし。

 2人が協力したとすれば――それができる可能性は十分にある気がする。


(確かにマリーがツヴェルフになれば、マリーもレオナルドも幸せになれるよね……私もお邪魔虫にならなくて済むし……!)


 と、どんどん心が軽くなっていくのを感じる中、突然体が一気に重くなって床に這いつくばる状態になった。どうやらダグラスさんの魔法らしい。


 身を起こせない程度の重力にひれ伏しながらもレオナルドとマリーが喜び合う姿を想像して、良かった――なんて軽く考えていたら、冷水を浴びせられるような言葉が耳に飛び込んできた。


『そうか……お前が妻を見捨ててまで飛鳥と子を成すと言うなら仕方ない……私は飛鳥の代わりにこの女と子を成そう。この女をツヴェルフにした責任もあるしな』



 全力でレオナルドを煽るダグラスさんの言葉に頭の中が真っ暗になる。



 何で――何でこの館に私がいるって分かってるのにそういう煽り方するわけ?

 レオナルドが聞く耳持たないなら強引に私を探し出して、確保した後マリー置いていけばいいんじゃないの?


 何で、そんな――だって、ダグラスさんはツインのツヴェルフじゃないと駄目なんじゃ、って、ちょっと待って――今って、午前中よね?


 動揺で上手く思考が回らない中(何でダグラスさん、今動けてるの?)という根本的な疑問に直面する。


(でもマリーの核を器から抜き出せたなら、ダグラスさんの中にある白の魔力の塊も取り出しててもおかしくない……)


 そうよ、だから午前中でも動けて――あんな事を言ってるんだわ。

 ダグラスさんはもうんだ。


 ああ、そう――そう。それなら見限られる理由はたくさんある。


 別に私、取り立てて美人って訳でも、スタイルが良い訳でもない。

 生意気だし、全然従順じゃないし、ガッツリ怒ったし、やっぱり『もういい』って思われちゃったのかもしれない。


 そりゃあ心底反省してほしいと思ったけど――別に、嫌いになった訳じゃなかったのに。

 ダグラスさんがずっと見守ってくれてた事も、私の黒の魔力を抑えてくれていた事も知っていたのに。


 あの時――ちゃんと素直に感謝の言葉も言えてたらまだ、好きでいてくれたのかな?


(でも……マリー見ちゃったら目移りするよね。私だって何だかんだ言い訳つけて他の男レオナルドに抱かれようとしてた訳だし……惚れかけた時も何回もあったし……)


 ダグラスさんが他の女に目を向けるのは――仕方ない。


 でも、いつから心変わりしたんだろう?

 ツヴェルフが作れるようになって白の塊も抜けて、じゃあレオナルドが愛しているマリーと私を交換しようと思った――という思考は推測できる。

 それが恐らく最も効率的で、有効な方法だから。


 それでマリーをさらったら、マリーに惚れちゃったって展開――納得せざるをえない。

 マリーは優しいし、明るいし、可愛いし、素直だし――私よりもずっと器が大きいのも感じた。



――好きな人が出来た――



 クラウスと同じ声の――元カレの言葉が久々に頭の中に浮かんで消える。

 この世界に来てからそれどころじゃなくなって、いつの間にか記憶の片隅で埋もれていた鋭い言葉が。


 私は今、再びそれを突きつけられようとしているのかもしれない――そう思った瞬間、恐怖に似た嫌な感情が全身を駆け巡る。


『もう二度と傷つけるような事はしない、今まで本当にすまなかった』


 思えばアーサーへの言付けも――もう私に関わらないって意味にも取れる。

 だって、もしまだ私と関わりたいと思っているなら許してほしいとか、一度話し合いたいとか――許しを願ったり会おうとする言葉を添えるものじゃない?


(で、でも、いや、でも……)


 感情が大きく揺れ動く中、頭が考える事を止めてくれない。そして感情が訴える疑問を否定するだけの自信がない。


 これまで私はダグラスさんにとって、唯一無二の価値があった。でも、今はもうない。

 もし私自身にも魅力を感じて惹かれていたとしても、私以上の魅力を持つマリーと出会ったら――その状態でレオナルドが私にこだわってたら「それなら交換しよう!」ってなるのは、十分に考えられる話で――


 頭を強く殴られたような感覚に襲われて、グルグルと同じ思考を繰り返して目眩までしてくる中、突然重力から解放された。

 フラフラと起き上がった時にロザリンドがこっちに目もくれずにバルコニーに出て何か叫んでる。


「セレンディバイト公!! 義姉様を開放してさっさとこの女を持って帰りなさい……!!」


 そう言ってこっちを指差された時に体が強ばる。


(嫌……絶対嫌……!!)


 今のダグラスさんは唯一無二の価値がなくなった取り立てて良い所もない私みたいなのより、既婚者だけど可愛くて魔力も大きいマリーの方がいいやって思った今、レオナルドに私を押し付けてしまえばもう私の面倒見なくていいと思ってるに違いないのに。


 こんな状況で連れ帰られたくない。ああ、マリーが良かったのに――とか思われながら連れ帰られたくない。

 その後きっとダグラスさんはゴミを見るような目で私を見るんだろう。

 あるいは最後に会った元カレと同じような視線を向けるのか――どっちも嫌だ。


 でもダグラスさんから白の塊が抜けたら、もう私にツヴェルフとしての価値は殆どない。

 人工ツヴェルフが作れるなら、マリーみたいに器が大きくて可愛くて優しくて明るくて素敵な女性をツヴェルフに選ぶでしょう?


 自分ですらそう思っている事をダグラスさんが思わないはずがない。それを本人から言葉にされたくない。


 涙が溢れるままにこの場から逃げたくて、ドアの方に駆け出すとロザリンドが叫ぶ。

 ドアを開けた瞬間、涙が溢れる先――バルコニーの方にぼんやりと黒が見えて咄嗟に部屋を出る。



(駄目だ、このままじゃリアルガー邸の時みたいに捕まる……!!)



 絶対捕まりたくない――視界に入ったロイに咄嗟に乗ってしがみつくと、ロイは私の気持ちを察するかのように駆け出した。


能力向上オブテイン……!!」


 いくら速くても魔獣の一匹――と考えると心配でロイに唱術と印術を使って能力向上を重ねがけるとよりロイが一層速さを増した。


『あす……まっ……いだ……!! おま……邪魔…………な!!』


 やだ、本当に追ってきてる――何か言ってるけど聞きたくない――絶対聞きたくない!!

 異世界に来てまで「好きな人が出来たから……」なんて言われたくない。邪魔になったなんて聞きたくない……!!


(あんな場所で盛大にマリーと子作りする宣言しておいて私にトドメ刺しに来ないでよ……!! それとも何? プライド高いから叱り逃げした私にきっちり別れを突きつけなきゃ気が済まないの……!?)


 もうダグラスさんのどんな言葉も聞きたくない――揺れて振り落とされそうになる状況でギュッとロイの毛を掴むと、ロイは勢いよく階段を駆け下りていく。

 騎士やメイド達は普段のロイからは考えもつかない速度に驚いているのか止められないようだ。


 当のロイは全力で走れる事が楽しいのか私が次の指示を出すのを待っているのか、自由に屋内を駆け巡る。



(ああ、もう、やだ……! 誰かを好きになっても私以上に魅力的な人が現れたら皆そっちの方に行ってしまうの、何で……!? 私ってそんなに可愛くない!? そりゃ、可愛い自信はないけど……!!)


 私もちゃんと反省してほしい、とか思って怒ったりする時点で可愛くないのは分かってる――でも、そういう感情を受け止めてくれず他に行こうとする相手と上手くいく気もしない。


 恋人にするなら、夫にするならちゃんと私の言葉を受け止めてくれる人がいい。

 自分を顧みて反省して、それでも私と一緒に生きていきたいと言ってくれる人がいい。


 同じ道を二人手を繋ぎあって横並びで歩けるような――そんな人がいいのに。何で、私は今、こんなに胸が痛いんだろう?



 ダグラスさんがそんな人じゃなかったから? それでも出会ってからたった3ヶ月――そんな短い期間なのに、彼に見限られた今、物凄く胸が痛い。



 頭がそれ以上考えるのを拒否する。そうやってロイにしがみついたまま屋内をあちらこちら動き回ってどの位経ったのか――ロイへの能力向上オブテインの重ねがけが切れた瞬間、一気に心のしんどさが増す。


 ああ、鬱になったり元気になったり惚れっぽくなったり――魔力って、本当しんどい。


(あれ……そう言えばレオナルド、大丈夫かしら……?)


 自分勝手に逃げてしまったけれど、よくよく考えてみたらレオナルドだってマリーが奪われそうになってる訳だから絶対必死に違いない――想像しただけで冷静さが戻ってくる。



 今は――逃げてる場合じゃなかった。


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