第52話 厄介な騎士が見る夢・2(※レオナルド視点)


 謝りたい事がある――マリーの言葉に頭の中に疑問符が浮かぶ。


 私がマリーに謝らなければならない事はたくさんあるが、マリーが私に謝らなければならない事に全く心当たりがない。


 ツヴェルフにされた他にも何かされてしまったのだろうか――頭の血の気が引いていく中、マリーの言葉が続いた。


「私……今まで貴方と一緒に生きていけたらいい、無理をしないで欲しいと思うばかりで、貴方の気持ちに全然向き合ってなかった。貴方が私達に自分ができる人間なんだと示してた事も、貴方が私達の為に頑張ってくれていた事も分かってたのに。貴方が無理して頑張っている姿を……それを認めたら貴方は私達の為にもっと無理をしそうで言えなかった。でも……そんな私の態度はずっとレオを傷つけていたんだ……って、アスカさんと話してて気づいた……本当に、ごめんなさい……」


 マリーの目から一筋の涙がこぼれ落ちる。確かに、マリーの態度は私が望むものではなかった。

 頑張れば頑張るほどそこまでしなくてもいいのに、という心配の感情は私の心に重く伸し掛かった。


 しかしそれはマリーが謝るような事じゃない。そう思わせてしまった私が悪い――どう言えばそれが伝わるだろうかと考えている間に言葉が続けられる。


「でもね、レオ……気づいて考えてみても、それでも私はやっぱり貴方に無理をしてほしくない。無理をする貴方を認めたくない……だって貴方は強いもの。無理をし続ければいつかきっと立派な公爵になれる日が来るわ。でも……それで貴方が早死したら? 貴方の子が物心付く前に亡くなってしまったら? 貴方は年端もいかない子を公爵にするの……?」

「それは……」


魔力回復促進薬マナポーションの複数飲みは体に大きな負担をかける。特に3本目からは命を削る……それでも2本にとどめて命を失っては元も子もない』と父上に携帯を許可された3本の魔力回復促進薬マナポーション――これまで3本飲んだ事は何度かある。


 未来よりも今――その場を乗り切る為に飲むのを躊躇ためらった事はないし、後悔もしていない。


 ――今、マリーから問いかけられるまでは。


「レオ……私は……貴方の子は貴方と一緒に育てたい。私を一人にしないで。レオが立派な公爵になれるように、私も立派な公爵夫人になれるように一緒に頑張るから……だからもう無理をしないで」

「マリーも、十分過ぎる程頑張って……」


 マリーもこの館に来てから次期公爵夫人として茶会やパーティーに出て親睦を深めたり、リビアングラスの縁の者を覚えたりイースト地方について学んだり――文句一つ言わずに一生懸命頑張るマリーに負担を課したくない。


 そんな私の言葉にマリーは首を横に振った。


「それは個人個人の頑張りよ……レオ、私、貴方と一緒に魔道具を作ってる時本当に楽しかった。この3年間、次期公爵夫人として色々覚えるのにいっぱいいっぱいになって、貴方と一緒に頑張る事の楽しさをずっと忘れてた。だから……これからは色んな事を貴方と一緒に頑張りたい。大切な事はちゃんと話し合っていきたいの……駄目?」


 ここまで言わせて――駄目だなんて言えない。言えるはずもない。

 ここまで言ってくれる人をこれ以上苦しませたら立派な人間になれるはずがない。


 夢や見栄にとらわれて、現実の視野を狭くして――大切な人に取り返しのつかない状況に追い込んでしまった私は――愚かだった。


「分かった……一緒に頑張ろう、マリー……だからこんな危険な事、もう二度と一人で決めないでくれ……!!」

「それはレオも……! 貴方が魔力回復促進薬マナポーションを複数飲みしたって聞く度私、今の貴方と同じ気持ちになるんだから……って、レオ、大丈夫……!? 何処か痛いの!? あっ、でも私もう魔力なくて魔法が使えないっ……! えっと、ハンカチ、ああっ、ハンカチ、もしかしてセレンディバイト邸に置いてきちゃった……!?」


 マリーがちょっとだけ頬をふくらませたかと思うと心配して、スカートのポケットを探りながら慌てる。

 例え髪や目から色素が色褪せても困った顔も笑顔も怒った顔も――私が愛しているマリーそのものだった。


 変わっていない。マリーは――私が誰より守りたい人は、心身共に美しいままだ。


「あ、そうだ、これ……レオに託すわ! これがあれば魔力回復促進薬マナポーション使う機会も絶対減るはずだから……!!」

「これは……」


 ハンカチの代わりに手渡されたのは手のひらに収まる位の、黒色のケース。開くと薄桃色に輝く親指大程の大きさの石が収まっている。

 開けた瞬間に放たれた輝きは、マリーが宿していた薄桃色の魔力そのものだった。


「これは……永魔石か……!? しかし、この色は……!」

「ええ、私も驚いたの。核をどうやって石にしたのかは教えてくれなかったけど、出産ノルマをこなしてツヴェルフでいる必要がなくなった時にこの石持って黒の公爵の所に行ったら、これから核を取り出してまた私に戻してくれるって言ってた。外の固まってしまった分は元に戻せないけど、中の核は活きてるから役目を終えた後に再び核を器に戻せば日常生活に困る事はないだろう……って。私が持ってるよりレオがそれを持っていた方が絶対に役に立つと思う」

「そんな……何故セレンディバイト公は、そんな事まで……!?」


 先程非常識な方法でここに侵入し、強引にアスカ様をさらおうとした悪魔とは真逆の思慮深い英雄の行いに頭が混乱する。


 一体、どちらが本当の黒の公爵なのか――戸惑う私を見つめていたマリーがクスクスと笑い出す。


「ふふ……『後でやっぱりツヴェルフになんてなるんじゃなかった!』って後悔されてアスカさんを逆恨みしてほしくないから、だって。私の意思を確認したのも絶対に私を生かすのも後でアスカさんに怒られたくないから、って……白の侯爵とギラギラ睨みあってて怖いのに、それ言う時だけお母様に叱られるのが怖い子どもみたいで笑っちゃった……!」


 マリーの発言に尚更混乱する中更に言葉が続けられる。


「セレンディバイト公もダンビュライト侯も不思議な人だったけど……これ以上アスカさんに負の感情が向けられるのは嫌だって気持ちは物凄く感じた。本当にアスカさんの事が大好きなんだなぁ……って、そうだ、アスカさんにお礼言わないと……! って……あれ? そう言えば……私なんでこんな所でレオに抱えられてるの?」

「……ああ、それは……」


 今のこの状況を説明したらマリーはどう思うのだろうか? ああ、いや、それを言ったらそれで激高して魔力回復促進薬マナポーションを飲んだ事まで話さなければならない。


 先程のやりとりは中庭全体に響いている。いつかマリーがそれを知る日が来るのは諦めなけれならない。だが――それを今自分で伝えるのは流石に恥ずかしい。


 それに、先程から遠くで『誤解です、嘘です、待ってください、アスカさん――』『お前ら、邪魔をするな……!!』とセレンディバイト公の嘆願に近い叫びと苛立ちの声が聞こえてくる。

 威圧する声こそ凄まじいが魔力の動きから騎士達を傷つけている様子はない。


(この状況、塔の屋上で戦闘が始まる前の微妙なやりとりを思い出すな……)


 思えばあの時も、セレンディバイト公は被害を出さない事にこだわっていた。

 ロットワイラーでも殺めたのは王一人――今思い返せば全て責任感の強いアスカ様に対する配慮なのだろう。


(侵入罪は侵入罪……父上の留守を預かる者として見過ごせない罪とはいえ、アスカ様の為にここまでしたあの方が肝心のアスカ様に嫌われるのは流石に不憫だな……)


 愛する者が奪われる苦しみ――それを思い知らされた今、あの方の気持ちも多少理解できる。

 何よりあの方はマリーの気持ちを汲んで、私とマリーの夢を叶えてくれたのだ。英雄の本性に気づいて幻滅している場合ではない。


 起き上がるマリーを支えて自分も立ち上がり、ロザリンドの部屋を見上げる。心配そうにこちらを見ていたロザリンドがフイッと顔を背けて部屋に入っていった。


 幼い頃は兄様兄様と私を敬い慕ってくれた異母妹は社交の場に出る度に私を敬う態度を取らなくなり、魔導学院に入る頃にはすっかり会話が減った。


 私の器が小さいばかりに周囲からあれこれ言われているからだろう、すっかり幻滅されたものだと内心寂しく思っていたが、その辺りの認識も改めた方が良いのかもしれない。


 マリーとも、ロザリンドとも、父上とも――傷つくのも傷つけるのも嫌でただただ一人、いつか家族が誇れるような人間になりたいと夢を見ていた。


 そしてそうなれると言ってくれた人が、私の未来を繋いでくれた人が理不尽に辛い目に合うのを何としてでも助けたくて。


 そんな私にマリーは『もう夢を見ないで、自分の限界を受け入れて』とは言わず『一緒に頑張りたい』と言ってくれた。

 言葉だけじゃない。自分の核で作られた永魔石まで私に託して一緒に夢を見ようとしてくれている。


 優しい薄桃色の光を放つ石からはマリーの暖かさを感じる。


 これを持っている限り私はもう無理はできない。

 無理して意識を失った後これが欠けてしまうような事があればマリーが元に戻れなくなる。

 物理的にマリーの未来を持った状態では絶対に――無理できない。


 父上にも思いの丈を伝えよう。今の私に出来る事がないか思いのままに話そう。

 無理をせずに、それでも、夢が叶う道をマリーと一緒に、探そう。



 ただ、その前に。



 ――この館の騎士達にこれ以上人の恋路を邪魔しないように言わなければ。



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