第79話 価値観を歪めて
部屋に入るとテーブルの上の小盆に白いお煎餅が目についたので、1枚摘みつつもう1枚クラウスに差し出す。
「クラウス、これ美味しいのよ」
「……ありがとう」
クラウスはそれを素直に受け取って包装を破り一口齧る。ちょっと驚いたような顔をした後、嬉しそうに微笑む。
「……うん、サクッとしたと思ったらフワッと溶けて……甘じょっぱくて美味しい」
「でしょ?」
私が感じた味をそのまま表現したかのような感想に渡してよかったと思う。
ダンビュライト邸にいた時は少食であまり食に関心がないように見えたクラウスだけど、私と一緒に暮らすようになってからはかなり興味が出てきたようで、私が作ったご飯やオススメのお弁当も綺麗に食べてくれた。
白いもの全般が好きって訳じゃなくて味も重要みたいだけど、それでもご飯にうどん、豆腐、はんぺん、ラムネにバニラアイス――好きな物への反応が可愛らしいのと分かりやすいのが面白いのと喜んでもらえるのが嬉しいのとで、ついつい色々勧めてしまう。
「……飛鳥さん、何故私には勧めてくれないのですか?」
「え、だって白いもの勧められてもダグラスさん困るでしょう?」
背後から声をかけられ反射的に振り向きながら返した言葉にダグラスさんは押し黙る。どうやら図星らしい。
ル・ティベルでダグラスさんと食事をした時は気づかなかったけど、今思い返してみればセレンディバイト邸で出されるパンはライ麦パンのように茶色かったし食事内容にあまり白い物は出てこなかったし――
(あれ?でも……私が食べさせたかき氷――紫色のシロップかかってたけど、半分位白かったよね?)
氷だから明確に言えば透明だけど、氷の欠片が集まった状態は見事に白いし、今思い返してみればダグラスさんは最初かき氷に全く興味を持っていなかった。
今更気づいた事実に何とも言えない罪悪感が押し寄せてくる。
「あの……かき氷、無理矢理食べさせる真似してしまってすみません」
「いいえ! あれはとても刺激的で美味しかったです……! これも飛鳥さんが美味しいと言うなら1枚頂きます」
そう言ってちょっと躊躇する手で摘んで包装を剥がし、煎餅から視線をそらして食べる姿が面白い。
「……どうですか?」
「……食べられなくはない、です」
そう言って眉を顰めつつ、不味いという事もなく口を付けた物を最後まで食べきる姿が可愛いと思う。
あの時のかき氷、恥ずかしくてダグラスさんの方を見ずに食べさせたけど、どんな顔で食べてたんだろう――今更ながら気になってきた。
「……あ、そうだ。クラウス、ダグラスさんへのお土産出してもらっていい?」
クラウスが無言でパチンと指を鳴らすと、テーブルの上に瓶やら箱やら缶やらが出現した。
「クラウスが白い物が好きなのが多いから、ダグラスさんは黒いの買っていけばどれか当たるかなと思って……えっと、そっちの箱は黒豆と海苔の佃煮、こっちは珈琲と黒いクッキーで……」
「……私の為に、こんなに選んでくれたんですか?」
ダグラスさんが1つ1つ凝視しながら手に取った物を説明していくと、ダグラスさんは片手に収まる黒豆の瓶以外を亜空間に収納する。
そして黒豆の瓶を嬉しそうに見つめている。
(……他の皆にもお土産買った事、今は言わないでおこう……)
マリーやルクレツィア達――女性陣へのお土産はダグラスさんあんまり気にしないだろうけど、ヴィクトール卿に買った青色のハーブティーはどうだろう? クラウスから渡すようにした方が――そうだ、クラウスからって事にすればオジサマのクラウスに対する印象も少しは良くなるかもしれない。
当のクラウスは瓶片手に惚けるダグラスさんを冷めた目で見ている。
クラウスは地球にいた時に色々食べたし、お土産羨ましいっていう感情は無さそうだけど――なんで2人とも座らないんだろう?
(あ、もしかしてこの状況って……私が座らないと2人共座らないやつ……?)
どうしよう――何処に座ろう?
ソファは3人がけ。真ん中に座ったら両脇に座られそう。想像しただけでも圧が凄い。
それならソファの隅っこに座れば。どっちかは諦めて簡易ベッドとかに腰掛けて――
「飛鳥」
クラウスの声に顔をあげるとクラウスが私に真っ白な石が嵌まった指輪を差し出してきた。
「……これ、飛鳥に返すね」
塔に行く前にクラウスがくれた、お揃いの白の指輪――ルクレツィアに渡したきりだった指輪には真っ白な石が嵌まっている。
これを今、返されたという事は、クラウスは――指輪から視線をあげるとクラウスが眉を下げて困ったように微笑んでいる。
「……身につけてほしいって言ってる訳じゃない。無理強いは、したくないから……だけどそれは僕がアスカにあげた物だから……捨てるならアスカ自身の手で、捨ててほしい」
寂しそうな声を紡ぎ出すクラウスに、すぐに言葉を返す事が出来なかった。
これが決別の意思、だとしたらこのまま捨ててあげるのが今後のクラウスにとっていいのかもしれない。
深く傷付ける事になってしまうけど、それでクラウスに次の可能性が開けるなら――
(……なんて、クラウスの気持ちを踏みつけて自分の都合の良いように解釈したくない)
もうクラウスを傷付ける事で、意思を抑えつけさせる事で自分の幸せを選び取るような真似はしたくない。
「クラウス……私が貴方に抱いている感情は貴方が望んでるような物じゃない……でも、そんな風に言われて捨てられるような感情でもないのよ」
真っ直ぐにクラウスを見つめる。クラウスは小さく口を開いて潤んだ瞳で私をじっと見つめ返してくる。薄灰の瞳は最初会った時より少し薄くなっている。
「……私、ル・ティベルで色んな人間関係を見てきた。ツヴェルフの重婚も子作りだけの関係だったり、愛情の関係だったり……中には信頼関係や親愛関係によるものもあった……だから……」
だから――その後に続く言葉の傲慢さに声が詰まる。
「……飛鳥は一夫一妻がいいんじゃなかったの?」
言葉が詰まっても私の言いたい事を察したんだろう。クラウスが冷めた声で問いかけてくる。
「そうよ……でも、貴方がくれたこの指輪を捨てる位なら、貴方と同じ指に嵌めたいと思ってる……幻滅した?」
どんな結婚であれ、ツヴェルフと結婚するという事は子作りも意味する。
私と同じように一夫一妻思考のクラウスがこんな事を言い出す私を軽蔑して嫌うなら、それはもう仕方がない事――と思いながら問いかけ返した私に、クラウスは大きく首を横に振る。
「幻滅なんてしてない……! けど、困ったな……アスカにフラれたらどう言って強がろうかって事ばっかり考えてて、僕に決断を託されるなんて思ってなかったから……なんて答えたら良いのか……」
苦笑いして髪をかきあげるクラウスの表情からは動揺が見て取れる。酷な事を言っていると思う。
貴方を男としては愛せないけど大切だから結婚してもいい、だなんて凄く、傲慢な言い方。
「……クラウスは私が男女の愛じゃない感情でこの指輪をはめていいの? 友情だったり、親愛だったり……罪悪感だったり。本当にそんな感情で結婚してもいいの?」
迷いがグルグルと心を巡る中で素直な気持ちを告げるとクラウスはまっすぐに私を見つめる。
「……指輪、返してくれる?」
その言葉にズキン、と胸が痛む。そうよね、やっぱりそう都合良くはいかないわよね。こういうのはお互いの気持ちが大事なんだから。
どちらも失いたくないあまりに価値観を歪めた私にクラウスが引くのは全くおかしい事じゃない。
ただ――クラウスに軽蔑されるのは結構、辛い。自業自得だから仕方ないけど。
差し出されたクラウスの左手に指輪を乗せる。そしてそのまま手をひこうとした時、右手でその手を掴まれた。
そして私の右手の中指に――白の指輪が再び嵌められる。
「い……いいの?」
「いいよ。どういう感情であれアスカが僕を失いたくない、僕の傍にいたいと思ってくれているなら、ずっと僕と同じ指に指輪をしてほしい」
そのまま手の甲に口づけされる。微かに伝わる温かな白の魔力と顔を上げたクラウスの安心したような微笑みにホッとする。
「……クラウス、罪悪感なんて言葉出しちゃったけど私、これを負の感情だけで身に着けてる訳じゃないから」
この一ヶ月間、クラウスと過ごした日々は楽しかった。
普段の会話も遊ぶ会話も何気ないやり取りも――この優しくて穏やかな声はもう私の中ですっかりクラウスの声になっている。
「……うん。分かってる。飛鳥が僕の事を嫌ってないんだって事も大切に思ってくれてる事も、この一ヶ月間過ごしてて凄く感じた。飛鳥が僕に抱いている感情はたとえ男女の関係じゃなくても凄く暖かくて心地いい物だから。それに――」
「それに……?」
「……いいや、何でもない。だけど……そっちはこれでいいの?」
いつからそうしていだんだろう、背を向けてずっと沈黙を保っていたダグラスさんがクラウスの声に反応して振り返る。
「問題ない……飛鳥さんが心から惹かれ、愛しているのは私だからな。それに私が飛鳥さんを召喚したのは本来私とお前の子を産んで貰う為だ。お前にも結婚するように言っていた私に、何を言う資格もない」
ダグラスさんの顔が若干ひきつっていて、黒豆の瓶を持つ手も震えている。
だけどそれでも、私の意思を尊重してくれるダグラスさん、あり――
「……例え飛鳥さんがこの先複数の男に恋愛感情を抱く
ダグラスさんの痛烈な嫌味に私の中のありがとうという感謝の気持が音を立てて引いていき、代わりにピシッと心に小さなヒビが入る音を感じた。
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