第63話 とあるメイドの願い事・2(※セリア視点)
アクアオーラ侯に部屋の前まで送って頂いた後、アスカ様とヒューイ様達の会話を見守っているとダグラス様が戻って来られました。
ヒューイ様達が退室した後、お二人が海鮮丼を食される姿を見守りながらアスカ様が私を意識しないよう目立たぬ場所に移動した後、息を潜めて気配を隠します。
主君と伴侶の甘い一時を崩すなんて、空気の読めない二流メイドがする事ですから。
しかし、アスカ様とダグラス様の二人の切なくも甘酸っぱいやりとり――この二人のあれこれを見守り続けた者として、非常に感慨深いものがございます。
近づいたかと思えば大喧嘩して酷い事になっていた二節前が懐かしくすら思います。
願わくばこのまま平穏に――いえ、このお二方がずっと仲睦まじく、はもう諦めております。
贅沢は申しません。程々に衝突して、仲直りして、を繰り返して頂ければ――と思っている間にダグラス様が席を外し、アスカ様から念話が送られてきました。
『セリア……ル・リヴィネの民の子も人や物に触れると記憶と思念を読み取る力があるって事、今思い出したんだけど、もう「今日大丈夫」って言っちゃったし、どうしよう……!?』
そう言えば――ル・リヴィネの民は手に触れた物の記憶や思念を読み取る能力があるのでしたね。
それがダグラス様にも引き継がれている、となると確かに厄介ですがこの状況を切り抜ける簡単な方法があります。
羞恥心も吹っ飛んで悩み慌てるアスカ様に私、率直に申し上げました。
『大丈夫です、アスカ様。契る際「手袋外してほしくない」と駄々を捏ねればいいのです』
『……そんな事言ったら、また怒らせない?』
『大丈夫です。絶対にダグラス様は折れます』
だって、その程度の事でずっと待ちに待った契りを交わす事ができるのですから。
自信満々で言い切った私をアスカ様は半信半疑の顔で見据えます。
『……いいですか、アスカ様? ダグラス様はアスカ様が大好きなんです。昨日のスイーツも今日の海鮮丼も、アスカ様が喜ぶ顔を見たいから買ってきているのです』
『それは……うん……』
『アスカ様の我儘を認め、武術や魔法を教えるのはアスカ様の怒る顔や嫌がる顔を見たくないからです。ダグラス様はアスカ様が大好きだからです』
『……うん……』
『ダグラス様は常にアスカ様に温かく、熱い眼差しを向けています。それはもう誰が見てもアスカ様の事が大好きなんだなって事が分かる位、アスカ様の事が大好きなんです。ですので手袋をつけたままの情事も、血の涙を流して了承……』
『分かった、分かったから……!』
確固たる自信を持って進言すると、アスカ様はクッションに顔を埋めてしまいました。
そして、翌朝――
「おはようロイ。昨夜は特に変化ありませんでしたか?」
寝室の前で寝そべるロイに声をかけてみましたが、ヘッヘッと舌を出してお座りするだけで返答はありません。
それでも私を見る目がちょっと目を輝いてる辺り、少しは私の事を認めてくれたのでしょう。
ここ数日、お散歩を頑張った甲斐があった――と思いながらドアをノックしてみましたが、何の応答もありません。
アスカ様は一回のノックでは起きない事も珍しくありませんが、ダグラス様の反応がないのは気にかかります。
「……失礼します」
そっとドアを開くと、ペイシュヴァルツが見上げてきました。
私を一瞥した後、背を向けてトコトコとベッドの方に歩いていくのをロイと一緒に付いていきます。
「……あら、まあ」
ベッドの上には健やかに寝ておられるアスカ様――とそれを何とも言えない目で見つめるダグラス様がいらっしゃいます。
お二人の体こそ黒の布団にくるまれて見えませんが、ダグラス様の目は薄っすらクマが出来ていて、一睡もできていない事が伺えます。
『ダグラス様……失敗は誰にでもある事です。これから先は長いのですから、そう落ち込まれず』
『失敗などしていない……入ってくるなり失礼な事を言うな』
アスカ様を起こさないように念話で励ますと、不機嫌な声が返ってきます。
『では何故、そのような複雑な表情を……?』
『……契った後、すぐに寝入ってしまった飛鳥さんを前に……本能と理性と感情が闘っていたのだ』
アスカ様――あの誘い方で、仮眠も取っているのに早々の寝落ちは――っていけませんね、本来アスカ様の味方であるべき私が、ちょっとだけダグラス様に同情してしまいました。
『……闘わせずとも、ベッドは広いのですし離れて寝ればよろしかったのでは?』
『飛鳥さんに抱き締められていて動くに動けん。動いたら起こしてしまう……』
乙女でしょうか?
『お前も察しているだろうが、黒の魔力は負の感情を増幅させる……私は飛鳥さんに不安、恐怖、絶望を流し込んでいるようなものだ。だが……飛鳥さんは私の魔力を心地いいと……凄く落ち着くと言って……私の傍でこんな安らかな寝顔を浮かべてくれる飛鳥さんの寝顔を歪めたくなかったのだ』
確かに、アスカ様の寝顔は落ち着いて、安心しているような――安心しすぎて少々気が抜けてるお顔ではございますが。
そんなアスカ様をとても愛おしげに見つめるダグラス様――きっとアスカ様の安眠を損なわぬよう、自分の中で荒ぶる欲や感情を数時間必死に抑え込んで耐えたのでしょう――それは間違いなく愛と呼べるものでしょう。
ただ、先程のダグラス様の表情はそんな尊い愛だけで構成されているものとはとても思えませんでした。
今にもアスカ様も抱き潰してしまいそうな程淀み狂った欲や執着――とても愛とは呼べない感情も、間違いなくそこにある。
この方がいずれ魔人と化し、世界を崩壊させる――そう言われても否定できない程の悍ましい物が。
(……それでも、ダグラス様は少しずつ変わられている)
信じたい気持ちもありつつ、不安もありつつ――アスカ様がこれからもっともっとダグラス様を良い方向に変えてくれるような気もしつつ。
私に出来る事は、アスカ様の意志に従って寄り添うだけ。
クローゼットに入れてあるシンプルなネグリジェを取り出した後、ベッドに手をかけて布団ごしにアスカ様の肩を揺すります。
ダグラス様が眉を顰めましたが、自分が起こすよりはいいと判断したのでしょう。私を止めようとはしませんでした。
「アスカ様、朝です。起きてください」
「う……ううん……」
私の声にアスカ様がもぞもぞと動き出し――固まります。
当然です。契った翌朝に殿方の顔を前にメイドの声を聞いている訳ですから。
きっと頭の中は羞恥心で一杯で、声を上げる事もこちらを振り向く事もできないのでしょう。
「今、浴室の準備をしてまいります。こちらに衣服を置いておきますので」
ごゆっくりと、と気を利かせるとアスカ様は逆にせわしなく動くタイプですので余計な事を言わず静かに一礼した後、ロイを残して寝室を後にします。
「だ、ダ、ダグラスさん……あ、朝まで起きられなくて、ごめんなさい……」
微かにアスカ様の恥じらう声が聞こえた後、浴室に向かいます。
途中のリビングにたっぷりと差し込む、柔らかな陽差しは初々しいカップルを盛大に祝福しているように見えて自然と口角が上がる中、目に入ったのは卓上のカレンダー。
青色に染められた紙が次に控えている紫に変わるまで、後10日――
紫の節に入れば、アスカ様はクラウス様の元で過ごされる――アスカ様の決められたこの往復結婚生活がどのような結果をもたらすかを考えると、自然と口角が下がってしまいます。
(……それでも、アスカ様を止めようとは思わない辺り、私もすっかり変わってしまいましたね)
でも、けして嫌な気持ちではありません。胃がシクシクと痛んでも、怪しい男を利用してでも。アスカ様を見守り、お支えしたい。
(ですが、いざ危険が迫れば私に出来る事など微々たるもの……)
今はただ、一節離れ離れになっている間にダグラス様が暴走しないよう、この10日間でお二人の仲がより強固なものになる事を願うばかりです。
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