第62話 とあるメイドの願い事・1(※セリア視点)


 陽が最も高く上がりかけた晴天の下、白い砂浜を歩きながらアクアオーラ侯は私の方を振り返り、柔らかい微笑みを向けてきます。


「……貴方とこうして海岸を歩くのが夢だったんです。本当はアクアオーラの海岸が良かったんですが」


 中性的な美貌から作り出される子どものような微笑みはきっと、老若男女問わず多くの人の心を溶かすようなものなのでしょう。


「その服、本当によく似合ってます……何度見ても飽きない」


 今私が纏う水色のワンピースドレスやネックレス、ブレスレットはホテルを出る前に『メイド服でデートはおかしいですから』と頂いたものです。


 私達ではどうにもできなかっただろう案件を引き受け、解決して頂いたのですから着せ替え人形になるのは耐え凌ぎましたが――部屋に並べられた様々な水色や青色、瑠璃色を基調にした服やドレス、装飾品を前に胃がジクジクと痛みました。


 その後、移動しやすいよう足元が露出したドレスに身を包み、アクアオーラ侯のエスコートの元、ホテルを出た訳ですが――そこからここに来るまでにすれ違う人々の視線もまた胃に刺さりました。


 そんな私の内心など微塵も気づかない様子のアクアオーラ侯だけが、喜びに満ち溢れた笑顔を浮かべているのも今、大分私の癪に障っています。


 交際は受け入れましたが私がいつ嫁ぐと決まった訳でもないのに、このように浮かれて――しかも仮にも侯爵という立場の者が他領で護衛一人付けずにデートとは――この方の頭は本当に大丈夫なのでしょうか?


「……アクアオーラ侯は私のどういう所が好きなのですか?」


 お父様とお母様から譲り受けた私の容姿は『美人』の部類に入っている自覚はあります。

 その上で自己鍛錬を重ねて体を絞り、態度も老若男女に良い印象を持たれるように心がけておりますので、皇城に勤めていた数年の間に殿方から『麗人』と称され口説かれた事も一度や二度ではありません。



 ですが――ここまでこの方に執拗に想われる理由が分からないのです。




 アクアオーラ侯に時戻りの事を聞きに行く前――ヒューイ様にアスカ様の手紙をお渡しした時、ついでに水色の少年がくれたイヤリングを鑑定していただきました。


 ノーブルビーチホテルの装飾品店に並んでいた他の真珠のイヤリングは銀貨3枚と中々高価なものでしたから、どうしてもあの少年が拾ったり、自分で購入した物とは思えなかったのです。


 アクアオーラ侯があの少年を使って、変な呪いでも込めているのではないか――そんな思いから差し出したイヤリングを受け取ったヒューイ様からは予想外の答えが返って来ました。


「……そういやあいつ、君にご執心なんだってな。ご丁寧にイヤリング一つ一つに微量の魔力で祝福が込められてる」

「……その魔力の持ち主に関心を持つように、という祝福でしょうか?」

「それは祝福って言うより呪いだ。これは身に付けた者が危険を感じた時に防御壁がかけられる……二個分だから二重の防御壁がな。祝福自体は昔からあるもんだが……それを刻印も入れずに普通の魔道士にも気づかれないレベルで仕込んでるあたり、腐ってても侯爵って事なんだろうな」


 苦笑しながら返された瑠璃色の真珠のイヤリングには、確かに傷一つ入っていません。

 私の魔力探知でも感知できない程の微量な魔力で構成された、分かりづらい祝福に

何とも言い難い気持ちを覚えつつ。


 禍々しい呪いではなく純粋に私を守る祝福を込めたのであれば、少なくとも私に敵対する事はしないはず――とその足でアクアオーラ侯の元に行き、魂に干渉する術などの事を聞いたのです。


 そして昨夜、シャニカ嬢が逃走したという緊急事態を前に、咄嗟にこの方を利用しましたが――予想通り、私の願い通りに動いてくれました。


 そして今、この衣服や装飾品の贈り物、私を見る目や態度の全てに込められた好意――ただ私が『理想の女性だったから』というだけで侯爵という責任ある立場にある殿方がここまでしてみせる理由が全く分からず。


 私の何処が好きなのか、という問いかけにアクアオーラ侯は少し考えた後、


「見た目と、その目の色と……冷静沈着で清純温厚を装ってる割に、内心は結構あくどい所かな?」

「嫌味でしょうか?」

「本心ですよ?」


 率直な悪口に笑顔で辛辣な言葉を返してみれば、無邪気な笑顔で言い返してきます。


「……内心結構あくどい私をどうなさるおつもりですか?」

「添い遂げるつもりですよ?」


 はぁ、と肩の力を抜いて息をつくと、先を歩いていた彼がこちらに近づいてきます。

 そして、差し出されたのは――金の刺繍が施された水色のリボン。


「……アクアオーラ侯。私はアスカ様に仕えています。お約束どおり、結婚を前提に交際致しますが、いつ結婚するかは……」

「世界崩壊の危機を乗り越えてからでいいですよ」

「え」


 ダグラス様がいつ、何をきっかけに暴走するのか分かりません。

 来節かも知れないし、来年、数年後かも知れない――そんな状況なのにアクアオーラ侯は表情一つ変えずに言葉を続けます。


「セレンディバイト公がどう暴走するのか分からない間はアスカ様からは目が離せないでしょうし。貴方がやりたい事を全て成し遂げた後で、僕の所に来てくれればいい」

「30……下手すれば40を越えた私と結婚するおつもりで?」

「その後僕と一生一緒にいるって約束してくれるなら、僕は貴方がいくつになっても待ち続けますよ」


 ますますこの方の気持ちが分からなくなってきました。

 全てが私に都合が良い方向に動いている状況に違和感しか無く、心の奥底で何かがザワザワ蠢きます。


(アクアオーラ侯が何を企んでいるのか全く分かりません……ですが、この方が私に抱く感情は好意なのは間違いない……私の害にならず、アスカ様の力になるのであれば……)


 私、アスカ様の身の回りのお世話は一人で完璧にこなす自信がありますが、護衛――戦闘能力に関してはアスカ様を取り巻く、桁外れな力を持つ殿方達に遠く及ばず。


 世界崩壊の危機を前に私の力など、水滴一つにも満たない程微々たるもの。

 ですが、この方の力を借りればきっとアスカ様のお役に立てる事も多いはず――


 殿方の力を借りるような真似はあまりしたくなかったのですけれど――自分に好意を持つ男を利用する事で主君アスカ様を支える事が出来る。

 引いてはそれがアスカ様の専属メイドである私の功績に繋がる――と割り切る事も大切です。

 裕福な貴族の愛人などに成り下がるのとは訳が違うのですから。


(……と、頭ではちゃんと理解できているのですけれど)


 何故でしょう? 何故か(そこまでしなくてもいいのに――)と思う気持ちが心の奥底で疼くのです。


 何というか、幼い子どもに世話を焼かれているような、不甲斐なさや惨めさ、申し訳無さがこみ上げるとまではいかなくとも、小さく渦巻く負の感情――不思議な気持ちです。


 そんな不思議な気持ちに戸惑い、言葉を返せずにいると、アクアオーラ侯が頬を掻きながら言葉を続けます。


「でも……何年もデートできないのは寂しいので、たまにアクアオーラに遊びに来てください。アクアオーラには海鮮丼以外にもアスカ様が好きそうな食べ物がありますから。オハギとか、ウドンとか」

「……一応、アスカ様にお伝えしておきます」


 そう言いながら水色の婚約リボンを受け取ると、アクアオーラ侯は嬉しそうに笑顔を浮かべました。

 

(……この方は、一体誰なのでしょう?)


 少なくともシアン卿ではありません。

 かつてのシアン卿の噂や、皇城でお見かけした時の本人の振る舞いと今眼の前にいるアクアオーラ侯は見目こそ同じですが、他の面が違いすぎます。


 そう――違うと分かっていながら利用し、これからも利用しようとしている私はいつか手痛い目にあうかも知れません。


(ですが……手痛い目にあう事を恐れていては、栄光なんて掴めません)


 主であり、命の恩人であり、私を栄光へと導いてくれるアスカ様が危険の中をひた走っている今、私もこの程度の危険で怖気づいてはいられません。


 私はアスカ様と違って内心結構あくどい人間ですので、人の好意もとことん利用させて頂きます。


 ――この方と向かい合う度に、心と胃が何故かシクシクと傷もうとも。


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