第87話 白の再生・2(※クラウス視点)
「ラインヴァイス!! 潜れ!!」
すぐ様防御壁を張り、水飛沫が上がった先めがけて力の限り叫ぶと、ラインヴァイスがスピードを緩めずにそのまま海に飛び込む。
飛び込んだ衝撃で生じた泡が視界を遮る。海の中は陸と違って魔力の動きが独特で、いくら防御壁で海水を阻めると言えど、深くは潜れない。
幸い僕が見つけるより早くラインヴァイスがアスカを見つけ、口にくわえて再び空に浮上した。
ラインヴァイスの顔を覗き込んでクチバシに挟まっているアスカを浮かび上がらせて抱える。
完全に意識を失っているアスカの顔は真っ青で、足と、背中から胸を貫く矢に僕の血の気も引いていく。
全身冷たい海に晒されたその体の冷たさも、そこから感じる血の生温い感触も。今のアスカの全てが酷く痛々しい。
でも――生きてる。生きてるんだ。だから、どうにでもできる。
「……大丈夫、大丈夫だからね、アスカ……」
呼びかけながら、自分に言い聞かせながら――まず背中から矢を引き抜いて即座に
(何でこんな痛い目にあったんだろう? 何でアスカがこんな目に合わなきゃいけないんだろう……!?)
込み上がってくる感情を抑えながら、傷が塞いだ所で足に刺さる矢も引き抜いて治療する。
その際、同じ足にある枝か何かに引き裂かれたのか、いびつに切れた傷口をおざなりに塞いだような傷痕も全部丁寧に治療していく。
(アスカの器……両方共、違う色の魔力が入ってる……?)
2つの器に入っている緑と、濃いめの赤紫――どちらも白にも黒にも近くない。アスカに何があった? 何で、僕の色じゃない色が注がれている?
『クラウス、赤、追って来なくなった。我、ちょっと休みたい』
様々な思考がよぎる頭の中にラインヴァイスの声が響く。そうだ、ここからどうするかも考えないといけない。
何とかアスカの一命は取り留めたけど大分体力を消耗してるし、横になれる場所で休ませてあげたい。
それにラインヴァイスも皇城からずっと飛びっ放しだ。だけど――
「……悪いけど、ロットワイラーには色神の存在が分かる魔道具があるって言ってたから……休むなら皇国に戻るか、別の国に行かないと……」
『分かった。ロットワイラー、皇国よりずっと小さい。真っ直ぐ突き抜ければまた別の国ある。あそこ、この国より安全。我、もうちょっと頑張る』
思いの外物分りの良い鳥に疑問を抱く。
「ラインヴァイス……他国に行った事あるの?」
『ロットワイラーと戦争起きてない時、我、宿主乗せて他国の偉い人治療しに行った事ある。あの頃と変わってなければロットワイラーとの国境近くに街ある。そこの近くに降りる……着いたらアスカの記憶、消す?』
質問に対する返答が来た後返ってきた質問に声を詰まらせる。
ラインヴァイスが飛行に集中している今、ここで飛鳥の記憶を消すのは難しい。
この国を出て別国の宿に入って――アスカを寝かせてから記憶を消す。答えはもうそれしかないのに、素直に吐き出せない。
「……僕の事、情けない奴だと思ってるだろ?」
『思ってる。でも、我それでお前の事嫌いになったりしない。お前の短気さ、しつこさ、弱さ、ピンク思考、我、凄く恥ずかしい。けど、嫌いじゃない』
それ――嫌いだって言われた方がずっとマシなんだけど。
「……そこまで言って何で嫌いじゃないの?」
『……お前、我可愛がってくれたクラレンスの息子。そして我が宿ってきた中で一番可哀想な子』
平然と応えるその言葉が心に刺さる。
『それにリアルガー家の奴がよく言う。馬鹿な子ほど可愛い。我、お前といて何となくそれ分かってきた』
ラインヴァイスの言葉に1つため息を付いた後、再びアスカに向き合う。傷は完全に塞いだけど、濡れた衣服の胸元が真っ赤に染まっていて痛々しい。
(宿に入るなら服は綺麗にしておかないと……)
今のこの血に塗れた服じゃ怪しまれてしまう。冷たい海水を大量に吸った服にずっと触れているのも良くない。
飛んでいる間に洗浄、浄化、乾燥を済ませてそっとアスカを抱き寄せる。
意識がある時はこんなに近くにいさせてくれない――意識のあるアスカに傍にいられないのなら、せめて意識がないアスカの傍にいたい。
(また何かあった時の為に自分の身を守る為の魔力もあげないと……)
意識がある時に注ごうとすれば拒まれるのも分かっているから、躊躇する気持ちもない。アスカを抱き締めて深く口付ける。
今アスカが目覚めてもいい。もう僕は、自分の気持ちを偽らない。
アスカの中の赤紫の魔力が白と混ざっていくのを感じる。量が満たされていないせいか、こちらの方にその魔力は流れてこない。
注がれる先の器とは違う方にある翠緑の魔力も気に掛かる。
この色には覚えがある。アイドクレースの緑――あのアスカにちょっかいをかけていた伊達男や何を考えているのかよく分からない緑の公爵と同じ色――嫌な予感しかしない。
アスカの器の1つが白色と濃い赤紫が混ざって薄桃色の魔力で満たされる。緑色の方も黒が混ざって翠緑じゃなくなった。
それを狙った訳じゃないけど、これでもし皇国に連れ戻された時に『緑の色だから』とあの家に引き取られる事は無い。
青の空間から脱出できた事もそうだけど、まさか自分の中の黒の魔力に感謝する日が来るとは思わなかった。
だけど、この魔力を宿したアスカをどうする? 白に近いこの色のアスカも悪くはないけど――やっぱりアスカには僕と同じ白を宿して欲しい。
でも再び僕の色をアスカに注ぐには子を産ませて器を綺麗にするしかない。
(子ども、欲しくない訳じゃないけど……でも、それでアスカが子どもの方ばかり構うのもなぁ……それに白じゃなくても、もっと白に近い子が生まれて欲しい……
『この非常時にピンク思考駄目! 時、場所、状況、弁える! 我、本当恥ずかしい!』
やっぱりうるさい鳥の言葉を無視して数時間後――国境を越えて街の近くに降り立ち、やや不機嫌なラインヴァイスは僕の器の中に収まった。
念の為に変化の術で僕とアスカの髪の色を明るい茶色に変える。元々僕の顔はあまり知られていないし、国を挟んだ異国ならツヴェルフの装飾品の情報も知られていないはずだから、この程度の変化と魔力隠しで十分なはずだ。
まだアスカは目を覚まさない。体が疲れ切っているのか、酷い目にあって心が起きる事を拒んでいるのか――顔色こそ良くなったけど、目を覚ます兆候すら見られない。
街は国境付近という事もあってかそれ程大きくはなかったけれど、国を渡る旅人達の休憩所になっているようで宿屋がいくつも見える。
薄暗い空の下、行き交う旅人達や街の民の中でアスカを抱き抱える僕の姿は目立つようで、逃げるように一番最初に目についた2階建ての宿に入った。
通貨の違いを心配したけど旅人が多そうな場所だからか、僕がアスカを抱えているからか、すんなり受け取ってもらえた。
階段を上がり、案内された部屋の大きめのベッドにそっとアスカを寝かせる。コートを脱いで椅子にかけた後、眠るアスカの横に立つ。
『消すのか?』
ラインヴァイスが問いかけてくる。さっきも思ったけど、問いかけてくる割には乗り気じゃない事が伺える。消さないと言ったらホッとしそうだ。
でも――もうこれしか僕がアスカの傍にいられる方法がない。
「あ……でも、何で器の魔力の色が変わってるのか気になる。消す前に雪崩が起きた後の記憶を読みたい」
『分かった』
アスカの体が白い光に包まれて、僕の頭の中に映像が流れ込んでくる――
雪崩に巻き込まれた後、アスカは変な二人組の男に変な建物の中に連れて行かれて――蹴られたり変な器具を当てられたり、人が死んでいく光景を見たり、変な機械にかけられてペイシュヴァルツと引き剥がされて、アイドクレース家の男に口づけされて、部屋で泣いて――
矢で射たれて海に落ちただけでも悲痛な出来事なのに、それを上回る程の仕打ちに言葉を失う。
自分がそんな目にあった訳じゃないのに、アスカの記憶はまるで自分がそれを体験したかのような気持ちにさせられる。
それでも、何であんな状況になったのかまで見ないといけない。
アスカが、緑の男を挑発して魔力を溜めて……って、本当にアスカはもう……それ失敗してたら絶対犯されてるし、本当に……アイツを助ける薬を持ってあの建物を抜け出して――
(いいなぁ……アスカにそんな風に想われて……そんな非常時ですら、アスカはあいつの事を想うんだ……)
僕だって、僕の事だって少しでも考えてくれたなら、こんな事――
首を横に振って、改めてアスカに向き合う。
(どこから消そうか……辛い記憶は全部消してしまった方が良いよね。もう皇国に戻らない事を考えたら、雪崩が起きてからの記憶は全部いらない……)
雪崩に巻き込まれて数日間眠ったきりだったと言えばいい。けど魔力の色が変わっているのはどう説明する?
(雪崩に飲まれて野盗に襲われて抗った末に、それで記憶喪失にって事にするか……いや、それだと僕が知ってるのはおかしいな……何でだろうねって誤魔化すしか……)
『クラウス、アスカの記憶の中……荒らされた痕ある』
突然ラインヴァイスから紡がれた言葉が僕の思考を遮った。
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