第88話 白の再生・3(※クラウス視点)


 荒らされた痕、という言葉の意味を測りかねている間にラインヴァイスが続ける。


『ずっと過去の記憶、9、10年位前? 何箇所か封印されて読めない所ある。そこ黒の魔力で剥がされかけた形跡ある』

『あいつがアスカの隠された記憶を覗こうとしたって事……?』


 僕の問いかけにラインヴァイスはちょっと沈黙した後、呟くように応える。


『否。塔に行く前、アスカの記憶を消した時荒らされた形跡なかった。ただ黒の魔力、苦痛や苦悩を好む。多分アスカの中に入った黒の魔力、何かをきっかけにこの部分に気づいてこじ開けようとした。だから封印、解けかけてる』


 どうしようもない人間が宿すどうしようもなく厄介な魔力にため息しか出ない。


『……その封印された記憶って見れないの?』

『我の力使えば見れる。でも人間、記憶封印するのは心がそれに耐えられない時。これ解いたらアスカ思い出す。思い出したら精神壊れる可能性ある。封印したまま消す手もある』


 精神が壊れる――ゾッとする言葉に少し抵抗を覚えるものの、封印が解けかけているのなら、このまま放っておいたら何かの拍子に思い出す可能性もある。

 黒の魔力に無理矢理こじ開けられようとしてる物なら尚更放置できない。消せるなら消した方がいいだろうけど――


『……アスカがどういう理由で蓋をしているのか気になる。見ずに消して後で何かあるのも面倒だし……どんな記憶なのか把握したい』


 黒の魔力が食いつくのは、それだけ辛い記憶だからだと分かっていても――人の記憶を見もしないで消すのは流石に憚られた。


『一理ある。ただ、さっきも言ったけど封印されてるのはそれなりの理由がある。覚悟しろ』



 ラインヴァイスの警告の後、アスカの体が再び白い光に包まれて、さっき見た記憶とは全く別の記憶――地球の映像が流れ込んできた。




 晴れた青空の下――まず目に入ってきたのは黒い服をまとい黒い筒を持った黒髪の少年少女達。


(……何で皆同じ黒い服を着てるんだろ? 気持ち悪いな……あ、そうだ、翻訳魔法使わないと……)


 耳に入ってくる理解できない言語や文字に対して、アスカと一緒に地球に行くと決めた時に覚えた翻訳魔法を発動させる。

 フリルフラワーのような花で飾られた看板がここが学校で黒い服はこの学校の制服なのだと教えてくれる。その日が卒業式なのだという事も。


「学校が別れても一緒に遊ぼうね」「新しい学校で何しようかな」――なんて、僕には縁のなかった前向きな言葉が聞こえてくる。


 黒い少年少女達に混ざって大人もポツポツ混ざり始める。その人達がこの子ども達の親だとすぐに分かった。どうもこの世界の女の人の正装はドレスではないようだ。


 そして親達は手の平から少しはみ出る位の小さな板を持って――どうやら写真を撮ったり撮りあったりしているようだ。


 小さな板、たまに視界を過る馬車より早く移動する金属の塊、石を敷き詰めた物とは違う固く濃灰の地面――視界に見える範囲でも文明の差を感じる中、こちらの方にも夫婦らしき男女が笑顔で近づいてくる。


「飛鳥、卒業おめでとう」


 男性の方は少し大柄で穏やかな印象を、女性はしっかりしてそうな印象を受ける。少し目元と雰囲気がアスカと似ている。ああ、この2人がアスカの両親か。


(確か、もう2人とも亡くなってるんだっけ……)


 雑談とこちらに向けられる優しい笑顔から仲の良い親子である事が伺えて、尚更寂しさが過る。


 丁度式典が終わった所だったらしく、何人かの友達らしき子達と言葉をかわした後、人の流れに乗って大きな建物の門を出る。


「約束通り、飛鳥の好きな所で何か食べて帰ろう」「何処が良いか決めた?」優しい笑顔で笑う父親と母親――「私、大きなパフェ食べたい!」と明るく答えるアスカも笑顔なんだろうと感じていたその時、大きな赤色の金属の塊が凄いスピードでこちらに向かってきた。


 予期せぬものが近づいて身を交わそうとしたものの、それより早くそれにぶつかってアスカのお父さんが弾き飛ばされた。


 金属の塊の中には若い女性が乗ってる――って事は、あれは地球の乗り物? と思った瞬間、視点がアスカのお父さんの方に移動する。


 頭を硬い地面にぶつけて血が流れて動かないでいる。それに近寄って――父親が明らかに死んでいるのが分かる顔を見て気を失ったのだろう、映像が途絶えた。


(……ああ、これは確かに封印するよね)


 大の大人ですら親の死んだ瞬間を見てしまえばその記憶を封印したくもなるだろう。まして11、12歳の幼い子だ。忘れようとするのは至極当然な反応だろう。


『……次の記憶封印解く』


 ラインヴァイスの無機質な声が響いた後、また新しい映像が浮かび上がる。


 狭い空間、今手に持っているのは地球の魔道具だろうか? 手の平より少し大きめの光る板の上、指に呼応するように地球の文字が滑っていく。



 交通事故――男性即死――酒気帯び運転――スマホに気を取られて――



<飲酒運転とかマジ最悪><この女に同情の余地なし><奥さんと娘さんが可哀相><金払って授業受けて心身に目立った異常がなければ誰でも免許取れるけど、運転しちゃいけない人間って確実に存在するよね><車社会も考えもの>――


 その他、言葉にするのも憚られるような過激で辛辣な言葉が延々と飛び交う光の板の映像と共に、啜り泣く声が聞こえる。

 理解できない言葉もあるけれど、これがあの事故のこと――金属の乗り物にのった女性への批判である事は何となく分かった。


 当事者がいない場所でこういう辛辣な文言が飛び交うのは有り得る話だろう。ただ、これはアスカの記憶だ。アスカはこれを見て何を思っているんだろう?


 しばらくして光の板を片付けて――どうやらトイレにいたようだ。

 そこから出ると大勢の人間がまた黒い服を着ている、今度は大人も子ども関係なくそこにいる皆がシャツ以外黒一色。物凄く異様な空間だ。


(さっきの学校もそうだけれど……何で地球ってなんでこんなに黒に塗れてるんだろ?)


 疑問に思う中、「申し訳ございません!!」と大きな謝罪の声が響きそちらの方に視点が動く。


 この建物の入口だろうか? アスカのお母さんに対して土下座している人達がいる。

 あの金属の乗り物――どうやら車というらしいけど、それに乗った女性と、恐らくその女性の親だろう年老いた男女。


(こっちの世界でも地べたに頭擦り付けるのが最大限の謝罪なのか……って、アスカ?)


 歩くスピードが増して一気に彼らの元へ行ったアスカから今まで聞いた事ない位の怒りに満ちた声が吐き出された。



「あんたが……あんたが死ねば良かったのに!!」



 女性に向けて放たれた怒りに満ちたアスカの声は僕を止めた時の声よりずっと怖くて、ずっと冷たい。

 それを向けられた20歳前後の女性は土下座したまま、頭を抱えて泣き出した。女性の親らしき人は動かない。


「やめなさい、飛鳥!」


 アスカのお母さんが諌めるも、アスカの声は止まらない。


「何で!? 皆ネットで『死ねばいいのに』って言ってるじゃない!! 何で私は言っちゃいけないの!? 他の皆は好き勝手言ってるのに、何で私は」

「やめなさい!!」


 アスカのお母さんの厳しい怒声でアスカが押し黙る。お母さんはそのまま膝をついて土下座している人達に小さく頭を下げた。


「すみません……娘も私も突然の事で混乱しています。貴方方らの謝罪の意志を汲み取れる程の余裕も今はありません……どうか、お引き取りください」


 頭を下げたアスカのお母さんの震える声に促されるように、女性達は去っていった。

 母親の肩に縋る女性の後姿が痛々しい――と思った瞬間、アスカのお母さんの方に視線が移動する。

 

「飛鳥……納得できない気持ちは分かるけど、こんな所で叫ばないで。恥ずかしい……!!」


 悲しい表情から微かに感じる軽蔑の視線と信じられない言葉がこぼれ落ちた所で、また映像が途絶えた。



『……クラウス、次の封印、開けても大丈夫か?』

「ま、まだあるの……?」

『後1つある。次で最後』

「……わかった」


 重い過去に頭がクラクラしてくる。色々整理したい気持ちもあるけど、それでもあと一つだけなら見てしまった方がいいだろう。



 次の映像は民家――だろうか? こじんまりとした部屋はスッキリしつつも所々に置かれた可愛らしい人形や小物で女の子の部屋だなと分かる。アスカの部屋だろう。


 プルルル、と何とも形容し難い音に反応して部屋を出ると音が途絶えて、代わりにとても暗い声が聞こえてくる。


「……自殺?」


 アスカのお母さんの声色が変わった。音石の通信機能のような物を使って会話しているのだろうか? 暗い声がだんだん怒りを帯びていく。


「は……!? 娘のせいだと仰っしゃるんですか!? ふざけないでください!! 先に夫を殺したのはそちらの方じゃないですか!! 貴方方の娘が飲酒した挙げ句によそ見運転してあの人を跳ね飛ばして物理的に殺したのと幼い娘の一言を同列に扱わないで!!」


 卒業式の時にアスカに呼びかけた優しい声とは全く違う、半ば取り乱してると言っても過言じゃない位に荒々しい言葉が痛々しい。


「……はぁ!? 知りませんよそんなの!! そちらはまだ生きてるんですよね!? こっちは死んでるんですよ!? それなのによくこんな電話かけてこられますね!? いい加減に……あっ!!」


 驚いた声の後、何か硬い物が叩きつけられるような激しい音が響いた。しばしその場に固まった末に、ゆっくり階段を降りていく。


「お、お母さん……今の……」


 震える声で呟くアスカの声に振り向くお母さんの表情は怒りに溢れている。


「……忘れなさい」

「でも」

「あんな人達の事は忘れなさい!! 生きてようが死んでようがもう二度と関わりたくない!! もう二度とこの話をしないで!! 分かった!?」


 今にも悪魔に変化しそうな形相で、アスカを威圧する。


「ご……ごめんなさい……」


 今にも泣き出しそうなアスカの声すら気に入らないのか、お母さんが頭をかき乱す。


「ああ、もう、お父さんが死んでこれからは2人で生きていかなきゃいけないんだから、迷惑かけないで!! 貴方ももう中学生になるんだからしっかりしなさい!! 本当に、もう……貴方が余計な事言ったから……!! ネットに書き捨てるのと本人に面と向かって言うのは違うのよ!! 学校で何学んでるの!?」


 テーブルに拳を打ち付けるその勢いに怯えたようにアスカが自分の部屋に戻っていく。

 途中にある姿見を前にアスカが立ち止まる。映るアスカの姿は今よりずっと幼くて、そのまぶたは真っ赤に腫れ上がっていた。

 まだ涙が溢れ出そうな目は今まで見てきたどんなアスカより悲しそうな顔をしていた。


 そんなアスカを抱きしめにいきたい衝動に駆られる中、映像が途絶える。


『……これで封印していた記憶、全部』


 冷静なラインヴァイスの声が無性に苛立つ。


「ねぇ……何これ……? 何でアスカが傷つけられなきゃいけなかったの? アスカが見てた光の板の文字、多分あの女も見てるよね? 周囲の悪意に晒されて弱っている所にたまたまアスカの言葉がトドメになっただけじゃないか……それでアスカが全部悪い事になるの? 遺族の言葉を受け止める覚悟がなかったなら、あんな場所に来なきゃ良かったじゃないか。来させなきゃ良かったじゃないか……!!」

『我、分からない。ただ、人は自分の意志に関わらず動かなければならない時がある。皆、運が悪かった』


「運が悪いなんて言葉で済ませていい状況とは思えないよ……!! 受け止めるべき言葉を受け止められなくさせた人達は裁かれずにアスカだけがその女の自殺を受け止めなきゃいけないの? 父親を殺された子どもが何で父親を殺した女の命を背負わなきゃいけないの……!? 何でそれを、母親が庇わないの!?」

『クラウス、落ち着け』


 言葉が止まらない。止められない。アスカが何も言えなかった分僕が吐き出したい。

 間違ってる。どうして、こんな状況でアスカだけが責められなきゃいけないのか。


「アスカは何も悪くない!! こんな……自分の記憶封印してまでアスカが追い詰められなきゃいけない理由は何処にもない!!」


 そこまで言い切った所でラインヴァイスからプスゥ、と耳に障るため息が聞こえる。


『……全部、消すか?』

「当たり前だよ!! こんな悲しい記憶全部消してしまった方がいい……!! 消せばアスカも少しは楽になれる……こんな記憶の影に怯えなくて済む!!」

『……分かった。我もアスカが苦しむの、嫌……クラウスが消せと言うなら消す』


 了承の言葉ではあるものの、乗り気じゃない声が凄く気に入らない。

 こんな記憶、絶対に消した方が良いのに。自分自身を追い詰めてしまうような記憶なんてアスカには必要ないのに。


 これから僕にとって都合が悪い記憶を消すんだから、アスカにとって都合が悪い記憶も消してあげなきゃ。


(嫌な事は全部消して、2人で、幸せに……)


 幸せを願いながら額に触れようと伸ばした手が――掴まれる。


「やめて……!!」


 ハッキリとした拒絶の声。ずっと聞きたかったアスカの、もう聞きたくない拒絶の声。


 目を閉じていたはずのアスカの潤んだ目が、真っ直ぐに僕を見据えていた。


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