第122話 黒と白の因縁・4


 馬車に着いたら怒ろうか、屋敷に着いたら怒ろうか――歯を食いしばりながらそんな事を考えて館から出ると、私を宥めるかのように温く柔らかな風が吹く。


 どんよりと曇った空を見上げ、改めて視界を平行に戻すと黒馬車の傍にエレンが立っているのが見えた。

 目が合った――と思うと同時にヨーゼフさんが私より前に出て、そのまま馬車の元に向かう。


「何をしておいでてすかな?」


 馬車まで後5、6メートル程か、という所でヨーゼフさんが問いかけるとエレンは目を細め肩を竦めた。


「随分な言い方だな。放置された馬が暴れないように見ててやったのにお礼もなしか」

「……ありがとう」


 面倒臭いので素直にお礼を言う。癪だけどまた何かヨーゼフさんが変な事を言い出すよりマシだ。


「……やけに素直だな? それも同情を誘う手段か? しおらしくなって男の印象を良くする事を覚えたか?」


 素直に従ってみてもこう言われるのなら、もう何を言っても嫌われるのだろう。


「今のアスカ様をそういう目でしか見れないのなら、貴方の目は相当淀んでいますな。そんなにあの小僧……未熟な主に婚約破棄を切り出された事が悔しいのですか?」


 ヨーゼフさんもまた変な事を、って――婚約破棄?


(あの小僧って……クラウスの事、よね?)


 突然の情報に驚いてエレンをまじまじと見つめると、彼女は小さく舌打ちした。


「部外者が何故それを知っている……?」

「諜報活動を生業にしておりますと新聞に載ってない些細な情報も入ってくるのですよ。アスカ様がダンビュライト家に初めて来られた際、何が起きたかも全て耳に入っております」


 全て、の内容が何処まで把握されているのか――緊迫した空気の中で、頬にポツ、と何かが当たった。雨だ。


「心配なさらずとも私もアスカ様もここには2度と足を踏み入れる事はありませんので、そこをどいて頂けますかな? 私が貴方を殺すと主に叱られてしまいますので」


 物騒な事を言い始めたヨーゼフさんがどんな表情をしているのか、こちらからは見えない。

 エレンが無言で馬車から少し離れ、ドアへの道を開ける。


「……黒の公爵自ら、私を殺すと?」


 私が馬車のドアに手をかけた所でエレンが問う。

 その表情は怯えてはいない。やれるもんならやってみろと言わんばかりの、嘲笑だった。

 そんなエレンの態度にヨーゼフさんは気を悪くした様子もなく、


「さあ……? 相手が主でなければ、その程度で済んだでしょうが……さあアスカ様、濡れる前に早くお乗りください」

「ヨーゼフさん、本当いい加減にして! 私、エレンを殺してほしいとか一言も言ってないんだけど!?」

「私は主の命令を優先します。アスカ様がご不満ならアスカ様が主に殺さないように願われればいいのですよ。今日明日中ならまだ間に合うはずです」


 私が全力で怒ってみてもヨーゼフさんには全く響いてない。本当、己の無力さを呪う。


「余計な事をするな。自分がやった事の責任は自分で取る。お前に助けられるなど死んでも御免だ」


 ああ、もうこの2人は本当に――面倒臭い!


「貴方の為じゃない! 私が、人の命が叩きつけられてる胸糞悪い人生を歩みたくないのよ!! 貴方が嫌でも貴方は私の為に助けられるの! 残念だったわね!?」


 そう言い捨てて馬車に乗り込み、勢いよくドアを閉める。

 ちょっとは効いたかな――? と思い窓の向こうを覗くと、エレンは苦虫を噛み潰したような顔で馬車の先を見ている。嫌な予感がして少し窓を開けると、


「――アスカ様を痛めつけた罪……永久の拷問に囚われる命の数が片手で収まれば良いですな?」


 ヨーゼフさんがまた恐ろしい事を言って、エレンの顔が強張っていく。


「ヨーゼフさん、いい加減にしてって何回言ったら分かるの!? あっちこっちに喧嘩売らないで!!」

「ほっほっほ……聞かれてしまいましたか。まあ全てはアスカ様次第です。それでは、館に戻りましょうか」


 ヨーゼフさんの高笑いの後、馬の嘶きが聞こえ馬車が動きだす。もう窓の向こうを見る気にもなれず、一人、座席に上半身を横にする。


 ポツ、ポツと雨が窓を打ち付ける音が次第に群れを伴い、激しくなっていく。


 泣きたい気持ちがヨーゼフさんをぶん殴ってやりたい気持ちに押されている。

 私がどれだけ怒っても動じないあのメンタルを反省させるにはヨーゼフさんの主であるダグラスさんに頼るしかない。


 他人を頼って人を戒める事に抵抗はあるけれど、あの老人にこれ以上振り回されたくない。


 ただ――ダグラスさんがヨーゼフさんに徹底的に私とクラウスを決裂させろと命令した可能性も否定できない。

 何故わざわざあの家族写真に難癖つけてまでクラウスを怒らせたんだろう? 館に帰り次第、問い詰めないと。


(……クラウス、大丈夫かしら……?)


 ソフィアとリチャードがいるから大丈夫だとは思うけど。約束は守ってくれると言っていたし。

 

 良かった、それなら――


 自分が思った事に疑問を抱く。それなら何も問題ないのだろうか?

 クラウスを傷つけてしまった事は、問題ないのだろうか?


『――僕はこれから先、他人が何と言おうとアスカに最後まで協力する――』


 そう言ってくれたのに――なんて、私自身が地球に帰るのをやめてダグラスさんと生きると思われてたら、その言葉は何の意味も持たない。

 <大嫌いな人間の婚約者>に協力する義務なんて彼にはない。


 むしろ、そこまで言ってくれた人を傷つけてしまってなお自分達の事しか考えられなかった自分に対してどうしようもない嫌悪感が襲う。

 何かもっと――もっと気の利いた事が言えたら良かったのに。


 (……どこで間違えた? ソフィアに音石を送ろうとした時から?)


 あの人が白の魔力を諦めると聞いて、焦ってしまった感はある。

 急がば回れ、急いては事を仕損じる――先に優里に会って今の状況を相談して、優里からソフィアに状況を伝えてくれるようにすれば良かった。

 それもそれで問題は起きただろうけど、少なくともこういう状況にはならなかった。


 全てが終わった後で反省してもどうにもならないのは分かっているけど。それでも、自分の軽率な行動を反省せざるを得ない。それに――


(クラウスに嫌われたままなのは……辛いなぁ……)


 何か、誤解を解く良い方法はないだろうか――? と言うか、エレンとの婚約破棄だって、そもそも婚約してる事すら知らなかった。

 ただ、若い当主に若い女騎士の側近、という組み合わせは今思えば違和感がある。


(あの二人にとって私、本当にお邪魔虫だったんじゃ……?)


 もし私に嫉妬して、痛めつけた事が原因で亀裂が入って婚約破棄に至ったんだとしたら――エレンが私を嫌ってるのにソフィアは嫌ってない事の理由になる。


(エレンもクラウスも、相手に対してそんな感情持ってるようには見えなかったけど……でもクラウスは姉みたいなもの、なんて言い方してたし、何の感情も持ってないという事はないよね)


 どんな感情を持っていたのかは推測しかできないけど、クラウスは私とエレンが対立した結果、私を選んだ。

 そして今、その私に裏切られたと思っているのは――紛れもない事実だ。

 

 エレンみたいに私に散々悪態着いてきた人間を助けて、クラウスのように色々良くしてくれた人を深く傷つけて突き放す――こんな酷い話も無い。


 クラウスが許してくれるならヨーゼフさんを止められなかった事を、黒の魔力を使った事を謝りたい。仲直りだってしたい。せめて、誤解だけでも解きたい。


(でも迂闊に行動したらこういう目に合う。焦ったら駄目……もっと慎重に考えないと……)



 その後、あれこれ考えてみても結局これだと思う案が浮かばないまま館に着く頃には頭痛も雨の勢いも大分引いていた。

 今度はヨーゼフさんの手を借りずに馬車を降りる。


「ヨーゼフさん、色々話があるんだけど……まず、クラウスへの態度! いくら怨恨残る家の人間だからって初対面のクラウスに対して酷い事言いすぎでしょ!?」


 ここではもう遠慮する事もないと思い雨も気にせずに食って掛かると、ヨーゼフさんは灰色の空を見あげて遠い目をする。


「そうですな……年を取って感情を抑えきれなくなってきたのは反省せねばなりませんな」


 釣られて空を見上げても、多少の濃淡を帯びた雲からは糸のような雨がポツポツと落ちて来るばかり。


「ああいう写真を撮ったという話を聞いた頃はまだ冷静でいられたのですが、実物を見ると駄目でしたな……あの写真を何も言わずに見過ごすにはあまりに主が哀れ過ぎた。偽りの幸せを本物と思い込んでいるあの小僧に一言物申してやりたくなった」


 小僧、という何の敬意もない言葉が彼の敵意を如実に表していた。


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