第123話 黒と白の因縁・5


「あの家族写真は皆、本当に幸せそうだったわ……私にはあれが偽りとは思えない」


 ヨーゼフさんが普段目を細めているせいもあるけど、彼の眼をこれまであまり意識した事はなかった。

 だけど今真っ直ぐに見据えられて初めて直視する事になった暗い赤の眼からは、酷く悲しげな印象を受ける。


「主がその場にいない写真で母親にあんな顔をされたら、主は、何処にいればいいのですか? 私にはあれは、先代や主がいない上で成り立つ偽りの幸せにしか思えません」


 いないものとして扱われたダグラスさんを主として持つ立場からすれば、あの写真は確かに複雑な物なのかもしれない。

 全く別の視点で紡がれた言葉は私から言葉を奪う。


「確かに、あの小僧は両親にあのように見守られて幸せの中で生きたのでしょう。だからこそ主が想いを寄せる貴方まであの小僧に奪われる訳にはいかないと思いました。せめて貴方の愛は主だけに向けられるものであってほしい」


 主君を幸せを願う言葉に心動かされる。だけどそれは先程傷つけられた傷を埋める物ではなく、この人の怨恨と私の怒りが相殺される物でもない。


「クラウスと私の間に貴方が思うような感情はなかった。だけど、別の感情が……友情があった。それまで壊さなくたって良かったじゃない……!」


 この人が自分の感情をぶつけて私を追い詰めるなら、私だって感情をぶつけてもいいはずだ。

 この人に臆したり遠慮したりする理由なんて、何処にもない。


「本当にあの小僧が抱いている感情が友情だけであれば、友人の恋愛が上手くいってる事にあそこまで激高する事はないはずです」

「クラウスはダグラスさんを心底嫌ってる。友人が大嫌いな人と仲良くしてる事を喜ぶ人間なんていない!」

「その道理は主にも適応されます。恋人が天敵と上手くいく事を喜ぶ人間などおりません」


 ああ言えばこう言う――私も相当苛立っているけど、ヨーゼフさんが私に苛立っているのも感じ取れる。


「私に白の魔力がないとマナアレルギーを起こすかもしれないのに? 白の魔力を先に溜めるように、って言ってきたのは向こうなのに!? クラウスも言ってたけど、やっぱり独り占めしたくなったからって、別の方法もあるからって手の平を返すのはあまりにも自分勝手だわ! 私とクラウスの関係に口を出す権利なんて、あの人にはない!!」


 思っていた事を強く言い切ると、ヨーゼフさんは口元に手を当てて眉を顰める。


「アスカ様……自分の行動と発言に責任を持たれたらいかがですか? 恋愛と子づくりを同一視して主にそれを求めたのは貴方ではないですか。貴方は主と恋人の関係を求め、主はそれを受け入れた……その時点で、主は貴方の男関係に口を出す権利があるのです。一夫一妻とは、そういう事です」


 真っ当な正論がグサリと心に刺さる。まさかこの世界でモラルについて説教されるとは思わなかった。


 確かに、私も将来誰かと結婚した時に夫が女性としょっちゅう会っていたらそこに愛があろうと無かろうと良い気はしない。

 『会うな』って言うし、言ってもいいのが夫婦だと思う。


 ヨーゼフさんからして見れば私は<恋人の忠告も聞かずに男友達に会いに行ってお目付け役が男友達と喧嘩したとばっちりで自分も男友達と険悪になった女>にしか見えないんだろう。


(うん、私……ヨーゼフさんやダグラスさん視点で見ると本当同情の余地が無い)


 でもここで反省したら駄目だ。そもそも会いに行った理由は自分の精神を安定させる為という大前提が――って、より酷い女になった気がする。


 まさか餌付けの説明につい恋人や夫婦の、なんて言ってしまったが故にこんな事になるなんて。

 でもあの行為って恋人や夫婦がやるものでしょ? 単なる仲直りの手段だなんて言ったら、40年後に召喚される人達に迷惑が――うん、もう、考えるのはやめて、開き直ろう。


 今大事なのは<大事な物を踏み躙られてただ引き下がる事は出来ない>その感情だけ――私がこの人を睨みつける理由は、それだけでいい。

 私も同じ理由で大事な物を踏み躙られたのだから。


「その目……私の忠告を一切聞き入れる気がなさそうですな。いやはや、主も実に頑固な人を見染めてしまいましたな……」


 私に向けたのか独り言なのか分からない呟きの後、一つ深呼吸をしてヨーゼフさんは私に一礼した。


「幸い、あのメイドは今館から出ているようですな……アスカ様、お連れしたい場所がございますので付いてきてもらえますか? 主には口止めされている事ですが、貴方は主の婚約者です……主の事情も知るべきでしょう」


 ヨーゼフさんが背を向けて歩き出した。着いていく理由はない。だけどここまで人の関係を踏みにじった理由がそこにあるのなら着いていくしかない。



 雨音が一層激しくなる中、執務室に入るとヨーゼフさんは夫婦の写真が納められた額縁の前に立った。

 そして額縁の下の真ん中辺りにはめ込まれた黒い石に手をかざすと、額縁の横の壁が一瞬にしてドアに変わった。


「ここから主の私室に続いております」


 私室って勝手に入っちゃってもいいんだろうか? しかも隠しているのに――と疑問を口にする前にドアが開かれた。



 真っ暗闇の中、床に転がる1.5リットルのペットボトル位の大きさの筒がまず目に入った。

 筒の中で3つ程、様々な色に光る球体が周囲を僅かに照らしているからだ。

 まるでスライムランプのように中の球がゆっくりと蠢く筒は、3つ位無造作に床に置かれている。

 ヨーゼフさんが強めの灯りで周囲を強く照らすと、部屋の全貌が明らかになった。


 部屋は10畳位――十分広い大きさだけど、ベッドと壁時計、クローゼットとそのスライムランプのような筒しかない簡素な部屋は『公爵の私室』と言うにはあまりに寂しく、陰湿で――そしてその角を陣取る大きなベッドで部屋の主が静かに眠っていた。


「もうすぐ11時になるのに……随分遅起きなのね」


 壁につけられた時計を見て素直な感想を述べると、ヨーゼフさんは静かに首を横に振った。


「主は12時になるまで起きません……起きられない体なのです。生まれた時から」

「それって……クラウスと真逆じゃない……!」


 無意識に呟くと、今度は小さく頷かれる。


「そう……真逆です。あの小僧の器に黒の塊が存在するように、主の器には白の塊が存在しているのです」


 ヨーゼフさんがドアのすぐ隣にある黒い石に手をかざすと、ドアが消えて無音の空間に閉じ込められた。


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