第121話 黒と白の因縁・3


 険悪な空気に場が凍りつく中、発生源である2人の会話は続く。


「そう……じゃあ質問を変えるよ。何で黒の家令がこんな所にいるの?」

「アスカ様が男を惑わさぬよう、主よりお目付け役を仰せつかりました」


 明らかにトーンが落ちたクラウスの冷たい声にもヨーゼフさんの態度は変わらない。

 私が<惑わされる側>ではなく<惑わす側>だと断言してるのが気になる。

 もう少し私に気を使った言い方ができないのかしら、この人。


「アスカ様と主はもう子づくりするだけのドライな関係ではなく、愛を交わした恋人同士ですからな」

「ヨーゼフさん、誤解する様な事言わないで!! あの人と愛なんて交わしてないから!!」


 妖しい発言に思わず叫ぶとヨーゼフさんは細い目をさらに細めて笑う。


「ほっほっほ……アスカ様の方から積極的に餌付けを持ちかけておいて、そんな言い訳は通用しませんぞ。主は『また飛鳥さんに餌付けしたい、癖になりそうだ……』と、心ここにあらずといった顔で惚けておりました。一体どのような餌付けで主を虜にさせたのか……」


 あの人が仕掛けてきた方の餌付けを思い出し、羞恥心が込みあがって顔を熱くなっていく。やばい、下手な事言うと油注がれるだけだ。


「僕に、散々アスカを押し付けるような手紙を寄越しておいて、気が変わったから独り占めするなんて随分身勝手だね……」


 クラウスの言葉が怒りまで帯び始めたけど、その矛先は未だ涼やかな表情を崩さない。


「そちらがアスカ様を手放されたからでしょう? ただでさえ黒と白は相容れぬ物……それでも主はお互いの為になればとアスカ様の共有をお認めになったのにアスカ様ではなく別の女……まして、アスカ様と役目を同じとするツヴェルフと婚約されてはアスカ様はいらないと言ってるも同然。そこまで黒もアスカ様も馬鹿にされては主が見限るのも当然」


 クラウスが怒っている事を分かっていながら、なおも煽る――いや、これは間違いなく、


(これはもう、無理矢理連れて帰らないと……!!)


 何でこの世界の人達は皆、険悪な関係の人間を煽らずにはいられないんだろう――そう思いながら立ち上がろうとした、その時。


「ねぇ……餌付けって何?」

「……はい、あーんってする奴」


 ソフィアが小声で聞いてきたので小さなジェスチャー付きで答えると、唖然とされる。


「貴方……何でそんな事しちゃったの? キスより難易度高い奴じゃない」


 無言で手袋を外すジェスチャーをしてみるけど、やはり情報不足かソフィアには伝わらない。

 誤解されるとマズい。でもヨーゼフさんも聞いている。こうなったら――


『てぶくろ はずされたから しかたなく』


 魔法教本に書いてあったテレパシーを黒の魔力で送ってみた瞬間、頭を刺すような激しい頭痛に襲われた。


(無理、これ使い続けるの、厳しい……!)


 白の魔力を<魔法>で使うと、帰った後何言われるか分からない――そう思って使った黒の魔力は照明の魔道具を使った時のように鋭い痛みを伴い、最低限の言葉しか送る事しかできなかった。


「アスカ……今、何したの?」


 痛む頭を押さえて俯いていると冷淡な声が下りてきて、見上げるとクラウスが悲しそうな表情で私を見下ろしていた。

 痛みも相まって言葉を紡げないでいると更に言葉が重ねられる。


「何で、黒の魔力なんか使ったの……?」


 クラウスの悲痛な言葉が、黒の魔力を使った事は過ちだと告げる。


「何故とは……ツヴェルフが子を成す相手と同じ色の魔力を使うのは、当たり前の事。ああ、それにしてもこの写真……セラヴィ様がこのような薄気味悪い笑顔を浮かべるようになられていたとは……恐ろしい限りですな」


 質問に答えられない私の代わりにヨーゼフさんが言ったそれは、私が言いたかった言葉とは全く違う上に更に余計な言葉まで付随されていた。

 そして――家族写真を冷めた目で見据えるヨーゼフさんからは笑みが消えている。


「母様を馬鹿にするな!」

「馬鹿になどしていません。2人の男の間で心を壊されたセラヴィ様が気の毒でならないだけです。偽りの幸せの上で何も知らずにのうのうと生きてきた貴方には理解できないかもしれませんが」


 険悪な会話が頭に響き、険悪な空気が心をさいなむ。


「出ていけ……! 二度と来るな……!」

「おや……嫌われてしまったようですな。それではアスカ様、帰りましょうか」

「その前にヨーゼフさん、クラウスに謝って!!」


 少し頭の痛みが引いてきた所で声を紡ぐ。今、頭が痛いとか言ってる状況じゃない。立ち上がってフラつく足でヨーゼフさんに相対する。


「もういい……アスカも出てって! ダグラスと餌付けなんてそんな気持ち悪い事して、よく僕の所に来ようと思ったね!? その上黒に身を固めて、黒の魔力使って……汚らわしい!!」

「クラウス、ちょっと……!」


 クラウスを止めようとするソフィアの声が僅かに聞こえたけど、更にクラウスの声が重ねられる。


「ダグラスと生きるつもりなら、もう僕の所に来なくていい!! それとも何? あいつとセックスする時にマナアレルギー起こしたくないから僕に白の魔力を求めに来た!? 僕を利用してあいつに安心して抱かれる為に!?」

「ああ……そういう思惑でしたか。それは少々余計な事をしてしまいましたな。しかし、アスカ様をフッたクラウス様が何故そこまで怒っておられるのか私には理解できませんな。アスカ様の事を悪く思っていなかったのなら、他のツヴェルフと婚約などしなければ良かったでしょうに」


 まずい、ショックを受けてる時間すらない――痛む頭を片手で抑えつつドアを開くと心配そうな顔をしたリチャードがドアを押さえてくれたので、空いた片手でヨーゼフさんの腕を引っ張る。が、小柄な体の割にピクリとも動かない。


「もうアスカ様は主だけの物です。これ以上主から何も奪わないで頂きたい」


 ソフィアに目で助けを求めるとソフィアも小さく頷いてヨーゼフさんを部屋から出すのを手伝ってくれる。

 そこでようやく小さなため息をついたヨーゼフさんが動き出す。

 とりあえず、一旦帰って、その後、音石なりなんなりでクラウスに謝って――


「……奪わないで……? よくそんな事を言えるね!? 僕から母様を……家族を奪ったのはその主じゃないか……!!」


 最後の言葉が逆鱗に触れたのか、クラウスが乾いた笑みでこちらを見据え、叫ぶ。


「ああ、もういいよ……もういい……いらないよ……ダグラスに、黒の魔力に穢されたアスカなんて……いらない!!」


 今のクラウスが冷静じゃないのはわかる。怒りに満ち溢れているのが度重なる非礼や私が相反する魔力を使ってしまったからだという事も分かる。

 酷い言葉を言われてしまう状況だと、頭で理解しているのに。


 それでもその明確な拒絶の言葉は――ここまで心に深く突き刺さるのか。


 『好きな人ができた』――だから――『アスカなんて、いらない』


 (……どうして、こんな時にそれが被るかな……!)


「……アスカ、今日はこのジジイ連れてもう帰った方がいいわ」


 悲しみの沼に入りかけた所をソフィアの声で引き戻される。そうだ、私が、いや、ここにヨーゼフさんがいる限り事態が好転する事はない。


「そう、ね。ソフィア、ごめん、私のせいで……」


 クラウスが機嫌を損ねたら、守ってもらえなくなったら、皇家だって――


「気にしないで。貴方が悪い訳じゃないわ。悪いのは……」


 ソフィアがヨーゼフさんを睨んでいるが、素知らぬ顔でかわされている。


『心配しなくていいよ……約束は守る。ソフィアもユーリも、ちゃんと地球に返す……アスカも地球に帰りたくなったらその日、自力で塔に来ればいい……!!』


 クラウスのテレパシーが、頭に響く。良かった、それなら――


『だから、もう僕に関わってこないで……アスカなんて……大嫌いだ!!』


 私があの人に言った言葉が、今度は私に突き刺さる。


 この場で私は、何を言えばいいのだろう? ありがとう? ごめんなさい? ――どちらもこの場であの人の婚約者として口に出すにはふさわしくない。



「クラウス卿……家令の非礼、本当に申し訳ありません……失礼します」



 ただ頭を下げて俯いたまま背を向けて、その場を後にする。足音も立てない黒の家令の気配だけが、それに続いた。



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