第205話 とあるメイドの内緒事(※セリア視点)


 この館に来てから、本当色々な事がありました。


 アスカ様がダグラス様を突き放したかと思いきや、一週間後には餌付けという過激な方法で仲直り。

 そこから交換日記だの記念撮影だのと初々しいカップルの姿を微笑ましく眺めていたらダグラス様が魂をイジメてるのを何とかしたい、とアスカ様から相談されるという驚きの展開。


 でも漆黒の下着の一件以来どうもぎこちなくなってしまったアスカ様に久々に頼られるのが嬉しくて。


 地球に帰る事を教えてもらえなかったのはまだまだ信頼度が足りなかったから。だからここは大きな信頼を勝ち得るチャンス――とつい奮発して銀貨5枚の魔晶石を自腹で購入したのです。


 そして危険な橋を渡り信頼を勝ち得たかと思いきや、アスカ様が大怪我をしてしまいその上銀貨5枚の魔晶石が原因でまたアスカ様の機嫌を損ねてしまったようです。


 黒の魔晶石があれば、もしダグラス様がアスカ様を何処かに監禁した時に鍵代わりに使えましたのに。まあちょっと交換日記を読むのに使わせてもらったりもしましたけど。

 でも、ほんのちょっとです。ダグラス様が変な事言ってアスカ様を困らせていないか、私の預かり知らぬ所で致そうとしていないか確認する程度の。

 

 読んだと言えば館についてからどうもアスカ様の行動に理解しかねる点があり、念の為と思ってこっそり見たノートには何やら気にかかる文言が記載されていました。


 初めて見た時は(ダグラス様任せにせず、ご自身でも地球に帰る方法を調べてるのかしら?)と良い方向に考えていましたが、どうにも胸騒ぎが収まらず……それからもアスカ様が部屋にいない時にこっそりノートを見ていました。


 魂を解放する際に全身傷ついたアスカ様が書き記した<希望が見えない>というページを見た時は流石に気が重くなりました。

 幸いあの時は私が苦言を呈する前にダグラス様がプレゼント買い込んでクラウス卿が来る事をお認めになられたから大事には至りませんでしたが。


 そしてそこからまた急接近して良い感じになったかと思いきや、今度はアスカ様を治療しに来たクラウス様がアスカ様を攫うという急展開。

 まあ一度は想いを寄せた女性があそこまで傷だらけだと保護したくなる気持ちは分からないでもありませんが、いきなりの掻っ攫いは止めて頂きたいものです。


 そのせいで、私もアスカ様も絶望に叩き落される事になったのですから。


 アスカ様が誰とも契る事無く早々に地球に帰るつもりだった事を塔への転移石を持ったダグラス様が苦しそうに呟いた時、私も流石にそれはアスカ様が悪い、って思ってしまいました。


 だから追い詰められていくアスカ様を見ているのは最初は胸がスッとしました。だって私を騙していたんですもの。私を裏切ったんですもの。


 でもね――何でもやりすぎは良くないのです。そして意地になるのも良くありません。

 一向に譲り合う気配のない2人に、段々心配になってきました。


 そもそも、アスカ様は私達に敵意を持っている訳ではないのです。

 ただ、自分の世界に帰りたかっただけ。

 そして罪人の魂すら助けようとするアスカ様が私達を騙す事に何の罪悪感も抱いてないはずがないのです。

 ダグラス様には何故それが分からないのでしょうか?


 貴方が一番アスカ様に気にかけられている存在だと言うのに。

 貴方が頑なだから、アスカ様も頑なになるしかないのに。


 これまでの離れたかと思いきやくっついたり、また離れたり――甘くじれったい2人を見ていてもどかしい気持ちでしたけど、今の険悪な雰囲気の2人を見ているよりはずっとマシだったように思います。


 最初あった爽快感など露に消えて、見守っていれば状況はただ悪化するばかりで。


 皇家に助けを求める手紙をしたためても何の反応もありません。せめて食事だけでも、とルドルフ殿に特製のジュースを作ってもらう位しか出来ませんでした。

 

 ジャンヌからの手紙で私が漆黒の下着をアスカ様に着けさせた疑惑がかかっている事を知った中、捕まるリスクを犯してでも皇城に直接行くべきかどうか迷っている内にとうとうアスカ様の両手に大火傷まで負わせてしまいました。


 殺される事覚悟でダグラス様にハッキリ物申して、その後ダグラス様もようやく気づいたのか追い詰めなくなったのは大変喜ばしい事なのですけれど――この状況はどう考えてもおかしいです。


 いえ、元々変わっているお2人ですけど。これまでも喧嘩しては急接近しちゃうバカップルっぷりを見せつけられてますから大喧嘩した後はその分超急接近しちゃってもおかしくはありませんけど。


 それでもパーティーから帰ってきてすぐに契るとか言いだすこの状況はおかしいです。


 新婚さんにあてられてしまったとしても、アスカ様の両手を焼いた翌日に契るとか言い出されると本気で頭の構造を疑わざるをえません。


 アスカ様の様子を見る限り表情は戻ってきたようですが、あまり乗り気ではなさそうですし。治癒軟膏を塗った手でも激しく強く動かせば痛みが生じるでしょう。

 シーツ一つもまともに掴めない状態で致せるはずがない。


 きっと何か、私に言えない事情があるのだと思いました。

 私はアスカ様の専属メイド。アスカ様の危機にはどんな事情があろうと対処する必要があります。


 契るという事は必ず目にする事になるであろう、あの騒動の後も洗浄して大切に保管しておいた黒パンを湯浴み後に出してみたのですが、裏切りたくないから、という理由で拒まれてしまいました。


 『素直な気持ちで愛し合いたいから』とか『想いを穢したくないから』という理由ではなく『裏切りたくないから』という言葉はつまり――表があるという事。

 これでアスカ様が何かしらの事情を抱えているのは明らかになりました。


 (こうなったら、転移石を使って皇城に飛んでアスカ様を保護してもらうしか……)


 私の嫌疑より今はとにかくアスカ様にこれ以上の不幸が降りかからない事を優先しなければ。


 だけどただ飛ばしてもあの腰抜けの皇家の事。理由がなくてはまたここに戻されてしまいます。ちゃんと、正当な理由を作らないと。


 時間がありません。この状態で私が出来る事は唯一つ――


 そう思って部屋に入っていくアスカ様を見送り、静まり返った廊下でポケットから一つの小瓶を取り出す。


 ごめんなさい、アスカ様。私、1つアスカ様に渡せなかった物があります。


 片手に容易に収まる、透明な小瓶に入った薄桃色の液体。

 これは純潔を失う際に発生する痛みを緩和し、多少の催淫効果をもたらす秘薬。


 有力貴族が正々堂々ツヴェルフに向き合うからこそ、ツヴェルフ側に負担をかけないように初夜の際に専属メイドからお渡しする物なのですが――こんな状況でお渡しする事はどうしてもできませんでした。


 小瓶をポケットに戻し祈るように佇んでどの位の時間が過ぎたでしょうか。


「痛い!!」


 アスカ様の予想通りの反応に、つい心の中で勝利のポーズを決めてしまいました。


 そうです。催淫剤や媚薬を使わずに童貞と処女の行為が初回で成功する確率は、低いのです。


 アスカ様は以前抱かれた事がない、と言っていた事がありますしダグラス様の態度を見ていれば女の扱いに慣れてないのはもう明らか。

 ここに来てから一切この館に女性の影もありませんでしたし女性経験が無いと見てまず間違いないでしょう。


「……ねが……! もうちょ………無理、裂けるッ!!」


 さあ、私に助けを求めてくださいアスカ様。一言助けてと言って頂ければ私、転移石を使って飛ぶ準備はいつでも出来ております。

 もしダグラス様が痛がるアスカ様に配慮して中断されるならそれはそれで大歓迎。


 ですがそれきり、望む言葉はおろか何の声も響いてこなくなりました。

 途中でやめたのか強引に口を塞がれたのか――アスカ様の意向には反してしまいますが僅かな助けの言葉も聞き逃してはなりません。そっとドアの前で聞き耳を立てる。


 ……飛鳥さん、もう……やだ、だって、契らなきゃ……もう、いいですから……


(……何の話をしているのでしょう? やはり、何か取引を? いえ、そんな事より『いや』とか『やだ』では駄目なのです、アスカ様。それは<よくある恥じらい>として処理されてしまいます! 『やめて』『助けて』でないと、あるいは私の名を呼んでくれないと私、この部屋に入れな……!)


 もどかしさに握る拳が震える中、強い――とても嫌な魔力を感じました。

 窓の方に視線を向けると遠くの空に金色に輝く馬が見えます。こちらの方にむかってくる一本の角を生やしたその馬にまたがるのは――


(まさか……このタイミングで!?)


 流石、黄の公爵――空気の読めない度合いはユンを遥かに越えます。

 リビアングラス家の色神、黄金の悍馬かんばのオーラに圧倒される中、僅かに魔力の動きを感じるこれは――音石?


 部屋の中の声が止まったので念の為にドアの前から離れてしばらくすると、バスローブ姿のダグラス様が姿を表したのです。


「……あの、アスカ様は……?」

「……今疲れている。休ませてやれ」


 口元を手で覆った状態で、そのままこちらに目をくれる事もなくダグラス様は去っていかれました。


 休ませてやれと言われても――助けるなら今しかありません。


「あの……アスカ様、大丈夫ですか!?」

「だ、大丈夫だから!! ちょっと今入ってこないで! 一人にして!」


 ノックして呼びかけると乱雑な叫びが返ってきました。

 何も言われなければ入れるのに、入ってこないでと言われると、入るに入れません。


 ひとまずアスカ様の事は諦め、窓から気にかかる黄金の悍馬と黄の公爵の様子を見守ると、やはり目的はここだったようで門の前に降り立つとルドルフ殿が招き入れて入ってくる姿が見えました。


 ああ、セリア・フォン・ゼクス・アウイナイト――ついにここが死に時なのでしょうか?

 今までくぐり抜けたピンチの数を思えばよくここまで生きながらえたものです。


 お父様、お母様、由緒正しい下級貴族であるアウイナイト家の名を汚すような真似をして申し訳ありません。

 公爵夫人の専属メイドになり我が家を伯爵家までに引き上げる夢を見た、向上心ある娘をどうかお許しください。


 神に祈りを捧げて、しばらくした後――黄色の魔力が離れていく事に気づきます。

 窓から見上げると、ちょうど目があってしまいました。


 相反する色といえど威厳と貫禄を感じざるをえない程高貴なオーラを漂わせる、薄黄色の長髪を一つに束ね、鋭い切れ長の黄金の眼を持つ公爵と。


 こちらに気づいたであろう公爵は顔を背け、そのまま夜空へと駆けていきました。


 私、分かってしまいました――何のために黄の公爵がここに来たのか。


「……察したか」


 時同じくして普段の服に着替えたダグラス様が戻ってきました。


「この事は……」

「報告すればお前が罪に問われる。主の意向を大切にしろ」


 それ以上の事を言うつもりもない様子で、ドアに手をかけるダグラス様を呼び止める。


「……これを、アスカ様に。契りの痛みを緩和する秘薬です」

「……こういう物があるのか」


 感心したように手渡した小瓶をマジマジと眺めるその姿――まさに未経験である事がありありと伝わります。


「私が言える事ではないのでしょうが……あまりアスカ様を手荒く扱わないでください」

「……勿論だ。褥の上の彼女はとても可愛らしく物凄く愛おしい……あの顔を傍で見ていられるだけでも、私は……」


 赤面して恍惚とした表情を浮かべたダグラス様は熱を帯びたため息を付いた後、そのまま部屋に入っていきました。


 あの状況であれだけの大声あげたアスカ様に対してそういう感想を抱けるなら、この先何があっても大丈夫そうです。



 その後――日付が変わるまで待機していましたが特に何か聞こえてくる事もなく。


(アスカ様……ダグラス様が出ている間に寝てしまったのかしら?)


 監視は0時まで。一つ欠伸をして体を伸ばし、自室に戻る。


 アスカ様に命を助けられたのは、これで3回目。


 私はいつ、アスカ様に恩返しする事ができるのでしょうか?


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