第224話 黒の献身・2(※ダグラス視点)
(……しまった。この薬の使い方を聞くのを失念していた)
てっきり飲み薬だと思ったが、改めて見るとどうも中の液体は少しとろみが付いているように見える。
しかしまたすぐドアを開けて『これはどうやって使うのか?』とメイドに聞くのは酷く抵抗がある。
(秘薬と言うからには一般には流通していないのだろうが……)
今更ながらこの手の情報に疎い自分を恥じる。知識どころか経験もない自分が、酷く情けない。
経験――これまでも試そうと思った事がない訳ではないが、どうしてもその気にはなれなかった。
諜報活動を主とする騎士団を管理する人間がこれではいけないという事は分かっていたのだが。
何故こうなってしまったのか――事の発端は間違いなく、母がいなくなってから父が死ぬまでに何度か父の部屋から半狂乱で飛び出す全裸の女の姿を見かけたからだろう。
ヨーゼフは淡々とその女達を捕まえて手当していた。金も渡していた。
10歳を過ぎる頃にはもう父の寝室から女が出てくる事の意味を理解していたがいつも半狂乱で出てくる事の意味が分からずヨーゼフに聞いたら『黒の魔力は厄介でしてな……』と、その時初めて自分の持つ魔力が相手にどの様に受けとめられるかを聞いた。
呼ばれた女は皆黒の要素が強い人間だったが、それでもここまで狂うのだと若干トラウマになってしまっている。
『もっと強い黒の要素が強い女性なら大丈夫だと思います。一度性行為がどういう物であるか体験しておいた方が宜しいかと』とヨーゼフから提案された事もあるが『自分の中の白の魔力も知られては不味い』と断った。それは丁度良い言い訳だった。
どう説得されようと突然発狂するかも知れない女性相手に関係を持とうという気にはどうしてもなれなかった。
そんな訳で人並みに性欲は有れど、それを現実の女にぶつける事に強い抵抗を抱えたままこの歳まで誰と関係を持つ事もなく現在に至る。
だから、飛鳥さんが召喚された時にはそういう意味でも期待はしていた。
白の魔力が少しでも入っていれば自分の魔力が混ざり込んでも問題ない。発狂だって安定させれば防げる。そしてマナアレルギーは常にそばに居て安定させる事で防げばいいとまで思う程に惹かれてしまった。
淫魔退治で女の裸体を見慣れてしまっているので大丈夫なのかと思った時もあったが<想い人の裸体>はそれらとは全く別物で――その辺は全く問題なかった。
改めて秘薬を見る。薄桃色の液体はただ見るだけでは飲み薬か塗り薬か分かりそうにない。
(明日、ヨーゼフかルドルフに聞いて2人も分からなければそれとなくメイドにどう使えば良いのか聞いてその後使おう。いや、その前にヒューイに会いに行って……)
そんな事を考えながらそっと服のポケットにしまい込むと――
「……ダグラスさん、何してるんですか?」
上半身を起こし胸を布団で隠した飛鳥さんが少し怪訝な表情を浮かべてこちらを見つめていた。
「あ、ああ、飛鳥さん……まだ、起きていたのですか?」
この部屋に入ってしばらく呆然と考え事をしてしまっていたのを最初から見られていたのだろうか?
恥ずかしさに内心胸が高鳴りつつ静かにベッドに移動し、腰掛ける。
「……セリアは?」
「無事です。ロベルト卿は金で追い払いました。大枚はたいたのでお金を稼ぐ為に魔物討伐に行かねばなりません。ですが飛鳥さんの魔力も安定させないといけないので一緒に行きましょう。大丈夫です。私が全力で貴方をお守りしますから何も怖くありません。飛鳥さんが望むなら近隣の観光もしていきましょう。館にいてばかりでは気が滅入るでしょうし……」
ああ、余計な言葉まで流れ出る。しかし飛鳥さんはそこには触れずにじっと俯いて肩を小さく震わせる。
「……すみません、まともに契れてないのに大金使わせて……」
かわいい……!!
「いえ、いいんです。魔物討伐していたら金など勝手に溜まっていく。それより、こちらの方こそ慣れてないせいで飛鳥さんに負担をかけてしまって……」
可愛い。ああ、どうしようもなく可愛くてもう目を合わせられない。
胸を見られたくないと布団で隠すそのポーズがもう。恥じらいの美の極み。何でバスローブを着直してないのか分からない。これは……誘っているのか? 誘っている?
「バスローブも羽織らず、そんな姿で上目遣いで……誘っているのですか? 丁度先程」
「い、いえ、それはないんですけど……」
それならバスローブ羽織り直すか寝間着位着ててくださいお願いですから。
「そ……そうですか。いえ、今日はもうやめましょうって言ったのは私ですから気にしなくて大丈夫です、言ってみただけです。そ、それでは私はこれで……」
聞いてよかった。危うく発情期の獣丸出しでメイドに秘薬の使い方を聞きに行く所だった。
自分でもわかっている。今の私は大分おかしくなっている。今日はもうさっさと立ち去って改めて指南書を読み直して明日に備えなければ。
「え……?」
「え?」
ベッドから立ち上がると同時に放たれた飛鳥さんの呟きにこちらが戸惑いの声を上げると、飛鳥さんは慌てて背を向ける。
「あ……いえ、一緒に寝る為に戻ってきてくれたのかなと思ったので……こういう状況で一人で寝るのも、何か、その……寂しいなぁ、って思ってたから……いや、でもやっぱり一人でいたいかな、どうなのかな、よく分からない……い、今のは、気にしないでください!」
慌てふためく飛鳥さんの背中が艶めかしい。触りたい。身体が飛鳥さんに触れたがっているのをグッと堪えて、確認する。
「一緒に寝てもいいんですか? お、襲ってしまうかもしれませんよ?」
「え、でもダグラスさん、今日はもうやめましょうって……」
確認せずにそのまま布団に潜り込んでしまえばよかった。
今の飛鳥さんに何もしないで一緒に寝るなんて何という拷問。
何故そこに食いつくのか、自分が苦しめられた反撃にわざと私を苦しめようとしているのか?
だとしたら恐ろしい――魔女、魔女だ、魔女がここにいる。
ああ、何故私は『今日はもうやめましょう』などと言ってしまったのだろう?
いや、飛鳥さんがあまりにも痛そうにするから。それでも無理矢理頑張ろうとするから。無理させたくなくて咄嗟に言ってしまった。
これまでの私であれば唆られただろう苦痛の表情が、耐える声が、全てが痛々しく感じて。
やめましょうと言って行為を中断した事を後悔している訳ではない。
しかし目の前の美味しい果実に手を一切出さずに、でも離れる事も許されない拷問を前に硬直してしまう。
(……ここで離れてしまうと<襲うつもりだったけど断られたので一緒にいる意味がないと離れた、身体目的の男>と誤解されてしまう……!!)
残るも地獄、去るも地獄――
硬直してしまった身体を何とか動かしてジャケットを脱いだ後、無言で布団の中に入り、飛鳥さんに背を向ける。
「ダグラスさん……?」
今私の顔は酷く歪んでいるだろう。我慢している情けない表情を見られたくない。安心感、安心感。何もしない安心感を飛鳥さんに与えなければ。目いっぱいの力を込めて目を瞑る。
しばしの沈黙の末、背中に硬い何かが当たる。これは多分、頭だ。
「あ、あの……ダグラスさんが戻ってきてくれて嬉しかったです……私、凄い叫んじゃったし、は、恥ずかしかったし、呆れられたかなって思ってたから……」
何故そんな儚く可愛らしい声を出すのか。
「い、いえ、こちらも好き勝手してしまったので、飛鳥さんがあまり気持ちよくなかったのではないかと……」
耐えろ、耐えろ。想像するな。何も想像するな。
この儚い声を、どんな顔で紡いでいるのかなんて想像するな。
「別に……何か色んな所触ってくるダグラスさんすごく嬉しそうだったし、くすぐったいし、すごく恥ずかしかったけどダグラスさんが喜んでるならそれでいいかなって……あ、あんまり嫌じゃなかった、し……」
ああ、可愛い、恥ずかしい、愛おしい、消えたい、抱きたい、逃げたい、鳴かせたい、黙らせたい、一つになりたい、身体を重ねたい――
「……で、でも飛鳥さん歯食いしばって耐えてましたよね?」
そうだ、勘違いするな。飛鳥さんは義務で抱かれたのだ。これもその義務感からの演技かも知れない。
「だ、だって、セリアに声聞かれたら恥ずかしいし……結局痛くて叫んじゃいましたけど……でもダグラスさん、無理矢理してこなくて嬉しかったです。私が知ってる漫画とかだと男の人皆強引に行くし、女の人も痛がってる割に感じてるし……でも私全然ダメで、痛いばかりで……ダグラスさんがもういいって止めてくれて、ホッとして……ごめんなさい……」
鼻を啜る音が聞こえる。まさか、泣いているのだろうか?
「そ、それは、飛鳥さんのせいだけではないので、気にしないでください……これから、これから少しずつ慣れていけばいいんです……私も、貴方も。これから3年間、一緒にいる訳ですし全然焦らなくていいんです。むしろ、貴方を急かして傷付けてしまった私の方こそ謝らなければ……」
指南書や秘薬に頼るばかりでは駄目だ、今度経験者の話も聞いてみよう。ヒューイが落としてきた女性の中には未経験の女性もいるはずだ。奴が落とした女性はしばらくヒューイに熱を上げるから、奴はそれなりに――
「……ダグラスさんって、優しいですよね」
不安が抜けた、穏やかな声が聞こえる。
それは極力優しく接するように努めてきたから。
でもそれ以上に貴方を傷付けてきた。苦しめてきた。肉体的にも精神的にも。だから、優しいだなんて言わないでください。
「……ダグラスさんを膝枕した時も思ったんですけど、ダグラスさんに触れてるとたまに落ち着く時があるんですよね。黒の魔力も、さっきは何かいつもと違う感じで落ち着いた感じだったし……」
ああ、貴方の甘い言葉を私の謝罪で遮りたくない。
今はただこの頭の感触と、貴方の言葉に酔っていたい。
「……本当、何でだろ……今のダグラスさん、凄く落ち着く」
私もです。今の飛鳥さんが、物凄く心地良い。
「ダグラスさん……」
貴方が私を呼ぶ声が、私の心を癒やしてくれる。私の欲求を満たしてくれる。
「……好き……」
消え入りそうな声が聞こえてくる。
……
…………好き?
今、確かにそう聞こえた。『好き』だと。
「わ、わた、私も好きです、大好きです、愛しています……!」
黙っていられず咄嗟に振り返って飛鳥さんに思いの丈をぶつけると、彼女はふわっと可愛らしい笑顔を浮かべて、飛鳥さんは頭を私の胸に添えると何も言わずにそのまま目を閉じてしまった。
愛しい……!!
抱きたい、そっとしておきたい、一つになりたい、この顔をずっと眺めていたい――色んな思いが頭を巡る。
そのどれもがけして強い衝動ではなく、ふわりと温かな物に包まれている。
分からない。今私がいるのは、天国だろうか、地獄だろうか?
ただ、今私の掌には散々私の掌を突き刺して煩く鳴き喚いていた鳥が丸まって、静かに幸せそうに私の掌で眠っている。それは間違いない。この傷だらけの小鳥を、起こしたくない。
小生意気な姿も、反抗的な眼差しも、時折気に障る言葉も、最終的にこの笑顔に変わると思うと満たされていく。心が、不思議な温かさと高揚感で満たされていく。
恥ずかしがる飛鳥さんも良かった。声を上げそうになってる飛鳥さんも良かった。
1つになった時の飛鳥さんを想像するだけで、欲望が急激に満たされていく。
苦痛ではなく快楽を与えた時の飛鳥さんを思うと、これまでの気に入らなかった態度全て愛おしく思える気がする。いや、それはもはや確信に近い。
絶対に飛鳥さんは私の全ての欲求を満たしてくれる。
誰のどんな悲鳴も慟哭もきっと飛鳥さんが私を求める声には叶わない。
ああ、今、好きと言ってくれたのだから。
まだやり直せるはずだ。まだ私達は、愛しあえるはずだ。
もう無理だ。もう、何が起きようと元の関係には戻れない。
飛鳥さんを困らせたくなくて咄嗟に元の関係に戻る事を了承してしまったが、3年後に地球に帰すことを約束してしまったが。
この人のこんな可愛らしく美しく儚い姿を見せられて帰せるはずがない。
3年だけなんて嫌だ。3年後にもう一度飛鳥さんを引き止め――いや、ル・ターシュの転送の時期に合わせて私の子を孕ませればいい。
そうするだけで、飛鳥さんは3年後も帰る道を絶たれる。
(……今強引に犯して受胎魔法で孕ませれば、明日も……)
暗い誘いが頭に響く。胎内に子種を注げていたならそれも出来ただろうが今無理矢理それをすればもう私の傍で安心して眠ってくれる事はなくなるだろう。
耐えよう、耐えるんだ。この昂りは飛鳥さんの心と身体の準備ができた時に受け入れてもらえばいい。
飛鳥さんの気持ちがまだ、まだ私にある事が知れたのだから。
どんなつもりで好きと言ったのかわからない。ただ、その一言だけで私はこんなに安らぎを得られたのだ。だから無理させてはいけない。
少しずつ、少しずつすすめていけば――きっと今この心に降りている幸せ以上の幸せを、飛鳥さんがもたらしてくれる。
明日秘薬の使い方をメイドに確認して、もう一度性交に関する指南書をちゃんと読み直して、ヒューイにも聞いて、飛鳥さんに負担をかけないやり方で――
ああ、衣服が邪魔だ――もっと、もっと飛鳥さんに触れていたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます