第78話 黒の公爵・3(※ダグラス視点)


 暗闇の中、淡い光の中に座り込んで両手で顔を抑えて啜り泣く飛鳥がいる。


 何に対して泣いているのだろう? 傷つけてくる周りに対してか、力のない自分に対してか、自分のせいで死傷する民に対してか、それとも――私に対してか。


 笑っていてほしいのに傷つけてしまう。そして私が何も手を出せなくなったら今度は周囲が好き勝手に飛鳥を傷つける。


 きっと隣国の件が解決してアレから飛鳥を取り戻しても、すぐに飛鳥と一緒に居られる訳ではない。

 飛鳥がこの世界に残っている事が世に知られれば裁判にかけられるのは間違いない。


 もう感情に振り回されてはいけない。私は私の理性を保って、衝動を抑えて彼女に接しないとお互いまた傷つけあってしまう。お互いそんな事望んでない事も分かっているはずなのに。


 本当はすぐにでも助け出して、安全な場所で休ませてやりたいのに。今の私にはそれが許されない。それが酷く苦しい。


「飛鳥……」

 

 啜り泣く飛鳥に恐る恐る呼びかけて手を差し出すと、ハッと顔をあげられる。

 真っ赤になった頬も腫れぼったく潤んだ目も今までどの位泣いていたのだろうと思う程痛々しい。


 そんな痛々しい飛鳥にしばし不思議そうに見つめられた末に、彼女の手がそっと私の手に触れる。


 人の手にしてはやけにフカフカした手触りに違和感を覚えると目の前の飛鳥が霞のように消えて――暗闇も晴れた先、私が差し出した右手にはペイシュヴァルツの黒い前足が乗っていた。


 怪訝な目をしているペイシュヴァルツから目をそらすと視界の上半分には澄み渡る青空が、下半分には微妙に色合いの違う朱色の屋根が広がる。自分が今寄りかかっているのは煙突のようだ。


(……今の飛鳥が私の手を取ってくれるはずなど、ないか……)


 先程までの飛鳥の幻は、夢が作り出したもの――虚しさを覚えながらそのままペイシュヴァルツの前足を握り、擦る。


 ペイシュヴァルツの前足の触り心地も嫌いではないが、握るなら飛鳥の手の方が良いと思っている内に前足が引き抜かれた。

 やはり微妙な目を――憐れみの目を向けられている。


「……言いたい事があるなら言え。今更お前がどれだけ喋った所で引きはしない」

『……余は死体を蹴る趣味はない』


 死体――今の私はそんな風に言われる程落ち込んでいるように見えるのだろうか?


 ペイシュヴァルツに何か言われずとも、私自身が私を責め立てているのも確かだ。準備万端の状態で飛鳥を迎えに行ったとしても果たして飛鳥は私を許してくれるだろうか?


 飛鳥と会って謝るのは決めているが、そこから先が分からない。許されなかったらその後はどうすればいい?

 仮に許されたとしても、また諍いが起きる度に私と飛鳥の間に亀裂が入る。私と飛鳥の仲を邪魔しようとする者も多い。


 そして飛鳥は邪魔をしようとする彼らを庇うだろう。私はその時冷静でいられるだろうか?


 飛鳥と過ごしたこれまでを振り返りながら、一つ――この猫に言っておかなければならない事を思い出す。


「……ペイシュヴァルツ、お前は今後一切飛鳥への接触を禁じる。飛鳥から撫でられたり移動で背に乗せる分には仕方ないが、お前から接触を図ってはいけない。具体的には舐めたり体を擦り付けたり……夜な夜な飛鳥の寝室に入ってベッドを共にするなどもってのほかだぞ」


 私の叱咤にペイシュヴァルツは一瞬目を細めたかと思うとフスゥ、と鼻でため息をつく。まるで私に呆れているような仕草が気に入らない。


(……そろそろ動くか)


 少し体調も良くなってきた所で立ち上がる。ローゾフィア領からはあまり魔物討伐の依頼が来ないから訪れる機会も少ないが、それでもこの朱づくめの瓦屋根や土塗りの壁の町並みはノイ・クレーブスに間違いない。


 ここの領は大きな山脈とそこから流れる河を境に大草原と森林部分に分かれている。北部の豪雪山やそこから連なる山脈も含めて未開拓な部分も多い自然の土地だ。 

 開拓されている大草原も他の領に比べて町や村への道も整備されておらず、遊牧民として領地を転々とする一族も多い。


 基本的には森林部分に潜む魔物も大草原に住まう人も互いのテリトリーを深く侵食する事なく、人は最低限の魔物を狩り動物や魔獣を育てて共存する。


 ローゾフィアの民が魔獣と共存するという異質な伝統を生かしたまま存在を許されるのはその広大な大草原の3分の1が皇国最大の穀倉地帯だからという面も大きい。


 比較的温厚な魔物や魔獣との共存もローゾフィアの民が伝統を守れるのも全てはこの地の大魔道具――この地に生きる者全てに最大限の恵みを与えてくれる肥沃な大地を作り出す大魔道具――豊穣の大地フェタレリィグランドがあるからこそとも言える。


 大魔道具をよその領地の人間に悪用されないよう他領の人間との関わりはローゾフィア家とそれに連なる民や商人のみに限られており、民が<よそ者>を拒み嫌う傾向が何処より強いのがローゾフィアに住む民の特徴である。

 私に魔物討伐の依頼が滅多に来ない理由はそれも関係している。


 そしてここに住まう民達は外交も統治も一手に担う族長に心酔し、ハーレムをつくる。男は長を尊敬し、女は長を慕う。

 それ故、ここの民族達を統括する歴代のローゾフィアの長は心身共にとても強靭である事が求められる、が――


 そこまで考えた所でこれから会わなけれならない人間を想像し、一つため息をつく。


(屋根の色を見る限り、ここがローゾフィア邸のようだな。あの老害――超人侯と話すのは憂鬱だが……)


 足元の――現ローゾフィア侯の魔力と同じ色の屋根を確認した後、近くの人目がない場所に降り立ち、ペイシュヴァルツがかけた魔力隠し《マナハイド》と透明化トランスパレントを解く。


 そして館の入り口を目指し、館を囲む胸元位の高さの石壁にそって歩き出した所で早速、魔獣――ローゾフィアの民が相棒とする大きな狼グロースハウンド達に囲まれる。


『ペイシュヴァルツ』


 けたたましく吠え立ててくる大狼達の咆哮に対しペイシュヴァルツが一喝すると、大狼達が怯む。

 この場から逃げ出さないのはそれだけしっかり調教されているからだろう。そして調教主らしき魔獣使い達が駆けつけてくる。


「突然の来訪、失礼する。私はダグラス・ディル・ツヴァイ・セレンディバイト……見ての通り漆黒の大猫ペイシュヴァルツを従える者だ。火急の問題が生じた為、至急ラボン卿にお目通り願いたい」


 ここの民が何処まで貴族について知っているのか分からないが『色神を宿す者』として名乗ったのが功を奏したのか、魔獣使いの一人がこちらに背を向けて館の中に走っていく。


 道案内もしないのは学もない民だから仕方がない。残っている魔獣使い達も特に邪魔してくる様子もないのでそのまま館の門を通ろうとした際、館の中から向こうからボロボロのマントを羽織った大柄かつ筋肉質な老人が現れた。


 ローゾフィアの侯爵は代々そのハーレム癖から『獣人侯』と揶揄られているが、今代のラボン卿に限っては特に2メートル近い常人離れしたその大きな体格から『超人侯』と唄われる。


 年はヨーゼフと同じでもう70近いはずだが――その隆々とした筋骨はいつ鳴りを潜めるのだろうか?


 向こうも私の姿を認識してドスドスと音を立てんばかりに豪快に歩いてくる。

 後ろに流した朱髪混じりの白髪とギロリをこちらを見据える朱の眼と魔獣使い特有の刻印――そしてその出で立ちは完全に貴族ではなく狩猟民族の族長だ。


「おお、黒の若造……意中のツヴェルフに逃げられて意識不明と聞いておったが、ようやく復活したか!!」


 会うなりまるで私が飛鳥にフラレたショックで意識不明になったような言い方をするこの礼儀知らずの老害に苛立ちを覚えつつ、愛想笑いで流す。


 赤系統の人間も緑系統の人間も無意識か故意の違いはあれど、どちらも隙があれば人の名誉を貶めてくる点は共通している。


「まあこんな所で立ち話も何だ、入れ入れ! お前のような黒ずくめの男がおると皆怖がるからな!」


 赤の短絡的な思考と黃の真っ直ぐな思考の両方を併せ持つ朱の族長の失礼な暴言に悪気はないのだ。

 たとえどんなに失礼で常識に欠けていようとも、裏がある訳ではなく単に無知で馬鹿正直なだけ――そう思えばある程度の暴言は受け流せる。


 それでも微かにこめかみの辺りの筋肉が引きつる感覚を覚えつつ、土壁で固められた広く薄暗い一室に通される。

 壁や天井にかけられた朱色の灯りや暖炉の火がほんのりと部屋を照らす中、超人侯がどっかりと部屋の中央の毛皮の敷物の上に座ると部屋で待機していた4人の女性が近づく。


 慎ましく寄り添う老年の女性が2人、一人はそっと腕を絡ませている。

 そして淫魔かと疑わんばかりに背後から超人侯にしなだれかかる何十歳差かあるのか推測したくもない若い女性と、膝に肘をついて熱い眼差しで老害を見つめる中年女性――異質、非常に異質である。


 数少ない魔物討伐を依頼される度にこういう状況に直面し毎回どういう顔をすれば良いのか分からず無で押し通していたが、今回は少し違った感情が湧き上がる。



(羨ましいな……)



 寄り添いに腕組み、しなだれ、膝への肘付き上目遣い……どれも飛鳥にされてみたいシチュエーションだ。しかも誰の視線も超人侯に対する慕情で満ち溢れている。

 そういう意味で私は今この礼儀知らずの老害が非常に羨ましい。いや、飛鳥が何人もいたら色々困るのだが。

 

「おい若造……もしやツヴェルフにフラれて新たな妻探しか? 残念だがワシの妻はワシのだ。そんな眼で見られても誰一人やらんぞ?」


 非常に心外な言葉を吐かれる。私は飛鳥の事を想像すると、どうにも表情の筋肉が緩んでしまうようだ。一つ咳払いをして早々に本題を切り出す。

 

「いえ、そんなつもりは微塵もありません……実はロットワイラーと戦争になりかかっていまして、それを阻止する為に貴殿らの協力をお願いしたい」

「ロットワイラー……? ああ、確か東の国の名前が確かそんなだったな。それで? こちらの魔獣使いと魔獣達を戦いに投じさせたいと? 断る。我らの力は自分達の土地を守る為に、あるいはこの土地の魔物が他に迷惑をかけた際にのみ振るわれる物。私利私欲の人殺しの為には使わん」

「人殺しはさせません。王都を囲う魔法陣を発動させる為の軸作りに熟練の魔獣使いを3名程貸して頂きたいだけです……無論タダでとも言いません。協力して頂ければそれに見合った報酬を提供させて頂きます」


 貴族の地位を得ていながら民族としての生活を好むこの老害に、小難しい取引は通用しない。

 赤のように情に流される気質でもない――単純明快な物々交換で、話をつける。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る