第33話 意外な贈り物・2


 手紙に書かれていた一文は私は激怒させるには十分だった。

 残りのソーダバーを乱暴に齧り頭を冷やしてみてなお、沸々としたモヤモヤがこみ上げてくる。


「あー、もうッ!!」

「あの……アスカ様」


 モヤモヤを吐き出すようにして叫んでようやく溜飲が下がってきた所で、セリアの重々しい呼びかけに我に返る。


「そんなにダグラス様がお嫌いであれば、婚約破棄、されます……?」


 私はよっぽど怒りを込めて叫んでしまったんだろう。セリアは困ったように瞳を伏せて、言い辛そうに言葉を紡ぎ出す。


「セレンディバイト家の後ろ盾が無くなったアスカ様を守り切れるか心配なのでおススメしたくはないのですが……しかし、そんな私の発言を気にして婚約破棄できないのであれば、私、心苦しくて……」


 セリアが以前言っていたように、ダグラスさんが私にくれた<セレンディバイト公の婚約者>という立場は私を他の人間の悪意から強く守ってくれているんだろう。

 婚約破棄をすれば後ろ盾は無くなり、悪意に晒される事になるのは目に見えている。それに――


(婚約破棄で問題が解決するなら、とっくに破棄してるわよ……!)


 相手はどう考えても婚約破棄で私に子どもを産ませる事を諦めるような人間じゃない。婚約破棄したらしたで別の手段を講じてくるのは目に見えている。


 無理矢理力ずくで来られてはどうしようもない。迂闊に機嫌を損ねるような事をしでかす訳にはいかない――結果、現時点での婚約破棄はデメリットしかない。


 だけどセリアにここまで言わせてなお婚約破棄しないでいたら『嫌いなら婚約破棄すればよろしいのに何故それをしないのか?』と疑問に思われる日も近いかもしれない。


(……セリアの前ではつい感情を表に出しちゃってるけど、よくよく考えてみればセリアの前でもダグラスさんに好意持ってる風に装っておかないとマズいのよね……)


 その事にもっと早く気づいておくべきだった。どうする? 今から取り繕う事は出来るだろうか? 婚約破棄したいと思ってない風に装う為にはどうすればいい?


 これまで結構悪態ついてきた手前、急に『ダグラスさんの事が好き……!』な感じを出したらセリアはまず間違いなく疑うだろう。

 そんな好きなら婚約者になって驚いた後に頬の1つも染めて『嬉しい……!』とか可愛らしい台詞の1つや2つ言ってるし、手紙に対しても『ダグラス様……!』とか言ってときめいてる。


 だけど実際は『はぁ!?』と叫んだり、どういう事よと切羽詰まったり、リボン送り返したらどうなるのか聞いたり、手紙叩きつけたり――これまでの自分の行動を後悔し、思慮の浅さを深く反省する。


 だけど――だからこそ選べる手段がある。かなり抵抗があるけど、今はこれに縋るしか無い。


「……べっ別に、婚約の仕方が気に入らないってだけで、そ、そこまでする程じゃないわ!」


 ああ――ツンデレが言いそうな台詞を、まさか自分が言うはめになるとは思わなかった。


「私が婚約にちょっと夢を見過ぎてただけよ! セリアだって分かるでしょ? 婚約とか求婚とかって、ムードが大事だと思わない……!? 素敵な場所で素敵なプレゼントに素敵な言葉……そういうのに、ちょっと憧れてただけよ! べ、別にあの人の事が、嫌い……とか、そういうのじゃないんだから!」


 もうこの世界の人間の前ではツンデレな婚約者を演じるしかない。果たしてそんな絶妙な演技力が必要とされる大役が私に務まるだろうか?

 内心不安しかないけど、もうどうしようもない。


「ムードですか……ふふ、アスカ様、意外とロマンチストなんですね」


 セリアがクスクスと微笑う。その様子から(もう、何だかんだ言ってあの方の事気になっちゃう感じなんですね!?)位の事は思ってそうだ。


 とりあえずの危機は脱した――とほっと胸をなでおろし、食べ終えたソーダバーの棒をゴミ箱に入れた後、改めて手紙を手に取ってみる。


(また借りを作ってしまった……)


 荷物の召喚をダグラスさんに頼んだつもりは全くない。

 だけど神官長が彼に補佐を依頼し、実際に彼が補佐したとなればその言い訳は通用しない。重いため息が漏れる。


「アスカ様、お返事はどうします? 18時までにお返事を書いて頂ければ今日中に向こうに届けられますが……」


 セリアの言葉を受けてチラ、と見やった時計は丁度17時を指している。


 返事――荷物を召喚してくれたのは事実なんだし、ツンデレ云々以前にお礼は言わないといけない。

 ただ、これは『ありがとうございました』だけで済ませたらいけない気がする。


(そう言えば私……アシュレーの炎の拳から守ってもらった事に対してもちゃんとお礼を言ってないのよね……)


 守ってもらって、忘れ物届けてもらって、いまこうやって荷物も届けられて。私が色々してもらってばかりの状態なのは事実だ。その事実は重く心にのしかかる。


 何か私にお返し出来る事はないかな――と思い悩むと黒塗りの木箱に入った食材が視界に入り、一つ、良い事を思いつく。


「……セリア、今から厨房少し借りれない?」


 私の質問に驚いた様子のセリアはすぐに時計に目を向ける。


「そろそろ食堂の厨房は忙しい時間帯になりますので……あ、メイドが使う給湯室で良ろしければ空いてると思います。ですが……何をされるのですか?」

「ダグラスさんへのお礼に、何か作ろうと思って」


 お礼を送る事で心が軽くなるし、相手に好意を示せる一石二鳥の作戦だ。


 まず真っ先に思いついたのは明日の狩りのお弁当なんだけどダグラスさんはお昼過ぎに来る、と手紙に書いてあったから昼食を済ませてくる可能性が高い。

 それなら今から作って夕ご飯に食べてもらった方がいいだろう。


「アスカ様……料理、なさるんですか?」


 セリアの驚きの表情と心底意外そうな声にちょっと心が傷つきつつ、私は給湯室へと向かった。




 セリアに案内された給湯室は、流石皇城と言うべきなのか給湯室という割にはフライパンに鍋、恐らく魔道具仕掛けのコンロに冷蔵庫――一般家庭のキッチン位の設備が整っていた。

 恐らく厨房を使うまでもない夜食や間食をメイドが作る際に使われる場所なんだろう。


 油もあるし、調味料は大体地球の物と似通っている。ハーブ系やスパイス系の物はよく分からなくて一つ一つセリアに確認しながら地球の食材を使って野菜炒めと卵焼きを作る。


「美味しい……アスカ様って、料理お上手なんですね……」


 出来上がった料理を味見したセリアが、先程のソーダバー同様驚きの声を上げる。


「自分で作るのが一番安くすむからね。お菓子とか凝った物は作れないしアレルギーとか心配だから人に配ったりとかもしてないんだけど……」

「食べ物のアレルギーは解毒の魔法で対応できますから、気になさらなくていいですよ」


 作った後でその可能性に気づき、どうしようかと思い悩んだ所でセリアがあっさりと答える。


(地球でアレルギー起こしたら色々大変なのに。魔法って便利だな……)


 地球にも魔法が普及されたらいいのにと思いつつ、陶器のような蓋つきの容器にそれぞれ野菜炒めと卵焼きを詰めていく。


「向こうでも既に食事を用意している頃かもしれませんし、その位にした方がよろしいかと」

「でもこれだと中途半端に余っちゃうわね……そうだ、ネーヴェにもお裾分けしよう」


 お礼はダグラスさんだけじゃなく、神官長に連絡してくれたネーヴェにも言いたい。残った分もそれぞれ容器に詰めると綺麗に収まった。


 次に消費期限が1日過ぎたお肉やもやし等を使って炒め物を作る。

 匂いも嫌な感じもしなかったのでほぼ大丈夫だろうとは思うものの、やはり、消費期限切れの物で作った料理を他人に食べさせるのは気が引けた。


「食あたりを治す魔法もあるの?」

「食あたりは色々原因がありますので魔法や薬など対処する方法はありますが、それで完全に治せる、とは言い難いですね」


 セリアの答えはやはり背中を押すまでには至らず。作った炒め物を全て自分で食べきるとお腹がいっぱいになり、今日の夕食はいらない旨伝える。


「後はお手紙のお返事ですね」

「お返事と言っても……私この世界の文字書けないのよね。セリア代筆してくれない?」


 招待状はメアリーが書いた物の、個人的な手紙など全く書けそうにない。


「いいえ、こういうやりとりに代筆はナンセンスです。音を込める魔道具……音石おんせきにアスカ様の言葉を吹き込んで届けましょう」


 そう言うとセリアは給湯室の隅の引き出しを開け、紫色の石がはめ込まれたひし形のブローチのような物が取り出した。


 「あー」とセリアが言った後、紫の石が淡く輝き、先程のセリアの声で再び『あー』と室内に響く。なるほど、ボイスレコーダーみたいなものか。


「では、どうぞ」


 マイクを向けんばかりに音石を向けてくるセリアにちょっと狼狽えつつ、お客さんに電話をかける気持ちで言葉を紡ぎだす。


「親愛なるダグラス様へ。この度は私の切実な願いを聞き入れて頂き、本当にありがとうございます。ささやかな物ではありますが、お礼に届けて頂いた食材で作った料理をお送りしますので、食べて頂けたら嬉しいです」


(出だしはこんな感じで良いかな。後は……)


「婚約者になっていたなんて知りませんでした。どうして教えていただけなかったのです(まあ大体推測できますけど)? それが婚約者に対する態度でしょうか?」

「アスカ様、それちょっと慇懃無礼です」


 やや尊大な態度になった事を自覚すると、セリアも違和感を覚えたようでストップが入る。

 「今の分は消しておきますね」と言われて、再トライ。


「婚約リボンの事、説明してほしかったです。忘れ物に婚約リボンを添えられる女の気持ちが分かりませんか……? 貴方にとって私はきっとその程度の存在なのでしょうね」

「アスカ様、全体的に卑屈ですが最後の発言は特に重いです」


 ついでのように流れ出た卑屈な言葉にセリアの冷静な指摘が殊更刺さる。

 「自分でも言ってて思ったわ」と謝って、再トライ。


「婚約リボンの事……説明したら断られるかもしれないと思ったのかも知れませんが、断る断らないは私が判断する事であって、貴方が判断する事ではありません」

「あの、アスカ様……あまりあの方に喧嘩を売るような真似は……」


 一連の流れに胃が疼きだしたのか、セリアが軽くお腹を押さえている。


「……でも、何か一言位言っておかないと気が済まないのよ」


 悪いなとは思ったけど言いたい事は言っておきたい。機嫌を損ねないようにとは思うけれど、ナメられたくもない。つくづく自分でも損な性格だと思う。

 「……分かりました」とセリアにガックリと項垂れて諦めるように呟かれて、再トライ。


「今後、私を騙し打つような真似は……」


(……ダグラスさんを騙し打とうとしている私が、それを言うの?)


 あの人から地球に帰る情報を仕入れて、そういう行為に及ぶ前に地球に帰る――それは自分の願いを聞き入れてもらう為に私の願いを聞き入れるあの人に比べて、どんなに不誠実だろう?

 言葉が止まり、しばし考えた後にセリアに今の言葉は取り消すように伝える。


「それでは。明日お昼過ぎに有意義な時間がもたらされる事を楽しみにしています」


 これはあくまでも、あの人が地球に帰る為の有益な情報をもたらしてくれる事を楽しみにしている、という意味だとあの人は気づくだろうか?


(……別に、失礼な事言ってないし。この位の嫌味位、言ってもいいでしょ)


 編集された音声を改めて聞き直す。自分の声を聞き直す、というのはかなり恥ずかしい。自分の感情がモロに出ているのを聞いて、冷静になる。


 しかもこの1オクターブ高い、余所行きの声を出している人間が実際は痛みかかった食材で作った炒め物をお腹いっぱい詰め込んだ状態で言っているのである。


 そんな微妙な気持ちの仲、お礼と一言嫌味が籠った音石と料理が詰まった容器を小さな木箱に入れて梱包した。


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