第64話 黒の後悔・2(※ダグラス視点)



 麓の村に直接降りずに近くの森に飛鳥と青の娘は降ろされた。ひとまずアレから解放されて気が楽になったかと思えば、また青の娘が飛鳥に余計な事を言う。


 私が戦えない状態になったせいで、亡くなった人間がいる。


 それは事実だろう。この半節、私は一切魔物討伐できていない。それどころか一人の公爵を常に束縛している状態になっている。それによる被害は間違いなく出ている。


 だがそれは全て私のせいであって、飛鳥のせいではない。

 飛鳥が迷って突き落とされた結果暴走した、私の責任だ。飛鳥が気に病む事など何一つない。


 青の娘の言う通り、弱い人間が悪いのだ。私は元々落ちるはずだった命を公務で救っているに過ぎない。金の為に、家の為に――自分の為に。

 弱者の為を思って魔物討伐した事など一度もない。民を助けて崇められるのは気分は良いが、それだけの事だ。


 実際、魔物討伐ができない歯痒さはあれど民に対する罪悪感はない。そこまでする義務も気に病まなければならない理由も私にはない。

 それなのに心優しい飛鳥は心を痛め、救えなかった命がある事を嘆いて黒の魔力がざわめかせる。


 飛鳥のせいだという奴は私が殺してやる。飛鳥を責める人間は私がこの世から追い出してやる。

 それで死者に再会できるかもしれないのだから責めてきた人間にとっても本望だろう?


 ――そんな本心を吐き出してもきっと飛鳥は喜ばないのだろう。


 どう言えば励ませるのか、元気になってくれるのか――言葉が思いついても呼びかける事すら出来ない。

 あまりに無力な現状に私の精神もジリジリと追い詰められる中、ローゾフィアの魔獣使い達が山から落ちてくる。


 青の娘が持ってきた回復薬や飛鳥が外した白の指輪で広範囲回復魔法リザレクションを使って一命を取り留めた後、青の娘がアーサーを助ける為に崖を上がっていった。


 その後、魔獣使いのパートナーである畜生達の死に際にまた飛鳥の心がザワつきだす。


 何も迷わなくていい、苦しまなくていいのに。畜生の事など放っておけばいいのに――まるで自分が飛鳥を苦しめているような、そんな心境にさせられる。


 私は飛鳥が心痛めるその命の数の何百――何千倍の命を天に送っている。その中には魔物以外の人も、人に従う畜生共もいた。


 飛鳥がそれを知ったらきっと私の傍にはいてくれない。頼むからそんな不安を過ぎらせないで欲しい。

 私が切り捨てている罪の欠片を拾って傷つかないで欲しいのに――


「私……その子達も助けてあげられるかも知れない」


 ああ、自らの危険を犯して人はおろか畜生達すら助ける。命を見殺しに出来ない飛鳥のその優しさが私の心を掻き毟る。私の行いを否定してくる。その態度が激しく忌々しい。


 そして忌々しい白の魔力を使って畜生の治療を終えた後、すぐ熊が現れ――青が現れた。

 娘を追ってきたのは明白だったが、ここで会うとは思わなかった。


(どうする……? 黄や緑よりは話が通じる相手ではあるが……)


 飛鳥の体から抜け出て青に呼びかける前にローゾフィアの民が懇願する。その中には飛鳥に対しての懇願もあった。


「ラリマー公……灰色の魔女の事は俺達も聞いています。ですがこの人は俺達の命の恩人です。どうか、慈悲を……!」


 嫌な予感がする。この朱の少年が嘆願するのは本当に恩義だけだろうか? 懸命な声に嫌な予感がした。


 しかし青は朱の少年の言葉を聞かずに飛鳥をアズーブラウに飲み込ませた。心が読めるのかと驚く飛鳥に青は笑顔で感情が見えるのだと答えた。


 以前、青にどうやって見透かしているのか聞いてみた事がある。


『色水が揺らめくように分かる。感情の種類は色で、強い感情なら大きく、小さな感情なら静かに波打つ。もしそこに何か異質なものがあればモヤが見える。色んな感情が混ざり淀んでいる場合は少し分析に時間がかかる。まあ、見えると言ってもそう警戒しないで下さい。見えやすい人間と見えづらい人間がいる。貴方の色水は黒い殻に包まれていて中の感情が見えづらい』


 その時は見えづらい方である事に安堵しただけだが、飛鳥の行動の傾向も見抜けるのはとても羨ましい。


 飛鳥は感情が表情に出やすいが、スピネル女伯の魂を解放した時のようにいついかなる時も全ての感情を表に出すような愚者ではない。

 相手の油断を誘う為に本来の感情を隠す事ができるだけの頭がある。


 飛鳥のその感情すら見透かせる青が羨ましいと思う反面、無性に腹立たしくも感じる。


 飛鳥が紺碧の大蛇に拘束された後、畜生を弔う。また『お供え』と言って淡く光る実を添える。花と実に包まれて燃やされるその光景に何の感慨も抱けなかった。


 青もどちらかと言えば弔われる畜生より、周囲の人間の様子を見て微笑んでいた。私も大概だが、やはり青も何処か異質だ。

 まあそれを言うなら皇家もどこの公爵家も異質な面があるのだが。その中でも青は特に異質な印象が強い。



「……助けてもらったのに何もしてやれなくてすまない」


 やはり朱の少年が飛鳥を見る目は慕情の類だ。赤の息子が番に向ける眼差しに近い。それにローゾフィアの民が名前で呼び捨てて欲しいと言うのは家族の証――つまり、求婚だ。


「えっと……じゃあ私の事もアスカでいいわよ。私も呼び捨ての方が気が楽だし」


 ああ、また、飛鳥が厄介な男を誑かす――彼らが去った後、青が呼び捨ての意味を伝えても純粋に喜んでいるのがショックだった。

 まさか、飛鳥は年下が好みだったのだろうか?


 動揺している間に青は防御壁を張り、こんな場所でお茶会を始める。綺麗な青色のハーブティーは確かに青が飲んでいるのを何度か見た事がある。


 飛鳥は自分の境遇を聞かれたくないのか、青が質問する前に何故青がここに来たのか質問する。確かに青にコッパー家が関わっている事は知られたくない。

 飛鳥の匿いはともかく魔導機に魔物――あの家は叩き潰せる要素がありすぎる。


 青の娘がどうやってここまで来たか自慢気に話していたが、やはりあの軟弱で脆弱でひ弱で気弱な青の息子に青の娘の演技は厳しかったようだ。


 飛鳥が茶を飲みながらその演技の要となるアーサーの名を口にすると空気がピリッと張り詰めた。


「ふふ……私はただ彼に対して名を口にしたくない位の本能的な嫌悪感を感じているだけですよ。それを周りが娘の想い人に嫉妬しているとか、恥をかかされた相手を憎んでいるとか推測したり勝手な行動を取ったりしているだけで……まあ、いちいち訂正する程彼に情を持っている訳でもないので結果的にそう思われても仕方がないのでしょうね」


 本能的な嫌悪感を感じているだけ、という言い方に疑問があるが、この言い方だとアーサーの声を奪ったのは青ではないようだ。


 勝手な行動――青の息子の懐妊パーティーにはウェスト地方を治める侯爵達も参加していた。

 彼の直属の臣下である伯爵家以下の部下が主の許可を得ずに勝手な行動をするとは思い難い。青でないなら紫か水色のどちらかだ。

 どちらの家も術に長けている家系だから命術も把握している可能性は高い。


(しかし、私が色々気を回してやってもあの男は『そこまでしてもらう程の義理もない』などと言うのだろうな……)


 そう思った時点で推測を止める。自分は善意で人を助ける癖に他人の善意は頑なに拒むのだから全くもってあの男は面倒臭い。


 飛鳥は話をそらし続けたかったようだがそれをするには今ある時間が長すぎた。改めて飛鳥が今まで何処で何をしていたのか聞かせてほしいと催促される。


 飛鳥は少し考えた後言う決意をしたようだが、途中で言葉を詰まらせて出た言葉が――


「同じ血で結ばれた呪い子って、どういう意味ですか……!?」


 青の表情から一瞬笑顔が消えるのを感じた。そう言えば赤の番の懐妊パーティーで緑が青に向かってそんな言葉を吐いていたな。


 青が双子の男女から生まれた子だという噂は聞いた事がある。ツヴェルフを使えばいいのに愛によるものか義務によるものか分からない近親相姦によって生まれた子を揶揄した言葉なのだろうが、緑は一体それの何が気に入らないのか事有るごとにああやって青を煽る。


「……白い結婚の方ならまだしも、よりによってそっちの方を聞きますか……」


 白い結婚――自分が愛情や性欲を持てないタイプの無性愛者アセクシュアルだと自分と結婚する訳でもない相手に告白するのも相当重いと思うが、そのワードは青にとって余程鬼門のようだ。


 結局、『聞かれたくない事はお互い聞かない』という結論に落ち着いた所でアレがやってきた。


 飛鳥の現状に取り乱したアレは散々暴れた後、青に叱られて再び純白の大鷲と共に飛び立った。

 多分私もヒビが治ったら青に相当魔物討伐を押し付けられるのだろう――通常の半分位の報酬で。


 まあその程度で済むならそれでいい。そんな事より飛鳥の魔力が抑えられないのがキツい。流石に同じ色神を宿す公爵相手に黒の魔力を安定させて見せれば絶対に怪しまれる。


 不安定な飛鳥の精神状態を見透かした青は極めて優しく飛鳥に接する。

 追い詰められている飛鳥がそれで少しずつ落ち着いてきたのはありがたいが、基本的に青は価値無き者にはそこまで興味を示さない。そこが不気味でもあった。


 飛鳥には私の婚約者――私とアレの子どもを綺麗に産む事が出来るというメリットしかない。なのに何故そこまで目をかけるのかと。


 そんな私の心配をよそに飛鳥は青に悩みを打ち明ける。明らかに相談する相手を間違えていると思ったが、青は割とまともな助言を飛鳥にしてくれた。


「自分に向かって石を投げられるのなら気が済むまで自分を傷つけるのも良いでしょう。ですが、少しでも投げる事を躊躇するのであれば……そこまで自分を責めなくても良いのではないでしょうか? 石をぶつけられて痛がる自分に気が済んだなら、許してあげても良いのではないでしょうか?」


 自分に向かって石をぶつける――その言葉には少し心当たりがある。


 あれはいつだったか――ノース地方で赤の公爵が魔物の大群に対する判断を誤って多くの死傷者を出した事があった。その後の六会合で緑が赤に対して『多くの民を死なせておいてよくここに来られたもんだねぇ?』と辛辣にからかった時の返答――


『ワシもワシの選択が常に正しい物だとは思っとらん。だが今回の件で自分に向かって投げられる石は全て投げておる。投げられる石が無くなれば、後はもう自分の役目を果たす為に立ち上がるしかないのだ。馬鹿にしたくばすれば良い。人を傷つける為に民の死を持ち出すような男の言葉にワシは絶対に心折れたりせぬ!!』


 赤が緑を諌める為に発した言葉を青なりに励ましの言葉に置き換えたのは素直に感心した。自分を責めがちな飛鳥を優しく嗜める良い言葉だとも思った。

 その言葉を自分が言えない事が悔しかった。


 元気が出たらしい飛鳥に安心するなり黒の魔力がまた激しくざわめき出す。

 先程とはまた異質の揺れ方は安定させなければまた飛鳥に自傷させてしまう。だが――


「……先程から思っていたのですが、貴方の中にいる黒い子猫は何で働かないのですか?」


 青の言葉に固まり、その後さっさと魔力安定させろと言われて安定させる。それに感謝した飛鳥が青に懐く。


 青には私がどう見えているのだろうか? 器の中から抜け出して打ち明けるべきかどうか悩んでいる間に青は寝に入り、飛鳥はアズーブラウに飲み込まれる。


『ペイシュヴァルツ……ありがとう』


 飛鳥の暖かな言葉が心に染みる中、ひとまず私も眠る事にした。


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