第65話 黒の後悔・3(※ダグラス視点)
翌日――アレが再び戻って来たので氷竜討伐に向かう。どうも青はアレが気に入らないようだ。
私の時を止めてくれているが故に自由に身動きが取れないのは私のせいなのだが――何はともあれ、逃げる感情が見えるのは本当に羨ましい。
どうすればそんな風に見る事が出来るのか、元の体に戻った時に聞こうと思っていると麓の村にある剣で作られた円陣について飛鳥が尋ねた。
媒体を軸に使った陣術は魔力を節約できる。規模が大きければ大きい程、その節約量も大きい。
しかし役目を果たしたのにそのまま捨て置かれている状態について青がアレに尋ねる。
イースト地方の騎士が愛用する剣の柄頭には数分ほどの音声を込められる簡易音石が嵌まっていて、自分に何かあった時の為にその音石に短い遺言を残す。
だから死んだ騎士の剣を回収して遺族に託す――という伝統をアレは知らないのだろう。
まあ私も黄に言われるまでは知らなかったし、いつから始まった伝統なのかまでは聞いていないのだが。
――人は弱い。大切な者を失った時に気持ちの持って行きようがない人間達の中には、故人が命を賭けた物と言葉を託す事で前を向ける人間もいる――
手強い中級の魔物があちらこちらに出没した時に私の応援を頼んだ黃はそう言って剣を回収するように言ってきた。
今この場で剣を亜空間に収納した青も黄に同じような事を言われた事があるのかも知れない。
まあ返す際に余計な一言も添えてより険悪になるのだろうな――それでも今自らの手でわざわざ回収したという事は、今じゃないと回収できないと判断したからだ。
(雪崩覚悟か……)
半節以上ずっと降り続けた雪だ。少しの衝動で雪崩が起きるのは目に見えている。雪崩が起きればこんな麓の村など即座に埋もれる。再びこの地に人が住めるようになるには数節はかかるだろう。
相反する公爵の信念や騎士の形見など放っておけばいいのに――と思いつつ、あれだけの剣を収納しておいてかなり量が減っただろう魔力があまり減っていない事に違和感を覚える。
昨夜にしてもそうだ。麓の村であれだけ大きな魔法を放っておきながら蒼炎を作り出し花で弔い――挙げ句お茶会セットを出してもその魔力に底が見えない。
青の魔力の回復速度は私より明らかに早い。同じ位の大きさだと言うのに何が違うというのだろうか?
その思考は青の珍しく明確な不満で流される。
ノース地方やイースト地方は騎士団が民を守る――人が人を守る事を重視している。さっさと一人で始末しに行く青とは考え方が根本的に違う。
どちらかと言えば私も青寄りの考えだ。
いくら弱く儚く、脆い民は側にいる騎士団に対して安心感を抱くからと言ってもその騎士団に中級の魔物討伐を課す意図は全く理解できない。
緊張感があってこその安心感だと言うなら多少は理解できるが――恐らく黄はそういう意味では言っていない。
――神に頼りきって自ら戦う意思を失わせてはいけない――
あれは我らに全てを押しつけて平和を享受しようとする民に対しての警告なのだろうか?
青の正解が見えない話に淡々と答える飛鳥は付き合いが良いなと思う。茶会に誘われても私は正直付いて行きたくない。
しかし青が飛鳥に何を話すか分からない以上、付いていく以外の選択肢がないのが苦しい。
氷竜がいる場所に近づいて青が催促した後、アレが動揺してようやく観念する。
あそこまで顔を赤くして誤魔化すという事はどうせ飛鳥相手の卑猥な妄想でもしていたのだろう。ああ実に穢らわしい――穢らわしい!
今飛鳥がさらわれたら絶対アレに手篭めにされる。私が助けられなかったあの夜、既にされているのかもしれないが――一度目だろうと二度目だろうと、絶対に防がなければならない。
(と言っても、今の私には防ぐ力もないのだが……)
もう何度今のこの自分の状況を惨めだと思っただろう? いい加減元の体に戻りたい。戻ってアレを排除した後、飛鳥に謝って許しを請いたい。
味方に囲まれていたコッパー邸での生活はまだ冷静でいられた。しかし不穏因子が現れた途端、私の中の余裕が無くなっていく。
そんな苛立ちを覚える中で氷竜討伐が始まると、アレは早々に青を裏切った。
それだけならまだいい。諌める飛鳥に叩かれたアレは飛鳥に何か術をかけようとした。ラインヴァイスと連動して、何かを。
見た事がない六角形が連なる術式――それが危険な術である事を本能的に察して飛び出して、弾き飛ばされて――飛鳥が追ってきた。
雪に嵌った飛鳥の顔が一瞬痛みに歪んだのが分かった。そして、雪崩に飲み込まれる。
駄目だ、見失ってはいけない――そう思って飛鳥の中に飛び込み、雪崩で壊れた防御壁を張り直す。弱い防御壁ではあるが、それでも無いよりはマシだ。
『飛鳥……!!』
衝撃で意識を失ってしまったのか飛鳥からは何の反応もない。雪崩は黒を毛嫌うかのように私達を上辺へと押し出す。
埋もれて窒息する事はない状態になった所で魔力を使いすぎたのか、私の意識も薄れていった。
気づいた時には白衣の男と冒険者風の出で立ちの男に捕らわれていた。
白衣の男には見覚えがある――髪の色がおかしくなっているがあの特徴的な声はペリドット侯――黄緑の息子だ。
ヴァイセ魔導学院に通う公侯爵家の人間だけが加入する生徒会で何度かその耳障りな声を聞いたから間違いない。
実際に接したのは1年か2年程だが、あの頃に比べてより精神崩壊が進んでいるようだ。
魔力の器が平民と変わらない小者に神は魔導工学と魔化学の才を与えた。そして余程自分の境遇が不満だったのだろう、魔導学院の卒業と同時に子を成す為に招いたツヴェルフを連れてロットワイラーに亡命し、あの魔導研究所の所長になった。
3年前に私があの研究所を訪れた時には外出中だったのか殺す事は出来なかったが。
建物はともかく端末さえ徹底的に破壊しておけば懲りて研究も止めるかと思ったがまた同じ場所で同じ研究を続けているとなるとやはり王都に行ってでも息の根を止めておけばよかったと思う。奴のツヴェルフ嫌いも相変わらずのようだ。
ロットワイラーに流れてしまっただけでも最悪だと言うのに、よりによって厄介な奴に目をつけられてしまった。
もう一人の男も妙に気にかかる。見覚えはないが誰かに似ている。だが魔力が淀んでいて確信を得られない。
どうする事も出来ずに魔導研究所に拘束されて数日が過ぎていく。そして自分が今いかに非力な存在なのかを思い知らされる。
飛鳥が冒険者風の男に蹴られたり性的な言葉を吐かれたり酷い目にあっている時も手を出せない自分が酷く歯がゆい。
手を出しても大した傷にはならず恐らく私も研究材料として飛鳥と引き離される。色神の欠片も奴にとっては希少な研究材料だろう。
氷竜の卵はともかく人工ツヴェルフの製造を夢見て性懲りもなく弱者を犠牲にする実験を続けている姿に呆れ果てる。
異世界から十数年おきに数人のツヴェルフを召喚すれば何の問題もないのに、何百という犠牲を経てなお成功しない研究に縋る黄緑の息子が酷く哀れにすら思えた。
そんな狂人の実験に援助を惜しまないロットワイラーの上層部もどうかと思う。
何を思った所で今の私が何を出来る訳でもないのだが。
何も手出しできないでいる内に飛鳥の精神が微妙に歪んでいくのを感じた。
人が死んでいく光景に直面した際に地球の詩らしき鼻歌を唄い出した飛鳥はそれが心の均衡を保つ為の防衛本能だったとしても、明らかに異常をきたしていた。
こんな事ならまだアレに攫われていた方が良かった。アレも何をしでかすか分からない不安はあれど飛鳥を壊したりしないし、痛めつけもしない。
私と違って飛鳥を酷い目に、怖い目に合わせようともしないだろう。
こんな悪意に満ちた場所で人の死に直面して精神が不安定な状態にある飛鳥は私が離れたら即黒の魔力に飲まれてしまう。そして飛び出した所で何も出来ない。
(戻ったら絶対にこいつらを殺してやる……!!)
そう思いながらただひたすらアーサーが来るのを待つ。青は間違いなく氷竜を討伐しただろう。とすればアーサーは再びこの地を目指しているはずだ。
黄緑の息子は奇っ怪な魔道具を使うが動きが鈍い。魔力が淀んでいる男は剣の腕には覚えがあるようだが魔力が淀んでいるという事は上手く魔法を発動させる事ができないはずだ。
ここで働く研究員は皆戦闘向きではないし、こんな辺境の研究所にそこまで手練れの人間は送り込まれてはいないはず。
だからアーサーが来れば隙を見て抜け出す事は出来る、それだけを頼りに屈辱的な日々を乗り越えていたのだが――
どうでもいい身の上話の末に仲間が助けに来るのではないかと聞かれた飛鳥は恐らくアーサーが来る事を隠そうとしたのだろう。しかし代わりに出した名前が不味かったようだ。
まさか、ヒューイが双子だったとは思っても見なかった。
だが言われてみればその男の目つきはヒューイや緑によく似ている。その色付きのレンズを取れば彼らと同じ翠緑の目が見えるのだろう。
(駄目だ、今はそれを考えている場合じゃない……このままでは飛鳥が殺される!!)
考えてる余裕もなく咄嗟に飛び出て思い切り噛み付く。私が人に噛み付いたなど絶対に飛鳥に知られたくない。
その直後、飛鳥の中の魔力が蠢くのを感じてすぐ様飛鳥の中に戻ると、ヒューイの片割れが飛鳥の胸を乱暴に掴んだので再び噛み付いた。
その後黄緑の息子が来て、何とか命の危機を乗り越え――られた訳ではなかった。洗浄機にかけられた飛鳥の黒の魔力がどんどん流されていく。
強く拒絶される。駄目だ、今飛鳥から離れたら、こいつらに何をされるか分からない。吸い込まれる黒の魔力の流れに逆らうように必死にしがみつくも、飛鳥がプレートから少し手を出すとそこからまた私を引き剥がそうとする力が生じる。
『あす……飛鳥……!!』
止めて欲しい、傍にいさせてほしい――そう伝えたくて念じた瞬間見えない力によって器から引き剥がされ、まるで何かに引っ張られるように飛鳥から引き離される。
足掻いて戻ろうとしてもその勢いは一切衰えずそのまま、部屋を抜けて研究所を抜けて――段々遠くなって、見えなくなって――色んな景色を経て森を抜けた先である物に吸い寄せられる形で、ようやく止まった。
それは、私にとってとても馴染みのある黒い音石のリング。そして顔を上げると――
「どうした……?」
黒い音石にへばり付いた私をアーサーが怪訝な目で見据えていた。
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