第66話 黒の後悔・4(※ダグラス視点)


『アーサー……無事だったか……』


 まだ洗浄機にかけられた時の感覚に囚われつつ何とかアーサーの肩によじ登り、テレパシーを紡ぎ出す。


『何とかな。ラリマー嬢に助けられた』

『そうか……』


 二人の間に何があったのか、全く興味がない訳でもなかったがそんな事より今は飛鳥だ。

 アーサーと別れてからこれまでの経緯を途中休憩を挟みながら伝え終える頃には大分体が楽になっていた。


『カーティスか……元々彼はあの研究所の所長だからな。いるかも知れないとは思っていた』


 アーサーは眉を顰めて厳しい表情を見せる。そう言えば黄緑の息子はアーサーを酷く嫌っていた。アーサー自身はスルーしていたようだったが。


(ああ……そう言えばアーサーと黄緑の息子は異父兄弟だったな)


 そうだ、私があの耳障りな声を覚えているのはアーサーと共に生徒会に入った時に叫ばれたからだ。


――同じツヴェルフから生まれて、何故お前だけが――


 小者の親の方が魔力の器がでかいのに小者は平民同等の魔力で、アーサーは有力貴族の中でも有数の大魔力の持ち主――嫉妬の念を抱くのも分かる気がするが。


『……あんな国境に研究所を立てずとも、王都近くで実験すればいいだろうに。潰しても尚あの場所を使うとは余程あの土地に固執しているらしい』


 この辺りはロットワイラーの辺境――王都とは大分離れている。皇国程広大な土地でもないから飛竜で半日も跳べば着く距離ではあるが。それでもわざわざこんな辺境に研究所を立て直すとはよっぽどアーサーに恨みがあるのだろうか?


『確かに人工ツヴェルフが作れればツヴェルフなど召喚しなくて済むのだろう。愛する者の為にツヴェルフになりたいと願う者もいるだろうしな。だが実際それができれば何百年の昔にとうに作られている。あの小者は頭だけは悪くないだろうに何故それが理解できないのか……』


 これまで吐き出せずにいた事をつれつれと述べてみたがアーサーの反応は思わしくない。


『ダグラス……私や君は運が良かったのだ。一歩間違えれば彼のようになっていたかも知れない』

『……運が良かっただと? 私も相当運が悪い生まれだと思うがな。少なくとも親に愛されて生まれてきたお前と私は違う』

『それでも君は今、誰を強く恨む事も僻む事もなくまともに生きている。君は君の人生を謳歌している。私もそうだ。だが、それは持って生まれた強さがあるからだ。強さを持って生まれてこれなかった人間に比べて私達は運が良いんだ』


 こいつは――親に愛されず、午後しか起きられない身で私がこれまで他の公爵達に馬鹿にされないように私はどれ程の努力を重ねてきたと思っているのか!


 今この最弱の状態で想い人が苦しんでいるのに、手を差し伸べる事すら出来ずに他人に縋るしか無いこの状況になっても尚運が良いと言えるのか!?


 運が良かったのはお前だけだ。私の人生は『運が良い』の一言で総評されたくない!!


 色んな罵倒が頭をよぎる。だがアーサーの言葉に反論したらまた何か気に触る事を言われる気がした。今は険悪になっている場合ではない。


『……まあいい。それより、ヒューイが双子だった事を知っていたか?』


 多少話の流れに無理があったかもしれないが、もう一つの疑問を持ち出して話題をそらす。


『いや? ただ、彼はアイドクレース家の人間にしては剣の才に恵まれていなかった。片割れに剣の才を取られたと思えば納得も行く』


 言われてみれば確かにそうだ。代々アイドクレース家の公爵は<緑の双刃>と呼ばれる神器を操る魔法剣士の家系だ。

 剣を重用する家の生まれにしてはヒューイの剣術は騎士に多少毛が生えた程度で、槍を重用する私の剣にも及ばなかった。


 まあ奴の場合、魔術の才に恵まれているから実戦では余程魔術に長けている人間でない限り相手に近づかれる前にケリが着くのだが。

 飄々とした伊達男を想像するその横に、改めてあの無精髭の冒険者を並べてみる。


(毎夜女を抱いてるのは性欲を満たすというより色を隠す為か……)


 ツヴェルフとのキスやセックスはこちらの魔力を一方的に注ぐだけだが、現地人との交配は互いの魔力が入り交じる。

 魔力が混ざった状態であれば魔力感知での追跡を確実に避けられる。


 双子の片割れは悲劇を防ぐ為に生まれてすぐ親に殺されるのが運命だ。ヒューイが表に出ている以上、あの男は本来殺される側だったのだろう。

 それを誰かの力を借りて上手い事逃げ出す事が出来た。そして追跡を逃れる為に自分の魔力を隠す必要があった。


 確かに魔力探知を逃れるには魔力隠しの護符やマントで覆うより魔力そのものを淀ませた方が確実だが、その効果は一時的だ。

 自分の器の中に異なる魔力が混ざれば自分の魔力が異なる魔力を押し流す為、魔力を淀ませる事が出来るのは持って1日。

 しかも淀んでいる間は魔法も上手く使えず、他人の魔力の侵入はそこに愛がなければ自身を侵食されているような不快感もあると聞く。


 追跡を避ける為に毎夜女を抱くというのもかなり乱暴な回避法だが――生死が関わっているとなれば形振り構っていられないのだろう。


 そこまで考えた辺りで突如アーサーが変化の術で髪を茶髪に変えて髪をうなじの辺りで括り、懐から色付きレンズのケースを取り出す。


『……私はそれを付けた事がないが、どういう感覚なんだ? 長時間つけていて大丈夫なものなのか?』


 父も自分の漆黒の目を隠す為に濃灰のレンズを付けていた。たまに見た父の漆黒の目は魔族のようで気味が悪いと思っていたから、当人もそうなのだろうと自然に受け入れていたが、ずっとつけていて平気なものなのだろうか?


『眼球に直接貼り付ける物だからな。こまめな保湿は必要だ。長期間の使用は目に負担もかかる。付けなくて済むならそれに越した事はない』


 アーサーの言葉に僅かに罪悪感が生じる。今彼がそれを付けているのは私と飛鳥の為だ。


『私の事と言い、飛鳥の事と言い……負担をかけてすまない。どうか飛鳥を助けて欲しい。礼ならい』

『礼などいらない。何故皆そう対価を払おうとする? 人が困っていれば助けるのが当たり前だ。君は私を物で動くような男だと思っているのか? 不愉快だ』


 ああ、面倒臭い。


『助けられれば感謝するものだ。それを先に出しただけだ』

『それなら助けた後にしてくれ。私はまだ君も君の婚約者も助けていない。それに……ヒューイの片割れがいるとなると厄介だ。双子の言い伝えは聞いた事がある。殺せばヒューイに何かしらの影響が及ぶと思うと止めを刺しづらい……彼にとっては、片割れが死んだと知るのも同然だからな』

『殺したくないのなら動けなくする程度でいい。飛鳥を痛めつけたあの男は私が、私の手で捻り殺してくれる』


 今だって飛鳥があの男に何をされているか分からない。ヒューイの女の好みが変わらない限り、あの男は飛鳥に殺意と陵辱願望を抱き続ける。


『……一刻も早くヒューイの女の好みが飛鳥から変わってくれればいいのだが』


 呪術付きの契約書を書かせた時に『しばらくこの子が好みになる事がないだろうから安心しろ』と言っていたのは一体何だったのか。

 あいつの性癖のせいで飛鳥が殺されそうになっている――不愉快極まりない。


『ラリマー嬢のように十数年もまともな反応を返さない相手を想い続けるのも異常だが……恋というものは本来、そうそう簡単に移ろったりしないものだ』

『? ……何が言いたい?』


『何も。ただ……元に戻ったらちゃんとあの子に優しく接してやれ。あの子が幸せでいる間は何の問題も起きない……多分な』

『言われずともそうするつもりだ。もう二度とあんな酷い目に合わせるものか……!』


 雪崩に飲まれてからこの数日、ずっと辛かっただろう、怖かっただろう、苦しかっただろう――黒の魔力の荒ぶりがそれを表していた。そして今もそれは絶対に続いている。


 ずっと後悔していた。自分が理性を失ってただひたすらに飛鳥を求めた結果、私は力をなくし飛鳥は強者達に振り回された挙げ句悪党どもに囚われてしまった。

 そして取り返しの付かない傷を身と心に刻まれていく。


(私が……私が全て悪かったのだ)


 飛鳥は迷っていた。突き落とされた後でも私が理性を保って優しく接してやれば、運命だと受け入れてくれていたかも知れないのに。


 自分が傷つける傷と、他人が傷つける傷は違う。どんどん他人に傷つけられていく飛鳥は見ていて本当に痛ましかった。何とかしてやりたかった。


 早く助け出して、誰にも攻撃されない場所で静かに、穏やかに、平和に――


『……言っておくが、酷い目に合わせたくないからと言って監禁するのは違う』

『分かっている。監禁しようとすると彼女は逃げ出す。だから彼女の行く場所全てに私かペイシュヴァルツを帯同させて、いついかなる時も監視して……守る』


 再びアーサーから怪訝な視線を向けられる。しばしその訝しげな目を向けられた後、視線をそらされため息をつかれた。


『何だその態度は……気分が悪い』

『すまない、どっちもどっちだと思っただけだ』

『その台詞……お前にだけは言われたくはなかった』


 アーサーはそれ以上私の言葉には答えず、研究所の方へと歩き出す。


 アーサーが言う運が良かったという言葉に同意はできないが、確かに自分は生まれには恵まれていたと思う。

 地位も、力も、色も、容姿も。生まれつき最高級の物が約束されていた。

 最高級の色の割にはハズレを引いたとも思うが、魔物に特攻できるこの色を嫌だと思った事は一度も無い――飛鳥に会うまでは。


 親の愛に恵まれずとも臣下の情に支えられた私は明らかな強者であり、弱者の気持ちなど知る由もなかった――飛鳥に会うまでは。


 彼女に会ってからだ。彼女から恋という感情を教えられてから私は一気に崩れていった。瞬く間に余裕をなくし、理性をなくし、こんな最弱の存在に変わり果てた私を、彼女に会う前の私が見たらどう嘲笑うだろうか?


 崇め奉られれば気分を良くし、貶されれば地の果てまで追い詰めて恐怖におののく顔を見て気分を良くする――弱者をその程度の玩具としてしか捉えてなかった私が。


(飛鳥……もし飛鳥を助けられたら……)


 再び元の体に戻って飛鳥を助けられたら慈悲と愛だけを持って接しよう。飛鳥はもう散々傷ついている。今はただひたすら彼女を慰め、癒やす事に努めたい。

 そしてこれからは少し位――強者を前に嘆くしか無い弱者の為に戦ってやっても良いかも知れない。


 その為に今は一秒でも早く、彼女をあの地獄から助け出さねばならない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る