第25話 とある姉の胸中(※モニカ視点)
けして狭くはない部屋を飾るのは、財を強調するかのように吊るされた豪華な照明に大きな窓を覆う青緑のカーテン。
その部屋にあるのは大きめの両棚机と、それを使う者が座る椅子だけ。
2年前は本棚や来客を寛がせる為の調度品やローテーブルやソファがあったけれど、それらが全て取り払われたとても簡素な執務室で、お父様は重々しい声を紡いだ。
『モニカ、問題のツヴェルフの件は私が何とかする。お前が気に病む事は何もない』
目元から下を覆うフェイスベールに加えて濃い青緑のヴェールが着いた帽子を被るお父様がどんな表情でそれを言っているのか、全く分からない。
ただ、何とか出来なかった時の事も覚悟しているのだろう。声の重さから軽い気持ちで言っている訳ではない事は伝わってきた。
『お父様……本当にあの子の言葉を信じるのですか?』
2年前――妹が絶望の未来を訴えるようになってから私達の環境はすっかり変わってしまった。
『今年のノース地方の大雪も、ウェスト地方の獣人がラリマー領やアルマディン領の農作物を荒らす事もシャニカは言い当てた。我が一族の言い伝えにも魂を過去に飛ばす方法が伝わっている以上、信じない訳にはいくまい』
『……しかし、万が一ツヴェルフを殺そうとしている事が公になれば、ジェダイト家は』
領土の半分が深い森に覆われたアベンチュリン領とは違い、ジェダイト領は他領の貴族達が避暑に訪れるリゾート地や観光名所があり、数ある領土の中で片手の指に入る程の富を築いている。
そんな領土を治める侯爵家が罪に問われれば、次の侯爵になろうと多くの貴族達が動き出し、領土の治安が乱れてしまう。
『前も言ったと思うが、その時は何を聞かれても知らぬ存ぜぬを貫きなさい。治める家が変われば地名も変わる。そうなれば色々と面倒事も起きる……あの方は面倒事を嫌うし、傍にはヒューイ様もおられる。お前には監視こそ付くだろうが、長きに渡り公爵家を支え続けてきたこの家を潰そうとはすまい』
お父様はそこで一度言葉を切り、カーテンの隙間から漏れる陽射しに目を向けて再び言葉を重ねた。
『ジェダイト家が大魔導具を……ビュープロフェシーさえ管理できれば、シャニカはまた過去に飛べる。例えこの暗殺が失敗に終わったとしても、まだ未来への可能性を残す事ができるのだ』
『お父様……』
『心配する事はない。お前はいつも通り過ごしていればいい。ツヴェルフの暗殺が上手く行けば、次の問題まで間が空く……ああ、シャニカが言うには今年の星鏡は雲一つ無いほど見事に晴れるそうだ。時が来たら3人で見に行こう』
私の心配を払拭しようと、お父様の目元が緩む――心労が溜まっているのか、以前より目元のシワが増えている気がする。
フェイスベールの下はきっとこれまで見ていたような優しい笑みを浮かべていたのだろう。
それが、お父様との最後の会話だった。
窓の向こうで雲一つ無い夜空に煌めく大小の星が海を照らしているけれど、星鏡が現れる場所まではこの部屋から見る事はできない。
(……結局、私一人で星鏡を見る事すら叶わなそうね。せめて夢でお父様に会えたらと思ったけれど……)
星鏡には様々な言い伝えがある。恋人達や夫婦が愛を誓えば永遠の祝福が与えられ、偶に流れる星に死者との再会を願えば、星が死者の魂を連れてきてくれる――そんな言い伝えに惹かれて、この時期、ここには本当に多くの人々が訪れる。
他領の貴族達を歓迎しながら、私自身もその言い伝えに縋ろうとしていた。
だけど、そろそろ出かける準備をしようと思った所で突然ヒューイ様が現れ、『嵐が迫っている。何故ビュープロフェシーは嵐を予測しなかった?』と問われて拘束される事になった。
そして今――立ち上がれば部屋の隅で待機している監視の魔道士達に動きを止められる。
私一人だけの力では複数の魔道士達には敵わない。
仕込んでいた暗器も全て差し出した。本来なら、こういう時は一つだけ暗器を残しておいた方が良いのでしょうけど。
だけど万が一それがバレれば、ジェダイト家は敵意を持っていると見なされて滅んでしまう。
(……今はとにかく従順でいるしかない)
侯爵家の中でも歴史の古いジェダイト家には他には漏らす事の出来ない一族秘伝の言い伝えがある。
この地の大魔導具――
だから戦が起きる度に、ジェダイト家に危機が迫る度にジェダイト家の人間はビュープロフェシーの前で自ら命を断つらしい。
そんな記録は何処にも残されていない。けれど死んだ者が時を遡って運命を変えたのであれば、そんな記録など残される訳もなく。
親子間の口伝でのみ伝わる、我らが仕える公爵にすら秘密にしているビュープロフェシーの嘘か誠かわからない伝承は、大人しかったシャニカがある日突然人が変わったように活発になった事で誠と証明された。
『ミズカワ・アスカは危険なの! セレンディバイト公から酷い事された、ってあらゆる男の所に行くんだから!! あっちを抑えたらこっちが、こっちも抑えられたと思ったらそっちに行く、すっごい悪女だから殺すしかないの!!』
ビュープロフェシーを通して未来から過去に戻ってきたのだと説明するあの子に私は半信半疑だったけれど、お父様は真面目に向き合った。
同時に私に領地視察を任せ、あの子から遠ざけた。
だけど、お父様が処刑されてからは――
ガチャ、とドアが開く音がして過去を思い返すのを中断し、視線を向けるとヒューイ様が頭を掻きながら入ってきた。
「……ミズカワ・アスカは何しに来られたのですか?」
軽い微笑みを貼り付けてヒューイ様に問いかけると、彼は困った様子で肩を竦める。
「君が殺されるかも知れない、と心配したみたいだ。生きていると知って安心していた。あの子のお人好しぶりには本当に呆れる」
「……そうですか」
ミズカワ・アスカ――新聞に載っている写真を見る分には特筆すべき事もない平凡な女性だった。
とてもあの子が言う、『セレンディバイト公や複数の公子の心を射止めるような魔女』には思えなかった。
けれど――3節程前に初めて顔を合わせた魔女は貴族とも平民とも違う、独特の雰囲気をまとっており、理由はどうあれセレンディバイト公やダンビュライト侯以外の3人の男から求められていた。
そして地球に行って戻ってきた際にはセレンディバイト公とダンビュライト侯のどちらの心も見事に射止め――そして今、目の前にいるヒューイ様も3人目の男として手を挙げられている。
あの子の言葉が正しいのなら、世界は着実に崩壊への道を歩んでいる。
(でも……私はもう、その道を阻む事に疲れてしまった)
あの子はお父様が死んでから、私にミズカワ・アスカを殺すように言ってきた。
最初はお父様の仇を――と彼女を死刑にできるように暗に手を回したけれど、まるで見透かされていたように侯爵達による代理裁判に切り替えられ。
その上、私は公平性に欠くという理由で判決を下す権利を失った。
死刑をギリギリで回避した状況で風向きを変えられないかと煽ってみても、死刑に反対する人達の意志は強く、私のような若輩者の言葉に動かされる者はいなかった。
私はツヴェルフの割に器が小さい母上の影響か、何とか魔道士になれる程の大きさの器しかなく、ル・ジェルトの民から生まれたあの子のように体が強い訳でもない。
唯一対抗し得る毒や暗器の扱いも、向こうに強力な癒やし手がいたら何の意味も成さない。
その上、私の犯行だと明らかになればジェダイト家は間違いなく滅びる。
お父様は世界を護りたかった――家と私達を護りたかった。
でも、私はお父様のように命を懸けてでも守りたいと思うものがない。あったけど、もう、なくなってしまった。
絶好の機会だった裁判で死刑に出来なかった私にはもう、自分を犠牲にしてまでミズカワ・アスカを殺す意欲がなかった。
だから数日前『もう私に出来る事はない、諦めなさい』とあの子に告げると私に見切りをつけたのだろう。あの子は行方をくらました。
彼女が一人で上手くやれるならやればいいし、どうしようもなくなった時はあの子はまた過去へと戻る――
私の役目は、彼女が過去に戻る時まで大魔道具をジェダイト家の管理下に置き続ける事だけ。
「……一応伝言も預かってる。お互い抱えてる物は心に押し込めて、お互いの未来の為に話し合えないかな、ってさ」
絶望を
「未来……?」
「ああ。君に父親の仇として恨まれ続けたくないし、君が自分の暗殺に関わってないならこのまま気まずい関係でいたくないんだそうだ……君はどうだ?」
「私は……」
ミズカワ・アスカの暗殺計画には関わっていない。だけど、あの子達がミズカワ・アスカを殺そうとした事は知っている。
ミズカワ・アスカを殺しそこねたせいで、お父様は殺されてしまった。
(私個人の想いを言わせてもらえるなら『関わらないから、関わらないで欲しい』と言いたい所だけれど……)
わざわざ『未来の為』なんて言い回しをしてきたという事は何かしら知られてしまった可能性が高い。
それだけならまだしも、あの子が捕まってしまった可能性もある。
どちらにせよ、私が和解を拒絶する事でジェダイト家の秘密を公にされてしまったら、ジェダイト家は時を遡る力で私腹を肥やした一族として罵られ――お父様が命を懸けてでも守りたかった物がなくなってしまう。
(侯爵裁判の時の彼女は感情的で、頭が回るような印象はなかったけれど……あの子が悪女と言うだけの狡賢さはあるようですね)
だけどミズカワ・アスカはヒューイ様には何も話していない様だ。
あの子はヒューイ様まで彼女に誑かされた未来もあったと言っていたけれど――
「ところでシャニカ嬢はどうした? ここには連れてきてないみたいだが」
あの子の事を考えるのと同時にヒューイ様に聞かれ、一瞬顔がこわばるのを感じる。
「……彼女が何処でどうしているのか、私には分かりかねます」
「冷たい言い方だな……いつだったか、とても仲良さげに遊んでたのが嘘みたいだ」
そう。内気で大人しかったシャニカは母親の違う私にも姉様姉様と慕ってくれた。
緑菊の花が大好きで、二人でジェダイト邸の庭に植えた花畑も今は『色神対策に!』と植えられた、繁殖力の強い雑草に制圧されてしまって、見る影もない。
「あの子は2年前からすっかり変わってしまいました……今となっては同じ屋敷に住む同居人に過ぎません。いえ、行方を眩ませた今となっては同居人ですらありません」
感情の籠らない言葉を返すと、ヒューイ様はバツが悪そうに視線をそらす。
「そ、そうか……まあ、兄弟と言っても何か亀裂が入っちまったらそれまで、みたいな所はあるよな……ああ、そうだ。今回の件の原因を確認する為にビュープロフェシーを点検したいんだが……保管庫の鍵を貸してくれないか?」
気まずい雰囲気を変えようとしたのだろう。ヒューイ様が変えられた話題はあの子の話題以上に私の心を凍りつかせるものだった。
(ビュープロフェシーを調べられたらマズい……だけど状況が状況、大魔道具の点検から逃れる術は無いわ……)
全身に緊張が走る中、一つ息をして体を落ち着かせる。
「申し訳ありません……鍵は先日施錠した際に破損してしまいまして、現在修理に出させている所です。複雑な仕様ですので、戻ってくるのは数日かかるかと」
鍵はあの子が館から姿を消す際に持っていった。
ミズカワ・アスカの暗殺に失敗したのならこの言い訳が通ってるうちに大魔導具の前で死んで過去に戻ってもらう他ない。
(だけど、もし捕まっているのなら助ける必要がある……)
助けて、あの子を再び過去に飛ばしてあげれば私はお父様の願い通り、未来への可能性を繋げた事になる。
(お父様も、妹もいない。私だけが存在してる世界なんて、どうなろうと、もう……)
「…………分かった。それじゃ鍵が戻ってきてから確認させてもらう」
「ええ……その時はどうぞ、ご自由に」
私の大切だった人達はもう何処にもいない。いずれ崩壊する世界に、何の未練もない。
自嘲を込めて放った言葉は酷く他人事のように聞こえた。
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