第77話 闇夜の、安らぎ。



 叔母さんの家を出た後、透明化の魔法をかけてもらって空を飛び――薄暗かった空が真っ暗になった頃、目的の場所に着いた。


 ――お姫様抱っこで。


「二人分の浮遊術を使うより抱えた方がずっと楽なので」


 その後『ペイシュヴァルツと一緒に来ると向こうで魔物が活発化したり人の凶悪性が露出しやすくなったり色々弊害があるので、ペイシュヴァルツは置いてきました』と言われてはお姫様抱っこを断る事も出来ず、ここまで大人しく抱えられてきたんだけど。

 どうにも恥ずかしくて抱っこ以降ダグラスさんと一度も目を合わせられずにいる。


 何か話しかけられたら上手く返せるかな――なんて心配したけれど、移動中ダグラスさんからは何も言われなかった。


 だけど、何でだろう――その静寂は不安というより逆に安らぎをくれた。

 ただ静かに抱えられるこの時間は恥ずかしいけれど、誰にも見られていないと思ったら全然悪い気はしなかった。


 ――目的地について、ダグラスさんが喋り出すまでは。


「この世界の夜空は素晴らしいですね。何もかもが漆黒に溶ける。あの目障りな淡黄色の星や地上のゴミのような光の粒達がいなければなお良い」


 日が暮れてダグラスさんの感嘆の声が響く中、一緒に見る相手間違えたかなぁと思いつつ、早くこのドキドキする状況から逃れたくて降りられそうな場所を探す。


 近くにビルやマンションでもあればその屋上で――と思ったのだけどここはどうも高い所から空を一望できるような場所がない。


 見えるのは広い川べりと、どこまでも続いている屋台の光と沢山の人達。


「飛鳥さん、何をお探しですか? 教えて頂ければ私も手伝いますよ」


 サプライズにしておきたかったけど、さっきの言葉を聞くと喜んでくれるのかどうか不安になってきたので素直にネタばらしする。


「……今日はあの辺りから空いっぱいに花火が打ち上がるんです。それをゆっくり見られる場所があればと思って……あ、花火っていうのは……」

「ああ……下にたくさん人がいるのは花火を見る為ですか」

「え……? ダグラスさん、花火知ってたんですか!?」


 ダグラスさんの落ち着き払った声に思わず驚く。

 少し前にあった花火大会はクラウスがとても驚いていて「また見たい」って言ってたから、今日ここで行われる花火も調べたんだけど――ダグラスさんが花火を知っているとは思わなかった。


 驚いて顔を見上げた私にダグラスさんは優しく微笑む。


「数百年前にル・ティベルに来た地球のツヴェルフが『花火が見たい』と作らせて一時流行った時代があるんです。ただ、火薬の扱いが難しく大きな事故が起きて以降廃れてしまったそうですが……3年前にとある人間が火薬の代わりに魔力を込めた魔晶石の粉を固めたものを代用して光花というものを作りましてね……おや」


 独特の音を響かせながら少し離れた場所で大きな花火が打ち上がった。


「これは……光花も美しいですがここまで大きく、芸術性に飛んだ物ではありません。良い物を見させてくれてありがとうございます」


 続いて打ち上がっていく花火を少し驚いたように口を開けて見つめているダグラスさんに少し心が軽くなる。


「良かった……夜空が明るくなるから気を悪くしちゃうかなって心配だったんですけど、喜んでくれて良かったです」

「私は、貴方が私が喜ぶだろうと思って見せてくれた物を貶すほど愚かな男ではありません……漆黒の闇夜も好きですが、貴方の笑顔が添えられたこの光夜には劣る」


 じっと見つめられてそう優しく微笑まれるともう、恥ずかしいやらカッコいいやらで直視できず、慌てて花火の方に視線を戻してそのまま見惚れる。


 ダグラスさんが喜んでくれた事が嬉しくて、いつの間にか恥ずかしさも拭きとんで好きな人に抱えられて空から花火を見る、という甘い贅沢に酔いしれて――このままずっとこうしていたいのに、色とりどりに打ち上がる花火はあっという間に闇夜に溶けていく。


 光も音も消えて、人の流れがまた大きく動き出す。


「……終わってしまいましたか」


 ダグラスさんの少し残念そうな声が本当に楽しんでくれていたのが分かってちょっと、嬉しい。

 でも、この後どうしよう――と思った所でダグラスさんが一通の封書を私に差し出した。


「……飛鳥さん、これを読んで頂けませんか?」

「これは……」

「父が母に残した手紙です。私が読むと縁が切れてしまうので……ですが、中に何が書いてあるか気になり……ただ、私の事が本当に何も書いてなかったらと思うと家臣に読ませる事も出来ず……ですが、今なら本当に何も書いてなかったとしても耐えられる気がします」


 突然の手紙に戸惑いながらも前々からどんな手紙だったんだろう、と気になってはいた。ダグラスさんに翻訳魔法をかけてもらって目を通す。



<セラヴィへ


 私がどれだけ貴方を愛していても

 私がどれだけ貴方の幸せを願っていても

 私自身の手で貴方を慈しみ、幸せにする事を私の色が許してくれない


 私から離れた貴方の笑顔が眩しい

 私から離れた貴方の幸せが眩しい


 白に包まれて笑う貴方を見ると私は消えてしまいたくなる


 忌まわしい記憶を消され黒から解放された貴方はとても美しい

 衝動に駆られ貴方を不幸に陥れた私はあまりに醜すぎた

 私の愛は人を愛するにはあまりに醜悪で、恐ろしい物だった


 独占欲や支配欲などといった衝動を一切持たずに

 ただ貴方を愛する事だけできたならどれほど良かっただろう?


 貴方はもう全てを忘れて幸せの中で生きている

 私は未だ全てを忘れられずに不幸の中で死んでいく


 肉体からも、魔力からも、記憶からも解放されたら私は幸せになれるだろうか?

 貴方も私がこの世から消えた時、本当の意味で幸せになれるだろうか?


 セラヴィ、やはり貴方には黒より白が似合う

 この生と黒から解放された時、私はようやく貴方の幸せを心から願える気がする


 セラヴィ、今まで本当にすまなかった。どうかこれからも幸せに


 この手紙を読んでもし私に少しでも同情してくれるなら

 貴方が死んだ時にもう一度だけ謝らせて欲しい>




 ――声が出ない。


 この手紙に込められている激しい想いと、真実に。


 忌まわしい記憶を消され――という一文に私は心当たりがある。

 それはラインヴァイスが持っている秘密の、力。それでセラヴィの態度の違和感に全て納得がいく。


 そしてその事をダグラスさんのお父さんは――デュラン卿は知っていた。

 でも、いつ知ったんだろう? そしてどうしてその事をダグラスさんに言わなかったんだろう?


 セラヴィさんを愛していたから、もう自分達に関わらせてはいけないと思ったから?

 でも、言わなかったから、この手紙をセラヴィさんに渡した時に笑顔を向けてもらえなかったダグラスさんは、傷ついて――


「飛鳥さん……私の事は何か書いてありましたか?」

「あ、い、いいえ……」


 ダグラスさんの声に我に返る。そうだ、ダグラスさんの事が書かれてないか確かめる為に読んだのに――この手紙にはダグラスさんの事は一切書いていない。この手紙はセラヴィさんだけに当てられた、恋文。


「そうですか……」


 苦笑いしているけれどその声は明らかに陰りを帯びていて、心が締め付けられる。


「あ、あの、この手紙……しばらく借りてもいいですか……!?」

「構いません。私の事が書かれてないなら、私が持っていても仕方ない……好きに処分してください」


 何故、と聞かれたらと答えるつもりだったけど、興味を失ったように何も聞かれなかったので言うタイミングを失う。


(シルヴィさんかリヴィさんにこれに触れてもらえば、ここに書かなかった感情とか分かるかも……)


 ダグラスさんに何も残さなかった、とは考えづらくて、せめて何か思念とか残ってないかなって、そんな悪あがきなんだけど――それで何も無かったら本当にダグラスさんが救われない。


 だから今しばらくは黙ってよう、と思いなおした所で、お姫様抱っこの状態からギュッと抱きしめられる。


「私には貴方がいれば良い。親から愛を向けられずとも、貴方がそばで私に愛を向けてくれるなら、確固たる地位と名誉を持った上で貴方と幸せな家庭を築けるならもう、それだけでいい……」


 力強い抱擁は微かに震えている。平気なふうを装っているけど傷ついてないはずが、ないのだ。


「……今まで、辛い目に、酷い目に、怖い目に合わせて、本当にすみませんでした……肝心な時に、貴方を、守れなくて……」


 手紙に何も書かれていなかった事の悲しみも、私に対する反省や後悔も痛いくらいに伝わってくる。


「……ダグラスさん……」


 色々思う所はあるけど――あるけど。


 胸が高鳴る中で、ギュッと抱きしめ返す。


「これから気をつけてくれたら、私、もう、それでいいです……」


 そう言って見上げるとダグラスさんは凄く驚いた顔をした後、やっぱり子どものように嬉しそうな微笑みを浮かべている。



 ああ私、やっぱり――この人と一緒に生きたい。正直何とかしてほしい所はいくつもあるけど――それでも、一緒にいたい。



「私……これからは嘘つかないように努力しますから、ダグラスさんも酷い事言わないように頑張ってください」

「善処します」


 そう微笑みあった後、どちらともなく、唇が重なった。


 穏やかで落ち着いた、優しい黒の魔力が私の中に流れ込んでくるのを感じた。



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