第3話 青と紺碧


 ヒューイ卿の案内で舘の中に入ると薄緑のタイルの床の他、天井や壁にも様々な色の緑が使われていました。

 壁の柄や所々に置かれた絵画や装飾は植物を象徴している物が多く、独特の雰囲気が醸し出されています。


「ここを訪れたのは貴方の懐妊パーティーの時以来です。これだけ見事な物を飾っているのですから、もっとパーティーなど開かれればよろしいのに」


 先を歩くヒューイ卿に続きながらお父様が呟かれます。

 ヒューイ卿の懐妊パーティーという事は28、9年ぶり――確かに、30年近く何のパーティーも開かないというのは異常に思えますわ。


 公爵家の中で一番簡素で、多くのゲストを迎え入れる仕様じゃないセレンディバイト邸なら滅多にパーティーを開かないのも分かりますけれど、この家はそうではないですし。


「私もそう思うのですが、父はああ見えてあまり人付き合いが好きではありませんからね。これらも全て自分が気に入った物を気まぐれに飾っているだけにすぎません」

「おや、意外ですね……六会合の度に逐一私や他の公爵に嫌味を言っているので、てっきり色んな人をからかうのが好きな方なのだと思っていました」


 お父様の言葉にヒューイ卿がピタリと足を止めて振り返り、頭を下げる。


「その事については本当に申し訳なく思っています。どうも父上は面白くなりそうな事や荒れそうな事には首を突っ込んで余計状況をややこしくきらいがある。暇な人なんですよ」

「そんなに暇ならもう少し真面目に公務をこなしてほしいんですがね」


 アーサー様以外には基本的に穏やかな物腰のはずのお父様が何だかナチュラルに上から目線です。

 アーサー様の友人だから――じゃなくて、シーザー卿の息子だから、だと思いたいですわ。


 先節のダグラス卿の時止め、シーザー卿は最初止めたっきりでその後は一切手伝ってくれなかった事をお父様は静かに怒っていらっしゃるのです。


 そんなお父様の辛辣な言葉に顔を上げたヒューイ卿は、困ったような苦笑いを浮かべていました。


「耳が痛いですね。ですが私が言った所で父には何も響きません。父が働かない分については私が責任持って代行いたしますので、どうかご容赦願います……ああ、つきました」



 通された応接間には既に三人掛けのソファの中央にどっかりと座るシーザー卿の姿がありました。


「ようこそ、ラリマー家の方々……今回の縁談はこちらにとっても有意義な物でね。ついうっかり失言するかもしれないが、寛大な心で水に流して欲しい」


 こちらが正装で着ているのにいつもと変わらぬコートとローブ姿。

 客人に対して立ち上がりもしない時点で既に失言以上の失態を犯しているのですけれど――この方にそれを言っても何の意味も意味はない事は私達皆分かっております。


 ヒューイ卿もそんな父親に何を言う事もなく、シーザー卿が座るソファに割いる事もせず。ただ静かに私達から見て斜めに置いてある一人がけのソファに座りました。


「どうぞ、皆様お座りください。今お茶を入れさせますので」


 ヒューイ卿に促され、私達はシーザー卿に向かい合うように置かれている3人がけのソファに座ります。流石に公爵家の物という事もあり3人座っても苦しくない程の余裕がありますわ。

 

 そしてテーブルの上に置かれたケーキスタンドには可愛らしいプチケーキやクッキー、青や緑のマカロンなど様々な種類の可愛いお菓子が並んでいるあたり、私達をもてなす気があるのでしょう。


 静寂の中メイドがティーカップにお茶を注いでいくのを見つめていると、その清涼感漂う香りを放っている液体が紺碧に近いものである事に気づく。


「これは……良い色ですね」


 私同様にお茶を注視していたらしいお父様が感心したようにティーカップを手に取りました。


「だろう? 君達は青色の物は飲み慣れているだろうから少し珍しい色の方が良いだろうと思ってね……サウェ・アズールの近辺で僅かに取れるプルートファルベという希少なハーブを使ったお茶だよ。君達の為にわざわざ取り寄せた物だから、気に入ったなら持って帰るといい」


 恩着せがましい言い方がいちいち癪に障りますけれど、一口含んでみるとスッキリとした爽やかさが口の中に優しく広がります。

 色は綺麗ですし、香りも味も良い。これはお父様、持って帰りますわね。


「そう言えば……以前から気になっていたんですが何故ラリマー家の魔力の色は青なのにアズーブラウは紺碧なんですか?」


 同じ様にプルートファルべのお茶に口を付けたヒューイ卿の、本当に興味本位だろう質問に数秒の沈黙がよぎる。


 そう、他の家が真紅、翠緑、漆黒、純白、と色神と公爵の魔力の色が完全に一致するのにラリマー家は自身の持つ色と色神の色が微妙に違います。紺碧は緑がかった青――お父様が持っている澄み渡るような青の魔力とは違うのです。


 リビアングラスも黄と黄金、と色神と公爵の持つ魔力に若干違いがあるお陰でラリマー家だけが疑問を持たれる事はないのですけれど、この国に生きる者なら誰でも一度は疑問に思う事なのでしょう。

 この青とも紺碧とも言い難いアイスブルーの髪と目も、疑問に思う人も少なくないはずですわ。


「……さあ? 私も気になってアズーブラウに聞いた事があるんですが忘れた、と言って教えてくれませんでした」


 お父様の、幼い頃私が聞いた時と全く同じ返答に「そうでしたか」とヒューイ卿は短く返してそれ以上追求する事はありませんでした。


「こちらも1つ質問してよろしいですか? アイドクレース家には門外不出の古代の魔術書があるとシーザー卿から聞いているのですが、ヒューイ卿も失伝魔法を使われるのですか?」

「古代の魔術書、ですか……?」


 ヒューイ卿は今初めて聞いたと言わんばかりにシーザー卿を見据えました。

 私はお父様からシーザー卿が失われた魔法ロストミスティックを使った事を聞いていますけれどヒューイ卿はご存知なかったのかしら?


「……頃合いを見計らって読ませるつもりではいるんだけどねぇ。古代の魔法は言語が簡素な分扱いが難しいからになってくれないと危なっかしくて見せられない」


(ヒューイ卿は28歳……28歳にもなってまだ一人前と認められてないのはちょっと、いや、かなり引きますわ……)


 そんな事を考えているとうっかりヒューイ卿を目が合ってしまいます。


「し、シーザー卿……! 古代の魔法と今の魔法は何がどう違いますの……?」


 気まずさに煽られてとっさに視線をそらしてシーザー卿に尋ねると、彼は何かを思い出すように軽く天井を見上げて語りだしました。


「……年代にもよるけれど今から数千年前の4王国時代ティベル・ディスの頃と今を比較すると言語も構成も全く違う……その頃印術はまだ亜空間収納位しか存在してなかったし、唱術の場合はイメージを固定化する為の詠唱、陣術の場合は魔法陣を制御する為の言語がなかった。古い魔法は使われている言語も優しくないからね。暴発しやすくて魔弾以外は殆ど使い物にならなかったらしい。制御言語の研究が進んで生活魔法が作り出されて魔法文明が飛躍的に発展したのは繁栄の時代ティベル・ディウ……今で言う古代文明の時代からだね。このあたりは言語こそ違うけれど大体今と同じか、より高度な魔法が使われていた」

「お詳しいのですね」


 予想以上に詳細な返しに感心の声をあげると、シーザー卿は苦笑いを浮かべました。


「ふふ、この程度は古代文明か魔法を研究している人間なら誰でも知ってる事だよ……ああ、試してみれば分かるけれど無詠唱も制御言語無しの陣術も暴発リスクがとても高いからね。練習するなら初級魔法から始めて見るといい」


 それは私に、というよりはヒューイ卿とお父様に言っているように聞こえました。だけど2人はその言葉に対して何も言いません。

 私もちょっと試してみたい気持ちが湧きましたけれどツヴェルフになってしまいましたから迂闊に試せませんわ。残念。


「さて……雑談はこの辺にして本題に入ろうか? ヴィクトール卿には前もって伝えてあるけれど、念の為ルクレツィア嬢にも伝えておこう」


 シーザー卿は自分のティーカップに一口つけた後、真っ直ぐに私を見据えます。

 嫌な事を言われるのでは、と思ったのですがその眼差しは意外に穏やかなものでした。


「ボクは息子にこの縁談を強制するつもりはない。息子が良いと言っている間は勝手に結婚なり子づくりなりすればいいが、嫌だと言った時点でこの縁談は破談にさせてもらう……って事でいいね?」

「ええ、それで構いませんよ」


「そうだったんですの?」と言う間もなくお父様が了承する。それなら私も頷くしかありません。


(そう言えばこの縁談、ラリマー家的には戦略結婚のメリットがありますけれど、アイドクレース家側にとってはどうなのでしょう……?)


 アイドクレース家が治めるサウス地方は隣接国と険悪だという話は聞いた事がありません。

 と言うか、皇国の南にある国々との間は広大なディゾルディネ大森林迷いの樹海が隔てていている為、仮に敵対している国があったとしても余程の大軍を率いなければ侵略すらままならないと思われます。


 ラリマー家と繋がる上で他にメリットになりそうなのは政略――とは言え、アイドクレース家は公爵家。

 気に入らない事や者の殆どは自家と侯爵家の力だけで容易に潰せますわ。


 とすれば、後はウェスト地方の豊富な海産物――と言ってもサウス地方にはジェダイト領があります。

 アクアオーラに比べて港の数は少ないでしょうが、海産物は十分間に合っていそうです。


 複合的に考えてシーザー卿が我が家とそこまで強い結びつきを求めていないのも頷けます。


(でも……それなら何故ヒューイ卿はこの縁談を断らなかったのでしょう?)


 これまでのヒューイ卿の態度はけして失礼ではありませんけれど、乗り気じゃないのは感じられますわ。

 だからシーザー卿が強く推しているのだと思っていたのですけれど。


「それじゃあ後は若い者同士で。ヴィクトール卿、古代の魔術書はお見せできないがこの舘の書庫を案内しよう。気になる物があれば貸してあげるよ」

「おや、わざわざ手の内を明かすような真似をなさるとは……一体何を企んでいるんですか?」

「ふふ、君にはいくつか借りがあるから今のうちに返しておこうと思っただけだ。それ以外の意図はないよ」


 立ち上がってお父様を見下ろすシーザー卿の表情はのように見えます。


「……分かりました」


 その嘲笑にお父様は眉一つ動かす事無くゆっくりと私の方を向きました。


「それではルクレツィア、頑張ってくださいね?」


 その言葉を最後にお父様も立ち上がり、私に邪気のない笑顔を向けた後シーザー卿やエリザベート様達と部屋を出ていかれてしまいました。


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