第2話 青の公爵夫人達


 アイドクレース邸に行く日は、雲ひとつ無い快晴が広がっていました。


 天も私の未来を祝福しているのですわ――と上機嫌でアイドクレース家の色である翠緑を基調に緑に染めた小さな緑真珠グリーンパールやヒラヒラのレースを袖や裾に縫い付けたきらびやかなドレスを着ようとした時、思わぬ邪魔が入ってしまいました。


「ルクレツィア、ヒューイ卿に会う時まで橙の下着をつけるのはやめた方がいいと思います!」


 ドレスを着る補助をするメイドが私のキャミソール姿を見るなり呼び寄せたのはお父様の第二夫人であるリオネラ様と、第三夫人のオフェリア様。


「ヒューイ卿とは戦略婚かつ子作り婚に過ぎません……私が愛しているのはアーサー様です。身も心も本来アーサー様のものなのです。これはその意思表示……この下着は断固として外せませんわ! リオネラ様だっていつも公爵夫人としてふさわしくないミニスカートをはいていらっしゃるではありませんか!」


 私に苦言を呈したリオネラ様はもう40になるというのに、丈の長いスカートを嫌ってかろうじて膝にかかる位の短いスカートをはいていらっしゃるの。


 けして見苦しい足ではないですし、群生諸島出身でありながら私が生まれるずっと前から貴族の勉強に励み、今や下級貴族よりもずっと貴族らしい振る舞いを身に着けているこの方を尊敬しておりますけれど、服装についてはあれこれ言われる筋合いはありませんわ。


「私、公の場やパーティーではヴィクトール様の迷惑にならないよう我慢してちゃんと長いのはいてます! オフェリア……貴方もルクレツィアに下着を替えるよう言ってください!」


 リオネラ様が頼ったのは私達の言い争いをぼうっと眺めてらっしゃったオフェリア様。

 緩やかな薄水色の髪が綺麗で、儚げな容姿の割には内面は大分自堕落な方ですので私の味方をしてくれると思ったのですけれど――


「……ルクちゃん、他の男の色の下着なんて抱く側からしたら絶対面白くないわよ?     

 私だったら男が私以外の女の色の下着身につけて事に及ぼうとしてきたらうっかり色々潰しちゃいそうだわ。ましてヒューイ卿はアーサー卿と友人なんだから友人の顔が浮かんで抱けないって流れになったら貴方も困るでしょう……? 緑をつけろとは言わないけど、せめて青にしたら?」


 オフェリア様の感想と意見を交えた冷静な指摘に、返す言葉を失ってしまいます。


(確かに……ヒューイ卿が私を抱く気になってくれないとアーサー様との結婚が遠のいてしまいますわ……!)


 でもすぐに対応できない重要な問題があるのです。私、実は――


「……ありませんの……」

「「え?」」


「私、7歳の頃から橙の下着しか持ってませんの……!!」


 私のちょっと恥ずかしい告白が部屋いっぱいに静寂をもたらします。


 アーサー様と運命の出会いを果たして以来、いつもアーサー様の事で頭が一杯になってしまった私は、7歳の誕生日を前にお父様に何か欲しい物はないか聞かれて「橙のドレスと下着とアクセサリーが欲しい!!」と直談判したのです。


「ああ、そう言えば……懐かしいわねぇ……アズちゃんに丸呑みされても『ドレスとアクセサリーは青で我慢するけど、下着は絶対橙が良い!!』と叫んで引かなかった子がもうこんなに大きくなっちゃって……」


 そう、アズーブラウに飲み込まれて『ラリマー家の人間がラリマー家の青以上に優先する色を持ってはいけません。下着も青以外認めません』と目が笑っていないお父様に初めて厳しく怒られてしまったあの日。


「下着は他の人に見えないもん! 青色も大切にするもん!」

「そういう問題ではないのです」


 そんな押し問答が続いた末に、


「ヴィクトール様! ルクちゃんが我慢したんだからヴィクトール様も譲歩しないとルクちゃんが可哀想です! それに娘の下着の色にこだわる父親なんて気持ち悪いですよ! 嫌われちゃいます!」


 ――と、今この場にいない第四夫人ネクセラリア様の一言にお父様が譲歩したのですわ。


 その後、私も青を蔑ろにするような発言をしてごめんなさいと謝って仲直りしたのです。

 そんな微笑ましい出来事を思い出して部屋に和やかなムードが漂ったその時――

 

「だ、騙されてはいけませんオフェリア! 私、エリザベートがルクレツィアの成長に合わせて橙と一緒に青の下着も用意してる事知ってます! 使ってないならタンスにそのまましまってあるはずです!!」

「残念でしたわね……! 青の下着は全て売り払って橙の装飾品などの資金にあてさせて頂きましたわ!」

「何で勝ち誇ったように言うのよ……それ自信満々で言う事じゃないわよ?」


 ああ、せっかくオフェリア様を懐柔できそうだったのに、うっかり喜びが表に出てしまいましたわ。それにリオネラ様もカンカンに怒ってらっしゃいます。

 私ったら、本当にアーサー様と橙色の事になると抑えている情熱がふきこぼれてしまいますわ。

 

「ルクレツィア……貴方の下着はラリマー家のお金で買った物……それを勝手に売り払って自分の物にする事を『着服』と言うんです!」

「私はラリマー家の娘ですのよ? ラリマー家にとって不要な物を売り払って本当に必要な物を購入する、これの何処に問題がありますの?」

「なっ……!」


 心落ち着けて冷静に指摘するとリオネラ様が言葉に詰まらせます。

 捨てたのであれば怒られるのも理解できますけれど、私は不要な物を有効活用しただけですわ。


 未使用で新品同然の下着ですから例え私の下着とバレても私は恥ずかしくとも何ともありませんし。


「……諦めましょう、リオちゃん……今のルクちゃんに何を言っても無駄よ……でも下着なんかどうやって売ったの? 館に来る商人に売りつけたらまずヴィクトール様やエリーにバレるだろうし……」

「ルクレツィアが登下校の際に服屋に売ったのでは?」

「街の服屋なんて行ったら、学院までの送迎者が必ず報告……って、ああ……送迎者はライ君か……あの子、何だかんだ言ってルクちゃんに甘いし……」

「ライ……ホライズン伯爵家のラインハルトですか? 確かに可能性高いです。そして紛う事なき着服幇助ほうじょ罪。ヴィクトール様に報告します」


 あら、話が思わぬ方向にいってしまいましたわ。ラインハルトが処刑されるのも困りますが彼を通してお父様に他のあれこれがバレてしまうと大変ですわ。


「リオちゃん……悪いんだけど報告するのはやめてくれない? あの子、私の従甥じゅうせいなのよ。この間パパとママが亡くなって可愛い弟が行方不明……顔だけが取り柄の、どうしようもない弟しか肉親がいなくなった上に従姉妹が嫁いだホライズン一家まで『主の令嬢の下着売り払った罪で一族処刑』なんて事になったら流石に私も涙出てきちゃうわ……」

「オフェリア……分かりました。親戚の処刑は悲しいです。内緒にします……」

「ふぅ……ルクちゃん、後で青の下着注文しておくようエリーに言っておくから、いざって時はちゃんとそれを身に着けなさいね……? 後、ライ君困らせないでよね」

「ありがとうございます。リオネラ様、オフェリア様」


 今後はラインハルトは程々に、アレクシスを活用させて頂きますわ――という一言は抑え、キャミソールの裾を摘んで頭を下げます。

 リオネラ様とオフェリア様は重いため息を一つ着いた後、部屋を退室されました。


 その後、唖然あぜんとしていたメイドに声をかけ翠緑のドレスと装飾品を身に纏い、ハーフアップにした髪を緑真珠のバレッタで纏めて青馬車の方に向かうと、既にお父様と第一夫人のエリザベート様が待っていました。


「遅かったですね。何か問題ありましたか?」

「いいえ。何も問題ありませんわお父様」


 そう言うとお父様からそれ以上の追求がくる事もなくお父様とエリザベート様の3人で青馬車に乗ってアイドクレース邸へと向かいます。


 私のドレスに合わせて普段のスーツ姿ではなく正装のお父様と、普段よりは華やかなですけれどそれでも地味な印象が拭えない藍色のドレスを身に纏う暗い水色の髪をお団子にした藍色の目のエリザベート様。


 一番付き合いが長いお二人なのにお互い目を合わせる事も声を掛け合う事もなく、それぞれ自分の側にある窓の向こうを見据え、ただただ馬車が揺れる音だけが響きます。


 この、全く仲が良くなさそうな光景――子どもの時は気になりましたが、けして二人の仲が険悪という訳ではないという事が分かって以降は気にならなくなりました。


 そのうち窓の向こうを眺めていたエリザベート様と目が合うと「ああ」と思い出したようにドレスのポケットから手紙が差し出されます。


「ルクレツィア様、シャンディ様からの手紙です。ツヴェルフになった事をまだ報告していなかったのですね」

「お母様から?」


 そう言えばアーサー様への手紙の文面を考えるのに必死で、お母様に手紙を送るのを忘れていました。

 少し前に私が人工ツヴェルフになった事が新聞の一面に載ったのでそれで手紙を送ってきてくれたのでしょう。


(私のツヴェルフ化という一大事件に対して滅多に手紙を送ってこないお母様ですら手紙をくれたのに、アーサー様は手紙一つくれないのは……)


 気落ちしながらエリザベート様から差し出された手紙を開くと見ると<新聞読んだ。ツヴェルフ大変。でもルクレツィアなら勝てる。頑張れ。子どもできたら肉贈る>とル・ティベルの文字で乱雑に綴られています。


 強く明るく優しいお母様ですが、流石弱肉強食を地でいくル・ジェルトの民――『ツヴェルフは戦ってから子作りするもの』と思い込んでらっしゃるのね。


 お母様とは年に一度、私の誕生日にお父様が連れてくるのとこうして気が向いた時に手紙をくれる位の付き合いしかありませんが、普段はウェスト地方にある別邸にてアレクシスの母親であるプランドラ様と日夜鍛錬に励んでいるとアレクシスが教えてくれました。


 リアルガー公の奥様であるアマンダさんもそうですけれど、もう40近い上に何人もの子どもを出産している身だというのに闘争本能が全く衰えず鍛錬に励むのはル・ジェルトの民の特性なのでしょうか?


 ああ、私も鍛え上げた肉体で現アベンチュリン侯を秒で打ち負かしたプランドラ様のように気に入った男アーサー様に決闘申し込んで勝って手に入れる事ができればどれだけ幸せでしょうか?


(でも、アーサー様は剣技にも魔導工学にも魔術にも長けたとても強いお方……今の私では微塵も勝てる気がしませんわ……)


 それでも、私もル・ジェルトの民の娘――これまでは魔法や礼儀作法、学術優先でいましたがこれからは体を鍛える事に重点を置けばアーサー様ともそれなりに対等に戦えるかも知れません。

 それにダグラス卿が私の核を永魔石に変えてくれたので、お父様から一時的に永魔石を借りて器を青の魔力で満たした後で挑む、という方法は使えます。


(いざという時の最終手段としてアーサー様に決闘を申し込むという手段は有りかも知れませんわね……)


 そんな事を考えている間に時間が過ぎ、アイドクレース邸とそれを覆うような木々達が見えてきました。



 アイドクレース家は普段舘でパーティーを開いたりせず、木々に囲まれている事ともあってこうして敷地内に入るのは新鮮ですわ。

 庭も広く木々も綺麗に剪定されている緑の豪邸の前に馬車を止めると同じタイミングで豪邸の扉が開き、私達を出迎えたのは――


「ようこそ、アイドクレース邸へ。父は応接間で待っていますのでどうぞお入りください。私が案内させて頂きます」


 緩やかな髪を後ろにまとめ、正装で現れた私より10歳年上の公爵令息。

 アーサー様より少し背が低い色男は物腰柔らかで、シーザー卿に比べるとまだ人が良さそうな印象を受けます。


(私はこちらの姿の方が見慣れているのですけれど、きっと塔で会った時のようなゆるやかな姿と態度がこの方の本来の姿なのでしょうね……)


 でもどちらかいいかとか、そういう関心も持てませんわ。だって私は4歳の頃から殿方はアーサー様にしか興味ありませんもの。


 でも、ここでこの方を落とさないと私とアーサー様の未来はないのです。何としてでもこの縁談、成立させてみせますわ。



 内心で気合を入れて愛想よく笑ってみせると、ヒューイ卿は少し目を細めて微笑んだ後、私達に背を向けて静かに歩きだしました。


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