第26話 宝石の実


「アスカ様、剣をお教えするのはいいのですが……その足は大丈夫なんですか?」


 リチャードが心配そうに私の左足を見やる。踏みつけて青くなっていた部分がエグい紫色になっている。


「おや、これは痛い。すぐこの館の家臣の中で最も白の要素が強い者に治療するように伝えよう。それと訓練するのなら19時以降に屋内訓練場を使うと良い。あそこは19時までうちの騎士団や他の騎士団に開放しているが、19時以降なら無人になるからね。ただ、くれぐれも魔力は使わないように。君だとバレてしまうから。さて私はこれで失礼する。今中途半端な所で作業が止まっていてね」


 向かい側のテーブルから身を起こしたエドワード卿が私の足元に目を向けた後に立ち上がり、ドアの方へと向かう。


「ありがとうございます、エドワード卿」


 厄介者であるばかりか我儘まで受け入れてもらえる今の状況はかなり恵まれている。

 立ち上がって深く頭を下げると、エドワード卿は人の良い笑みを浮かべて振り返った。


「気にする事はない。どの道このままずっとこの部屋で閉じこもっていても君も退屈だっただろうからね。リチャードも。暇は良くない、心が腐っていく。それに私は訓練も修行も嫌いだが、強くなろうとする人間は嫌いじゃない。やれるだけやってみるといい」


 エドワード卿が退室して間もなく、眼鏡を掛けたほっそりとした印象を受ける少しやつれ気味の中年女性が入ってきた。


「エドワード様の命令でアスカ様を治療しに来ました」


 左足を差し出すと薄橙の強い光を当てられる。光が消えた後には、うっすらと青い程度の内出血になっていた。


「あ、ありがとうございます……!」

「治癒師を呼べば綺麗に治るでしょうが、大半の治癒師はダンビュライトと繋がっておりますので……これでご容赦ください」


 女性はそれだけ言うと淡々と退室していった。心なしか怒っていたように見えたのは気のせいだろうか?


「えっと今のは……コッパー家の経理と事務を一手に担っているヴァレリー・フォン・ゼクス・リネン女伯爵です」


 家臣が自己紹介もなく去っていった事を申し訳なく思ったのかリチャードが呟く。


「私やっぱりここの人達には良く思われていないのね……」

「ああ、彼女はあの人に色々振り回されて疲れてるだけよ。貴方だけのせいじゃないわ。って言うか……よく思われたいとか思うだけ無駄よ。これから訓練するって事は怪我をするって事でしょう? 治癒師が呼べない以上彼女には頻繁にお世話になると思うわ。自分がやりたい事を押し通したいのなら、相手がどんなに嫌な顔をしていても諦めない事ね」


 ジェシカさんの言葉がズッシリ響く。


(そうか、訓練に怪我はつきもの……)


 私はまだセリアから武器の使い方をさらっと教えられ、クラウスから弓の引き方を学んだだけの素人だ。

 しょっぱなからエレン並みの勢いで来られると困るけど、生易しい訓練じゃ強くなれない。


 魔法戦士(レベル5)になる為にまず戦士(レベル5)を目指さないと。その為には怪我なんて恐れていられない。


 決意を新たにして部屋から出ていくジェシカさんとリチャードを見送る。

 その後ベッドの下から出て来ないペイシュヴァルツに謝ったり宥めすかせてみたりしてみたけれど一切出てくる気配がない。


 仕方がないのでそっとしておく事にして訓練しやすい服に着替え、改めてストレッチして夕食の時間を迎えた。

 食堂には中途半端になっていた作業が終わらないからという理由でエドワード卿の姿はなく、ジェシカさんとリチャードと穏やかに食卓を囲う。


 夕食後、嬉しそうな顔をするジェシカさんに押されるように温室に案内された。

 そう言えばあの、藤の花みたいな葡萄の実みたいな植物スフェールシェーヌ、夜に光るって言っていた事を思い出す。



 日の当たる時に見た温室も素晴らしい物だったけれど日が沈み青白い光だけが差し込む中庭の中で橙色の光に包まれる温室を見ただけで心が踊った。


 そして温室の中に入って思わず感嘆の声を漏らす。


「うわぁ、綺麗……!!」


 屋上近くのフェンスから垂れ下がってキラキラとオレンジ色に輝くスフェールシェーヌはそれぞれがまるで宝石のように、あるいはネオンの様に淡く光り輝いている。温室の中で吊るされたランプにもオレンジ色の光が灯っているがそれぞれが色合いの違う光を放ち、幻想的な空間を作り出していた。


「どう? すごいでしょ? これが私のお気に入りの花なの。」

「はい、宝石がいっぱいぶら下がってるみたいで……すごく綺麗です!」


 葡萄のように丸っこい実は水晶のように透明感を演出している物もあればまるでダイヤモンドやエメラルドのように乱反射して煌めきを作り出しているものも有る。一つ一つ、それぞれが美しく煌めく光景に目が離せない。


「本当、綺麗……」


 藤のような花も薄い花弁の花と厚めの花弁の花で受ける印象が違う。色んな色があったら、とジェシカさんは言ったけれど、一つの色でも微妙に色合いが違って、でも統一感も出ていて――すごく良いと思う。


「では私は訓練場を確認してきます。準備ができたら呼びに来ますのでアスカ様はここで待ってて下さい。」


 リチャードはこの光景を見慣れているのかそう言って温室を出ていく。その姿を見送ってからガーデンチェアに座るとジェシカさんは形の違う実を一つ一つちぎってテーブルに並べていく。


「見上げても綺麗だし、実を並べてじっくり見るのも良いのよ」


 キラキラ輝くそれが並ぶと、まるでウィンドウショッピングで宝石のコーナーでキラキラ輝く宝石達を見ているような気分だ。


 あんまり見つめると店員さんに引かれそうだから程々にしていたけれど、本当は時間の許す限りあの輝きをずっと見ていたかった。


「……これって食べられるんですか?」


 好奇心につられて触ってみると予想以上に弾力性が有り、プニプニとしている。


「薬や調味料に使う事もあるみたいだけど……未加工だと辛くてとても食べられたものじゃないわ。」


 おっと、見た目の割に攻撃性が高い。


「人間も植物も、見た目に騙されちゃ駄目。見目麗しい物は観賞用にするのが丁度いいのよ。そうすれば傷付く事はないんだから」


 なるほど、とジェシカさんの持論に聞き入りつつ実を眺めていると、ジェシカさんは満足そうな笑顔を浮かべる。


「そんなに喜んでくれると育てた甲斐があったってものね。まあエドワードが作った魔道具で温度管理ができるお陰なんだけど。それ全部貴方にあげるわ。乾燥して小さく干からびてもちゃんとキラキラ輝くの。その輝きも是非見てほしい。中に種が入ってるから今の貴方の状況が落ち着いたら何処かに植えて育ててもいいし」


 ジェシカさんはここにはいつでも入っていいから、と言って上機嫌で温室を出ていった。


 再びテーブルの上に置かれた粒達を眺める。コロコロ転がしてみるより複雑に煌めいて飽きない。

 どの位そうしていただろう? 並べた実に不自然な影が過ぎったので顔を上げるとペイシュヴァルツはテーブルの上でじっと私を見つめていた。


 その真っ直ぐな濃灰の視線がダグラスさんと被り、思わず顔が熱くなる。


(もう……リチャードが言い間違えるから……!!)


 首を小さく横に降って、ペイシュヴァルツに笑いかける。


「ほら、ペイシュヴァルツ……凄く綺麗でしょ? まるで宝石みたい」


 笑顔でそう言ってみるがフイッと顔を背けられる。どう見てもまだご機嫌ナナメだ。


「……私がダグラスさんが怒りそうな事ばかりするから怒ってるの?」


 まあ怒られてもしょうがない事をやってるからペイシュヴァルツが怒るのは仕方がないんだけど。

 顎撫では嫌がられたので、普通に撫でようとすると避けられる。ペシペシと激しく動く尻尾――これは相当怒っている。


(……黙っててくれるだけでも感謝しないと)


 気まずくなって周囲を見渡すと視界にフリルフラワーが入る。儚い透明感を感じるその造花もどきの花を見てまたザワりと心の中で何かが渦巻く。


(ちょっと……これから、訓練なのに、また……!?)


 また足で痛みで散らしたら訓練できなくなる。左の袖をまくって腕に思い切り噛み付く。

 だけど不安が散らせない。深く、深く歯を立てても散らす程の痛みにはなってくれない。


 いや、痛いはずなのだけど痛みが痛みとして認識できないというか、何枚も薄い膜越しに噛み付いているような、遠い感覚。


(何で? 何で私はこんなにあの花に対して不安を抱くんだろう?)


 この感覚――この世界で感じた事は今まで無かった。理由無い不安と焦燥感が波のように押し寄せてくる。それは押し寄せる度に私の心を黒く濡らしていく。


 黒の魔力の安定を解かれた時のような不安で押し潰されるような感覚とは違う、このままでいたら何かに引きずり込まれてしまいそうな、戻れなくなってしまいそうな感覚が足を震わせる。


 耳元で唸るペイシュヴァルツの声とは別に、何処かから声が聞こえてくる。


 酷く泣いている誰かの声が、謝る誰かの声が、誰かの震える声が、誰かを責め立てるような子どもの声がごちゃごちゃと渦巻いて、酷く気持ち悪くなっていく。


 ドサッ、と音と衝撃を聞いて自分が椅子から倒れ込んだ事を悟る。続けて鈍痛を感じる。

 やばい、起き上がれそうにない。エビのように体を丸まらせてひたすら気持ち悪さを耐えしのぐ。


「……たす、け、て……」


 吐き出すように言ってはみたけれど、誰にどうしてもらえれば私はこの状況から逃れられるのか、分からない。

 黒の魔力を消費すれば――と思ったけど、今この状況で魔力を消費すればこの家に迷惑がかかる。


 そうだ、迷惑――迷惑を掛ける訳にはいかない。もう、誰にも。


 その瞬間、温かい何かが体に入り込み、一気に不安が引いていくのを感じた。

 声が遠ざかっていく代わりに自分の名を呼びかける別の声が聞こえてくる。


 顔を上げると、リチャードが心配そうに私の肩を支えていた。


「アスカ様、大丈夫ですか……!?」

「え、あ……ええ……大丈夫……」


 咄嗟に捲った袖を降ろして立ち上がる。何かが入ってきたような感覚があったけれど体には何の違和感もなく、普通に動ける。


(今の、何だったの……?)


 あの得体のしれない恐怖――もう一度フリルフラワーを見たらまた同じ様になるのだろうか? でも、流石にもう一度見る勇気はない。怖い。


「……あれ?」


 フリルフラワーが咲いている場所を避けて周囲を見回すと、先程までいたはずのペイシュヴァルツがいつの間にか私の傍からいなくなっていた。


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