第44話 漆黒の困惑(※ダグラス視点)


(まったく、あの程度の魔物で私に依頼してくるとは……!!)


 大空を駆けるペイシュヴァルツに乗って受ける風は普段であれば心地良いものだが、私の苛立ちは全く収まらなかった。


 たかが十数体の食人鬼の群れ、腹ごなしにもならない。

 私には赤のように『強い者と戦いたい』という欲求はそれほどないが、それでもこの苛立ちを昇華させる程度には潰しがいがあって欲しかった。


 黒炎を使えば森が焼ける、槍を振り回せば奴等の体液で汚れる、召喚魔法を使うほどでもない、洗浄・浄化の時間も惜しい――結果、のろまな食人鬼達を魔弾で撃ち抜いていくだけの地味な戦いは、全く面白くなかった。


 飛鳥さんから頼まれて購入した、紺碧のムースにかかった白いヨーグルトが更に私の機嫌を逆撫でしてくる。


(しかし、あの男……自分でもできるような魔物討伐を私に押し付けて、一体何を考えている……!?)


 忌々しいスイーツをさっさと亜空間に収納し、苛立ちを全てヒューイに向ければ向けるほど苛立ちと疑問が募る。


 あの程度の食人鬼の群れなら後2、3日放置しておいても被害は出ない。

 せいぜいあの森に探索に入った、よっぽど危機感のない間抜けで鈍足な冒険者が被害に合う程度だ。


 それをわざわざ、飛鳥さんとのとても甘く蕩けるような一時ひとときをぶち壊しにしてまで頼みに来るとは、一体どういうつもりなのだろうか?


 飛鳥さんに後押しされなければ、絶対に引き受けなかった魔物の群れ――それはあの男も分かっていたはずだ。

 分かっていたはずなのに頼んできた、という事は――間違いなく裏がある。


(……まさか、私を遠ざけている間に飛鳥さんを誑かそうとしているのでは!?)


 何故今まで、その可能性に気付けなかったのか――あいつは飛鳥さんの3人目の男になりたがっている。

 あいつの手にかかった契約呪術を解くのを拒んだ時、あいつは何て言っていた?


 ――お前がこの呪術を自主的に解いてくれればこっちもありがたいんだが、それができないってんならもうちょいあの子と仲良くなって、あの子からお前にお願いしてもらうしかないよな?――


(そうだ、あいつはそう言っていた……卑怯な手段を、と思っていたが更に卑怯な手段で私と飛鳥さんを強引に引き剥がすとは……!!)


 飛鳥さんの性格を見通したいやらしい手段に、噛み締めた歯が軋む。同時に体がゾワゾワしてきた。


 あの男が女を口説く様はこれまで何度も目撃している。

 大袈裟な口説き文句に、女好きが放つ独特の色気。細やかな気配りといけると思ったらどんどん踏み込む大胆な手口――


 初対面の女性でも気が合えば数時間で男女の関係になれる危険人物に、一層恐怖心と嫌悪感が湧きあがる。


(今更かもしれないが)


 強めの魔力探知を発動させる。

 飛鳥さんの魔力――私と同じ漆黒の魔力がサウェ・ブリーゼの方角にある。翠緑は近くにない。


 翠緑は――サウェ・カイムの方角に純白の大鷲ラインヴァイスとアレの魔力と共にある。他にアクアオーラの水色、ジェダイトの青緑――?


(……そう言えば、ジェダイト女侯との会談は中止になったな。サウェ・ブリーゼからサウェ・カイムの方向に移動している……と考えると、何かあったのは事実か?)


 飛鳥さんに翠緑の魔力が注がれていない事に安堵するものの、疑問は更に膨れあがる。

 アレと行動を共にするのなら、食人鬼退治もアレに頼めば良かったではないか。

 なのに、何故――


 渦巻く苛立ちと疑心はどうにも収まりそうにない。

 飛鳥さんが傍にいる間は、ツノに触れられてる間は不思議と静まり返る不安も、いないとすぐに膨れ上がる。


(……とにかく、一秒でも早く飛鳥さんの所に戻らなくては)


 ペイシュヴァルツに高速移動ステップをかけて更に飛ばし、数十分後――ようやく見えてきたホテルの部屋のバルコニーに何故かメイドが立っていた。


「お帰りなさいませ、ダグラス様」

「通せ」


 頭を深く下げるメイドに対して道を開けるように促すと顔を上げて、ニッコリと微笑んでくる。


「そのような怖い顔をしていてはアスカ様が怯えられます。せっかくのサプライズが台無しになってしまいます」

「……サプライズ、だと?」


 サプライズを事前に告知したらサプライズではなくなるだろう――という突っ込みを被せる前にメイドは言葉を重ねる。


「ここで全ては申し上げません……ですが、ダグラス様にとって非常に喜ばしいサプライズです。苛立ちは一旦お諌めくださいませ」

「……ほう?」


 非常に喜ばしいサプライズ、と言われて心が少々疼きだす。

 私が喜ぶ事――何だ? ここ数日は飛鳥さんと実に有意義な時間を過ごしている私に更なる喜びがあるとしたら――


(もしや……飛鳥さんの準備が整った……!?)


 もしそうであれば、飛鳥さんの機嫌を損ねて、またお預け――なんて事は絶対にあってはならない。


「……助かった。そういう事であれば確かに苛立っていては台無しだな」


 一つ大きく息を吸い、体を落ち着かせる。

 遠距離からやっつけたとはいえ食人鬼の臭いは強烈だ。異臭でムードを台無しにしてはいけない。


 バルコニーに降り立った後、自分とペイシュヴァルツに念入りに浄化魔法をかけ、足には洗浄魔法もかけておく。


「これでどうだ?」

「……問題ありません。それでは、どうぞお入りください」


 部屋への扉が開かれ、なるべく音を立てずに平静を装って足を踏み入れると、丁度別の部屋から戻ってきたらしい飛鳥さんが入ってきた。


「あ……おかえりなさい、ダグラスさん」

「只今戻りました、飛鳥、さ……!?」


 いつもの可愛い飛鳥さんだが、違う。明らかに違う。

 黒いワンピースに首に巻かれた、漆黒の婚約リボン――本来そのリボンが飾るべき頭には、


(黒猫の、耳……!?)


 一度それを認識したら、そこから目が離せなくなる。可愛らしい小さな黒い三角が2つ――それは紛う事なき、猫耳(黒)である。


 分かっている――私のツノとは違い、飛鳥さんのそれは生えている訳ではない。

 色神祭や仮装祭の際に黒の魔力に近い女子どもが身につける、漆黒の大猫ペイシュヴァルツを讃える髪飾りの1つだ。


 皇国では年に一度、それぞれの色神に感謝を捧げる祭りが行われる。地方それぞれでそれぞれの月にそれぞれの色神にちなんだ仮装や装飾品を身に着けて祝う。

 しかし、固有の領土を持っていない白と黒の色神については年始と年末に年明けの祭りと同時に祝われる。


 年始はラインヴァイスを、年末はペイシュヴァルツを祝う祭りの中でしばしばそのペイシュヴァルツをイメージした衣装や装飾品を纏う者を見てはこそばゆい気持ちになっていたのだが――


(可愛い)


 私に宿る漆黒の大猫を模した装飾品を身につける飛鳥さんがたまらなく愛おしい。

 愛でたいというか――撫でたい気持ちでいっぱいになる。とても愛らしい。

 飛鳥さんと出会ってから心に滲み出るようになった庇護欲が一層溢れ出て、頭から苛立ちも不満も消えていく。


「……ど、どうですか?」

「可愛いです……よく似合っています」

「そ、そうですか。それなら良かったです」


 恥ずかしがってるのをヒシヒシと感じて可愛い。

 可愛いと言うとちょっと嬉しそうに口元を緩めたのも可愛い。


「さあ、私の可愛いペイシュヴァルツ……どうぞこちらに」


 ソファに座り横に座るように促すと、おずおずと座ってくれた。

 ペイシュヴァルツ(本物)が目を丸くして私を凝視してくるが、ショックを受けているのだろうか?


『分かってくれ、ペイシュヴァルツ……今の飛鳥さんには誰も敵わない』


 そう呼びかけてやるとペイシュヴァルツの丸い目が半目になり――フスッ、と息をついた後、トコトコとバルコニーの方に去っていった。

 最後の一息とスンとした態度は微妙であったが、この尊い空気を尊重してくれた事に感謝する。


 そしてこの尊い空気を全く尊重しない暗朱の魔獣が足元で睨んでいるが、不思議と苛立たない。

 全てはこの飛鳥さんの可愛さが為せる技だろう。


「ご希望のスイーツを買ってきました。お口に合わなかった時を考えて焼き菓子も買ってあります」


 亜空間からスイーツを取り出しメイドに渡した後、横に座る飛鳥さんを観察する。


(……羽根と尻尾は無いのか。館に戻ったらルドルフに用意させねば)


 ああ、それにしても恥じらう姿がとても可愛いのに、もっと辱めたい――という欲求が湧き上がってこない。

 幼い子どもが稚拙で安っぽい仮装をする姿を微笑ましく見つめる親どもの気持ちがよく分かる。


 可愛い存在が、可愛らしい物を身に着け、可愛らしい仕草をするのは、値段や品格に関係なく、実に尊いものなのだな――

 誰に何を問いかけられた訳でもないのに、自然と頷いてしまう。


 まったりとした心地よい空間でローテーブルの上にムースや焼き菓子が乗った皿とティーセットが用意される。

 

「私は自室で頂きます。お二方はどうぞ気兼ねなくごゆるりとお過ごしくださいませ」


 温かい緑茶が注がれた後、メイドは己に充てがわれた部屋へと去っていった。飛鳥さんは「頂きます」と言った後ムースの味を確かめる。


「美味しい……!」

「それは良かった。良かったら私の分もどうぞ」

「ダグラスさんも、この紺碧のムースの部分だけでも食べてみてください。これ、ヨーグルトもムース状になってるから避けやすいですよ」


 そんな風に言われては、断れない。ヨーグルトのムースを避け、紺碧のムースを口に含む。


 甘酸っぱい――のだろう。いかにも、女子が好みそうな味だ。

 少々青臭さを感じるが、それを隠す為にヨーグルトが添えられているのだろう。


「まあ、食べられなくはない、ですが……飛鳥さんが食べて喜ぶ姿を見ている方が美味しいです」

「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて」


 (……撫でたい、触りたい、抱き寄せたい)


 もし今、この飛鳥さんに『世界を崩壊させてください』とお願いされたら、私はやってしまうかもしれない。

 飛鳥さんは絶対にそんな事を言わないだろうが――気に入らない奴がいるなら遠慮なく言ってほしいものだ。


「……今日の飛鳥さんはとても可愛らしい。貴方がペイシュヴァルツのカチューシャ1つ身につけただけでここまで心動かされるとは」


 自然と口からこぼれた賛美の言葉に、飛鳥さんは眉をひそめる。

 しまった、地雷を踏んでしまったか――!? 全身に緊張が走る。


「あ……飛鳥さん? どうしました?」


 可愛い、似合っている――そういった言葉しか使っていないはずだ。今の流れで不快になる要素など、何処にも――


 困惑している間に飛鳥さんは猫耳を外して、テーブルの上に置いてしまった。


「あ、あの……すみません、私は何か不味い事を、言ってしまったのでしょうか?」

「……私、ペイシュヴァルツじゃないから」

「…………!!」


 怒っている――そっぽを向いてちょっとだけ頬が膨らんでいる飛鳥さんは明らかに怒っている。

 猫扱いは駄目だったのか? いやしかし、猫耳をつけているなら猫扱いした方がいいのでは――


「他にも、化粧とか、服とか髪とか色々、気を使ってるのにカチューシャ1つでそこまで変わられると、なんか……悔しい」


 ぽふ、と胸に頭をくっつけてくるその仕草に心臓が跳ね上がる。


 (何故だ? 何故怒っているのに何でそんな大胆な事を……!?)


 私の可愛い理不尽猫飛鳥さんの頭は何故かズルズルと下がっていき――そのまま私の片腿に収まった。


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