第33話 とある夫人の不安・2(※マリー視点)
「マリー、お母様、大変……! 兄さんが
今までにない位顔を真っ赤にしたロザリーは私達が何を問う間もなく、両手で顔を抑えて一気に言葉を吐き出した。
「鞭の先端を咥えて相手に魔力を送り込ませるなんて、卑猥極まりないわ……! ああもう、言うのも恥ずかしい……!! 漆黒の下着のツヴェルフだと聞いて心配していたけれど、まさか兄さんまで誑かそうとするなんて……!!」
「まあ……何ておぞましい……! 過去に使われた事がある魔道具だと言うから大丈夫かと思ったけれど、そんな卑猥な魔道具が過去に存在したというの!?」
ロザリーの言葉にミモザ様も愕然としている。
私はロザリーが何を言っているのか理解できなくて、改めて脳内でロザリーの言葉をゆっくり繰り返す。
妖艶に口に鞭の先端を咥えて挑発するような視線でレオを誑かす灰色の魔女が想像できた所でようやくどういう状況かを把握する。
「さ、先に言っておくけど、ツヴェルフが『どうぞ』って言うから開けたのよ! 私が勝手に開けた訳じゃないんだから……!」
「まさか、そんな行為を人に見られてもいいと!? ミズカワ・アスカ……新聞でも紙面を何度か賑わせていたけれど、何て恐ろしいツヴェルフ……!」
ミモザ様もロザリーも、部屋にいるメイド達も皆顔を真っ赤にする中、私も自分の頭に段々血が上がってくるのを感じる。
非接触で魔力を注ぐ魔道具を作ると聞いて嫌な予感はしていたけれど、具体的な魔道具の内容については説明しなかったから(そこまで気にする程じゃない)って何度も自分に言い聞かせてたのに――
(そんな破廉恥な行為に及ぶなんて聞いてない……!)
「……私、ちょっと行ってきます!」
「お待ちなさいマリーさん! 本妻とツヴェルフが険悪になってはレオナルドが困ります……! 私がロベルトに手紙を書きますから、貴方は……!」
「レオと話し合います!」
ミモザ様の止める声が途絶えた所で部屋を出る。行儀が悪いけれど後で叱られるの覚悟でスカートを掴んで走って黄金の部屋に着くと、ドアが僅かに開いている事に気づく。
何故? と思いドアの下を見ると金色の細長い棒状のイヤリングがドアに挟まっている。
ロザリーがお義父様から誕生日プレゼントに貰ったのだと愛用している物だ。
開けるついでに拾っておこう――と思った時、レオの声が響く。
「私は貴方を死なせたくないんです。私は貴方の恩に報いて、認められたい」
その言葉に一瞬心臓が止まりそうになる。
認められたい――って、ツヴェルフに何を認められたいっていうの? 何とも思ってないはずのツヴェルフに、何を――
困惑する中、部屋の中からこっちに向かってくる足音が聞こえて慌ててその場から立ち去る。
(恐い。レオの気持ちを知るのが……今レオが何を考えてるのかを知るのが、恐い)
通路の影まで逃げて躍るように脈打つ胸を抑えていると、レオがやってきた。
「マリー……どうした?」
「レ、レオ……ロザリーが、その……」
さっきの言葉は――なんて言えるはずもなく。ただこんな場所に立ち尽くしているのも不自然で来た理由だけでも伝えようとするけど、なかなか言葉にならない。
それでも何を言いたいのかはレオに伝わったようだ。暗い表情で手に持っている魔道具の方に視線を移した。
「すまないマリー……良い気分じゃないのは分かっている。私自身この魔道具を使い続けるのは辛いから改良しようと思う」
「……また使うの? それ……」
ロザリーが言っていた鞭のような形をした魔道具。先端に球がついているから大体どういう作りか察せられる。
想像するだけでも嫌な気持ちになるのに、実際これを使っている所を見たロザリーがあんな風に叫び回るのも分かる気がする。
「……マリー、やはりしばらく別邸に行った方が良い。このままだと君に物凄く不快な思いをさせてしまう」
レオの酷く辛そうな表情に言いたい言葉が抑え込まれる。
「……だ、大丈夫。私の事は気にしないで……ごめんなさい、ちょっと驚いただけだから……レオは今やるべき事に集中して」
「……わかった、そう言ってくれると助かる……だが無理はせず、辛い時はすぐに別邸に移動してくれ」
レオが困ったように微笑んだ後、私の横を通り過ぎていく。その後ろ姿を見えなくなるまで見送る。
心配、不安、怒り、あのツヴェルフは嫌――心の中で渦巻く負の感情はなかなか声に出てくれない。
(……ああ、ロザリーのイヤリング拾いに行かないと)
再び黄金の部屋の前に立つと、レオが出てきた時に弾かれたのかイヤリングは先程の場所から少しズレた場所に落ちていた。
拾い上げたイヤリングは特に壊れてる箇所はないようでホッとする。
立ち上がると再び黄金の部屋のドアが視界に入る。
今、この部屋の中にレオを惑わせる灰色の魔女がいる。
(早くいなくなってくれればいいのに……)
そんな冷たい思考で俯く。ドロドロとした気持ちが心を覆うのを振り払うように首を横に振る。
(ううん、駄目よマリー……いくら男を誑かして『触れたら惚れる』なんて言っておきながら卑猥な行為に及んでる人だとしても……私自身、アスカ様がどういう人か知らないじゃない)
イメージを勝手に作り上げられて嫌な思いをする事なんてよくある話で――自分がそれに傷付いてきた事だってあるじゃない。
気に入った人をはべらかすコンカシェル様のような人かもしれないし、もしかしたら違うかもしれない。
そういうのって、実際に話してみないと分からない。
(それに……勝手に悪い想像して、勝手に嫌な思いしてる人間なんて、きっとどんな人より面倒臭い)
そう、勝手に思い込んで、勝手に敵視して――私は絶対にそんな人間になりたくない。
(それに、レオの傷を癒やしてくれた人なのは間違いないんだし……うん、アスカ様と白の侯爵に癒やしてもらえなかったら、レオは今も後遺症で苦しんでいたかもしれない……)
自分の中の嫌な気持ちを振り払ってその場を立ち去ろうとした時、ガラガラと何かが運ばれてくる音がして、音の方を振り返るとメイドが食事を乗せたワゴンを押してやってきた。
「あ、マリー様……今レオナルド様が黄金の部屋におられると聞いたので食事をお運びしたのですが……何かあったのですか?」
「レオはもう出ていったけど……」
見やったワゴンに乗っている食事は明らかに一人分じゃない。レオとアスカ様の分だろう。
(ミモザ様にはツヴェルフと接触しないように言われてるけど……このままアスカ様と一言も会話せずに不安だけ降り積もらせたく、ない)
直接話してみて嫌だと思ったら嫌だと思えばいい。会わず嫌いなんて――私らしくない。
「せっかく2人分持ってきてくれたのですから、私がアスカ様と頂きます」
「え、そ、それは……!」
「もし何か言われたら私が言ったから、と言って構わないから。ワゴンも食べ終えた後、私が厨房まで持って行きます」
自分から飛び出た言葉に凄くドキドキする。メイドが驚いたような顔をしているけれど数秒考え込んだ後、
「かしこまりました……ただ、マリー様に厨房までワゴンを運ばせる訳には参りません。食べ終えた後は部屋の前に出しておいて頂ければ、後で回収しにまいります」
メイドはそう言って小さく会釈して去っていく。ミモザ様からは色々教えられてるけど人を使う事にはまだまだ慣れそうにない。
公爵家に多少憧れはあったけど実際自分がなってみると結構堅苦しい――何て絶対言えない。
(……ああ、もう、引き返せない)
男を誑かす灰色の魔女――私にはどんな態度で接するのかしら?
嫌な事言われたりしないかしら? 挑発されたらどうしよう? 堂々と言い返せばいい? それとも黙っていた方がいい?
(……落ち着いて、マリー。相手が本当に嫌な人かどうか確かめるだけ……!)
もし本当に嫌な――危険な人間だったらレオにハッキリ言おう。あるいはお義父様やミモザ様に相談しよう。
一節前のセン・チュールの塔でのツヴェルフ転送事件でツヴェルフは2人帰ってしまったけれど、リアルガー家のツヴェルフが残ってる。
リアルガー家の子を生んだ後にリビアングラスに来てもらえば良い訳だし、アスカ様が絶対にレオの子を産まなきゃいけない、なんて理由もないんだから――
よし! と小さく気合を入れて震える手でノックした。
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