第44話 魔物狩り・9


「あ、あ、あり得ない……!!」


 彼の下着を含めた衣服が仄暗い水球の中で激しく回転する中、突如始まったシャワータイムが終わるのをペイシュヴァルツの陰でただひたすら待つ。


『ゾンビの血や体液に塗れた姿で抱えられても微塵も嬉しくない』という私の言葉に反論した後、ダグラスさんは私を床に下ろすなりおもむろに衣服を脱ぎだした。


(うわぁ、細身な割に筋肉ある……!)


とか思ってたら、下着にまで手をかけた所で慌てて傍から離れた。


 そして力が入らず震える手足を使って必死に部屋の隅まで逃げると、私を追いかけてきたペイシュヴァルツの陰に座り込み、一体ダグラスさんは服を脱いで何をやらかすのかとほんのちょっとだけ見やると、一糸まとわぬ姿で頭上の魔法陣から降り注ぐお湯を浴びていたので慌てて視線を逸らして――今に至る。


「あ、貴方には、恥じらいって、物が、無いの……!?」


 念の為に言うけれど、離れている上に後ろ姿で湯気もありいわゆる大事な所は何も見えていない。

 筋肉にはつい見惚れてしまったけど、急所はやはり、何の関係もない他人が迂闊に見てはいけない部分だろう。


 ここでもし多数決を取ったとしても、きっと筋肉はセーフで、急所はアウトだろう。何がどうセーフで何がどうアウトなんだか分からないけれど。


 さっきまで死闘を繰り広げた死霊王だってまさか、縄張り踏み荒らして滅して本を奪った相手がその場で全裸になってシャワーを浴び始めるとは思ってもいなかっただろう。事の発端を作ってしまった事を、心の隅で詫びる。


『飛鳥さんの服も洗いましょう。5分も頂ければ綺麗に洗浄、乾燥、浄化してお返しします』

「け、結構です!!」


 ズボンのポケットに入った音石から放たれたダグラスさんの提案を全力で拒む。


 こんな所陰気臭く死臭に満ちた場所で下着姿になるとか、マジであり得ない。だけど相手は今同じ部屋で全裸になっている。本当あり得ない。


『……人の汚れを気にする割りに、自分の汚れは気にしないというのはいかがなものかと』

「急に、女性の、前で、脱ぎだす、男の人も、いかがな、ものかと!! 思いますがね!!」


 ザアッ、と水が落ちる音共に小さいため息混じりの呟きが聞こえて安定しない口で必死に反論したけど、脱ぎだす、という自分の余計な一言で先程のシーンがもう一度思い起こされる。

 しなやかな体に隙のない筋肉。6パックだか8パックだかよく分からないけど良い感じの腹筋――いやいやいやいやいや、何で思い出しちゃうのよ……恥ずかしい……!


『服を脱ぎたくなるような事を言ったのは貴方でしょう? 男を脱がせておいて自分は脱がないなんて……本当に罪深いお人だ』

「人聞きが悪い!!」


 そんな、説明するのも憚られるようなやりとりをした数分後、こちらに来た時と同じように髪を整え綺麗な服を着こなしたダグラスさんがその手に外套を持ってやってくる。


「服を洗っている間、これをお貸しします。これなら恥ずかしくないでしょう?」

「そこまでして私を脱がせたいんですか!?」


 しつこいダグラスさんに対して叫ぶ今私の顔は絶対に真っ赤だ。

 その証拠にダグラスさんは明らかに引いた表情をしている。本当に引いてるのはこっちなんだけど。


「分かりました。そこまでお嫌ならば……」


 そう、余計な事を言ってしまった私が悪かったです。謝ります。だからもう諦めて……! と願った、その時。


「手荒な真似はしたくないのですが……」


 嫌な言葉が続くと同時に、大きな水の球が全身を包み込む。


「服ごと靴ごと……まるごと貴方を洗います。少々苦しいかもしれませんが魔物の体液には毒がある場合が多いので、徹底的に浄化させて頂きます……お覚悟を」


 仄暗い水の球に閉じ込められたかと思うと、激しい水流によって自分の意思に関わりなく回転させられる。


 右回転の後、水から解放されたと思って大きく息を吸い込んだらまた水球に捉われて次は左回転、それを繰り返すように、グルングルンと上周りに下回り――何だか、すごく、気持ち悪い。


 5回目の息継ぎでようやく水球からはじき出されたと思ったら、今度は熱風の渦に浮かされる。


 (ああ……私の服と優里のハンカチも、こんな感じで洗われたのかな……?)


 霞む視界の中でペイシュヴァルツが緩やかにお湯をあてられて心地よさそうにしてる姿が見えた。何この扱いの差。


 こんな目に合う位なら、素直に服を脱げば良かった。いや、先に魔物の体液は毒だと言ってくれれば嫌々言いながらもしぶしぶ脱いだのに。

 あんな状況で何の説明もなく服を脱げとか言われたら、拒絶するに決まってる。


 熱風から解放されて地面に落ちそうな所をまた、お姫様抱っこで受け止められてしまう。


「かはっ……」


 もう胃の中に吐き出せるものが無いのか、音だけがむなしく響いた。


「また穢れて同じ目に合いたくなければ、大人しくしていてください」


 結局そのまま――あの隠し通路の部屋は宙に浮いて難なく上がり――お姫様抱っこで遺跡の入り口近くまで運ばれてしまった。




「あの、この辺ってゾンビとか出てこなかったし……流石にもう降りても大丈夫だと思うんですよね……」


 もうすぐ外に出る位の場所で、ここまで来たらそろそろ下ろしてくれるだろうと提案してみる。


「ほら、遺跡からお姫様抱っこで出てったら恥ずかしいじゃないですか……!」

「見る人間などメイドや馬車の御者位の者でしょう。私達は婚約しているのですから何の問題もない」


 ダグラスさんがこの体制に拘るのは自分がそうしたいからというよりは、恐らく彼らに向けたアピールだろう。

 彼らが城に帰還した後誰かにポロッとでも言いふらせば一気に広まる。


 外堀埋めて鉄壁打ち込んで……これ以上周囲にアピールしなくても私にちょっかいかけてくるような人なんてもういないだろうに。この上に屋根まで被せて完全に私を閉じ込めようとする勢いを感じる。


「く、クラウスが見たら、絶対良い気しないと思うんですよね……!」


 無理矢理力を込めて引き離そうとすると、一つため息が聞こえた。


「見せつけて嫉妬心を煽って仲を進展させられたらいいのですが……残念ですが、クラウスはもう自分の屋敷に帰ってますよ」

「え?」


 淡々と言い放たれた言葉に、思わず声を上げる。

 この状況で、帰った? いや、クラウス具合悪そうだったし帰るなら帰るで全然いいんだけど――待っていてくれなかったのか、と思うと何だか無性に寂しくなる。


「クラウスの名誉の為に言いますが、彼の意思ではありません。クラウスは12時になると意識を失う。意識を失えば次に目を覚ますのは夜の0時過ぎ……まともな従者であれば貴方の帰還を待たずに連れ帰っているでしょう」


 今――ダグラスさん、とても重要な事をサラッと言った気がする。


「ど……どういう事?」


 これまでのクラウスの態度に繋がる重要な言葉を聞き流す事は出来ず追及すると、ダグラスさんはあっさりと答える。


「クラウスは産まれた時から呪われています。彼は午前中しかまともに動けない……いえ、もう朝の10時にもなれば行動に支障が出る位には辛いはずです」


 午前中しか動けない呪い――ダグラスさんの言葉はけして嘘を言っているようには見えなかった。実際、そういう事情なら頑なに会議やパーティーに出ない事にも頷ける。

 今日だって、お昼前に魔物を一掃したいと酷く焦っていた。


(……言われてみれば初めて出会った時も9時を過ぎていた……早く帰りたいのは体調面の問題だったのかしら?)


 午前中しか起きていられないなら、午後に行われる会議やパーティーに出られるはずがない。

 午前に行われる物にだけでも出ればいいのにと一瞬思ったけれど、10時で既に辛いなら、それすらも難しいだろう。

 焦るクラウスから時折感じた余裕の無さはそこからくるものだと思うと全て納得がいく。


「……何で今まで教えてくれなかったんです? 手紙に書いてくれれば良かったのに」


 戦闘向きではない、なんて事よりよほど重要な事なのに。


「手紙には魔物を深追いしないように書いたはずです。しかしまさかクラウスが強引に突き進むとは思いませんでした。思った以上に彼は幼い所があるようですね」


 産まれた時からずっと午前中しか起きらていられないのなら、年齢以下の幼さはどうしても出てくるだろう。

 でも、花畑まで連れて行ってくれた時の彼は私以上に落ち着いていた。

 そんなアンバランスな所も呪いのせいだとしたら――何故、誰かそんな酷い呪いをかけたのか――術者に怒りがこみ上げる。


「一体誰がそんな酷い呪いを……?」

「呪いをかけたのは私の父です」


 躊躇する事なく帰ってきた答えに、こちらの言葉が詰まってしまう。


 クラウスのお父さんにツヴェルフを奪われた、ダグラスさんのお父さん――その人のは呪いをかける動機が、ある。


「そこで黙りこむという事は……私とクラウスの関係をもうご存じのようですね?」

「それは……」


 はっきり言ってしまっていいのか分からず答えを濁すと、ダグラスさんは気にした様子もなくサラりと続ける。


「呪いについては両家とごく一部の皇族にしか知られていないので他言無用に願いますが、私がクラウスと異父兄弟である事や母の事は周知の事実ですので気になさる事はありません」

「あの……何で貴方のお父さんはそんな呪いを?」


 少しの沈黙の後に、答えが返ってくる。


「……やられたらやり返す、そういう人でしたから」


 大切な人を奪われたから、相手の大切な人に呪いをかける――その感情自体は理解できない物じゃない。


「でも……クラウスは、関係ないじゃない」


 そう呟くと、それ以上は触れてくれるなと言わんばかりにダグラスさんが首を横に振った。


「色恋沙汰は感情の問題。事が終わった後に第三者が理性や善悪を持ち込んで分析した所でどうしようもない。巻き込まれた者も他人の推測などでは救われない」


 それが巻き込まれた者の率直な気持ちなのだと思うと、心が痛む。


「……だから貴方は、色恋沙汰に興味が無いの?」


 初めて会った時に、色恋沙汰に興味が無いような事を言っていた事を思い出す。

 巻き込まれた立場だからこそ自分はそういう物に巻き込まれたくないのだろうか?


「……愛だの恋だのといった色情に振り回される事が嫌なだけで、心乱されぬ範囲で良きパートナーがいてくれたら、と思う程度の関心はあります」


 階段の向こうに、青白く輝く大きな星が見える。それを見上げるダグラスさんが星の光に照らされて、思わず見惚れてしまう。


「……私が己の理性を超える程人に恋い焦がれた所で、誰も幸せにならない」


 意味深に小さく呟いた後、ぐぅ、と小さな音が聞こえ沈黙が流れる。私もかなりお腹は空いているけれど、これは私のお腹の音ではない。


 音の発生源は果たして自分が音を出した事に気づいているのかいないのか――一切触れぬまま階段を上がっていった。


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