第71話 元彼との、再会。
レンズ越しに一樹の姿を認識した瞬間、体が金縛りにでもあったかのように硬直する。
(連絡どころか、直接来るとか……!!)
どうしよう――と考えてまず思い当たったのは、今部屋でクラウスとラインヴァイスがテレビ見てるって事。
恐らく一樹は叔母さんから連絡を受けて、でも私のスマホが繋がらなかったから痺れを切らして直接会いに来たんだろう。
記憶喪失だって事も伝えられてるだろう状況でクラウスとラインヴァイスを見られたら、色々マズい。
ドアに手をかけずに、一旦部屋に戻る。
「クラウス、ラインヴァイス……悪いんだけど元彼来ちゃったから、ちょっとまた透明になって隠れててくれない? テレビはそのまま見てていいけど、声は出さないでね」
小声でお願いするとクラウスとラインヴァイスは何も返さず、寂しそうな顔をしてから消えた。
そのタイミングでもう一回チャイムが鳴ったので、恐る恐る玄関に向かう。
(落ち着け……今の私は記憶喪失、記憶喪失……あの時の辛さを思い出すのよ……)
そう。ル・ティベルに来た時に何度も思い出しては辛い気持ちになった、あの頃――
――――
――――――
(この3ヶ月間、一樹にフラれた以上の事が色々ありすぎてもはや思い出せないッ……!!)
何度も思い返したせいで慣れてしまったのか、心がちょっと疼くくらいでそれ以上何の感慨もない。
正直エレンに打ちのめされた時とか、ダグラスさんにペイシュヴァルツのブローチ燃やされかけた事とか、アランに腹蹴られたり洗浄機にかけられたり記憶の封印解かれた時の事を思い出した方がまだ心が痛む――って、それらの事を思い返したらちょっと鬱入って来た――よし、もうこれでいくしかない。
憂鬱な気持ちを抱えて、ドアチェーンをかけたままドアを少しだけ開く。
「……何しに来たの?」
冷たい声を意識して精一杯睨みつけると、一樹が目を潤ませて笑う。
「飛鳥……! 本当に、飛鳥なんだな……? 良かった、俺……ずっと心配で……」
蛍光灯の淡い光に照らされた一樹の、涙目で私を見る姿にズキンと心が痛む。
「飛鳥……開けてくれないか? その、話がしたくて……」
「私は話す事なんて無い」
「飛鳥」
「一樹、好きな人が出来たって言ってたじゃない。私達、もう終わったんでしょ? 終わらせたのは一樹じゃない」
冷静を心掛けつつ、相手から言葉が紡がれる前に矢継早に拒絶の言葉を述べる。
今更何を聞いた所で私の意志は変わりそうにない。
もう一樹を見ても温かさもときめきも、居心地の良さも感じない。
こみ上げてくるのは気まずさと、怒りと――罪悪感。
「それは、ごめん……でも俺、飛鳥が消えたって知った時、凄く、苦しくなって、俺……」
――ああ、そう。心の中がシンと静まり返る。
「それはつまり、私がいなくならなかったら一樹はそのまま私と別れてたって事よね? それなら一樹は私を哀れんでるだけよ。責任を感じてるだけ。私の事はもう気にしないで。今後一切関わらないで」
「飛鳥!」
一樹の悲痛な呼びかけに心の奥が震えるのを感じる。
もし、一樹にフラれる前に召喚されていたら私はどうしていただろう?
ダグラスさんに心動かされる事もなく、真っ直ぐ地球に帰れたのかな?
(そうね……ダグラスさんって外見は良いけど、魔物煽るわ魂虐めるわ何でもすぐ叩き潰そうとするわで、そんな人に好意を向けられてもきっと軽蔑するばかりで……)
召喚される直前に別れ話なんてしてなければ、一樹がいるこの世界に戻る事で頭が一杯で――あの人に心惹かれる隙なんて無かったと思う。
一樹の好意を受け取れない今と同じように、ダグラスさんに対して強い罪悪感は感じたかもしれないけれど。
「終わったのよ……貴方が、終わらせたの」
それは間違いない。私は悪くない。フッた後で大切さに気づいたなんて言われても困る。
そう言えば召喚直前、もしかしたら復縁の可能性だって――って縋っていた自分もいたっけ。もう、他人事だけど。
そう、他人事。他人事になってしまったんだ。まさに運命の悪戯で。
「……記憶喪失でも貴方にフラレた事はハッキリ覚えてるの。一樹にずっと罪悪感持たれても困る。私は無事に戻ってきたんだから、一樹は好きな人の所にいけばいい」
「飛鳥の事が心配で、そんな気になれなかった……好きだった子も、他に良い人見つけて……」
「そう……でも、それなら私以外の人を探して? 貴方を幸せにするのは私じゃない。だって私が長い間一緒にいたのに、貴方は他の子に目を向けたもの」
「飛鳥、違うんだ、俺……俺は……!!」
何か言いかけていた一樹が不自然に視線をズラす。
誰か同じ階の人が上がってきたんだろうか? 何かを言い倦ねた様子の一樹は突然ドアチェーンの方に手を伸ばした。
「とにかく開けてくれ! ちゃんと部屋の中で話そう!?」
「ちょっ、あ、きゃっ……!」
ガチャガチャとドアが乱暴に開かれようとしてるのにビックリして思わず後ずさり、玄関の上がり
しまった、と思ったけどドアチェーンは外れる事は無く、一樹が玄関に踏み込んでくる事はなかった。代わりに――
「アスカ!」
私の悲鳴に反応したのか、クラウスが奥から駆け寄ってきた事に驚くやいなやクラウスにギュッと肩を抱かれ、胸がドクン、と大きく跳ねるのを感じた。
「な……何だよ、そいつ……」
ドアの向こうの僅かな隙間から一樹が愕然とした顔で私とクラウスを見つめてる。
あー、もう――もう、いい。軽いため息をつく。
「一樹……悪いんだけど、私も好きな人が出来たの」
「はっ……?」
「この人、私が記憶喪失になった後、道に立ってて戸惑ってる時に色々良くしてくれたの。一目惚れなの。一樹にフラレた私を神様が哀れに思ってこんな素敵な人と出会わせてくれたんだとな思って……だからもう、私の人生に貴方はいらないの」
私に向かって『いらないならそう言ってよ』と嘆いたクラウスの前で、同じ声の人間に対してこんな事を言わなきゃならないなんて――流石に心が抉られるような、寂しい感覚に陥る。
「何だよ、それ……お前がいなくなってからこの3ヶ月間、俺が、どんなに……!!」
そうね、確かに貴方も辛い思いをしたかもしれない――でもこの3ヶ月間、私、多分貴方より酷い目にあってるし、辛い思いもしてる――なんて我慢比べをしたって仕方がない。
事細かに考えたら、私のル・ティベルでの想い出は全部が全部辛く酷い物だって訳でもない。
今、大事なのは、私も一樹も、凄く辛い思いをしていたって事。
そんな中で一樹が私以外の人に抱いていた想いは消えて、私は新しい恋に火を灯してしまった。
「……ごめんね」
真っ直ぐ一樹を見て謝る。ありがたい事に涙で視界が滲んで一樹がどんな顔してるのか見えない。
数秒の沈黙の末に一樹が俯いた。
「……いや、俺がこんな事言える立場じゃないよな。俺の方こそ、ごめん……俺が復縁なんて都合のいい事考えなかったら、飛鳥にそんな顔させずにすんだのに……」
「……さよなら。……本当に、ごめん」
震える声でそう呟いた後、ゆっくりとドアが閉まった。
肩にかかるクラウスの手をゆっくり離して立ち上がり、震える手で鍵をかける。
「飛鳥、今の……」
「でまかせよ。本気にしないで。ああでも言わないと諦めてくれそうになかったから」
聞かれていては不味いと玄関から離れた後、小さく呟く。
「そっか……僕……また余計な事しちゃったかな?」
クラウスにまた悲しそうな顔で見つめられる。
さっき別れを告げた声と同じ声が重なる奇妙さのせいか、クラウスに対して怒りが込み上がる事はなかった。
「そうね……余計な事だったかも。だけど心配して来てくれたんでしょう? それに一樹とちゃんと別れられたのは良かったわ。これで一樹の罪悪感も大分薄れたと思うし……」
そこまで言った所でボロ、と涙が溢れる。
別れた痛みはもうとっくに消えてるはずなのに。失恋に対する涙は流し尽くしたと思っていたのに。
なのに止まらない涙にそっと温かいものが当てられる――クラウスが持っている白いハンカチだ。
「……ありがとう、クラウス」
ハンカチをそのまま受け取って、部屋に戻って涙を拭う。
ああ、どうして――こんな別れ方になってしまったんだろう?
頭の中では理解しているけど、大切だった人を傷つけてしまった自分が辛い。
それでもこのまま姿を消して、一樹の心の中にずっと悲しい想い出として残ってしまうよりはよっぽど良かった。
フラレた事はショックだけど、だからって一樹にそれを一生引きずって生きて欲しいとは思わないし、私も一樹を引きずりたくない。
この人と結婚したい、とまで思った穏やかな愛はヒビ割れたままそれ以上穢すこと無く想い出にできたら。
そして2人とも相手を引きずらずに新しい人生を歩き出せたなら――それで、いいよね?
自分にそう問いかけると、ぐぐぅ、とお腹が空腹を激しく主張する。
(そう言えば今日、お昼ご飯食べてないわ……)
体が美味しい物でも食べて元気出せって言ってるのかしら?
失恋すら綺麗に終わらせられない自分を自嘲しつつ、クラウスの方を振り返る。
「……クラウス、お腹空かない? 今日は自炊する気力ないからお弁当とかお惣菜で済ませましょ」
「いや、僕は……これ以上アスカの迷惑にはなりたくないし、自分の分は自分で……」
「……もー、暗いわね! 気まずいの分かるけど、今はそれ置いといて! せっかく地球に来たんだから地球の美味しい物食べていきなさいよ! ほらほら、皆まとめて透明になってベランダから出ましょ! せっかくだし私も日本の空を飛んでみたいし!」
今、玄関から出て一樹と鉢合うのは気まずい。
気乗りしないクラウスを無理やり連れ出す事にも気が引けたけど、クラウスも何だかんだ私の領域に踏み込んで来るから私もこの位無茶を言っても良いはずだ、と強引に押し切った。
暗夜の世界――見慣れた景色を上空から見るのは不思議な感覚だった。
夜ってこんなに暗かったっけ? 月ってあんなに小さかったっけ――? と思ってしまうのはル・ティベルのフェガリ、だっけ?
あの青白い星の光にすっかり慣れてしまったからかもしれない。
それでも車のライトやお店の明かり、街灯――個々の明かりに照らされたこの世界特有の明るさに懐かしさを覚えながら、クラウスとラインヴァイスのあれ何、これ何といった質問に答えながらスーパーに到着する。
その頃にはもう、涙は止まっていた。
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