第62話 正式な婚約


 重々しい空気の中、どう動くのが最善か必死に思考を巡らせる。


 真っ正面から反論したら確実に状況は悪化する。

 最悪、首根っこ掴まれて殺されかけるか、けして襲わないと言ってるけど強制ベッドインして精神崩壊する可能性すら頭を過る。

 安易な発言は絶対に避けなければならない。


 レオナルドに叱られた時みたいに素直に謝罪するのが一番無難なんだろうけど、それで魔法や訓練をしないという約束をさせられた後、こっそり魔法使ったり訓練をしてる所を見られたら――確実にヤバい事になる。


 魔力を注がれる事にも使いすぎる事にもリスクがある魔法はともかく、訓練まで禁止されると厳しい。

 どうにか訓練だけでも認めてもらえないだろうか?


 危険な状況ではあるけど、少なくともダグラスさんは私の事が嫌いじゃない。言い方さえ考えれば、活路はあるはず。


「……分かりました。魔法は使ってみて気が済んだのでもう、使いません……ごめんなさい」


 回復魔法と能力向上オブテインを一度使ってみて唱術の感覚は掴んだし、解除の方法も分かった。

 後は魔法教本でどういう魔法があるか調べたり、魔力を使わない方法で学べる事もあるだろう。


「でも……武術の訓練だけはさせてもらえませんか? ダグラスさんが物凄く強い人なのは分かってます。でも、四六時中私といる訳にはいかないでしょ? 私、ダグラスさんが傍にいない時でも自分の身くらい守れるようになりたいんです……!」


 自分が思う<しおらしくいじらしいヒロイン>を心がけて、話してみる。下手にでて機嫌を取れば、希望が見えてくるかも――


「私がいない時が心細いというのであれば、ペイシュヴァルツを帯同させましょう」

(くっ、ここであの万能黒猫を持ってこられると何も言えない……!)


 だけど先程より少し口調が軟化したような気がする。もう少し押してみよう。


「私は、何もできない人間でいたくない……ダグラスさんの力に、なりたい」


 これでどう……!?『貴方の力になりたい…!』なんて可愛い事を言う健気で儚い女性にキュンとくる男性は多いはず。少なくとも、悪い気はしないはずだ。


 言葉だけでは薄っぺらく感じるかもしれない。じっとダグラスさんの眼を見つめて、微笑んでみる。


(こうして真っ直ぐにこの人を見つめるのは、初めてかもしれない……)


 彫りが深く整った目鼻立ち、緩やかな黒髪を一つに束ねて肩に流し、気品のある衣服に身をまとったその姿は、悪い癖さえ出なければ多くの女性達が黄色い声をあげる部類に入るだろう。

 そういえば最初に会った時はそのオーラに気後れして、向かい合う事すらできなかったな。


「……私は貴方には何もできない人間でいてほしい」


 最初の出会いを思い返していると、ダグラスさんがポツリと呟いた。その予想外の言葉に軽く首を傾げて続く言葉を促してみる。


「私は……貴方にすがられたい」


 その言葉に魔物の群れの中、彼の足元に縋りついて泣いて必死に助けを乞う自分とそれを見下して微笑む彼が浮かび上がる。

 そんな趣味の悪い願望を真顔で躊躇なく吐かれてしまったら――もう返す言葉が見つからない。


 微妙な沈黙が漂った後、ダグラスさんが己の失言に気づいたのか軽く咳払いし、私から視線を逸らす。


「失礼……頼られたい、の間違いです」


 少し赤面した様子で訂正する姿にほんのちょっと微笑ましさを感じたけど、もう遅い。

 厄介な人だと思ってたけど――性癖まで歪んでいるとなるとお手上げだ。


 私に縋られたいなんて思ってる男に健気な女性を演じても響かなそう――かと言って、この手の男にどんな女性を演じれば良いのか分からない。

 他に無難そうな対応が思いつかない以上、素直に引きさがるしかないんだろうか?


「何もできない人間、というのも訂正します……貴方の料理は美味しい。貴方の気が向いた時に私に手料理を振舞っていただければ、それで十分です……わざわざ戦いで私に貢献しようとする必要はありません」


 私が厳しい顔で黙り込んだ原因が自身の別の発言にあると思ったのか、私の返答を待たずにダグラスさんは続ける。

 少し言葉を詰まらせながら語るその姿から、先程まで感じた威圧感は消えている。


「それに、この世界で私の願いを叶えられるのは貴方しかいない……いくら片方の器を白の魔力で満たそうと、黒の魔力の負担は大きい。私は貴方に、それ以上の重荷や苦痛を課したくない」

「……私に先に白の魔力を溜めるように言ったのはマナアレルギーを防ぐ為ですか?」


 気になっていた事を確認すると、ダグラスさんは小さく頷く。


「そうです……黒の魔力をその身で感じて分かったでしょう? 私が持つ魔力は他の魔力に比べて負の特性が強く、厄介な物です。それ故黒の魔力を注がれたツヴェルフの多くが不幸な生涯を終える……それを知ってるのはごく一部の人間に限られますが」


 嫌な事実を突きつけられてまた言葉を失う中、ダグラスさんは淡々と続ける。


「……私は、私の子を宿す人間に不幸になってほしくない。だから子に引き継がせる魔力量が最低限の物になったとしても、魔力の特性を中和しながら綺麗に色を引き継げる可能性を持つツインのツヴェルフに賭けた。先に私の子を産んでほしいのも、飛鳥さんの体に白の魔力を残したまま黒の魔力だけを子に引き継がせる為です」


 やや伏し目がちに話すその顔は、少し悲しげに見える。


「ツインの器は、子どもに一方の器の魔力のみを引き継がせる……だからもし貴方がクラウスの子を先に産んでしまったら、せっかく溜めた白の魔力が子に引き継がれ、貴方はもう片方の器に残る黒の魔力に飲み込まれてしまう……」


 そう言い終えると、ダグラスさんは静かに立ち上がり、私の横に立った。


「……ここまで話したんです。そろそろ、貴方の正式な返答をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか……?」


 ダグラスさんは穏やかな笑みを浮かべているけど、眼が笑っていない。

 だからだろうか? 頭の何処かで激しく警鐘が鳴っている。


「せ、正式な返答って……?」


 椅子をずらし立ち上ろうとする私の前で、彼はスッとひざまずいた。

 いつも少し見上げるダグラスさんを見下ろす形になって、戸惑う。


「クラウスに会い、魔力を貰ったのはクラウスだけを好いているから、単純に魔法に興味があったから……だけではないでしょう? あのメイドが言っていた通り、私との事も前向きに考えているから……と思って良いのでしょう?」


 ダグラスさんが何を言いたいのか察した瞬間、全身が竦み上がる。


「メイドが力説する程、私の事を好ましく思ってくれているのはとても嬉しいのですが、貴方の行動を知れば知るほど不安になる……黒の魔力の恐怖を知った貴方が逃げ出してしまわないか心配になるんです……私の館に迎え入れる前に、今、貴方の口から、明確に私を受け入れる言葉を聞いておきたい」


 そう言って私の手を取るその手は、初めて会った時のように、手袋越しでも伝わる、細く長く――だけど力強い感触で。


 あの時は(ぶっとんだ発言こそするけどいい人だな)って思ったのに。まさか、この人にこんな恐怖を抱く事になるとは思わなかった。


「飛鳥さん……どうか、私の願いを聞き入れ、私の子をその身に宿し、私の妻に……私の子の母になって頂けますか?」


 縋るような眼で見つめられ、甘くも切実な想いを感じる声で囁かれる。

 この状況は逃げ切れる気がしない。嘘をつく事でしか、未来が見えない。


「……は、い」


 短く、そう答えるとダグラスさんは目を見開かせて微笑んだ。

 その表情はようやく欲しい物が手に入った子どもを思わせるように嬉しそうで――今日一番の罪悪感が襲ってくる。


「それでは……これを、お返しします」


 ダグラスさんが私の手に重ねたそれは、先日渡した黒の婚約リボン。気のせいだろうか? 以前は感じなかった独特の圧を感じる。


「リボンの加護を込め直し、貴方が喜ぶような渡し方を考えていたのですが……なかなか思いつかない。ですがまた貴方の中のある黒の魔力が乱れた時の為に早めにお渡ししておきます。これを身に着けていれば、多少安定するはずですから……」


 そう言って婚約リボンを私の手首に巻き付けはじめるダグラスさんの手が、微かに震えている。

 視線が私の手に向けられていて表情は見えない。最後に綺麗に蝶々結びされ、そのまま手の甲に口づけされる。


 その瞬間、暗く冷たく、重い感覚が全身を巡る。


 本能的に手を振り払いたい衝動に駆られる。だけどダグラスさんの手がそれを許さず、ビクともしない。

 私の反応に気を悪くしたかもしれない――と少し心配したけど、


「あの時は貴方に断られると面倒になると思い、騙し討つ形で婚約しましたが……今、貴方は私の求婚を受け入れた……これで貴方と私は名実ともに正式な婚約者、ですね?」


 そう言って私を見上げるダグラスさんの笑顔は、先ほどとは違う。

 大人の、性に堕ちたような色気を漂わせる吐息と妖しい笑みに、言い表せない恐怖を抱く。


 今朝クラウスに感じた物が生易しく感じる位、熱に浮かされ、己の欲を、感情を隠し切れない笑顔。


 怖い。死霊王と戦い終えた直後のダグラスさんより、今のダグラスさんの方が、ずっと怖い。


「もう二度と、魔力を消費しないように……これは警告です。私は、貴方の中に白の魔力が満ちるのを待ちます。ですから、どうか……どうか私のこの想いを裏切るような真似だけはしないでください……」


 私を怖がらせないようにと優しく、優しく言おうとしているのが伝わってくる。その悲愴感漂う声に痛ましさすら感じる。

 さっき私に縋られたいなんて願望を漏らしていたけど、この状況はダグラスさんが私に縋っていると言っても過言ではない。


 恐い――何がここまで彼の笑顔を歪ませ、私に恐怖を抱かせるのか――怖い、分からない、恐い――


「私は、貴方に――」

「アスカ様、夕食をお持ちしました」


 ダグラスさんが言いかけた言葉はドアのノック音とセリアの声によって遮られた。


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