第45話 青色のハーブティー


「さて……弔いを終えて血の匂いも大体消えた事ですし、改めてアスカさんの話を聞かせて頂きましょうか?」

「ラリマー公、こんな場所ではなく村に戻って話した方が良いのでは……」


 ルージュ嬢の言葉にヴィクトール卿は困ったように笑う。


「今あの村には民を避難させる為に橙や黄の騎士団が大勢いますから……私、気が弱いので彼らと同じ空間にいるの嫌なんですよね」


 サラッと言われたヴィクトール卿の言葉に一同押し黙る。

 今さっき熊を氷で串刺しにした挙げ句燃やし尽くした人間に『気が弱いので』と言われても反応に困る。


「ああ、でも貴方達まで私に付き合う必要はありませんよ? 魔獣達もそこまで負傷してしまっては一度ローゾフィアに戻って治療した方が良いでしょうし……ローゾフィア侯によろしくお伝えください」


 ヴィクトール卿がそう言うと魔獣使いの人達の視線がこっちに移る。皆私の事を心配してくれているようだ。


 私もクラウスに『村には入らない方が良い』って言われてるからヴィクトール卿がここで話したがってるのは好都合だけど――彼らはまだ辛うじて歩けるってレベルだし、どうせなら皆クラウスに治療してもらってから戻って欲しい気もする。


(って、駄目だ……またクラウス頼りになっちゃってる)


 自分の中にあったのも元々はクラウスの魔力だ。だから本当ならこんな風に心配してもらえる立場じゃない。

 それに今クラウスは村人の怪我人の治療や避難に忙しい。その上これだけの人間を完全に回復させるのは相当疲れるだろう。

 それなのに私が勝手に治療してもらおう、だなんて思っていいんだろうか? という念も生じる。


「……私の事は大丈夫だから、皆早く戻った方が良いわ」


 笑顔を心がけてそう言うとルージュ嬢とロイド卿が視線を交わした後、小さく頷き合う。


「分かりました。それでは我らはこれにて失礼致します。ラリマー公、村を救って頂き本当にありがとうございました」


 ルージュ嬢がヴィクトール卿に深く頭を下げた。そして私にはロイド卿がルージュ嬢と同じ位頭を深く下げてくる。


「……助けてもらったのに何もしてやれなくてすまない」

「そんな、頭下げなくても……! 治したいって思ったのは自分の意志だし、周りに私の事言わないって約束してくれただけで十分助かってるから!」

「……ローゾフィアの民は受けた恩をけして忘れない。何かあったらいつでもノイ・クレーブスにあるローゾフィア家を尋ねて欲しい」


 真っ直ぐに見つめてくるその目はきっと日に当たる場所で見たら綺麗な朱色なんだろう。


「ロイド卿……ありがとう。そう言ってくれると何かあった時に助かるわ」

「……俺の事も姉上の事も呼び捨てで良い」

「え? ルージュ嬢……いいの?」


 ルージュ嬢の方を見ると彼女は少し表情を固まらせながら一つ息を付いて、


「ロイドが良いと言うなら私は別に構わないが……」

「えっと……じゃあ私の事もアスカでいいわよ。私も呼び捨ての方が気が楽だし。ルージュ、ロイド、皆さん道中気をつけて」


 この世界に来てからもうすっかり名前で呼ばれる事に慣れてしまった。

 他の魔獣使いの人達にも頭を下げた後、村の方へ歩いていくローゾフィアの人達を見送る。


 ロイドがチラチラとこっちを振り返るので軽く手を降りながら見えなくなるまで見送ると、ヴィクトール卿が感心したように呟いた。


「アスカさんは本当に色んな意味で人を惹きつけますねぇ……」

「え?」

「ローゾフィアの民が自分の部族以外の人間に対して自身と家族の事を呼び捨てにするように言うのは心から受け入れた証らしいですから……余程気に入られたんでしょうね」

「え、そうなんですか……!?」


 気に入られた――エレンやネーヴェには割と嫌われてる感あるからルクレツィアやルージュ、ロイド……私にも現地人の、やや同年代の友達が出来たと思うと素直に嬉しい。


「……立ち話もなんですから、お茶でも飲みながら話しましょうか。防御壁プロテクト


 ヴィクトール卿が言い終えると同時に一帯が半透明の青い半球体に包まれる。その冷ややかな色の割に内に漂う空気が温かみを帯びていく。


 そして彼が指をパチンと鳴らすと、まるで庭でお茶会でも開くのかと言わんばかりのガーデンテーブルとガーデンチェアが1つ出現した。

 テーブルの上には水色のテーブルクロスと先程の花々が綺麗にまとまった花瓶、白地に青色の文様が入ったティーセットまで置かれている。


 まさか、半分蛇に呑まれた状態――下半身が蛇の魔物ラミアになったような状態でお茶を頂きながらクラウスを待つ事になるとは思わなかった。


 アズーブラウはヴィクトール卿とテーブルを挟んだ向かい側に近づくと、私の腰や膝の辺りで体をくねらせて、まるで私が椅子に座ってるような体勢にしてくれた。

 さっきもそうだけど、この体勢も蛇には厳しくないだろうか?


「あの……無理しなくてもいいのよ? 私、立ち飲みでも全然良いのよ?」


 アズーブラウに向けてそう言ってはみるものの、特にこれと言った反応を返してこない。

 ヴィクトール卿もそんなアズーブラウの様子を気にする様子もなくティーポットに花びらのような物が混ざった茶葉をセットした後、指先で小さな青の魔法陣を作り出す。


 小さな青の魔法陣は紫を経てから赤に変わり、そこから湯気の立ったお湯がティーポットに濯がれていく。


「出てくるお湯の温度で魔法陣の色も微妙に変わるんですよ。今入れているハーブティーは沸騰する少し前のお湯を濯ぐのが丁度良いんです」


 マジマジと見ていた私に丁寧に説明してくれるその姿は先程熊を氷の雨で串刺しにしたとは思えない、普通に身分の高そうな優しいオジサマだ。


「……アスカさん、先程の」

「あの、ヴィクトール卿は何故ルクレツィアが抜け出したと気づいたんですか?」


 こちらの事情を聞かれるのはギリギリまで回避したい。クラウスが来るまでこちらが質問を重ねる事で時間を稼げれば、まだ望みがある気がする。


 麓の村に着く前、ラインヴァイスの上でルクレツィアは自分がいかに抜け出してきたかを自慢気に語っていた。


 確か、ヴィクトール卿が長期間館を留守にする間に異母弟であるアレクシス君に自分の姿に変化してもらって、そこにルクレツィア特製の器の大きさを錯覚させる幻視の腕輪を身に着けさせて公爵令嬢としての振る舞いを叩き込んだと言っていたけれど――


「……ああ、それはルクレツィアが朝からとてもおしとやかだからおかしいと妻達から連絡を受けましてね」


 ここに来るまでのルクレツィアを見ているとその言葉だけで全て納得してしまう。


「普段はお淑やかに振る舞える子なんですがね。想い人が大変な時にあの子がお淑やかでいられるはずがないんですよ。彼の名を言う姿にも恥じらいがあって気味が悪いとか絶対におかしいから見に来てほしい、と妻達から連絡が来てとりあえず帰ってみたら替え玉使っていた息子が変装していた事が分かった、という訳です」

 

 そこまで言い終えた所で突然、私達の間にテーブルの中央に淡い光が灯る。

 ヴィクトール卿はその光を全く気にした様子もなくティーポットを手に取り、二人分のカップにハーブティーを注いでいく。


 その注がれていく液体の色に言及する前にヴィクトール卿が言葉を重ねる。


「全く……あの子の実力や普段の態度は公爵家の後継ぎとして問題ないのですが、想い人の事となった途端地方に住んでる息子まで巻き込んで暴走するから困ったものです。ル・ジェルトの民は気性が荒い人間が多いのでそれが引き継がれるのは覚悟していたのですが……」


 そう言いながら差し出されたティーカップを覗くと、サファイアを溶かしたような青く透き通った液体が微かに揺れていた。


「綺麗……」

「でしょう? 私は立場上色んな領地の飲み物を頂くのですが、これが一番好きなんです。味もですが何よりこの色が気に入ってましてね。魔物討伐の直後にこれを飲むと心が洗われた気分になる。お陰で公爵という立場でありながら茶を入れるのが上手になってしまいました」


 魔物討伐した直後に魔物を蒼炎で一掃してこのテーブルと椅子出してこれを飲むのか……と思うととてもシュールな光景だ。


 カップに口をつけると爽やかな香りが優しく鼻を抜けていく。熱いながらも少し口に含んだそれは微かに酸味を感じる以外の癖もなく、飲みやすく。冷えた体を内側から温めてくれる。


「あの、ヴィクトール卿って……アーサー卿の事、嫌いなんですか?」


 ハーブティーの温かさとヴィクトール卿の微笑みに気が緩んで、つい聞いてしまう。


「おや、何故そう思ったんです?」


 笑みは崩していないけど目から少し光が消えたのを感じた。ふとその感じが誰かに似てると思いつつ機嫌を損ねてしまった事の方に意識を集中させる。

 

「い、いえ……頑なにアーサー卿の名前を言わないから……地球ではよく父親は娘の好きな人に冷たいという話も聞くので……すみません……!」

「ふふ……私はただ彼に対して名を口にしたくない位の本能的な嫌悪感を感じているだけですよ。それを周りが娘の想い人に嫉妬しているとか、恥をかかされた相手を憎んでいると推測したり勝手な行動を取ったりしているだけで……まあ、いちいち訂正する程彼に情を持っている訳でもないので結果的にそう思われても仕方がないのでしょうね」


 本能的な嫌悪感――生理的に無理って事は娘の想い人に嫉妬する父親よりも厄介かもしれない。ルクレツィアを気の毒に思いつつ再びハーブティーに口をつける。


「ああ、そう言えば氷竜らしき薄水色の魔力から青と橙の魔力はもう離れています。2人はちゃんと生きていますから安心してください」

「良かった……!」


 2人は無事だという言葉に体から緊張が抜けていくのを感じ、ドッと安堵の息をつく。


「娘といえば……娘に協力した息子にお仕置きがてらちょっとアズーブラウに締め上げてもらったら、娘の脱走にはダンビュライト侯が関わっている事を白状しましてね? 詳しく聞いたらどうもアスカさんの情報で彼を釣ったとか……」


 再び体に緊張が走る。早すぎる緊張のお帰りに心の中で冷や汗と一筋の涙が流れる。


「それを聞いた時はデタラメを……と思ったのですが、実際アスカさんがここにいらっしゃるという事はあながち間違ってはいないようですね? そろそろアスカさんの話も詳しくお聞かせいただいて宜しいですか?」

「それは………」


 苦し紛れに口をつけたハーブティーは冷えた体を温めてくれるけど、心と大蛇の口内は思った以上に冷えている。


 感情が見られているのだとしたら、今のこの私の一喜一憂も把握されていると思った方が良いんだろう。

 となれば、この人に事情を話した上で『黙っていてほしい』とお願いするのが最善だろう。


「……えっと、今から話す事は他の有力貴族の方には黙っていてほしいのですが……」

「分かりました」

「まず、塔で……」


 ヴィクトール卿の微笑みに覚悟を決めて話し始めた所でコッパー家の心配ばかりしていたけれど私自身にも言いたくない事情がある事を思い出し、言葉が詰まる。



(どうしよう……恥ずかしい音声が入った音石を踏み砕こうとした事からして言い辛い……!!)


 清潔感と圧倒的紳士感を漂わせる貴族の頂点を前に、開いた口をそれ以上動かす事が出来なかった。


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