第149話 親愛のキスと結婚
魂が保管されてるだろうダグラスさんの寝室に行く為には、どうしても執務室を通らなくちゃいけない。
しかもただ通るだけでなく写真が収められた額縁に嵌った石に魔力を込めて隠されたドアを開かないといけない。
ヨーゼフさんの話によると前回の六会合で依頼された分の魔物討伐を全て終えたダグラスさんは殆ど執務室にいるようだ。
流石にダグラスさんの目をくぐり抜けて寝室に行くのは難しいので行くなら午前――朝早くか夜遅くのどちらかになる。
(でも多分ヨーゼフさんやランドルフさん、ルドルフさんに阻まれる気がするのよね……)
主が何も出来ない状態の時、部下は当然守りを固めるだろう。それは主の婚約者相手でも変わらない気がする。
「アスカ様、何か考え事ですか? 私がお力になれる事ではありませんか?」
眉間に皺を寄せて思い悩む私を見かねたんだろう。セリアが問いかけてくれたけど、寝室の存在やダグラスさんの事情までセリアに打ち明けるのは気が引けた。
セリアがダグラスさんに勘付かれれば結局ヨーゼフさんが責められる事になるからだ。
(でも、セリアに協力してもらえたら何とかなるかも……自分一人だと何も思いつかないし……)
それにセリアがいれば自分が執務室に入った後、邪魔が入らないか見張ってもらう事もできる――一緒に打開策を考えてもらう為に机の引き出しに入れてある眼鏡を取り出し、ノートを1枚ちぎり、羽ペンで<執務室の何処かに魂が隠されてるかもしれない 何とか魂を開放してあげたい>と筆談を開始する。
<ヨーゼフ殿もそうですが 恐らく朝夜の警備を任されているランドルフという人も相当の手練でしょう 直接対決となるとまず勝ち目が無いですね>
眼鏡を受け取ったセリアは私の説明に半信半疑な様子ではあるものの、執務室に入るにあたっての難題を書き込む。
<公爵家の執事や警備してる位だし相当強いんだろうなと思ってたけど セリアでも歯が立たない位?>
ヨーゼフさん、ヒューイとダグラスさんが相対した時に館の中から臨戦態勢になっていた様子から強いんだろうなとは思ってたけど――セリアでも敵わないのか聞かずにはいられない。
<強者は接した時点で何となく分かります 実際アスカ様が襲われた時襲撃者1人の攻撃を阻み戦闘不能にさせたのはヨーゼフ殿です あくまでもツヴェルフを守る為のメイドである私では戦闘訓練や経験を積んでいる相手に到底叶いません>
何の前情報も無い突然の襲撃にそんな反応ができる俊敏性は確かに勝ち目が無さそうだ。見た目は完全にお年寄りなのに。
(勝ち目がないなら……明日、交渉するだけしてみるか)
向こうも主の口止めを破ってるんだから、そこにつけ込めばもしかしたらワンチャンあるかもしれない。
少なくとも余程私が下手な事言わない限り、ヨーゼフさんはダグラスさんに黙ってる気がする。
あれこれ考えている間に改めてセリアが何か書き込みだした。
<昨夜の事でダグラス様への想いが引いてしまったのではと心配していたのですが 今のアスカ様からは ダグラス様を何とかして人の道に戻したい そんな熱い想いが伝わってきます アスカ様は心も恋もお強いのですね>
セリアの言葉に疑問を抱く。もしダグラスさんが私以外の人間の為に人の道を踏み外していたら止めただろうか?
もしダグラスさん以外の人間が私の為に誰かを攻撃しようとしたら、私は止めるだろうか?
前者はNOだし、後者はYES――そう考えるとセリアが言う私の熱い想いは恋愛感情からくるものではなく自分自身の罪悪感から来るものだと思う。
そう結論づけた所でドアがノックされる。眼鏡や筆談に使った紙切れを一旦机にしまった後で応じると機嫌の良さそうな表情のダグラスさんが入ってきた。
「日記を渡しに来ました」
そう言われて差し出された日記を受け取るとダグラスさんはまだ何かあるのか、セリアに対してまた軽く手で追い払う仕草をする。
が、昨日と違ってセリアは応じない。
「申し訳ありませんが、私はアスカ様の専属メイドです。アスカ様の命令がなければ私は去りません」
ダグラスさんは意外そうな顔をした後、改めて私に向き直す。
用件が分からない以上セリアを退室させたくないし、でも気に入らない事を言うと悲鳴聞こえるしで何て言えばいいのか――ダグラスさんに向き合いながら思案していると、
「……分かりました。他人に見られながら、というのは少し抵抗がありますが……飛鳥さんが人に見られても構わないと言うなら私もそれに慣れるように努力しましょう」
「セリアちょっと席外して」
「かしこまりました」
ダグラスさんの言葉がどういう意味かを察さざるを得ず、セリアに退室を促すとすんなりと部屋を出ていった。
「……気を使わせてしまったみたいですみません」
「いいえ……私も、人に見られるのは恥ずかしいので」
避けたい状況ではあったけど――魂がまだ何処かにいる以上、もうキスは仕方ない。
キスを拒めば魂は刃刺さって消滅するかもしれないけど、キスを受け入れた所で私は消滅する訳ではないのだ。
(深いやつじゃありませんように……!)
魂が受けた痛みが無駄になってない事を信じるしかない。覚悟を決めてギュッと目を瞑る。
そして肩と頭に触れられた――と思った次の瞬間、少し柔らかな感触が<額>に当たる。
「……え?」
予想外の場所と感触に、目をぱちくりさせる。
開いた視界に映るのはダグラスさんがいつも首の辺りにつけている、よく漫画に出てくる貴族やタキシードを着た人が着けているようなネクタイに付いた黒い宝石のリング。
それはゆっくり遠ざかって、ダグラスさんの穏やかで優しい表情が視界に入った。
「お昼は飛鳥さんからお願いします。それでは、お休みなさい」
「お、お休みなさい……」
呆気にとられながらも何とかオウム返しで答えるとダグラスさんは一礼して部屋から出ていく。
それを見送った後正気を取り戻し、入れ違いに入ってきたセリアに詰め寄る。
「ねぇ、今額にキスされて『お昼は私からお願いします』って言われたんだけど、どういう意味……!?」
それを聞いたセリアが、ニコニコと言うよりニヤニヤと言わんばかりの笑みを浮かべて説明してくれた。
「ああ、仲が良好な恋人や夫婦、親子間で行われるの親愛のキスの事ですね。起きた時は女性あるいは子どもから、と寝る前は男性あるいは親から頬や額に口づけするんです」
へぇ――やっぱりこの世界もそういうのあるんだ――と納得した数秒後に与えられた試練に気付く。
「じゃあ明日から毎日、お昼、私からあの人に、キスしなきゃいけない訳……!?」
受け身だったからこそ耐えられた口づけに、今度は自分から挑まなくてはいけない。
(私から? あの人に!? 何処に!? 背が高いから額は届かないし、頬だろうけど……えぇー……!?)
自分からキス、という経験がない訳じゃないし、口に、ではない分難易度も低い。
それでも今この状況であの人にキスせざるをえない状況というのはすんなりと許容できるものじゃない。
でも、しなければ多分魂の悲鳴が聞こえる――深い溜め息が漏れると同時に、セリアと目が合う。
「安心してください。次回からそういう雰囲気を察したら私、後ろ向きますから」
「ごめん、雰囲気察した時は席外してほしい」
「それはアスカ様のご命令でもお受け出来かねます……ディープキスやバードキスのような情熱的なキスならまだしも、昼と夜の、頬や額への軽いキスの度にいちいち席を外していられません。いつか結婚式で多くの人が見る中で誓いの口づけをする訳ですし。人前で軽い口づけを交わす事くらいは慣れておいた方がいいです」
笑顔のセリアに即答すると困ったように笑われ、何気にとんでもない事を言われる。
そしてそのとんでもない助言で一つ、単純な疑問が思い浮かんだ。
「結婚式と言えば……ツヴェルフの結婚のタイミングっていつなの? アンナはもう結婚してるんだっけ?」
「そう言えばまだアンナ様が結婚したという話は聞きませんね……ツヴェルフの場合、初夜を迎えてから遅くとも懐妊した時点で正式に婚姻を結ぶ事が殆どなのですが……反公爵派だったりダグラス様の暴走だったりきな臭い話が続く中で式をあげるのを躊躇してるのかもしれませんね」
確かに。神官長はダグラスさんが今皇家と殆どの公爵と険悪な感じになってるような事を言っていた。
式に私を呼んだら高確率でダグラスさんも付いてくると考えるとおめでたい式に水を差す事になりかねない――
遠回しにアシュレーとアンナの結婚式も妨害してしまったのかもしれないと思うと、本当に取り返しの付かない事を叫んでしまったなと思う。
(でも、ツヴェルフ一人呼ぶ呼ばないで結婚式が左右される事はないわよね……?)
そう、別の理由で結婚式をあげてないのかも――と思い直してみるも一度思った不安はなかなか消えてくれない。
セリアが再び退室した後、重々しい気持ちで交換日記を開く。そこには『配慮が足りずすみません、今後は控えます』という若干元の文字が震えているように見える謝罪と『飛鳥さんは<格好良い>と<可愛い>、どちらの方がお好きですか?』という変な質問が並んでいた。
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