第57話 いなくなった鳥・1(※ダグラス視点)
『私……あ、あ、貴方がマリーに心移りしてなくて……』
飛鳥さんがそう言いかけていた時、それは見えた。
飛鳥さんの背後に降り立って首に腕を回すアレの姿が。
憎たらしい位に幸せそうな顔で飛鳥さんを包み込んだアレは、私と目が合った瞬間忌々しい位勝ち誇った顔に歪み、飛鳥さんと共にその場から消えた。
黄の館に奇妙な沈黙が漂う。弱小令息とその夫人は動揺しているし、朱色の大狼は飛鳥さんがいた場所の匂いを嗅ぎつつ、何処に行けばいいか分からず狼狽えている。
私も――ペイシュヴァルツさえ起きていればラインヴァイスの居場所を、方角や近くにいるかいないか程度は把握できたのだが。
ペイシュヴァルツが使い物にならない今、全力の魔力探知をかける。漆黒の闇の中で無数に光る魔力の中、リビアングラスの黄の魔力を探す。
近くにいる弱小令息の魔力、イースト地方にいる黄の魔力――それ以外の黄を探す。
(……いない……いない、いない、いない、いない、いない……!!)
もっと遠くに行ってしまったのか? やはり致し方ないとは言え、アレと協力するなんて間違っていたのか……!?
飛鳥さんは何か言いかけていたのに、私があの女に心移りしてなくて……多分、多分だが「良かった」と、言ってくれようとしていた。
じゃなければ、あの時の泣き顔に説明がつかない。
飛鳥さんは口はともかく目で嘘をつけるような人間じゃない。
私の言葉に傷ついて、私の謝罪が通じた末に言おうとした言葉は、きっと、私にとって優しいものだったはずだ。
(なのに、あの白い悪魔が……!!)
殺されない立場に甘えて好き放題するアレにそろそろ限界が――いや、私自身の限界なんてとっくに過ぎている。
飛鳥さんが嫌がるだろうから堪えているだけで、私の脳内ではもう何十回もアレを殺している。
「セレンディバイト公、すみません……! 貴方の魔力でそんな強い魔力探知をかけられては……!!」
弱小令息の声で一旦中断する。周囲を見渡せば弱小令息が具合の悪そうな夫人を抱え込み、遠目にも何人か塞ぎ込んでいる。
これ以上強くかけると体調に影響が出てくる人間も出てくると思うと、これ以上魔力探知を続ける訳にはいかない。
私自身大きく魔力を消費して息が上がる中、考えを巡らせる。
ここを中心に皇国のほぼ半分を確認したが、飛鳥さんが持っている僅かな黄の魔力は見つけられなかった。遠い辺境に転移されてしまったのは間違いない。
皇国全域には転移防止の結界が張られている。
結界内から転移したという事は結界の脆弱性を突いたか、あるいは結界を無視できる術式が彫り込まれた転移石を使ったかのどちらかだ。
緑ならまだしも、魔術に詳しい私やヒューイが見つけられない脆弱性をアレが突けるとは思えない。
となれば――アレは皇家か緑、どちらかの協力を得たはずだ。
(時間が惜しい……緑の所に行って無駄足を踏むより、先に皇家から確認するか……)
次の目的地を定めた後、改めて夫人を抱える弱小令息を見据える。
「レオナルド卿……魔力探知をやめてやった代わりに貴様が持つ
弱小令息は一瞬戸惑ったが意外とすんなり薬を差し出してきたのでその場で飲みきった後、
(ペイシュヴァルツ……ペイシュヴァルツ……!!)
体内で眠るペイシュヴァルツに何度呼びかけても反応がない。
私の中の白の塊を抜いてから、ペイシュヴァルツはずっと眠りについた状態だ。
アレは『急激な体の変化は色神にも影響するらしいよ』とさして驚いた様子もなく言っていた。
向こうの鳥はともかくペイシュヴァルツは13年近く私の、白の塊が入った器で過ごしてきたのだ。良い方向への変化とは言え、調子を崩す事は十分考えられる。
だがあれからもう5日経っているのだ。もういい加減目覚めてもいい頃だろうに――全く、歯がゆい。
魔力回復促進薬の副作用もあるのだろう、いつも以上に強い怒りと苛立ちに煽られながら極力冷静になるように務めて十数分――一瞬、遠くの空間が歪むような違和感を覚えつつ皇城の中庭に降り立つ。
皇家が協力しているとしたら悠長に門の前で待機している訳にはいかない。
先程のリビアングラス邸のように騎士や兵士達に足止めされるような状況にもなりたくないので、高速移動を使わず早足で皇帝の間へと向かう。
簡単にたどり着いた皇帝の間には皇帝はおらず、代わりに宰相と先客がいた。
翠緑のコートを羽織る先客の後ろ姿にやはりこちらに来て正解だったと確信する。
緑と向かい合う形で話している灰色の司祭服と顔面を全て覆い隠すヴェール付きの司祭帽をかぶった宰相が私に気づいたのか、こちらにも聞こえるように声を放つ。
「申し訳ありませんが、陛下からは今しばらく誰も取り次ぐなと言われておりますので……」
「公爵が話があると言ってもかい? 皇家も随分と偉くなったもんだねぇ……」
私の存在に気づいたのか緑もこちらを振り返る。
「シーザー卿、飛鳥さんがクラウスにさらわれました……心当たりはありませんか?」
「ああ……さっきリビアングラス邸の方向で感じた転移の波動もやっぱりクラウス君の仕業か……」
「やっぱり?」
思い出したように呟く緑は私の追求に肩をすくめて口元を歪める。
「いやなに、あの子をあの場所からさらうとしたら君かクラウス君しかいないだろう? 午前中ならクラウス君だろうなと思っていただけだよ……って、君午前中でも起きられたんだねぇ? ボクとしてはあの子がさらわれるより、君が今起きてここに立っている事の方が驚きかな」
「私は朝が極端に弱いだけです。驚くほどの事ではありません」
緑の言葉を受け流しつつ、観察する。
緑が嘘を言っているようには見えないが――いや、この男は口でも目でも嘘をつける人間だ。協力している可能性はまだ捨てきれな――
(いや、待て…‥転移の波動『も』、とはどういう意味)
「おお! お主ら早いな!」
思考が赤の声で中断されるなり緑が一瞬眉を潜めて不快そうな表情をした後、宰相に向けて口元を歪めた笑みを作る。
「宰相、今は緊急事態なんだ。ロベルト卿はイースト地方にいるからすぐには来れないだろうが、もうじきヴィクトール卿も来るだろう。今この状況で君の独断でボク達の面会を断ったら、取り返しのつかない事になるかもしれないよ?」
「……陛下に確認してまいります。お三方は今しばしこちらでお待ち下さい」
ヴェールが邪魔して表情こそ見えなかったが、緑の言葉に少し動揺した様子が見られた宰相は玉座近くの通路の方へと去っていく。
(……おかしい。いつもの緑と様子が違う)
それにまるで私達が集まるのが当然とでも言うような赤の言い草にも違和感を覚える。
飛鳥さんがつい先程連れ去られた事を緑はともかく、赤まで知っているとは思い難い。
「カルロス卿……何があったのですか?」
「何だ、お主あの黒猫から教えてもらってないのか? ライ」
「カルロス卿、それはヴィクトール卿や皇帝陛下が来てから話した方がいい」
言葉を被せるように緑が発言する。その含みを持たせた言い方に苛立ちを覚えるも赤は納得いかないように言葉を続けた。
「何故だ? ラインヴァイスがこの世界からいなくなったのだぞ? これは一大事」
「カルロス卿……!!」
シーザー卿の本気の苛立ちの言葉は初めて聞いた気がするが、そこに何の感慨もなかった。
飛鳥さんではなく――ラインヴァイスがこの世界からいなくなった?
ラインヴァイス――ラインヴァイスの宿主を私は少し前に見た。
状況が分かっていないだろう飛鳥さんを抱擁して、私の目の前から消えた。
そのラインヴァイスが消えたのなら宿主であるアレも、当然飛鳥さんも――この世界から消えたという事になる。
アレと一緒に、この世界から――そう思うと吹き上がる魔力が抑えられない。
抑えるつもりも、無い。
何故だ、何故アレは私と彼女を引き剥がそうとする? 何故諦めない? そして何故アレに協力する人間がいる? 何故皆私の邪魔をする?
そうだ――アレに協力した人間がいるはずだ。もうそれが皇家なのか、緑なのか、そんな事はもうどうでもいい。
アレに協力した奴も、私を止める奴らも全員、殺す。
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