第40話 魔物狩り・5


 頭上に輝く光が部屋中を照らす中、こちらに向けて射られたはずの矢は私に届く事は無かった。

 私達を守るように背中を向けたその人の足元で、2つに割れている。


「……ダグラス、さん?」

「ああ、まだ喋るだけの余裕はあるようですね」


 私が声を出した事が意外だったのか、ちらとこちらを振り返ったダグラスさんは少し目を見開き、私の前でスッとしゃがみこむ。


 次の瞬間、私の顎を引き頬をさする。ダグラスさんの指の軌道に沿ってジン、と腫れた頬が痛む。


「色々と言いたい事はありますが……先に雑魚を片づけてしまいましょうか」


 少し呆れているような表情のダグラスさんは魔物に向き直すと、お札らしき物を複数枚、宙にばらまいた。


「――悪魔召喚――」


 その言葉を合図に、大柄で赤黒い、見るからに凶悪そうな悪魔達が札からはいでる。


 ダグラスさんが召喚したのだから、私達を攻撃してくる事は無いんだろう。

 だけど醜悪な魔物達が恐ろしい悪魔達に無残に潰されていくその光景は、見続けるにはあまりに惨たらしくて。

 魔物の断末魔も聞き続けるには、あまりに恐ろしすぎて。


 体を出来る限り丸めて耳を塞ぎ、目を強く閉じ、ひたすら終わるのを待つしかなかった。



 いつまでそうしていただろうか? 「アスカさん、大体終わりました」というダグラスさんの呼びかけと共に手を差し出され、その手を取って立ち上がる。


 そして視界いっぱいに広がる部屋一面のどす黒い赤と、あちらこちらに散らばる魔物の残骸。

 何かを食しているらしき悪魔の姿を捉えた瞬間――ついに私の意識は現実から遠ざかった。




 一面の黒に少し光が差したと同時に、視界が徐々に開けていく。


「気づかれましたか?」


 シャツ姿のダグラスさんが私を見下ろすように顔を覗き込む。どうやら気絶してしまっていたようだ。

 気が遠くなる感覚って、あんな感じなんだ――とぼんやり考える。


「セリアは……? クラウスは……?」


 起き上がるにはまだ体が重く、頭だけ動かして探してみたけど、どちらの姿も見えない。


「クラウスの従者にまとめて連れて帰ってもらいました。貴方のメイドの治療もするよう伝えてあります。心配は無用です」


 ダグラスさんがここにいるという事は、入り口に張られた膜みたいな物も解かれたんだろう。

 あの騎士はあれさえなければここまで駆けつけてきそうな勢いだった。


「……良かった」


 治療――その言葉に心から安堵する。セリアはあの戦闘でどれだけ傷ついただろう? それが癒される。

 セリアも、クラウスも生きてる――本当に、良かった。


 こみ上げてくる涙が溢れて、零れる。それを見られるのが恥ずかしくて、腕で目を覆う。


「もう大丈夫です。後は私に任せてください」


 ダグラスさんがどんな表情でそれを言っているのかは分からなかった。

 だけど、ようやく命の危険から解放されたのだと、皆助かったのだと思うと、もう、それだけで胸がいっぱい――と思った所で、もう一羽の存在を思い出す。


「ピィちゃんは……!?」


 勢いよく起き上がり、周囲を見回す。小鳥どころか先程の血の海が無くなっている。どうやら先程の血に塗れた場所とは違う部屋のようだ。


「ぴー、ちゃん……?」


 私が叫んだ名前があまりにこの場に似つかわしくないものだったためか、ダグラスさんは怪訝な顔をしている。


「ここに迷い込んだ、灰色の雛……私のすぐ近くにいたんですけど……」

「ああ……その鳥でしたらクラウスに添えて返しましたよ」

「そうですか、良かった……」


 皆助かったという確信を得られて、ようやく息をつく事が出来たと同時に、大きな疑問に直面する。


「……って、何で私とダグラスさんだけここに残ってるんです?」


 クラウスやセリアが上に上がったんなら、私だって上に上がってもいいはずなんだけど――何故私はダグラスさんと二人、こんな所で休んでるんだろう?


「まだ奥に魔物がいますから。流石に手負いの人間を3人も抱えて戦うのは少々都合が悪かったので……アスカさん、立てますか? 立てるならそろそろ先に進みましょう」


 ダグラスさんは起き上がった私の後ろに手を伸ばし、枕代わりに敷いてくれていたのだろう、丸まっていた上着を広げて羽織った。

 気づけば私の上には少し重い外套マントがかかっている。


 お礼を言って外套を返すとダグラスさんは「どういたしまして」と慣れた手つきで外套を羽織った。


 さっきは起き上がるのも一苦労だったけど今は何の支障もなく頭も頬も、足の痛みも大分引いていた。だけど――これ以上先を進む事を頭も心も体も拒否する。


 また、死に直面するかもしれない――


「……あの、ここから先はダグラスさん一人で行かれた方がいいのでは……?」


 自分でもかなり酷い事言ってるなと思いながら言った提案に対し、


「何故?」


 と、信じられないと言わんばかりに問い返される。


「さっきみたいな戦闘だと、私、また気を失うかもしれないので……」

「ああ、あれは私の配慮が足りませんでしたね……すみません。ここから先は私自ら魔物をほふりますから、ああいう状況にはならないと思います」


 思い出したくもない凄惨な状況が頭を過って、空っぽのハズの胃からまた何かがこみ上げてくる感覚が襲ってくるのを何とかこらえる。


 ダグラスさんの手に握られた大きな黒い槍は仰々しく、禍々しさすら感じる。

 先程見えた時はもう少し短かった気がするけど、気のせいだろうか? どちらにせよ、これはこれでまた別の修羅場が待っていそうで、猶更足がすくむ。


「で、でも……あ、足手まといになると思うし……」

「……ペイシュヴァルツ」


 ダグラスさんの言葉に呼応するかのように、突然彼の影からライオンぐらいの大きさの黒猫が現れた。背には大きい、蝙蝠に似た羽根がついている。


「この子に貴方を護らせましょう」

(……ちょっと、可愛い、かも……)


 ちょっと撫でてみると、もふもふツヤツヤな毛並みがとても心地いい。

 ダグラスさんと同じ色合いの濃灰の瞳を嫌そうに向けられたものの、逃げようとはしないので延々と触ってしまう。

 完全な黒猫、という訳ではなくお腹辺りにちょっと白い部分があるのもまた可愛い。


「いくらでもお触りください。乗っても大丈夫ですよ」

「いいんですか?」


 つい、言ってしまった後に慌てて訂正する。


「って……! いやいや、そういう事じゃなくて! 私、帰りたいんです!! 魔物狩りはもう懲り懲りです……!」


 いくら戦い方が配慮されようと、可愛い護衛を付けられようと、さっきみたいな目に合うのはもう嫌だ。

 さっき狩る側が一瞬で狩られる側になってしまったように、ダグラスさんだって油断してついうっかり倒れたりするかもしれない。

 そのうっかりで今度は死ぬかもしれない。


「……それでは私がここの魔物を狩る意味がなくなりますね。まあツヴェルフが負傷したので帰還を優先させました、と報告すればいいだけの事ですが……」


 私の頑なな態度に困っているのか、ダグラスさんは納得いかないように顎に手をあてて考え込む。


「それだとこの遺跡の奥にいる魔物は、ずっと冒険者を狩り続ける事になるでしょうね」


 ふぅ、とため息をついた後のダグラスさんの言葉が、理解できなかった。


「何ですか、それ……ダグラスさんは貴族ですよね? 貴族って国の為に、民の為に戦うものじゃないんですか?」


 ここで魔物を放置したら多くの冒険者や民の犠牲が出るのは誰の目から見ても明らかだ。

 軍隊を派遣すれば解決する事だとしても、少なくない犠牲者が出てしまうだろう。

 凄い力を持つ貴族が、率先してそれを食い止めようとしない事に強い憤りを覚える。


 私の心情を察したのか、ダグラスさんは大げさに肩を竦めた。


「そういう貴族もいますが……少なくとも私は民の為に戦ってはいませんし、むやみやたらに手を汚す事もしたくありません。それが例え、魔物相手でも」


 言葉を紡ぐ口元は微笑っていても他人の好意に甘えるなと言わんばかりに、冷ややかな視線を向けられる。


「……ですが私は今、貴方に私の力を知らしめる為ならここの魔物を潰し尽くしてもいいと思っています。貴方がこれから先ここに訪れる冒険者や民の命を憂うのなら、そんな私の気持ちを利用なさればいい」


 ダグラスさんの口元がまるで私を嘲笑うかをように、歪む。


「……私に自分の強さを見せつける事が、そんなに大事ですか?」

「私にとっては大事な事です。貴方は少々……いえ、大分私の力をみくびっているようですので」


 ポケットから取り出した紫色の玉がはめ込まれたそれは、見覚えのある音石だった。


(え……昨日込めた嫌味で、そこまで気分害したって言うの……?)


『婚約リボンの事……説明したら断られるかもしれないと思ったのかも知れませんが、断る断らないは私が判断する事であって、貴方が判断する事ではありません』


 昨日の夜、消したはずの音声が遺跡に響く。


「それは……何で……!?」


 聞き直した時には入っていなかったはずなのに――セリアが何か失敗してしまったのだろうか?


「所々不自然に魔力が途切れていれば気になるでしょう? 音石に一度込められた音声の復元など、これを扱い慣れてる者には造作もない事です」


 パソコンのデータの復元と同じような理屈だろうか? 復元される、なんて可能性は全く考えていなかった。恐らくセリアも。


「私は貴方と対等でいたい……その気持ちは本心なのですが、これを聞いた時どうしたものかと思いまして……貴方にこういう物言いをされるのは非常に面白くない」


 途中から言葉がとても冷たいものにかわる。要は、私があまりにも生意気な口の利き方をするからイラっとした訳か。


「……私が気に入らないから自分の強さを見せつけて屈服させたいと? それが人の命より大事な事だと? ……貴方、いい性格してるわね」


 ここで『すいません、そんなつもりは……』としおらしく謝罪すれば相手の気も晴れたのかも知れないけれど、到底そんな気になれない。


「ここから先の魔物は手ごわい事をその身で感じている癖に私を一人で行かせようとする貴方も相当ですよ? ……で、どうされます?」

「どう、って……?」


「私には一人で行くという選択肢はありません。貴方が帰るなら付いていきますし、貴方が共に行くのであれば私とペイシュヴァルツが全力で貴方を護ってみせましょう」


 城の時とは違う、含みを持たせた嫌味な微笑みと共に手が差し出される。


「貴方は着いてくるだけでまだ見ぬ冒険者や民の命を救えるんですよ? これ程楽な人助けもない。ここまで言っても先に進まれないなら……貴方に私を非難する資格はない」


 数時間前に自信満々なクラウスに頼りきって、悲惨な目に合ったばかりなのだけど。

 目の前の男はクラウス以上に自信満々で、殊更苛立ちと不安が煽られるのだけど。


 見た事もない多くの命を天秤にかけられてしまっては、差し出された手を取るしかなかった。


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