第16話 色神のぬいぐるみ
約束の日――約束の時間の少し前にラリマー邸の前に鮮やかな翠緑の馬車が到着しました。
ヒューイから贈られたマントのフードを被った後、ペンダントのボタンを押して館の前でエリザベート様と一緒にヒューイを出迎えます。
翠緑の馬車から降りてきたヒューイは私に贈った物に合わせたのか、同じ型の民族衣装にゆったりとしたズボンを履き、薄緑のマントを羽織ったラフな服装でした。
「ああ、贈った服を着てくれたんだな……ありがとう。よく似合ってる」
私の姿を見て微笑むヒューイはこれまで聞いた事がない位優しい声と、見た事がない位に温かい眼差しをしています。
(訓練しておいてよかったですわ……)
こういう顔は見ていませんけど、アイスブルーの瞳のヒューイの顔はこの9日間で見飽きるほど見つめましたわ。
今ならどんな表情をされようとどれだけ顔を近づけられようと、意識を失わない自信があります。
そして今、私が着ている服は全てヒューイが想い人の事を想って贈ってきたもの。ちゃんと笑顔で応えなくては。
「こちらこそ、こんな素敵な服やイヤリングを贈ってくれてありがとう。凄く嬉しいわ」
「お、言葉遣いも頑張ったみたいだな……まああんまり無理するなよ」
努力の甲斐あって掴みは上々のようです。昨日オフェリア様に私の言葉遣いを指摘された後、夜中まで特訓して良かったですわ。
無理するな、と言われても甘えてはいけません。できる限り頑張らなくては。
「ヒューイ卿、ルクレツィア様をよろしくお願いいたします。そちらの意向に合わせて従者はつけませんが、もし何かあった場合はすぐにこちらに連絡ください。明日の9時までに戻って来ないようであればアイドクレース邸に伺わせて頂きます」
「分かりました。ご配慮感謝します、エリザベート夫人。それではお姫様、行きましょうか」
ヒューイの左腕にそっと手をかけ、エスコートされながら翠緑の馬車へと乗り込みます。
翠緑を基調に作られた馬車は馬着も外装も内装もラリマーの青馬車や先日乗せてもらったセレンディバイトの黒馬車と色味が違うだけで、ほぼ同じ作りのようでした。
一級品の物で揃えれば自然とそうなってしまうのでしょうか?
そんな事を考えながら座席に腰掛けるとヒューイが私の正面に座りました。
こういう時は隣に座るものではないのかしら? という私の動揺を察したのか、ヒューイが穏やかな声で問いかけてきます。
「フードを被った君の隣に座っても顔がよく見えないからな。俺に見つめられるのが嫌なら隣に座り直すが、どっちがいい?」
馬車での移動中ずっと想い人を見つめていたい、だなんて普通の女性なら顔を真っ赤にして照れるのでしょうね。
私も、もしアーサー様から言われたら――っていけませんわ。平常心、平常心ですわ。
「……このままでいいわ。それより私、翠緑の馬車って初めて見た気がする。普段あんまりこの馬車って使われてないわよね?」
今日一日なるべくヒューイの意向に沿う過ごし方をせねばなりません。
向かい合って座る事を了承した上で気になった事を問いかけると、ヒューイは軽く馬車内を見回した後懐かしそうに呟きます。
「ああ、言われてみれば……親父はグリューンに乗るか瞬間移動を使うかのどちらかだし、俺も皇都内は浮遊術で移動する方が楽だし、サウス地方に行く時は馬に直接乗るからな……俺もこの馬車に乗るのは学院を卒業して以来だな」
「瞬間移動……? 転移防止の結界が張られているのに?」
でも言われてみればシーザー卿はツヴェルフが転送された時、塔に来ていました。いくら色神が速いとは言え、23時に皇城に呼ばれ色々お話もあっただろう状況であの時間にあの場所にいたのは凄く不思議ですわ。
「親父が言うには結界を無効化出来る秘密の言語があるらしい」
「そんな言語があるなら対策しないと危ないんじゃない?」
「どうかな……秘密の言語を知ってるのは至極限られた人間だけらしいし、瞬間移動を使うと結界に歪みが出て皇家にバレるらしいから、秘密の言語を知ってるからって好き勝手に動ける訳じゃないそうだ。他の公爵家に忍び込んだら大問題になるだろうしな」
「ああ、それじゃあ家に忍び込まれる事はないのね……良かった」
ホッとしつつ窓の向こうに視線を向けると、既に貴族街に入っていました。
「……今日はどんな感じに過ごすの? このペンダントが持つのは後8時間位なんだけど……」
「そうか……それなら3時間ほど皇都の貴族街や俺が君に見せたい所を色々回って、気になった所があればそこにも立ち寄るか。ああ、俺が気に入る反応を、なんて考えずに素で楽しんでくれれば良い。あんまり貴族街や商店街に出た事ないだろう?」
「……いいのですか?」
普段私は学院と館の往復がメインで、たまに皇城や何処かの貴族のパーティーに伺うのですけれど――皇都で人生の大半を過ごしていながら皇都の『街』に降り立った事がありません。
風景でしかなかったその地に足を降ろせる驚きに、つい素の声が上がってしまいました。
「いいさ。俺の酔狂な願望に付き合ってくれてる礼だ。気に入った物をあったら全部俺が買ってやるから遠慮なく言ってくれ」
「でも、私、夜もお任せしてしまうし……私だけ良い思いをするのは……」
「夜は任せてもらえない方がショックだから心配するな」
「あ、そう言えば……私もヒューイも器の大きさはそう変わらないけど4、5時間で私の器を満たせるものなの? 私、人から魔力を注がれるって感覚がよく分からなくて……アシュレーはツヴェルフに日数かけて魔力注いでたし……」
それは純粋な質問だったのですけれど、ヒューイが困ったように微笑みます。
「……ツヴェルフに少しずつ魔力を注ぐのは、ツヴェルフと魔力の相性を測ったりマナアレルギーを防ぐ為だ。君は元々青を宿していた器だから俺との相性は悪くない。だから一度に注いでもマナアレルギーを起こす可能性は低いし、俺が
その微笑みは温かくて、優しくて――もしアーサー様と出会っていなかったら私、この方が作り出す温かい風に身も心も包まれていたかも知れません。
そんな事を考えているうちに馬車が止まり、ヒューイ卿が先に降り立ちます。
「さあ、お手をどうぞ。俺のお姫様」
頑なに名前を言わないあたり、本当に誰にも知られたくない――大切にしている方なのでしょう。
差し伸べられたヒューイの手に自分の手を重ね、もう片方の手で周囲に顔を見られないようにフードを目深に被ります。
露店が多い場所なのでしょうか? ヒューイにエスコートされる形で人目を気にしながらうつむきがちに歩いていると、地面に置かれた様々な雑貨や小物が目に入ってきます。
(ここはもしや……露店通り!?)
服や布製品に関しては貴族街の商店街や百貨店の方が評判ですけれど、装飾品に関しては露店通りも負けてませんわよね――と学院の下級貴族達が楽しそうに話しているのを何度か聞いた事がありますわ。
地方から来た生徒達は休息日に寮の仲間と連れ立って街を巡るのが楽しみの1つらしく、あれやこれやと街の話が聞こえてくるのが私ちょっと羨ましかったのです。
早速、普段見ないような安っぽいなりにも個性のある品々に目を奪われます。
(ふふ、こうしてみるとラリマー家の調度品や小物がいかに格式高い物かよく分かりますわね……)
それでもこれらはこれらで味があります。値段も百貨店の物よりずっと安価ですし掘り出し物がないかと探したくなる女生徒達の気持ちが少し分かりますわ。
そして見ている内に片手の手の平に乗るくらいの小さな
手にとって撫でてみると白い毛皮を使用しているようで、フカフカな触り心地は本物には及びませんがなかなかのものです。
「……それが欲しいのか?」
「……ちょっとだけ。でも私の家は他の家の色神に
「それは俺の所もそうだが……置いてないからって買っちゃいけないって言われた訳じゃないだろ?」
ヒューイは私の手からひょいっとラインヴァイスのぬいぐるみを取って店主にお金を支払った後、再び私の手にそのぬいぐるみが乗せました。
「もし家に持って帰って駄目だって言われたら捨てりゃいい」
「捨てるかもしれない物にお金を出したの? もったいない」
「捨てられないかもしれないだろ?」
「それなら……グリューンのぬいぐるみでも良かったのに」
ラインヴァイスのぬいぐるみの横には
そう思って言った気遣いの言葉は逆にヒューイを困らせてしまったようです。言い辛そうに苦笑いされました。
「あー……こんな事言うとバチが当たるかもしれないが、俺はグリューンが好きじゃないんだ。その鳥もあんまり好きじゃないんだけどな……アンタが欲しそうな顔をしてたから、ついな」
自分の家の色神が好きじゃない――そんな人がいるなんてビックリですわ。
何故好きじゃないのか聞きたかったですけど、ヒューイが困っているのは明らかなのでこれ以上機嫌を損ねさせてはいけません。
ラインヴァイスのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて笑いかけます。
「ありがとう、ヒューイ。ただこれだけだと家から何か言われちゃうかもしれないから、アズーブラウの何かも欲しい」
「分かった。それじゃあ探しながら歩くか」
とは言っても、私はうつむきがちに歩くのでどうしても片側のお店しか見られないのですけれど――ヒューイをチラ、と見るとちゃんと両方のお店を確認しているようです。
私がうつむきがちに歩かねばならない事まで見越した上で、この場所を選んだ気配
り力の高さ、この方の本気の恋が続けばお相手はずっと幸せなのでしょうね――
なんて事を考えながら私もアズーブラウをモデルにした物がないか探します。
でも視界に入った物の中に
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