第104話 とあるメイドの謀(※セリア視点)


 アスカ様が誰から望まれなくなってもお傍にいる――その決意は変わらないのですけれど、<私の主>の隣には誰もが羨むような殿方をずっと添えておきたい――とも思うのです。




 周囲の嘲笑うような視線に、心の奥底で怒りが渦巻く。

 自分自身に注目を向けられるのは元々苦手だけれど、この視線は本当に不愉快――そう思いながら足早に階段を降りきると、この視線の元凶である黒の家令に声を掛けられた。


「こちらの主がまだ受け入れる気でいる内に、そちらの主を説得されてはいかがですかな?」

「貴方がドレスの事に言及してこなければ、そうしていたかもしれませんね」


 とりあえずの笑顔を張り付けてそう答えた後、再び駆け出す。


 私の努力を無駄にしたばかりかアスカ様に余計な恥をかかさせた事に一撃食らわせたい気持ちはありますけれど、私、叶わない敵と直接相対するような無謀な事は致しません。


 将さえ射る事ができれば、この老馬も従う事になるのですし。


 長い廊下を抜けて皇城の外に出ると、思った以上に遠い位置に黒馬車が止まっていました。

 一般市民も見物しようと思えばできる位置。実際、既に人だかりもできている。


 あの方、アスカ様にどれだけ恥をかかせるつもりなのかしら――? より一層心の中に怒りが渦巻く中、黒馬車の元へと急ぎます。



「ダグラス様、中にいらっしゃるのでしょう?」


 黒馬車の下から呼びかけるも応答が無いので、失礼を承知で強引にドアを開ける。まあ、優雅に本なんて読んで――一体どういうつもりなのでしょうか?


「ダグラス様、アスカ様がお待ちです。早く迎えに行ってあげてください」


 そう言うとダグラス様が持っていた本を閉じて顔を上げます。

 六会合の時やパーティーの時のような公的な場に出るような高貴な服ではなく、黒のスーツにマントを羽織っただけの軽装からアスカ様を迎えに行くつもりが一切ない事がありありと感じ取れました。


「……ヨーゼフを迎えに行かせただろう? 何故私が出向かなければならない?」


 怒りと蔑みが込められた眼差しを向けられる。アスカ様にこのような仕打ちをしてくる位だから予想はしていましたけれど、やはり相当機嫌が悪い。


(パーティーの時に漂わされた殺気が感じられないだけ、マシではありますけど……)


 あの時と魔物狩りの時は、本当に死を覚悟しました。どちらもアスカ様に助けられたから今を生きていられてる――その恩を返す為にもこんなプレッシャーに負けてられません。


「ダグラス様……アスカ様に恥をかかせるのが目的なら、もう十分です。アスカ様の心が折れる前にお迎えに上がられた方がよろしいかと」

「彼女の心がこの程度で折れるものか……迎えに行けばまた調子に乗られる。私は今まで彼女を甘やかしすぎた……いい加減自分の立場を理解してもらわなければ」


 あの時、アスカ様に熱い眼差しを向けていた男とは思えない位酷な事を言う。


「お言葉ですがダグラス様……好意という物は甘やかされるからこそ芽生え、育つものです」

「好意……? 私がいくら優しくしようと、彼女が私に好意を持った事など一度もない。彼女は、この世界の人間に恋などしないそうだ」


 好意という言葉が何かに触れたようで、見下すような乾いた笑みを向けられる。


「……彼女が私の子とダンビュライト侯の子を産んだ後、地球に帰るつもりでいる事は君も聞いているだろう?」


 突然の言葉に一瞬表情が強張るのを感じる。


「……聞いていないのか? なるほど、お互い彼女の演技に騙されていた訳か……私と違って常に傍にいるはずの君がこんな重要な事を打ち明けられてないとは……哀れだな」


 瞬間の戸惑いを見抜かれ、嘲笑われる。確かにそれが事実ならショックですけれど――今はそれどころじゃありません。考えるのは後にしましょう。


「……何故、好意を持たれていないと思われるのです?」

「彼女自身がそう話しているのを聞いたからだ」


 なるほど……状況からして盗聴したのはその部分? 誰とも恋をしない、と言われてショックで寵愛ドレスを持って帰った、と……そういう事なら――


「聞いただけですか? 表情を見た訳ではないのですね?」

「表情など見えていなくても声を聞けば十分理解できる」

「あら、目は口ほどに物を言いますよ? アスカ様が素直じゃないのはダグラス様もご存じでしょう? あの方は口より目が、表情が物を申すお方です……アスカ様がどんな表情でそう言ったのか分からない限り、私の、アスカ様がダグラス様を好いていらっしゃる、という考えは覆りません。私が何故その考えを変えないか……知りたくありませんか?」

「彼女に信頼されてない人間の言葉に耳を傾けろと?」


 気に障る表情かおで気に障る事を言ってくるのは素かしら? わざとかしら……?


「ご安心ください、私の言葉ではありません……これをご覧ください」


 頭の中に思い浮かぶ光景をそのままテレパシーで送る。私の魔力では短時間しか使えない魔法ですけど――十分です。


『――先日の狩りで見た、ダグラスさんの体がすごく、理想的で……その、彼に、だ、抱かれる妄想、とか――』


 アスカ様の言葉と赤面する様子に、半ば閉じかかっていた濃灰の目が見開く。


『彼、変な事で機嫌損ねるし、煽ってくるし、魔物と戦う時凄く荒々しい戦い方してたけど、ベッドの上では、意外と、や、や、優しいんじゃないかなぁ、とか……そういう、願望ッ……!!』

「ああっ……!!」


 アスカ様と同じタイミングでダグラス様も呻いて顔を覆う。あらあら、相性ピッタリじゃございませんか。これは――いけます。


「ふふ……どう思います? この表情、言葉……私には好きな男に抱かれる事を想像して赤面する女性にしか見えません」


 一気に魔力を消耗して少し息を切らせつつ、様子をうかがう。


「ど、どういう流れでこんな、品の無い発言を……!」


 あらあらまあまあ、言葉ではそう言ってても口元抑えて赤面してらっしゃる――とても分かりやすくて助かります。


「夜な夜なツヴェルフ達で集まってるのを他のツヴェルフのメイドに追及された結果です。アスカ様曰くこの世界の男達との抱かれる妄想や素敵なシチュエーションについて語り合っていたそうです……」

「この世界の男達に、抱かれる、妄想……!?」


 その戸惑う口ぶりと浮かない表情からあらぬ方向に思考がいってるのも、もう見るからに分かります。


「ご安心ください。抱かれる妄想に限っては誰とでもしている訳ではないそうです。つまり、アスカ様の抱かれる妄想は……ダグラス様限定です」


 クラウス様にも妄想してたかもしれませんけど、私、そんな野暮な事は言いません。


「私、だけ……?」


 ああ、またフルフルと震えられて……喜んでいるのが口元で分かります。ええ、もう傍目から見ても心底アスカ様に恋焦がれていらっしゃるのが分かります。ええ、ええ。それでいいのです。


「ダグラス様がいつアスカ様の『恋をしない』なんて言葉を聞いたのか分かりませんが、これは先日の六会合の夕方……ダグラス様が帰られた後のアスカ様の様子です」


 後押しのつもりで放った言葉に視線を逸らされ、眉を潜められる。


「……いや、これで彼女が私を好いている、というのは無理がある……彼女は私に抱かれる覚悟をした上でこうであったらいい、という願望を言っているだけだ」


 あらら、結構良い所まで押し込んだと思ったのですけれどここで理性が出て来るとは――流石に公爵だけあってそうすんなりと流されてはくれませんか。


「だとしても、嫌いな男に抱かれる想像でああはなりません。抱かれる事を想像した際に赤面される程度にはダグラス様は好かれているのです」

「それでも、これは……恋や愛とは違う類のものだ」


 そう言う割りに表情がちょっと嬉しそうなのが微妙に気持ち悪い――って、いけないいけない、主の伴侶となる方をそんな風に思ってはいけません。


 それに……私に対して表情を繕う余裕もない程アスカ様を想われてるのなら、その想い、1秒でも早く縫い留めてしまわなければ。


「ああ、お可哀想なアスカ様……! 昨日クラウス様にフラれ、ダグラス様に身を捧げようと決意してこの日に挑んだのにこのような仕打ちに合い、挙句ダグラス様に<パーティーで盛大に婚約しておいてその後贈り物どころか寵愛ドレスすら贈らない、女心をまるでわかってない駄目男>というレッテルを貼らせまいと私に倉庫で探させた漆黒のドレスも皆の前で黒の家令にバラされて……!」

「なっ……!!」


 ダグラス様の表情が明らかに変わる。ドレスは私が提案したのですけれど家令にバラされた以上、そういう理由にしておいた方がいいでしょう。


 それにしても――恥をかかせて傷つけようと思ってた癖に他人がアスカ様を傷つけるのは嫌だなんて不思議……私には一生理解できそうにありません、その思考。

 

「ああ……こんな惨めな思いをさせる男に、誰が心から甘えられましょう? 笑顔を向けられましょう? 縋りつけましょう? ……クラウス様にフラれて傷心状態の今こそ、ダグラス様がアスカ様の心を自分の方に引き寄せるチャンスだったのに……」

「彼女は、恋など、しないと……」


 弱々しい言葉……先程の見下し具合が嘘のよう。


「ダグラス様はもう分かってらっしゃるでしょう? 恋はするものではなく、落ちる物です。そして落ちた方がもう片方を引きずり込む事で2人の間に恋愛が成立するのです。でも……今更ダグラス様が行っても、もう遅いかもしれませんね……だって今、深く悲しんでるだろうアスカ様の傍には、レオナルド様がいらっしゃいますもの……」


 ここで黄を頼るのはかなり癪ですけれど、恋にライバルは付き物――利用させて頂きます。


「慈悲深く礼節に長けたあの方の事です……きっと今アスカ様を慰めている事でしょう……2人の男に冷たく突き放され深く傷つき孤独に陥ったアスカ様が、あんな素敵な殿方に優しくされたら恋に落ちてしまう可能性も……」


 本当に黄の公爵令息に対して惚れてしまわれたら、私、胃に穴が開きそう――と胃を抑えると同時にダグラス様が勢いよく立ち上がりました。


 邪魔にならない様にすぐ馬車を降りて身を引くと、彼は黒馬車を降りて足早に城に向かっていきます。その背中にはもう、一切の迷いが感じられません。


 胃の痛みが薄れていくのと同時に肩の力が抜けて長い息が漏れる。少し時間はかかりましたけど、とりあえず危機は脱したみたいです。


(ダグラス様が予想以上に単――いえ、純粋な方で助かりました)


 他の公爵相手だったら――いいえ、アスカ様の話じゃなかったら絶対上手くいかなかった。


 ふう、と改めて息をついてポケットの中の紙袋からクッキーを一枚取り出して口に入れるとサクッと音を立てて溶けていく。


 これでアスカ様も幸せになるし、私も公爵夫人のメイドとして女子爵の地位が確約されました。アウイナイト家にもセレンディバイト家の後ろ盾ができます。

 ああ、これぞまさに栄光――一世一代の偉業を成し遂げたと言っても過言ではありません。今後の働きによっては女伯爵の地位も夢じゃない――


(ああ、でも……アスカ様は地球に帰る事を望んでらっしゃるんでしたっけ?)


 言われてみれば確かに思い当たる節はあります。時折私に向けられる、申し訳なさそうな眼差し――その理由をアスカ様から打ち明けてくれる日を待っていたのですけれど。


(……ちゃんと言ってくれたなら、私、とっておきなんて出しませんでしたのに) 


 理性、感情、本能――全てをアスカ様に捉われたダグラス様が嫌がるアスカ様を地球に帰すまいと引きずり込む姿を想像しただけで心が痛むのは、きっとこのクッキーが美味しいからですね。


 あの下着のせいでアスカ様がダグラス様に囚われたとしても。それは私に『地球に帰りたい』と言ってくれなかったアスカ様が悪いのだから、仕方ない事です。


 私、下着の事はちゃんと説明しましたし、どうするか確認もしましたもの。その上で身につける事を選んだのはアスカ様です。

 それにちゃんと理性と感情が伴ってないと下着の効果なんて微々たるもの――ダグラス様の本能に突き刺さるならそれ程までにあの方を魅了したアスカ様のせいです。


 それでもあえて私のとがを問うとすれば、黒っぽい下着で十分効果がある物をわざわざ彼の魔力と同じ漆黒の下着にした理由を言わなかった事位でしょうか?


 自分の魔力と全く同じ色の下着を身に着けたツヴェルフの衝撃は、本能に突き刺さった後一体化していく――とても重くて恐ろしい愛の呪い。


 でもこれもヴィガリスタの事件以降けしてツヴェルフに知らせてはならない事とされていますので、私が悪い訳ではありません。


 悪いのは子孫まで身を滅ぼしかねない危険な物をツヴェルフに贈ったあの方の先祖と、ちゃんと荷を確認せずに倉庫に捨て置いていた皇家です。

 私はたまたま見つけてしまっただけ。どうせならずっと効果がある方がいいなって思うのも、当たり前。


 私は不器用で優しいアスカ様がこの慣れぬ世界で少しでも生きやすくなるようにアスカ様に心惹かれる有望な男の想いを永久の物に仕立て上げただけ。


 そう――アスカ様が望まれていた『誰にも邪魔される事の無い、未来永劫、不変の愛』を提供しただけ。


 だってアスカ様は私を2度も助けてくれた命の恩人ですし、私と対等でいようとしてくださる心優しい人――そんな<主>の幸せを願うのも、誰もが羨む殿方に溺愛されてほしいと思うのも、<メイド>として当然の事でございましょう?


 いくら性格に難があると言っても、実力、魔力、地位、名声、容姿――他は全て最高の殿方ですもの。

 アスカ様も別にダグラス様の事、嫌ってるようには見えませんでしたし。あの方からずっと愛を囁かれればいつか今日の傷も癒えるでしょう。


 大丈夫、あの下着さえ見せればもうあの方はアスカ様に恥をかかせてやろうとか縋りつかせてやろうだなんてふざけた考えを持てないはずです。

 アスカ様の恥は、あの方の恥。アスカ様の屈辱は、あの方の屈辱。


 もうあの方の愛も、想いも、性欲も、独占欲も――全部アスカ様の物なのですから。


(うふふ……自分の星に帰ろうとする史上最低のツヴェルフと、そんな彼女を愛し求めてやまない史上最高の公爵の恋物語……なんてロマンと愛に溢れたお話なんでしょう?)


 アスカ様をこの物語のヒロインにしたのは私。

 ダグラス様がアスカ様に困った性癖を押し付けられなくしたのも私。

 ダグラス様のアスカ様への想いを永遠のものにしたのも――私。


 ――ね、アスカ様……私、お役に立ちますでしょう――?


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