第60話 男と女の二度目の夜・1
醤油がサッと一回りかけられた、普通の海鮮丼――の半分は青い。スカイブルーなサーモンっぽい切り身と青いイクラ。
不思議なのはそこにちゃんと普通のサーモンとイクラも入ってるって事。
後は赤身に、ブリに似たような切り身、イカやホタテっぽいプルプルした物体が所狭しと詰まっている。
(ちょっと想像してたのとは違うけど……)
ここ異世界――ザ・日本! な海鮮丼が出てくるはずがない。箸があるだけ頑張って寄せてる方だと思う。
「い、いかがでしょう?」
「色々ぎっしり詰まってて美味しそうです……でも、この器と箸……高級な感じしますけど、持ってきて良かったんですか?」
「金貨1枚で箸や器ごと買い取りましたので」
私の隣に座るダグラスさんも自分の海鮮丼を出してサラッと言ってのける。
しっかりした器と箸込みとは言え、1個10万円の海鮮丼――青サーモンに青イクラを乗せて、少量のご飯を共に恐る恐る口に運ぶ。
(あれ……これ、醤油じゃない?)
醤油だと思っていたそれは塩辛くはあるけど醤油に比べて甘く、コクを感じる。
青サーモンは普通のサーモンよりちょっと爽やかひんやり感がある。
青イクラもプチプチ弾けると爽快で冷凍出したてみたいなひんやりした液が出てくるけど、すぐ口の中の熱に馴染んで独特の味わいになる。
ちょっと思ってたのと違う感はあるけど――お刺し身やホタテは想像通りの味だし、ご飯ももっちりしてるし、美味しい。
日本の海鮮丼とどっちが好きかって言われたら日本のだけど、故郷の味云々さえ考えなければこれも十分美味しい部類の料理になる。
何より、ダグラスさんが私にサプライズしたくてこれを朝から買いに行ってくれた事を考えるだけで、顔がほころぶ。
彼が私の反応を伺ってるのも相まって、自然と口角も上がってしまう。
「美味しい……ダグラスさん、ありがとう」
「喜んで頂けたなら何よりです……ウェサ・マーレにいる黒の騎士団の者に一番美味い海鮮丼を出す店を聞いた甲斐がありました」
黒の騎士団の人、突然ダグラスさんにそんな事聞かれて戸惑っただろうな――と思いつつ、アクアオーラ侯曰く『ごく一部の金持ち貴族が密やかに楽しむ娯楽食品』――いわば裏メニューみたいな物を出す店をちゃんと答えてる有能さに感動する。
「そう言えば……黒の騎士団って他国にもいるんですよね?」
前にセレンディバイト邸で記念撮影を撮ろうとした時、ヨーゼフさんの息子夫婦、グスタフさんとレネさんが写真屋として各国を回ってるって言ってた。
「ええ。皇国内はもちろん、殆どの国の首都や主要都市に最低一人は配備しています」
「あ、それじゃあ、帝国ってどんなところか分かりますか? さっきモニカさん達と話してた時にチラッと名前が出たので、気になって……」
ヒューイ達が諜報員を帝国に派遣して情報収集するとは言ってたけど、帝国に行くにはこの大陸を南下して、南の大陸に渡って西に進んでそこから帝国の大陸に渡る、いわば『U字型』の行程を辿るらしい。
3つの大陸それぞれ広くて、今から向かわせるとなると状況が分かるまで3、4節はかかるって言ってたけど、元々そこに黒の騎士団を使えばもっと早く何か分かるかも知れない。
「帝国……ラグドール帝国はこの海の向こうにある、皇国と同じ程の領土を持つ大国です。ロットワイラーとはまた別の方向に文明が発達している国でもあります」
「へぇ……そう言えば、魔導機兵がどうとか言ってました……ヴィクトール卿が亡くなった後大軍を率いてくるかも知れないから、その時はダグラスさんとクラウスに力を貸してほしいって」
さっき、ヒューイとモニカさんと話し合った時にダグラスさんに世界崩壊の事を説明するのは危険だけど、ヴィクトール卿が死んだ後――知ってる人が死ぬって、あんまり考えたくないけど――帝国が大量の魔導機兵を率いて侵略してくる事は話しておいた方がいいって事になった。
魔導機兵――あのシャニカが私の暗殺に成功しながら、何度も時戻りを繰り返した原因。
大型で人型の機兵って聞いて自然と有名アニメのロボットが頭に浮かんだけど、それと似たような物が海から大量にやってきて無差別に攻撃してくる事を考えたら、1日でも早く対策しておいた方が良い。
「それは当人からも頼まれてますから、力は貸すつもりですが……ヒューイ達もそれを察しているという事は本格的に帝国が動き出しているのかも知れませんね」
「え?」
予想外の言葉に思わず声を上げるも、ダグラスさんは構わず言葉を重ねる。
「実はここしばらく、帝国の首都にいるはずの騎士から連絡が来ないのでグスタフ達を向かわせている所なんです……報告が届くまでに後2節はかかると見ていたのですが、少し急がせた方が良さそうですね」
「……帝国の他の都市にいる人を首都に行かせたら駄目なんですか?」
「それができれば1節程度で状況がわかるかも知れませんが、帝国は皇国とは一切交流も交易もない敵国ですから……諜報員と連絡が取れないからと他の都市から不用意に諜報員を動かすのは危険なんです。至急の案件でなければ日数がかかっても実力者を向かわせるのが一番確実です」
「なるほど……」
諜報員が捕まったとして、他の諜報員まで捕まるような事になったら困る、と。ダグラスさんの言葉がストンと腑に落ちる。
帝国にいる黒の騎士団と連絡が取れてない――この事はヒューイ達に伝えておいた方が良いかも。
(グスタフさんとルネさん、大丈夫かな……)
プロの、しかも主が実力者と認めてる人に対してそんな心配を口にするのは失礼な気がして、心に思うに留める。
ヨーゼフさんの息子夫婦だと思えば大丈夫な気もしてくるし。
「……もし帝国が皇国を襲おうとしてるって分かったら、どうするんですか?」
「被害を最小限に抑える為に、群生諸島付近に公爵を置いて守りを固めるだけです。皇国が他国を襲撃するにはそれなりの『口実』が必要ですから」
「え、でも……ロットワイラーは……」
私がロットワイラーの研究所に捕まって拷問まがいの実験を受けた後、自分の体に戻ったダグラスさんはロットワイラーを制圧した。
「ロットワイラーは
「……なるほど」
確かに大型の機兵なら岩をどかしたり地面を
海鮮丼を食べながらダグラスさんの説明に聞き入る。
人や魔物を煽る趣味がある割に、こういう説明の時はダグラスさんの声も喋りも穏やかで、優しくて――凄く分かりやすい。
そして、帝国は危険な国ではあるけれど皇国や星を脅かすような軍事兵器は現時点で所持していない――という話から少しずつ話がそれていく。
そして海鮮丼を食べ終えたタイミングで『三人目はヒューイに決めたから、彼にかけた呪術を解いて欲しい』とお願いすると、ダグラスさんの顔が引きつった。
「……そ、そうですか……彼に……」
震える手でそっと頭を抑えようとしたから、先に自分の手をあてにいく。
僅かに膨らんだ部分を撫でながら、真っ直ぐにダグラスさんの顔を見る。
「ダグラスさん、大丈夫。彼には想い人がいるらしいの。だから私と彼の間でダグラスさんが不安になるような事は起きない」
「想い人……?」
ダグラスさん、物凄い怪訝な顔してる。気持ちは分からないでもないけど。
「もしダグラスさんがそれでも心配だって言うなら、私と彼がそういう事する時まで解かなくていい……ただ、その時が来たら解いて欲しい」
「……飛鳥さんは彼と契るのが嫌じゃないんですか?」
その台詞を不機嫌な目で見つめられながら言ってきたら、反発心が湧き上がったかも知れない。
だけど、子犬のような目で見つめてくるから――ただただ良心が痛む。
「嫌だけど……それが私に課せられた刑だから。私のせいで死傷してしまった人達や遺族が、私が刑を受ける事で少しでも溜飲を下げてくれるなら……私は受け止めたい」
生理的に無理な人とか嗜虐趣味がある人とかじゃなくて、自分に都合が良い相手を選べただけありがたいとすら思う。
「……私の器が割れたのも、その間魔物討伐が出来なかったのも、貴方のせいじゃない。全て私のせいです。飛鳥さんが背負う必要はない」
「誰も背負わなかったら、被害を受けた人達の不満や怒りはずっと心に留まったままです」
「誰かが背負わなければならない罪なら、私が全て背負います」
「ダグラスさんが全部背負って解決したって私の気が済まないの。せめて私が背負える分は私に背負わせて欲しい」
ダグラスさんの時が止まっていた間、どれだけの人が傷ついたのか、亡くなったのか、誰も教えてくれない。
私は目に見えない罪を背負ってる。この国から課せられた刑を受ける事で、少しは償えると思うから。
ダグラスさんが何か言いあぐねた様子で私を見つめる。
きっと、私の頑なな態度が気に入らないんだろう。そして、不安なんだろう。
「……ダグラスさんが私が他人に抱かれるのが嫌だって思ってるの、分かる。私だってダグラスさんが恋愛感情無しのワケ有りでも他の女性を抱いたら嫌だもの。きっと苦しくて、不安で、泣きたくなる。逃げ出したくなる」
ダグラスさんが今の私と同じ気持ち抱えてると思ったら、私だって、こんな事言いたくない。
「でも……私はこの国で背負った罪をちゃんと償った上で、ダグラスさんと一緒に生きたい。だから……我儘なのは分かってるけど、ダグラスさんも一緒に背負って欲しい」
真っ直ぐにダグラスさんを見つめて素直な想いを打ち明けると、ダグラスさんは口を微かにパクパクさせた後、諦めたように呟いた。
「……分かりました。元々は私の罪です。貴方だけに背負わせられない。貴方が他の男に抱かれ、子を成す事の苦痛こそ私に対する罰なのだと……そう、考えるようにします」
「……ありがとう」
冷静を装おうとしている声が微かに震えていて、心が痛む。
怒りも、不満も、不安も。全部飲み込んで私を受け入れてくれるこの人に――今私が出来る事は一つしかない。
「……ダグラスさん、あの……今日の夜は、その……そのっ……大丈夫、なので……」
契って、私の気持ちはちゃんとダグラスさんにあるって分かってもらえれば、ダグラスさんの中の不満や不安は大分和らぐ気がする。
元々、そのつもりでこの旅行に来てたんだし――嵐も暗殺騒動も片付いた今、私達を邪魔するものはもう、何もない。
途切れ途切れの言葉で、ちゃんと伝わったかな――もうちょっと具体的に言わないと駄目かな――と恐る恐るダグラスさんの顔を見ると、確実に伝わってるのが分かるくらい真っ赤だった。
「ダグラスさん、顔真っ赤」
「……飛鳥さんもです」
目を弧にしたダグラスさんが私の顎にそっと手をかける。
普段はカッコいいのに、こういう時はどうしようもなく優しく――可愛く感じる。
軽く唇を重ねた後、再び離れてお互い顔を見合わせる。やっぱりお互い顔は真っ赤みたいで、
「……恥ずかしいので、見ないでください」
恥ずかしさに耐えかねたらしいダグラスさんが、両手で自身の顔を覆う。
何処の乙女かな? と思ったけど――それより何より、嬉しそうな表情を覆った濃灰の手袋が私に物凄く大事な事を思い出させた。
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