第25話 いつの間にか婚約者


 ネーヴェがいた部屋は城に仕える騎士や兵士、メイド達が使用する宿舎の一角にあった。

 宿舎の傍には大きな訓練場が併設されていて、もうすぐ日が沈むにも関わらず大勢の騎士や兵士達が鍛錬している。


 火球や水柱、雷等の魔法を使っている光景を見て、ちょっとしたイリュージョンの世界に迷い込んだ気分になる。


「魔法って本当にすごいのね……」


 見た目、音、振動――テレビの向こう側で放たれる魔法よりずっと身近でリアルな光景に圧倒させられる。


「戦闘で使われる魔法は標的を攻撃するだけでなく、武器に属性を宿したり状態異常を起こしたりと様々な種類があります。近日中に魔法の授業も行われると思いますので楽しみにしていてください」


 楽しそうに話すセリアの横で見学していると、ドン、とひと際大きな音が響き渡った。


 音がした方を振り向くと、リチャードが橙色の長髪を束ねた騎士――というよりは軽装の剣士と打ち合っていた。

 真剣じゃなくて木刀で打ち合ってるのを見ると1対1の模擬戦、だろうか? 打ち合うリチャードの真剣な表情は結構カッコいい。


 木刀がまた重なった、と思った瞬間リチャードは相手に蹴りを入れる。

 相手はそれが来ると分かっていたかのように高く跳躍して避けた。


 そして、相手が掲げる木刀がオレンジ色に光り輝いて――一瞬の閃光が走った後、リチャードが吹っ飛ばされて尻もちをついていた。

 

(あの攻撃が、武器に属性を宿す、って事……? ってリチャード、大丈夫かしら!?)


 私が駆け寄ろうとするより先にリチャードはゆっくり立ち上がり、相手に頭を下げる。どうやら大丈夫みたいだ。

 相手の剣士はリチャードと二、三言交わした後、リチャードに背を向け、こちらの方に歩いてきた。


 その端正な顔立ちと夕日に照らされたその橙色の髪と瞳があまりに綺麗で、思わず見惚れる。

 背はダグラスさんと同じくらい――この人の方が少し高い? そんな事を考えて見惚れていたら長身の橙の剣士と目があった。

 だけど剣士はすぐに真正面に視線を戻して、そのまま通り過ぎていった。


「ミズカワ・アスカ様、どうされました!?」


 剣士の後姿を目で追っていると後ろから呼び掛けられる。振り返るとリチャードがヨロヨロと歩いてきた。


「セリア……私を呼ぶ時は名前だけでいい、って皆に言ってくれない?」

「分かりました。通達しておきます」


 毎回フルネームで呼ばれるのもちょっと恥ずかしいし、いちいち訂正するのも面倒臭い。セリアが頷いたのを確認してからリチャードに向き直る。


「リチャード、大丈夫なの? さっきの光る一撃、まともに食らったみたいだけど……」

「ああ、大丈夫ですよ。手加減されてますから……」


 自嘲気味に言うリチャードに哀愁が漂う。これ以上この話題を続けたら彼のプライドをより傷つける気がして、別の話題を探す。


「こんな大きな訓練場があるなら朝あんな所で訓練しなくてもいいんじゃないの?」


 私達にあてがわれた部屋の下の訓練場は数人が基礎訓練をするような、ここに比べてかなり小さいものだった。


「ここは宿舎が近いですから、朝や夜に訓練するのはちょっと都合が悪くて……」


 確かに、皆が寝入ってる早朝や深夜に騒がしくされたら困るか――少し考えれば分かる事を質問してしまった事に恥ずかしくなる。


「ただ、今日から……城に侯爵家の嫡子が滞在する間は特別に利用時間が延長されているので、その間は朝も夜も騒がしくなると思います。普段滅多に皇城に来られない侯爵家の嫡子に訓練つけてもらいたい人間は多いですから」

「侯爵家の方々って……」


 早速今日の授業が役に立つ。公爵家の下に位置する8侯爵家――普段は皇都から離れた土地を管理していて、何か特殊な魔道具が使える家系。


「先程の兄もそうなんですけど、昨日のパーティーで来られた侯爵家の当主や次期当主達が1週間程皇都に滞在するんです」

「……兄?」

「はい。先程の私と戦っていたのは私の兄、アーサー・フォン・ドライ・コッパーです。普段は父と共にイースト地方のコッパー領に住んでいるんですが、ツヴェルフ歓迎のパーティーに合わせて兄だけこちらに来ています」


 メアリーの説明だと『有力貴族コッパー家の有能なアーサーさん』になるんだろうか?

 そして彼もツヴェルフを目的にここに来てる――まあ、私は完全に眼中にないっぽかったけど。


「それで、アスカ様……こちらへは何の御用ですか?」

「あ、えっと、リチャードにソフィアの好きな花を伝えようと思って」


「あ……わざわざ聞いてくれたんですか!? ありがとうございます……!」


 私がソフィアに聞くとは思いもしてなかったみたいで、驚きと喜びが入り混じったお礼を言われる。


「この世界にあるか分からないけど……薔薇とスターチスって花が好きみたい。それと、もしこの世界に枯れない花があったら喜ぶと思う」

「バラ、スターチス、枯れない花、ですか……」


 どちらかといえばソフィアは枯れない花の方を求めている気がしたのでそれも付け足してみたけど、リチャードは顎に手を添えて考え込んだ。

 残念な事にどれも心当たりがないみたいだ。


「私、薔薇は見た事あるけどスターチスって見た事なくて……あんまり参考にならなくてごめんなさい」

「いえ、教えてくださってありがとうございます。後は自分でどんな花か調べてみます」

「……どうやって?」


 リチャードがあっさり言う物だから不思議に思って聞いてみる。名前だけしか分からない地球の花を調べる事なんてできるんだろうか?


「そうですね……まずは兄の母に聞いてみます」

「兄の、母?」

「僕と兄は異母兄弟でして……兄の母は40年前に地球から召喚されたツヴェルフなんです。花が好きな方なので、スターチスという花を知っているかもしれません」


 40年前に地球から召喚されたツヴェルフ――その言葉が頭の中で反芻する。


(リチャードのお兄さんのお母さんが40年前の地球のツヴェルフなら……一緒に召喚された中にユミさんがいなかったか聞けば、ここが昔話と同じ世界かどうかハッキリするんじゃ……!?)


 突然降り立った可能性に、自分でも眼が輝いたのが分かった。


「早くに母を亡くした私にも優しくしてくれる良い方なんですよ。一週間後に兄がコッパー領に戻る際、僕も休みを取って一緒に付いていこうかなと……」

「それ、私も一緒に行っていい!? 地球出身のツヴェルフに会ってみたい……!」


 笑顔で語るリチャードの言葉に即座に食いつくと、リチャードの表情は一瞬で恐怖に染まる。


「無理です……! セレンディバイト公の婚約者なんて連れていったら殺されます……!!」


 ああ、ここでもセレンディバイト――その家の名前のお陰で小馬鹿にするような視線を浴びなくなったのは良いけど、身動き取りづらいのは困る――って、ちょっと待って。


「リチャード……今、何て?」


 気のせいじゃなかったら今の発言の中に、セレンディバイト以上に引っかかる言葉があった。


「セ、セレンディバイト公の婚約者なんて連れて行ったら殺されます、と……」


 私は相当怖い顔で聞いてしまったらしい。怖気づいたリチャードが恐る恐る言葉を復唱する。そして、引っかかる言葉は残念な事に気のせいじゃなかった。


「え、待って……いつから私、あの人の婚約者になってるの!?」

「アスカ様……もうアスカ様はセレンディバイト公の婚約者ですよ?」

「ええ!?」


 私の言葉にリチャードよりセリアが驚愕したようで、当たり前と言わんばかりの声で言われてしまった。

 思わず上げてしまった声は周囲で訓練している騎士や兵士達の視線を一気に集めてしまう。


 ここで説明を求めると面倒臭い事になりそうだったので必死に愛想笑いで誤魔化した後リチャードに別れを告げ、訓練場の隅まで移動して改めてセリアに問う。


「送り主の色に金の刺繍が施されたリボンは求婚の意味があり、相手がそれを受け取れば婚約成立です。昨日のプレゼント受けとった時、ダグラス様からそう言われませんでした……!?」


 驚き慌てた様子のセリアが放った言葉に、冷や汗が噴き出す。


「言われてないわよそんな事……! 婚約の証って普通、指輪じゃないの……!?」

「指輪を互いに送りあうのは結婚の証です……婚約はリボンなんです……」


 そう言った瞬間セリアの目の光が消える。このモードはもしや、と思い全神経を耳に集中させる。


「……様が最初ダグラス様の印象……宜しくないと思って……で……プレゼント……呆けられていた時……求婚にときめいちゃったのかと……ほら、最初は……と思ってた人のキュンとくる仕草を見て恋に落ちる話なんてそこらじゅう……やはり……離れるべきでは……あのクソ親父ッ!」


 繰り出されるセリアの小声の早口に思う事は色々あるけれど、締めがクソ親父で終わって良かった――セリアのお父さんには悪いけれど――私の悪口で締められたら私、しばらく立ち直れない。


 熱くなってた頭がセリアの様子を見てるうちに冷えてきた。そして、気づく。


(もしかして……クラウスの態度は、婚約のせい?)


 私がダグラスさんの婚約者――求婚を受け入れた事が知れ渡ってたから、クラウスは最初から私に嫌悪感を示したんじゃないだろうか?

 求婚を受け入れたとなればダグラスさんの要求も受け入れている、と考えるのは至極自然だと思う。


(事の発端は全部あの人なのよね……)


 敬意をもって接してくる割に行動がヤバいダグラスさんと、特に何かした訳でもないけど態度がヤバいクラウス。

 その態度のヤバさもダグラスさんの行動のせいだと思うと――やっぱり私が怒りの感情を抱くべき相手は一人なんだろう。


 外堀を埋められたばかりか、今度はそこにどんどん鉄壁を打ち込まれていっているような気分だ。


 何とかあの男に一泡ふかせたい。ぎゃふん……いや『負けました』と言わせてやりたい。悔しそうな顔が見たい。驚く顔が見たい。あわよくば泣かせたい。


 だけど相手の行動にいちいち取り乱して困惑していたら、きっとそれが叶う日は来ない――


 今の自分にできる事は、地球に帰る方法を見つけて帰れるまで極力相手の機嫌を損なわないよう、かつそういう関係にならないよう、ギリッギリまで時間を稼ぐ――それは今自分が選べる手段の中で最も有効な方法である事に変わりないはずだ。


(とにかく今日の夜、これまでに手にした情報を後でソフィアと優里と共有しよう……これからどんな風に動くかについても作戦会議が必要だわ……!)


 1週間後にリチャードのお兄さん、つまりアーサーさんのお母さんにソフィアか優里のどちらかが話を聞きに行けたら――


 今後の行動方針を固めた時、遠くで18時を知らせる鐘が鳴る音が聞こえた。


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