第199話 飛べない鳥の行く先は・1


 美人、と言われる程でもないけどブスと言われる程でもない。

 その日の調子次第で並の上にも並の下になる顔。


 体型もお腹やお尻、太腿の辺りに自信が持てないけど馬鹿にされる程でもない。

 これまた、特筆するべき点がない標準体型。

 

 以上の点から一目惚れ、という可能性はあまりない。

 人それぞれ好みがあるしゼロとも言い切れないけど。


 あの人がもし私に一目惚れをしていたら、初めて会った時から挙動不審な態度になっている気がする。


 ダグラスさんから明確な好意を感じたのは魔物狩りが終わった後。

 私に何か惹かれる物があったとしたら、魔物狩りの時。


「りょ……料理……?」


 冷蔵庫の物を転送してくれたお礼や、魔物狩りのお弁当――

 そう、きっかけは料理だったと思う。


「料理……公爵の舌を唸らせる程アスカさんの料理は美味しいのですか?」


 ルクレツィア嬢のキラキラとした透き通るようなアイスブルーの眼に私が映る。

 自分基準ではそこそこ美味しいと思うけど、ルドルフさんの料理と比べると私の料理は明らかに雑だし拙い。

 それを考えると胃袋を掴んだ訳でもないのだろうか?


 分からなくなってきた。頭が考える事を拒否しはじめる。

 

「アスカさんはダグラス卿に自分の何処が好きか聞いた事はありませんの?」


 そうだ、交換日記――好きなタイプの話で、確か『貴方の事』ですと言っていたような。確か――

 

「笑顔が素敵で、活発で、生意気で、厄介事持ち込む、男心も身の程も分かってない残念で可愛い人……って言ってたけど……」


 もう笑えないし、活発にもなれない。生意気に反抗する気力もない。

 そういう意味では今の私は彼の好きなタイプから外れてしまっている。


 今のダグラスさんの優しさは最初に出会った時の優しさとよく似ている。

 ただ、自分の子を産む女性に敬意と優しさを示しているだけ。

 そこに私に怪我をさせた負い目があるから尚更優しいのだろう。


「……私の言葉はあんまり、参考にはならないと思う……一時は好意持たれてる時期もあったけど、今はもう愛されてないから……」


 今はもう、自分の子を産めるのが私だけだから手放せないだけ。

 私をこれ以上追い詰めると厄介な事になりそうだと思ったから、追い詰めるのを止めただけ。


「そんな事ありませんわ。先程あの方がアスカさんを見つめていた眼差しは人を愛し慈しむそれでしたもの。もっと自信をお持ちになって?」


 ルクレツィア嬢の励ましに首を横に振る。

 仮にそれが事実だったとしても、私はもう彼に同じ眼差しを向けられる気がしない。

 今のやり取り全てが他人事のように聞こえる。心が、全く、動かないのだ。


「自信を持つも何も……私、今はもう、ダグラスさんの事……」


 これ以上気を使わせるのも悪いし、話題を変えたい。

 今の感情を素直に吐露しようとして言葉が詰まる。


「あら……そうだったんですの? ごめんなさい、私、てっきり相思相愛なのかと……」


 その先を察したルクレツィア嬢が気まずそうに頭を下げる。何だか申し訳ない。

 

 私の隣に、人一人分間を空けて静かに座ったルクレツィアは顔を俯かせて呟く。


「……私、幸せな恋物語に憧れてますの。だからアマンダ様やアンナさん、アスカさんのように、殿方の愛をも手にする事が出来たツヴェルフが本当に羨ましくて……つい、詮索してしまいました」

「ツヴェルフが……羨ましい?」


 意外な言葉を無意識に復唱する。


「はい……だって、好きな男と全く同じ魔力に染まる事が出来て、その上自分の宿した子が好きな男の家を紡いでいけるのですもの……これに勝る喜びは有りませんわ」


 そうか……ルクレツィア嬢は誰かを好きになっても色を引き継げないのか。

 セリアは自身の恋愛に興味が無さそうだったから気にならなかったけど、神官長の言っていたとおり恋する有力貴族も悩みを抱えているようだ。


「でも……アスカさん、ダグラス卿の事、お好きではなかったのですね……」


 気にかけてくれているように見えるけど、含み笑いが気になる。

 

「ルクレツィアさんは……ダグラスさんが好きなの?」


 はっきりさせておいた方が良い気がしてそう問いかけると、ルクレツィア嬢が眼を丸くして驚きの声を上げる。

 

「え? あ、ごめんなさい! 誤解させてしまいましたわね。私が想いを寄せているのは違う方ですの! 安心なさって!」


 ルクレツィアが頬を赤らめて恥ずかしそうに謝ってきた。そっか、違うのか。そう言えば何だかダグラスさんもそんな感じの事言ってたような……


 過去を掘り返そうとした瞬間、休憩室のドアが勢いよく開く。

 入ってきた優里とネ―ヴェ、ソフィアと目が合った。


「飛鳥さん……!! 大丈夫ですか? 色々話を聞くばかりで直接会う事が出来なかったので心配で……!」


 部屋に入ってくるなり淡い黄色をベースにしたシンプルなドレスの優里が心配そうに駆け寄ってきた。


 久しぶりに見る優里の姿。純粋に心配してくれる眼差し。

 懐かしさと嬉しさが心の中でさざめくのに表情を変えられない。


「あら、ルクレツィアじゃない」

「ソフィアさん、お久しぶりです」


 少し驚いたように呟くソフィアに、ルクレツィア嬢は微笑んで一礼する。

 何処かで会った事があるのだろうか?


「魔物狩りで会ったのよ。貴方の話がインパクト強すぎて言うの忘れてたわ」


 私の姿に少し眉をひそめつつ、何故見られているかを察したソフィアが説明する。


「ソフィアさんとは弟が突如行方不明になって探していた所で偶然出会ったのです」


 ルクレツィア嬢の弟……って事はまだ15歳に満たないアレクシス君の事だろうか? 行方不明になったり誘拐されたり……一体どんな子なんだろ?


「あの、飛鳥さんを見ててくださって、ありがとうございます。後は私達が見てますので……」


 優里がおずおずとルクレツィア嬢に声をかける。

 ああ、転送の話をしたいのかな?


「お気になさらないで。私もこのパーティーの熱気にあてられて休んでいる所ですから」


 ルクレツィア嬢に笑顔で返されて微妙に気まずい空気が流れる中、ソフィアが1つ軽いため息を付いてドアを開ける。


「リチャード! アーサーはいつ来るのかしら?」


 ソフィアが来てるならと思ったけど、やっぱり外にリチャードもいるのか。


「そろそろ来てもおかしくない頃ですが……」


 リチャードの少し戸惑った声が響く。


「えっ……! アーサー様も来られるのですか……!? では私も挨拶に伺わなければ! それではアスカさん、宜しかったら今度ラリマー邸に遊びにいらしてくださいね!」


 ルクレツィア嬢はスッと立ち上がって一礼すると、これまでよりずっと軽やかな足取りで退室していく。


「ルクレツィア様! まだ、到着した訳では……!」


 リチャードが困ったような声がかすかに聞こえた。


「……ルクレツィアはアーサーが好きなのよ」


 ドアを閉めたソフィアがポツリと呟いた。

 頭の回らない今の私でも分かりやすい、好意。


――好きな男と全く同じ魔力に染まる事が出来て、その上自分の宿した子が好きな男の家を紡いでいける――


 ツヴェルフが羨ましいと言ったルクレツィアの言葉が思い出される。


(仮にルクレツィアがアーサーと結婚して子どもを産んでも、その子はどっちの家も継げないのか……)


 神官長から言われた時はあまり現実味がなかったけれど、ルクレツィアがその笑顔を陰らせて呟いた言葉はズシンと心に沈んだ。


「飛鳥さん……大丈夫ですか?」

「ああ、ごめんね、心配かけて……大丈夫。ちょっと今、上手く顔と手が動かせなくて……言葉も、思考も、上手く回らないだけ……」


 すぐにでもベッドで横になりたい位体が重いけど、とにかく心配をかけないように声を紡ぎ出す。


「……明日、塔まで来れそうですか? もし難しいようであれば今、リアルガー邸の裏手に内密に馬車を用意してもらっています。それに乗ってアスカさんだけでも先に塔に……」


 ルクレツィアがいなくなって早速切り出してくる。


「ああ、それなんだけど、私……この世界に、残ろうと思って……」

「……どうしてです?」


 優里はそう言うものの、驚いた表情を見せない。

 まるで、そう返されるのは分かっていたみたいに。


「私が残らないと、ダグラスさん何するか分からないし……そんな、馬車なんて使っても……」


 絶対にあの人は追いかけて来る。そして今度こそ――何もかも分からなくなるレベルで壊される。そんな結末は……誰も幸せにならない。


「それに……何か、私、疫病神、みたいで……動くと皆が不幸になるっていうか、迷惑かけちゃうみたいで……このままじっとしてれば、割と良い待遇受けられるし、それなら、もう、ここにいた方が良いかなって……」


 この様子だと私が神官長から転移石をもらった事は皆に知られてないみたいだ。

 神官長の言い方から多分クラウスには知らせてるだろうけど……皇家に言えば裏切りと捉えられる行為を皇家に知らせてるとは思えない。


 もう壊れて使えない物の存在を打ち明けても神官長の立場が悪くなるだけ。

 だから転移石の事は言わない方が良いと、頭の何処かが告げる。


 これ以上、疫病神だと思われたくない。


「……まあ、私は貴方がここに残ってくれた方がありがたいわ」


 ソフィアの言葉が、刺さる。


「……飛鳥さんは、どうしたいんですか?」

「ユーリ。アスカは私達の事を考えて……」


 ソフィアの言葉に優里は一切引かない。


「私達の事は考えなくていいです。私は、飛鳥さんがどうしたいかを聞いてるんです」


 首を横に振って改めて私を見つめるその目は、あまりに真っ直ぐで。


「私は……」


 言葉と涙がこみ上げる。言ってはいけないという理性と感情の囁きも聞かずに。


「……帰りたい……」


 言葉と涙が、こぼれ落ちる。


「もう、帰りたい……逃げたい……この世界の何もかもから……」


 私の言葉に、優里は優しい笑顔を向ける。その目は何故か潤んでいる。

  

「じゃあ、帰りましょう」


 そっと手を握られる。包帯と手袋越しに伝わる、痛みと、優しさ。


「でも……」

「飛鳥さんが帰りたいなら、私も一緒に帰りたいです」


 優里の言葉にソフィアが重いため息をつく。

 そしてお手上げと言わんばかりに肩をすくめる。

 だけど……それ以上の事は言ってこない。


 理性的に考えれば圧倒的にソフィアの判断が正しい。

 私が関わる事で明日の深夜、すんなり転送される事にはならない。


 それは痛い位に分かっているのに。

 今は寄り添ってくれる優里の優しさに縋りたい。


「……これをどうぞ。しばらくはこれで貴方の魔力は安定するはずです。この館を出た後に貴方の中にある黒の魔力を放出しましょう」


 手袋の上に乗せられたのは、一粒の白い錠剤。


「……ネーヴェ、いいの? 貴方……」


 私にこの世界に残って欲しいというのが皇家の総意だったはず。

 今、ネーヴェはそれに逆らおうとしている。


「……どれだけ言っても、ユーリが聞かないので」


 フイ、と少し赤い顔をそらしネーヴェはドアの方へと歩き出す。


「さ、行くならさっさと出た方が良いわ」


 ソフィアの言葉に慌てて薬を口に含み、隅のテーブルに置かれた水のグラスを先程と同じ要領で口をつけて水を飲み干し、部屋を出た。



「こっちから抜ければ人目につかずに裏口に出られるはず……」


 休憩室を出て、ネーヴェとソフィア、リチャードの後を追いかける。

 横を歩いてくれる優里の勇気が、希望が、しっかりと歩く力をくれる。


(やっぱり……<主人公>は違うなぁ……)


 真っ直ぐ迷わない純粋な眼差しも、譲らない強い意志も。

 私念が混ざって迷って判断を間違ってしまう私とは違う。


 通路をいくつか曲がり、人気もなくなってかなりホールの方から離れた頃。

 魔力の安定が外れた瞬間、悪寒を感じる。


 (来る……!!)


 恐怖心が蠢く。薬のお陰か侵食されていく感覚は無いけれど。

 自分の心の中にある何かが吹き出さんばかりに膨れ上がる感覚が怖い。


 何故だろう? 何故か分からないけどあの人が近づいてくるのが分かり、足が震えだす。


(駄目。皆が、皆が助けてくれるのにここで、脚を竦めたら駄目)


 大抵、こういう時足を止めるから捕まるのだ。足を止めたら終わる。

 震える足を無理やり言い聞かせるように歩く内に、通路の奥に外の景色と馬車が見える。


 もうすぐ――と思った時、体が硬直する。

 その直後、背後から強く抱きしめられる。


 力が込められた腕が、直ぐ側で聞こえる吐息が私を絶望へと叩き落とす。


「飛鳥さん……何処に、行こうとしているんですか……?」


 穏やかを装う中に冷たさを帯びた声が、耳元で響いた。


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