第95話 とっておきの秘策
「おかえりなさいませ、アスカ様」
白馬車を見送っていると、近づいてくる足音と共にセリアの声が背後で響いた。
(さて、と……ここから仮面を被らないと)
振り返るとセリアの目が見開き、すぐに心配そうな表情になる。
「……どうなさいました?」
よし。クラウスとの別れが割と心が重くなる状況だっただけに、そのまま悲し気な感じを装う事ができたようだ。
「……クラウスに、フラれたわ……私なんかよりソフィアが良いんですって……」
「あら……まあ」
セリアは口元に手を当てて言葉を失う。そうよね、セリアにしてみたらあの人に婚約破棄された時の頼みの綱が切れたんだもの。
「まあ、別に、私もクラウスなんてもう、どうでもいいけど……」
重ね重ね嘘をついてごめんなさいと心の中で謝りつつ、言葉を続ける。
ここに来る直前に失恋していた時の心境を思い出しながら紡ぎ出す言葉はセリアの心にそれなりに響いているようだ。そっと優しく肩に手を置かれる。
「大丈夫です……アスカ様にはダグラス様がいらっしゃいます。あの方さえいれば何一つ不自由する事無い、公爵夫人として優雅な一生が約束されています」
「でも、あの人、今、絶対機嫌損ねてるでしょ……?」
「大丈夫。まだ十分引き戻せます。アスカ様がクラウス様にフラれたのなら尚更ダグラス様の心を手中に収めねばなりません。私、とっておきの秘策を出します。さあ、部屋に戻りましょう。今日も戻ってきたら自室で待機するよう言われてますので」
私が失恋したと言っているのにちょっと嬉しそうなセリアの態度に若干疑問を感じながらリボンを付け替えて部屋に戻ると、テーブルの横に黒の箱が積み重ねられていた。
「新しいドレスは見つかりませんでしたが、使えそうな装飾品などを持ってきました」
言うや否や、セリアはその箱の中から装飾品を取り出し、テーブルの上に並べていく。
黒い宝石を銀で飾ったティアラにブレスレット、アンクレット――あのドレスだと足元が隠れるから足に付けるアンクレットなんてつけても誰も見ないと思うんだけど。
「そして……これが私が発見したとっておきの秘策です」
そう言ってまた別の黒い箱から取り出され、テーブルの上に並べられていくのは漆黒のガーターベルトにストッキング、ブラに、パンツ――
「…まさか、下着まで?」
恐る恐る問うと、セリアは大きく頷いて微笑んだ。
「ご安心ください、保管されていた状況から全て未使用品と思われます。念の為きっちり洗浄・浄化も済ませておきました」
「そこも心配したけど、そこじゃないわ。これ、完全に勝負下着って奴じゃない……」
一見丁寧な刺繍だと思ったパンツを指で摘んで伸ばしてみれば、ストッキング程とは言わないまでも薄っすら透けてるのが分かる。
日常生活で普段使いするような親しみやすい物ではなく、ここぞ! という日に相手を誘惑する意図を込めて身に付ける奴だ。
「そう、これはまさに勝負下着……下着の色には特別な意味があるのです」
「ど……どんな?」
嫌な予感がしつつ恐る恐る問いかけると、セリアは黒パンをそっとテーブルに戻し、窓の向こうを遠い目で見据えた。
「下着は一番自分に近しい物……それを相手の色で染める事は、『貴方の色に染まりたい』という意思表示です。ましてドレスを合わせれば『私は身も心も貴方のものです』という意思表示になります」
「うわあ……」
胸とお腹に溜まっていたドン引きの空気がついに声に漏れる。
「倉庫でこれらを見つけて持ってきたのはいいものの、アスカ様がクラウス様にも心惹かれているこの状況で黒の下着を身に付ける事はおススメできない……と思っていたんです。ですがクラウス様にフラれたのでしたらもう何の問題もありません! アスカ様が黒の下着を身に付ければダグラス様の心も機嫌も取り戻せるはずです……!!」
下着1つで取り戻せる心や機嫌に私達は右往左往していたのか。
「し……下着の色1つでそんなに変わるもの? この世界の男ってそんな単純なの?」
仮にそうだったとしたら、これまでの今まで贈り物やらご機嫌取りやらの努力に何とも言えない虚しさが吹き付ける。
私の呟きにこちらに視線を向けたセリアが、テーブルに手を置いて真剣な表情でじっと私を見据える。
「アスカ様は自分の魔力を持ってないから分からないと思いますが、男女に関わらず『好きな人が自分の魔力と同じ色の下着を身に付けている』というのはあらゆる理性や感情を飛び超えて、本能にきます。まして、自分がプレゼントして付けさせるのではなく相手が自分でそれを用意して身に付けてるとなれば……もう、間違いなく突き刺さりますね」
こんな物が突き刺さる本能なんて絶対ロクなものじゃない。呆れて声も出せない。
「それにこれならあのドレスにも馴染みますし、万が一首の結び目が取れた時に胸を曝け出さなくて済みます」
そう言って見せられたのは肩紐の無いブラ。
後ろの細い紐を交差させて脇のホックにかける仕様になってるそれは確かに、背中が大きく開いてるドレスにも馴染みそうではある。
あのドレスを着る時はブラじゃなくてニップレスを付けなきゃいけないのが物凄く気にかかっていたから、ブラを着けられるのは凄くありがたいけど――
「でも、これ身に付けたってドレスの上からじゃ分からないでしょ? まだそういう行為する心の準備も出来てないし……」
いくら時間が与えられようと心の準備をするつもりは一切無いけど、下着を身に付けるという事はあの人に対してかなり際どい位置まで歩み寄る事になる。
「大丈夫です。背中のブラ紐を見て、もしかして……? と思わせれば十分です」
「じゃあパンツまで合わせなくても良くない?」
「ブラとパンツは上下セットになってますので」
確かに、普段使いなら上下セットじゃなくても然程気にならないけど勝負下着の上下が違うのは気になる――セリアの言葉には謎の説得力があった。
改めて黒パンを見る。薄めの生地で作られている割に緻密な刺繍が施されたそれは見ている分には(すごいな)と思うだけで済むけど、これを履いてるのを万が一他人に見られたら『恥ずかしくてもうお嫁に行けない……!』って嘆きたくなる位にはエッチなデザインだ。
(……嫁に行くつもりは無いけど、嫁に行こうとしてる状況で、嫁に行けなくなる事を心配するってどういう状況?)
と自問自答した結果(もう何も考えるな)という結論に至る。おかしな状況でまともな思考を持とうとするからおかしい事になるんだ。
私が無の表情をしているのをセリアはどう思ったのか、黒パンを手に取り力説する。
「アスカ様、私もこれを贈った人間に罪が無いとは思いませんが、下着そのものに罪はありません。見てください、この薄手の生地に施された見事な刺繍……職人が丹精込めて作った一級品の下着です。職人が全力を込めて縫ったであろう下着が永久に日の目を見る事がなく倉庫に捨て置かれ、いつか処分されるのを待つだけ……というのは少々可哀想だと思いませんか?」
(ああ、セリアもこれを贈った人間に罪がある、とは思ってるんだ……)
そこで職人の情熱を出してくる辺りは理解できないけれどセリアも自分と同じ感覚を持ってる事が分かってちょっと安心する。
「まあ、アスカ様がまだクラウス様に未練があるようなら無理にとは申しませんが……どうされます?」
もしこれが乙女ゲーの世界ならフラれて投げやり感を出しておくか、失恋を強調する為に
ただここで躊躇したらセリアはまた私の為に色々考えたりするんだろうなと思うとこれ以上負担をかけたくない。
「……分かったわ。明日はこれ着けるわ」
私の返答に、セリアは満面の笑みを浮かべる。
「べ、別に、黒パン履いてあの人の気を引こうって訳じゃないから! セリアが言うから職人の力作に一度位日の目見せてあげたいなって思っただけだし……!?」
ツンデレ風に言っては見たけれど、どう考えても気を引くために履くとしか思えないこの状況――しかも勝負下着の日の目って何? ドレスの下に身に付けただけで日の目を見せた事になるんだろうか? ああ、本当に何も考えたくない。
「大丈夫です。アスカ様がどれだけ心と相反した事を言おうと下着が黒ならちゃんと気持ちはダグラス様に伝わります。ダグラス様から婚約破棄してこない、という事は、あの方も理性的には自らが召喚を望んだアスカ様と結ばれるのが一番良いと考えているはずです……自分に心が向いてないと感情的に嘆いてる所を黒のドレスやアクセサリーを身に付ける事で一気に引き寄せて、トドメに下着で本能突き刺しておけば万事解決、将来安泰です」
ほんとこの世界の人達、頭おかしい――でもそのおかげで付け入るチャンスがあるのだからそのおかしさに感謝するしかない。
ただ普通の下着を履くよりこっちを履いた方が効果的なら利用するしかない。実力ではどうあってもかなわない相手に対して、優位に立てるチャンス。
クラウスが自分の死を武器にしたように、私も武器を持たなければならない。クラウスの死と勝負下着を同じカテゴリに並べちゃいけない気もするけど。
(でも……人に死ぬなと言っておいて自分の死を利用するクラウスと、味方の好意を利用するのが嫌と言っておきながら敵の好意を利用する私は本当に似た者同士だわ……)
恋慣れない男の恋心を煽る真似をして最後にはへし折って地球に帰ろうとしている私は、確かに地球出身のツヴェルフの中でワースト1かもしれない。
でも、他人に命掛けさせておいて自分だけ綺麗な事言ってられない。私は私で使えるものは全て使ってでも、1ヶ月耐えきってやる。
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