第85話 黒の公爵・10(※ダグラス視点)


 結界の穴から王都に侵入すると、街は恐怖に陥って逃げ惑う人間達とそれを追う怨霊や冥界の生物達の幻で溢れかえっていた。


 古書にも記載があった三ツ頭の犬ケルベロスの他、腹に目玉が埋め込まれたような蝙蝠、フワフワと浮かぶ青黒い海月くらげに、地面を這いずる暗い青とも緑とも言えぬ蛇など、冥界の生物達はこの世界の生物とはまた違った印象を受ける。


 詠唱と印にこそ来て欲しい対象者を刻んだが、魔法陣が『冥界と王都それぞれに互いの幻を出現させる』という仕組みな分、関係ない霊や興味本位の冥界の生物もやってくる。


 見た事もない異界の生物に民は私以上に驚き戦慄している。だがそれらは全て幻――私は幻を見せているだけだ。


 幻の叫びに耐えかねて自ら命を断つのであればそれは『自殺』に過ぎないし、パニックになって高い所から足を踏み外して死ぬのであればそれは『事故』に過ぎない。


 私は誰もこの手で殺してはいない。


 ここはそういう国だ。だから私はこの国の流儀に従っているだけ――と言いたい所だが、この説明もきっと飛鳥は気に入らない気がする。

 さて、どうしたものか――と思った時、頭の中に重苦しい声が響いた。


『魔ノ色ヲ宿シ者ヨ……何故コノヨウナ酔狂ナ真似ヲシタ?』


 無理をしてこの世界の言語を喋る声には仄暗く重苦しい魔力を伴なっている――冥界のそこそこ地位の高い者が私に呼びかけてきているのだろうか?


 まあ、これだけ大きな魔法陣を使えば向こうの管理者が何事かと駆けつけてきてもおかしくはない。


『驚かせて申し訳ありません、冥界の管理者よ。この幻はもうしばらくしたら消します。それまではどうか貴方の配下達を引かせてもらえないでしょうか? 私はこの国にこれ以上過ちを犯させぬように、そして恨みを持って死んだ者の魂を少しでも慰めてやろうと思ったのです』


 慰めてやるという気持ちは毛頭ないが。まあ多少の慰めになるのは間違いないだろう。我ながら思ってもない事をペラペラ喋れる口の上手さに感心する。


『そちらもここまで深い怨念を持った魂達を管理するのも面倒でしょう? その怨念は今ここで多少洗い流されるかも知れません……どうか、見逃して頂きたい』


 生きとし生けるものの魂は皆天に上がり、裁きを受けた後異界に送られる。

 神が認める程の徳を積んだ者や罪を背負った者以外、つまり殆どの魂は冥界に送られて転生を待つ――と言われている。

 実際こうやって冥界との接続に成功した以上、その言い伝えは事実だと認めざるをえない。


(ここまで怒りや悲しみに満ち溢れた魂の管理など面倒この上ないと思うが……さて、どうでる?)


『我ハ平穏ヲ望ム。混乱ハ避ケタイ……30分ダケ応ジヨウ』

『十分です。ありがとうございます』


 冥界の管理者の通信が途絶えた後、冥界の生物達の動きが止まる。

 冥界がどんな世界なのか、この管理者としばし対話したい気持ちもあったが――そんな雰囲気では無さそうだ。


(しかし、魔獣使いならぬ『冥獣使い』の管理人か……興味深い)


 そして冥界の生物達が止まった事で新たに気づいた事がある。どうやら怨霊に混ざって民を守ろうとしている霊も少なくないようだ。

 怨霊を追い払う霊と民の関係は家族か、恋人か――奇しくも私は感動の再会も演出してしまっているようだ。


(まあいい。何故今こんな事になっているのか、私から説くよりも身近な存在だった者の霊から説かれた方が理解しやすいだろうし、より心に染みるだろう)


 そして怨霊の慟哭と興味本位でやってきた冥界の魔物の幻はけして感動だけの再会にはさせない。

 自分達はこれだけの怨念に包まれて生きているのだと知れば少しは自分達の生活を鑑み、足るを知り、発展を躊躇するようになるだろう。


 悪くない気分に浸りながら王城に向かっている中、大気の魔力の異常な動きを感じる。そして冥界の生物達は大人しくしているが、何体かの怨霊を先頭に大量の怨霊の大半が王城の方に向かっていく。


(……探す手間が省けそうだな)


 怨霊を追うようにして王城に入っていくと、中の兵士達は怨霊達の慟哭に圧倒されて殆どが腰を抜かしており、結果一度も槍を振るう事無く王城の中腹――先程、歪に増築された部分と感じた場所に辿り着く。


 そこに佇んだ、ただでさえ巨大で物々しい風貌の大砲――それに大量の怨霊が纏わりつき邪神のオブジェかと言わんばかりの禍々しさを放っていた。

 壁の一部だったであろう部分が大きく開かれ、王都を一望できる外から差し込む黄昏の光が悪魔の大砲の最後を告げているようにも見える。


 怨霊の禍々しさに怯えきった兵士達が大砲から離れ周囲にへたり込んでいる中、誰に邪魔される事もなくその大砲――マナクリアウェポンに近づく。


 既に魔力が半分程溜まっている。闇雲に壊せば爆発する。

 何処を破壊すれば魔力をエネルギーに変換させること無く開放できるのか――を考えた所で足元から怨霊の慟哭に負けない何かが聞こえてくる事に気づく。


 <街全体に怨霊や異界の魔物が現れましたが、全て幻です! 皆さん、落ち着いて行動してください!! 繰り返します、街全体に――>


 そう言えば変人侯がこの国には『ラジオ』という送受信を兼ねた魔導機があると言っていた。

 拾い上げて魔力探知をかけると、その小さな魔導機から細い魔力が何処かに繋がっている。


(これは……利用できるか?)


 この国の民に私は敵ではないと分からせておかなければ、また飛鳥に厄介なレッテルが貼られる。これが終わったら裁判が始まるだろう状況で他国にまで飛鳥の悪名を轟かせるのは非常によろしくない。

 ラジオの音を消し、魔力の線にこちらの声が響くよう細工を施した所で慌ただしい足音が響き渡る。足音の主達はすぐにこの部屋にたどり着いた。


「それに触れるな!! 黒の死神め!!」


 この中で最も王らしい姿をしている中年の男が王らしい声を響かせる。


 こちらに向かって機械仕掛けの弓や銃など、独特の武器を構える多くの兵士達と、それらの前に立つ共に偉そうな人間ども――チラと一人一人顔を見れば、王と大臣、第二王子――数節前に騎士団から届いた調査資料の記憶と重ね合わせる。

 容姿と魔力から推測するに皆、影武者、という訳ではないようだ。


 この場に王が来て自ら私を諌めようとする姿は勇ましい。そして王族全てをここに集める程愚かでもないようだ。


『……武器を下げて頂けませんか? 私に戦う意志はありません。今日は話し合いに来たのです』


 ラジオにも周囲にも響き渡るよう、ペイシュヴァルツの力を借りて拡声魔法を発動させる。


「休戦協定を破った上に異界の怨霊達を呼び寄せて都を混乱に陥れ、城にまで侵入してきた死神が何を言う……!!」

『先日の色神侵入は皇国側で起きた不測の事態によるものです……こちらへ侵略する意図は無かった。どうかお許し頂きたい。怨霊を呼んだのはこの国の民に一刻も早く伝えたかったのです。この国の発展の裏にこれだけの恨みが存在する事を』


 黒の槍を持ったまま両手を広げ、演説するように言葉を重ねる。


『私が今見せている幻は、いつかこの国に訪れる未来です……このまま怨霊達の量が増えればいつか彼らは自分達の執念で冥界の扉を開き、この国を呪うでしょう』


 それが何千、何万年後の事になるかは知らないが、可能性としては否定できない。冥界とて慈善事業で魂の管理をしている訳ではないだろうからな。

 この国が非道な実験を続ける限り、怒りと悲しみに穢れた魂の大量発生は冥界の管理者を悩ませるだろう。


「戯言を……冥界の扉が開かれる事などまず無い……!!」

『確かに、私は冥界の扉を管理している訳ではないので、いつ開かれるとはハッキリ言えません。ただ……今、マナクリアウェポンを発動しても被害を受けるのはこの国だとハッキリ言えます。国境で待機している青の公爵が持つ神器は空間接続を得意としますので放たれた弾は先程放たれたレールガンのように空間を超えてこの国の何処かに直撃します。それで新たな怨霊をお増やしになりますか?」

「馬鹿な……いかな魔術に長けた国といえど空間の接続など、出来るはずがない!」


 王の言葉に怯みが生じる。先程の山の閃光に気づいていないとは思い難いが――


『……貴方方は理屈や理論で物を語りますが、公爵の力は神の力……理屈ではない。試されたいのであれば試せば宜しい……と言いたい所ですが、私の愛しい飛鳥は罪無き民達が死んでいく事を全く望んでいない。私は彼女を悲しませたくないのです。どうか武器を収め、皇国に降伏して頂きたい』


 そろそろ冥界の管理者と約束した時間に近い。後10分――魔法陣の維持もその辺りが限界だろう。

 いつ魔法陣が消えても良いように、体の良い言い訳を添えて幻を取り払う準備をしていかなくては。


『……現時点でこれだけこの国に恨みを持つ怨霊が冥界にいるのです。貴方方がこれまで行ってきた研究や実験でどれだけの人が犠牲となったか、恨んでいるか……これでお分かりになったでしょう? 特にこのマナクリアウェポンに絡みつく怨霊達は……実験過程の犠牲者か、あるいは『試し撃ち』の犠牲者か……』

「黙れ! その兵器を開発したのはお前らの」

『おや、上に立つ者の責任を放棄なさるおつもりですか? こちらの国の人間が亡命して発明した物だとしても、その恩恵にあやかっているのは貴方方である事に変わりないではありませんか。駄目なら駄目だと言えば良かった。認めなければよかった。それをしなかった貴方方に開発者を責める資格などない』


 皇国側にヘイトを向けられないように言葉を被せた所で、抑えていた怒りがこみ上げる。


 ヒューイの片割れもあの狂科学者も殺せないのなら、やはり私はこの国の王を殺さなければならない。説得するのはこの辺まででいいだろう。

 ここに来るという事は当然死の覚悟はあるのだろうから――何も遠慮する事もない。


(確か、この国の王の名前は……)


 王の姿と彼が宿す魔力を見据えて槍から手を離した瞬間、槍は王達の方へと刃先を向けて消える。2秒も経たずして王の首から大量の血が吹き出す。


 一瞬の事で何が何だか分からず、狼狽える王が動く事で辺り一面に血が飛び散り、悲鳴が轟き――私の手に黒の槍が戻ると同時に王がその場に倒れ込んだ。


 大量の怨霊達が大砲の方から王の方へと移動する。慟哭の声質が高くなっている所を見ると、自分達を殺した人間が死んだ事を喜んでいるのだろうか?


「今のは黒の恩恵、『神の刃』……対象の名前と姿、魔力の色を思い浮かべながら槍を手放せば対象の急所だけを突き刺しにいく……次は誰が餌食になりますか? この場にいない第一王子の名前も魔力の色も存じておりますが、この場にいる第二王子や大臣を狙うのもいいかもしれませんね」


 この恩恵は便利ではあるが、相手の急所を狙うという仕様なので飛鳥を探す為には絶対に使えない上、一般人にとっては刺激の強い光景になるので飛鳥の前で自慢できないのが辛い。


 第二王子や大臣が皆ガクガクと振るえているが、騎士や兵士達はまだ腰を抜かしていない。

 そして人の死に慣れている人間もいるのだろう、こちらに向けて放たれる機械仕掛けの弓から放たれる矢や魔弾を防御壁で弾き飛ばす。


「今のは甘んじて受けましたが、次に攻撃をしてくれば私も反撃させて頂きます……凄惨な光景は話し合いには向かないと思い首にしましたが、次は頭を狙いましょう。ああ、今以上に凄惨な光景になるでしょうね……それを見た貴方達が恐怖で打ち震える姿は、きっと怒りに狂った私の心を鎮めてくれる……!」


 本来は王の魂にも特別な責め苦を与えたい所だが、飛鳥は『罪ある人の死』は認めても『罪ある人間の魂をいたぶる事』は認めない。

 ああ、実に悔しい――そして、足りない。


(まだ逆らうようなら殺す理由ができる……さあ、抗え、逆らえ……私にお前達を殺す動機を、飛鳥に責められる事なく命を屠れる動機を与えろ……!!)



「やめろ……やめるんじゃ、お前達、武器を引け!!」


 期待が最高潮に達した所で大臣が兵士達を諌め、武器を下げさせた。



 ――つまらない。実に、つまらない。


 だが外から聞こえる多くの悲鳴が、怨霊達の喜びが混ざった奇妙な叫びが私の心を宥める。そして魔力回復促進薬マナポーションの効果が薄れていくのを感じる。


(……駄目だな、やはりこの薬は私には向かない。つい飛鳥に嫌われてしまう行動を取ってしまいかねない)


 これ以上無駄に魔力は消費できない。魔法陣を解除して王都を覆っていた幻を消した後、怯えきっている第二王子や大臣達に向かって笑いかける。


『分かって頂けて何よりです。それでは……手短に今後について話し合いましょうか』



 そう、手短に――早々に片付けて、一秒でも早く彼女を――飛鳥を迎えに行かなければ。





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